103話 武辺者の女家臣、農業改革に勤しむ・1
まだ春の気配がようやく畑の縁にまで降りてきた頃。
クラーレは試験農園の土を踏みしめながら、手に持つ手帳にぶつぶつと呟きを書きつけていた。
「……初発のアブラムシ対策にニコチン液、湿気とカビには木酢液……トウガラシ液も併用したい。硫黄系は後回し、あれは引火性の固体だから保管場所がいい加減にするとトマファ君から叱られる――防毒マスクは必須だもの」
畑の区画には手描きの札が揺れていた。「トマファくん好み:太きゅうり」「ユリカ様用:ピーマン鬼辛種」「セーニャさん用:かぼちゃ」など趣味と実益がごちゃ混ぜのレイアウトである。
「クラーレ大佐ぁーっ! 資材班、出撃準備完了っすよーっ!」
声の主は猫耳フードのプリスカだった。背負い籠を担いで、どこかで拾った軍帽を被っている。
「……どこで拾ってきたのそれ」
「炊事場の裏に落ちてたんす。似合います?」
「――ちゃんと返してきなさい」
苦笑まじりにそう返しつつ、クラーレは手帳を開いたまま歩き出す。目指すは資材をかき集めること――つまり、農薬と除草剤の原料である。
*
まず訪れたのは西街の薬草店だった。
「タバコの葉? あんた、そんなかわいい顔して吸うのかい」
「……いえ、撒くんで」
「はぁ、文官殿も考えあってやるんだろうけど、扱い方は大丈夫かい?」
「あ、はい、茎とか混じってても問題ないので――ちょっと負けて?」
「なかなか手ごわい文官殿さねぇ――干したの五束で足りるかい?」
「足りなかったら、また買いに来ます」
薬草店の婆さんは奥の倉庫から吊るし干しされた乾燥タバコを持ってきた。プリスカがその香りに顔をしかめる。
「げ、くっさぁ!」
「虫除けとして使うからね。あんたに効くなら効果ありってことじゃない?」
「どういう意味ぃ!?」
文句言うプリスカの背負い籠に乾燥タバコを入れた。やはりタバコの匂いは嫌なのか彼女の表情は渋いままだった。
「――ねぇ文官殿、喫煙目的じゃないタバコ販売時のたばこ税ってどうなるん?」
「課税対象ですよ」
*
次は東街の錬金術ギルド。
他のギルドは朝の二番鐘から営業だが、この錬金術ギルドだけは昼鐘から営業が開始される。研究のために夜更かしする人が多いためこの時間かららしい。――言われてみれば朝型の錬金術師は、朝寝坊の新聞配達員ぐらいの違和感がある。
ここでは硫黄と消石灰の確保が目的だったのだが、購入するだけでも手続きが大変だ。
「では物品購入申請書と危険物譲受書、そして使用目的申請書と安全管理規定同意書に署名をお願いします。あ、硫黄加熱時の発煙に対する安全マニュアルと―――クラーレさん、領主館に保管場所の許可申請は出されてますか?」
とにかく申請書と同意書の山である。
錬金術ギルド員になれば譲受書一通で良いのだが、国家錬金術師の資格も無い人間であれば安全のためといってあれこれと署名を求められるのだ。ちなみに毒物劇物取締法に定められた物品の場合には今だに“はんこ”が要る。法令で定めがあるからだ
――脱ハンコとは。(※毒劇取締法施行規則第12条の2)
「ねぇテルメさん。クラーレさんの事は知ってるんだからこういうの、顔パスで買えないもんなの?」
プリスカが訊く。その瞬間にテルメの表情が曇った。
「それは絶対にダメ、そのために資格制度ってあるんだから。――よく“資格は利権じゃないか!”っていう人いるけど、知識がない人に渡してはいけないものってこの世の中いっぱいあるもんなの――この硫黄だって扱い間違えたら、この建物内の人間を即座に殺せるわよ」
それを聞いてクラーレもゆっくり頷いた。
「そんなおっかないもん、持ちたくないです!」
「ちゃんと瓶に入ってるうちは大丈夫よ。火を近づけると有毒ガス撒き散らしながらよく燃えるけど」
「ひぇ!」
――ちなみに硫黄は危険物乙種2類『可燃性固体』、指定数量は100kg。
「ところでクラーレさん。――錬金術師にでもなるつもり?」
「いえ、うどんこ病や炭疽病、赤カビ病の防除に使えるので」
「え、なにそれ詳しく!」
目をキラキラさせながらテルメは身を乗り出した。有機化学を研究する者なら硫黄は何かと利用する物品だ。そのため化学知識に貪欲な彼女が興味を抱いたらしい。クラーレは農業研究所時代に得た論文に関する知見を話すと、周りにいる街の錬金術師も話を聞きに来た。研究室に籠る研究員も、ギルド長フリードまでやってきたのだ。
加熱して液状化した硫黄に消石灰を混ぜて出来た薬剤、石灰硫黄合剤を希釈して噴霧すると麦類やかんきつ類で発生する病気を防除出来るのだ。ただ加熱した硫黄から出る亜硫酸ガスは猛毒のため、加工には気を遣うのだが。
「――それなら、良ければこちらでその“石灰硫黄合剤”を作らせていただけませんか? 最近、兄の創薬ギルドが儲かってますけど、錬金術ギルドはどうも……ねぇ、みんな」
