100話 武辺者の侍従、サロンへ行く・2
ラヴィーナ様とエルゼリア様、そしてミニヨ様が互いに「“様付け”は止めよう」と言い合ってた時、ラヴィーナ様がふと手元のカップに目を落とした。私たちのカップにお茶が入っていなかったのだ。
「メイドたち。お茶、お替わりいただけるかしら?」
そう言って彼女らに顔を向けたけど、彼女たちはぼんやりしていたのか一瞬の間が出来てしまった。やはりこのメイドたちの練度が足りない。賓客をもてなす心構えが感じられない、と私は思ってしまった。もし部下がそんな態度で仕事をしてたなら、厳しく叱責するだろう。
一人の若いメイドが動こうとしたが、それより早くリーディアが立ち上がっていた。
「私がお淹れいたしますわ。よろしければ、お任せください」
リーディアのその言葉にラヴィーナ様は少し驚いたように瞬きをしてから、微笑みを浮かべる。
「いいの?」
「えぇ。リーディアのお茶、美味しいんですよ」とエルゼリア様。
確かにリーディアの淹れるお茶は香りと味と苦みのバランスが良い。特にエルゼリア様はミルクティを好むので、少し苦味を効かせるよう淹れてるというのが憎たらしいというべきか。──あ、好意を持った“憎たらしい”ですよ?
「実は……ここのメイドたち、全員日雇いなのよ」とシュラウディア様。
「日雇い?」とミニヨ様が聞き返すと、ラヴィーナ様は苦笑いを浮かべながら説明を加えた。
「本当なら私付きのメイドを数名連れてくるつもりだったの。でも、父が“海外で暮らすならまずは自立心を養いなさい”って。侍女として文官の娘のシュラウディアは付けてもらったけど、彼女は専門職じゃないから、必要なら日雇いの方を使ってるの」
なんとなく、この宮殿の掃除が行き届いていなかった事が腑に落ちた。燭台の煤がついたままだったり、金装飾のレリーフがくすんでいたり。極めつけは庭の手入れがほとんどされていないのも気になっていた。
他にも学内の侍女控室にいればどこの家で誰を招いてのサロン話なんて情報は山のように入ってくる。それなのにラヴィーナ様のサロン話は聞いたことがなかったのも納得してしまった。メイドが居ないため、呼びたくても呼べなかったのだ。
「おかげでシュラウディアと毎日喧嘩しながら掃除したけど──足りないよね?」
ラヴィーナ様が私の顔を見て仰るので、思わず「はい」と頷いてしまった。
リーディアが淹れた紅茶がテーブルに並べられる。慣れた手付きで置かれる様は、きちんと訓練を受けた人の立ち振る舞いそのものだった。ちなみにリーディアのメイド歴は六年、実は私とあまり変わらない。ふわりと立ち上る香りに、思わずシュラウディア様がカップを手に取って口元に運んだ。
「……美味しい」
ぽつりと、けれど確かな声音で呟いた。彼女の頬がほんのりと色づいたように見え、その表情に私たちは思わず笑みを浮かべてしまう。リーディアが膝を折って丁寧に一礼する。
「畏れ入ります、シュラウディア“様”」
その“様”の響きに、シュラウディア様は眉をひそめ、小さく呟いた。
「ねぇ……私たち、侍従同士なんだから“様”付けって変じゃない?」
それは少し照れた彼女の気持ちの表れだったのかもしれない。その言葉にラヴィーナ様がすぐに乗ってくる。
「そうそう! さっきミニヨとエルゼリアとも、“様”つけは止めようって話したばかりなのよ。同じ学生同士、その従者同士、仲良くしない?」
一瞬の沈黙。そしてリーディアがほんの少しだけ視線を逸らしてから、少しぎこちなく言葉を発した。
「では……シュラウディア」
「どうしました、リーディア」
私たち従者同士、少しだけ近づけた気がした。それを生暖かく見守るラヴィーナ様が誰よりも楽しそうに微笑んでいた。
「うふふ、悪くないわね」