「あ、はい」「その農薬、一噛みさせてください!」
少し前まで『貧乏ギルド』と呼ばれていた錬金術ギルドだが、ここ最近になって魔導エンジン開発の成功によって一気に活気づいている。ただしその恩恵を受けているのは機械工学寄りの研究者ばかりで、レオダム師や宮廷技師出身のマルシアのような一部の例外を除けば、いわゆる“化学屋”――合成・分析・薬剤調整を専門とする錬金術師たちにはあまりにも旨味がなかったのだ。領主館勤めの文官がやってる農業研究に一噛み出来、しかもそれが当たれば自分たちにも脚光を浴びる機会だから、彼らの表情は希望に満ちているだろう。
「それなら――お願いします。私たち加工技術がありませんから」
「私”たち”!? ってことは私、このやばい薬の加工に付き合わせる気だったんですか?」
「もちろん。何をいまさら」
「やだー! クラーレさんが怖いよー!」
農薬は化学的安定性が求められる。クラーレは専門の彼らに調剤をお願いすることにしたのだった。
*
酔虎亭の裏手、香辛料の香り漂う厨房の勝手口からプリスカの母が姿を現した。
「ウチで使ってるトウガラシ? あの“鬼辛”がいいかしら? それとも“南極”?」
「あえて"北極"じゃないんですね――辛味成分が強ければ強いほどいいので。……たぶん」
「その理屈で言うなら、加工するのも大変じゃない?」
手籠いっぱいの乾燥唐辛子を渡される。プリスカがそれを見て青ざめた。
「これ、刻んで煮出すんだよね。調理場でやったら厨房全滅するやつっす……」
「大丈夫! ――錬金術ギルドにアウトソーシングしますから!」
クラーレは胸を張って応えた。それをみてプリスカの母はふふっと笑みを漏らす。
「クラーレちゃんも、文官長のトマファ君っぽくなってきたわね」
「お母さん、そこ納得するところ!?」
「そりゃ未来の義息子ちゃんだもの――あんたも小娘みたいなことばっか言ってたら、文官長をモノに出来ないわよ!」
「お母さん、その手つき止めて!」
人差し指と中指の間に親指を出す握りこぶしを突き出した、フィグサインである。プリスカには通じたようだが、北方出身のクラーレはぽかんとするばかりだ。
「なにこれ?」
「クラーレさん、それ、人前でしたら絶対に駄目ですよ!」
「あんたもなに生娘みたいな事言ってるのよ、ほんと」と、プリスカの母は笑う。
「生娘よ!」
*
次に向かったのはヴェッサの森の炭焼き一家――と言いたいが、往復で三日もかかるためモルポ商会にお願いして取り寄せる事にした。というよりもヴェッサの森へ行くならカルトゥリ語が出来なければ交渉なんかできっこない。ちなみにそれが出来るのはアニリィとルチェッタだけである。
東区にあるモルポ商会。最近は商売が軌道に乗っているのか大店だったフェトフラー商会の空き家を買い取り、そこを拠点として商売を行っている。
「これがお話に聞いてた木酢液と木クレオソートです。彼らも草木染めや防腐剤でお使いになられてるのですんなり分けて頂けましたよ」
商会主のアンドレが甕に入った木酢液などをクラーレに渡した。しかし木栓が施されていても漂う異様な酸臭。手にしてるアンドレも、奥で帳簿を付ける番頭の男も一様に顔をしかめていた。
「「ありがとうございます。あはは……強烈ですねこれ」
受け取ったクラーレが瓶の蓋を開けようとするが、アンドレから止められた。
「や、やめてください、営業に障りますから!」
「で、ですよねぇ」
そう言ってクラーレはプリスカに渡そうとしたが、彼女は一歩退く。
「ちょ、ちょっとそれは持ちたくない……」
「草が逃げる前にあなたが逃げ出しそうね」
*
日が暮れる頃。
クラーレは研究机の上に積みあがった資材を見つめていた。タバコの束、唐辛子、木酢やクレオソートの瓶、重曹の袋――どれも臭く、扱いづらく、クセがある癖に効果は未知数だ。それでも、彼女の顔にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
「農業って……地味に臭いとの戦いなんだよなぁ」
プリスカが鼻栓を付けながら戻ってくる。
「てか、クラーレさん。あの、これ、誰が撒くんすか?」
「あなた以外に誰がいるのよ」
「……撒くのはロゼットじゃだめ?」
試験農園の春は、すでに土の中で蠢き始めていたのだった。
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よろしくお願いします。
※作者註
・フィグサイン
別名:女握りとも。
『生徒会役員共』で畑ランコがやってた……気がする。
あと、特養老ホでバイト……けふんけふん……『有償ボランティア』してた頃、スケベなジジイ……けふんけふん……『利用者』さんがテレビに映る若かりし頃の八代亜紀などを見てフィグサインして
「おXXこしてぇわぁ」
と言っていた。
人間、90過ぎてもスケベな人間は変わらないらしい。
勃つんかな?