――しかし事件は突然だった。
ミニヨ様たち主人同士と私たち従者同士、お茶を囲んでようやく打ち解けた空気が広がってきた頃だった。重厚な樫材の扉の隙間から、白い影がひらりと跳ねてきたのだった。
「──え、シュールトゥ!? ちょっと、ダメ!」
ラヴィーナ様の叫びとともに、その白猫──シュールトゥが優雅にテーブルに飛び乗り、エルゼリア様の前に置かれていたティーカップを前足であっさりと払い落とした。
がしゃんと陶器の割れる音。
「きゃっ!」とミニヨ様が叫び、エルゼリア様がとっさに椅子を引いて立ち上がる。幸いお茶は飲み切ってきたため制服を汚すことはなかった。しかし一目見ただけでも高級品と分かるカップは床で砕けた。
私もリーディアもこの闖入者を捕まえようと慌てて動いたが、猫はその動きをひらりとかわしてテーブルを縦横無尽に駆け抜けて、あっという間にクッションを踏み、クロスを滑り、ケーキ皿を蹴飛ばし、お茶のポットまでをも蹴倒しながら……優雅にテーブルの上でタップする。
「止めてシュールトゥ!」
ラヴィーナ様も彼女を追いかけるが、こちらを一瞥するとするりとカーテンの陰に消え、次の瞬間には扉の隙間から外へと抜け出していったのだ。
呆然と立ち尽くす私たち。
……そして、しばしの沈黙の後。
「ぷっ……ふふっ……」
誰ともなく笑い始め、それは部屋中に伝播していった。ラヴィーナ様は「ほんと、困った子なんだから……」と額に手を当てて苦笑い。とはいえ彼女の気まぐれでサロンはめちゃくちゃだ。床には皿やカップが砕け散り、彼女の足跡がクロスに無数に残る。腹立たしいを通り越して、おかしくて仕方ないのだ。
そんな状況だったけど、リーディアは腰に手を当てると私を見て言った。
「さて、メイドの本領発揮しますよ、セーニャ!」
「さ、一仕事頑張りますか!」
こうなったら我々の出番だ。立ち尽くす日雇いメイド達に箒とちりとりを持ってこさせると、ワゴンにテーブルの上の無事なティーカップやお皿を乗せ、ちりとりで割れた皿の破片を手早く片付ける。クロスを外し、飾られたお花も燭台も片付けた。
「私も手伝うよ!」
「私も!」
ミニヨ様とエルゼリア様も加わってくれる。そして、ラヴィーナ様までが「わたしも、箒ぐらいは使えますから!」と笑って参加してくださった。
手が多ければ片付けは早い。あっという間にオイルステインの無垢材テーブルと椅子だけがサロンに置かれていた。むしろこの部屋ならこれだけ落ち着いた家具のほうが合ってると思う。
「……私、こういうの、初めてです」
片づけの最中、シュラウディアがぽつりと呟いた。「なにが?」とリーディアが訊くと、彼女は少しだけ口元を緩めて言った。
「こんなに楽しそうなラヴィーナ様、サロンで初めて見たんです。シュールトゥのせいで台無しになったかもと思ったけど、みんなで笑い合ったり一緒に片付けしたり。こういうのも悪くはないなぁって」
そう呟く彼女の横顔にはどこか年頃の少女らしい柔らかさがあった。
「じゃあ、次も楽しそうなラヴィーナ様が見られるよう、私たちで盛り上げないとね」
リーディアの言葉に私もシュラウディアも頷いた。壊れたカップとひっくり返ったケーキの跡は掃除で消せたけれど、今日ここで生まれた“関係”は、ずっと心のなかに残っていて欲しいなぁと思った。
ちなみに私とリーディアは同じ年なんだけど、シュラウディア、私たちより二つ年下だった。てっきり年上かと思ってたって言ったら……関係拗れる、かな? リーディアも同じこと考えてたらしい。
※
しばらく後のキュリクス領主館。
書類の山に埋もれた執務机の片隅から、温かな茶の香りが立ちのぼっていた。文官執務室にも冷房装置が導入されたおかげで、この部屋の主は夏場でも温かい飲み物を欠かさない。
「暑いのに熱いの好きですねぇ、トマファ君」
半袖の夏制服姿のプリスカが、冷房装置の前で胸元をぱたぱた仰いでいる。その姿にジト目を向けつつ、長袖姿のクイラが隣に立っていた。最近はこの二人が頻繁に文官執務室へ入り浸っている。
「暑いからって冷たいものばかり飲んでいると、体に良くないと聞きますから。……今日も暑いですね。ゆっくり涼んでいってください」
「ねぇトマファ君、ここにベッド置いて寝ていい? きっと最高のシエスタになると思うの」
「それ、僕が“良い案ですね”って言うと思います? クイラさん、こういう“悪い先輩”の真似はダメですよ」
「心得ています」
そこへ扉をノックする音が響いた。
「失礼します。──セーニャさんからのヴィオシュラ報告書、届きました」
文官補佐のレニエが、几帳面にまとめられた文書の束を差し出す。 トマファは受け取ると、ぱらりとページをめくり、すぐに目を走らせた。
「ねぇ、トマファ君。セーニャ曹長、また何か事件でも?」
「そんなこと、あるわけないでしょう。彼女は真面目です」
何十ページもある報告書を一通り目で追い終えると、トマファはそっとティーカップを持ち上げ、一口啜る。 その内容に目を通していたレニエが声を上げた。
「……猫が乱入? ティーポットが倒れて、皆で片付け?」
「ええ、後半はほとんど“掃除レポート”でしたね」
トマファが静かに笑みを浮かべる。それに気づいたレニエも、ふっと頬を緩めた。
「まるで日記ですね」
「業務日誌ですからね。筆まめな彼女らしいです」
報告書から目を上げ、レニエを見やったトマファが、ぽつりと呟く。
「……ラヴィーナ殿下も、いい笑顔を見せてくれるようになったみたいですね」
「ええ、そうですね」
頷いたレニエの視線が、トマファの肩に掛けられた淡い水色のカーディガンへと移る。
「そのカーディガン、珍しい色ですね。あまりお召しにならないタイプの……」
「ああ、これですか。キュリクス領主館に冷房装置が入ったと報告したら送って頂きました」
くすくすと笑うトマファに、レニエもつられて目元を和ませた。
「では……“皆で楽しめた”という点では、今回のお茶会は成功だったわけですね?」
「──ええ。ラヴィーナ殿下が、ヴィオシュラで楽しく学べているなら大成功です。それにミニヨ様との友誼が育ってくれてるなら、なお良しです」
やや間をおいて、トマファは穏やかに続けた。「異国で一人というのは本当に心細いですからね。──この友情はいつかきっと、彼女の支えになるでしょう」
室内にひととき静かな時間が流れる。しかしトマファはお茶を啜りながらちらりと笑みを浮かべて続けた。
「……ま、“良い王族との縁”は、いくつあっても困ることはありませんしね」
「ほんとにリアリストですよね」
苦笑交じりのレニエの突っ込みに、トマファはいたずらっぽくウインクを返した。
──と、そこへ。
「ねぇねぇ、トマファ君、一つ質問!」
スカートをたくし上げて冷風を受けていたプリスカが、突然声を上げた。
「その“はしたない行為”はやめてください。目のやり場に困ります」
「そんなことよりも! そのカーディガン、誰の手編みなんですか! 誰の髪の毛が編み込まれてるんですか!」
「特級呪物みたいに言わないで!」
「私も編み込んできます!」
そう言うや、プリスカは文官執務室を飛び出していったのだった。
「クイラさん」
「はい」
「あぁいう“悪い先輩”の真似はダメですよ」
「心得ています」
キュリクス領主館は、今日も平和であった。
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・作者註
なんだかんだで100話いってしまいました。