孤児のフラー⑤
その昔、フラーがもの心をついてきて周囲のことを理解できるようになってきた頃、エビータたちはフラーに言い聞かせるようになっていた。
「いいかい、フラー?もう少し、大きくなったらあんたはここを出ていくんだよ?」
「エビータたちもいっしょ?」
「いや、一緒じゃない。あんたは一人でここを出ていくんだ。」
「どうして?ずぅっとここにいちゃダメなの?」
「ああ、ダメだ。このままここにいたら、あんたはあたしらみたいな娼婦にされてしまう。」
「ボク、別にしょうふになったっていいよ?そうしたらエビータたちみたいなキレイなカッコをしていいんでしょ?ボク、ずっとエビータたちみたいにキレイなドレスを着てみたかったんだ。」
生まれた時から娼館にいたフラーにとって娼婦の仕事に偏見はまったくなく、むしろ自分も娼婦になるんだと思ていた節がある。思わぬフラーの言葉にエビータや他の娼婦たちは互いに顔を見合わせて苦笑した。
「あたしら娼婦がどうゆうことをやって稼いでいるか教えただろ?」
「うん。」
「それでもあんたは娼婦になってもいいって言うのかい?」
「うん。だってみんなもしょうふでしょ?どうしてボクはしょうふになっちゃダメだの?」
フラーのその返事に、エビータたちはため息を吐いた。
「やれやれ、参ったね。ま、あんたはまだ小さいから、もう少し大きくなったらあたしらが言ってる意味が分かるんだろうけど・・・。」
エビータはフラーに聞こえるか聞こえないかぐらいの小声でつぶやいた。フラーは聞き取れなかったらしく、不思議そうに首を傾げている。
エビータはもう一度大きなため息を吐いてから息を飲んだ。
「フラー。あたしらは好きで娼婦になった訳じゃないんだよ。まあ、あたしはもう慣れちまってこの仕事が好きになっちまってるけど・・・。」
「じゃあ、ボクもしょうふになっていいでしょ?」
「・・・う~ん、困ったねぇ。フラーにどうやったら分かってもらえるんだ?」
エビータは困り顔になった。するとエビータの周囲で二人の会話を見守っていた娼婦たちの一人がおずおずとエビータに話しかけてきた。
「ね・・・エビータ姐さん、フラーが今、分からないって言うんだったら、あたしらで少しずつ教えていけばいいんじゃないですか?あたしらと違ってここで生まれ育ったフラーには、急にそんなことを言われても分からないんですよ、きっと。」
「・・・そうかねぇ・・・。」
「そうですよ。」
それに加えてフラーが娼婦になることにまったく抵抗がないように見えていたので、エビータたちはそれを危惧していた。フラーは分かっていないのだ。娼婦になるということがどういうことか。
だがそれも仕方がない。それはここが貴族向けの娼館で、他の一般向けなどの娼館に比べたらはるかに恵まれた環境だからだ。キレイな住環境、職場、自室やドレス、装飾品があてがわれ、給料までもらえる。逃げ出さなければ外出も自由だ。
これが一般向けや底辺向けの奴隷娼館だったら、焼印を刻まれ、一生給金ももらえず、キレイな服も着れず、自由もなく、若いうちは客を取らされ、客が取れなくなったら洗濯女や掃除女として死ぬまでこき使われるのだ。そんな娼婦の環境もあるのだということを、フラーは知らない。ましてや、好きでもない男に足を開かねばならない辛さなど知るわけもない。
「親が奴隷娼婦だからってあんたまで奴隷娼婦になる必要はないんだ。あんただって普通の暮らし、普通の人生を送たっていいんだよ。」
エビータたちは折りにつけフラー娼婦になってはいけない、いずれはここを出ていかなきゃならないということを言い聞かせ、フラーにそれを受け入れさせていった。だが、当のフラー本人は、頭では分かっていてもいまいち現実味が分かず、ここを出ていくのはもっとずっと遥か将来のことだと思っていた。
それが、まさかもうその時期が目の前まで迫って来ているとは!
フラーは腰を下ろしていたベッドのシーツをぎゅっと掴んだ。フラーの頭の中はパニックだった。
(どうしよう、ここから出るって、どうしたらいいんだろう?ここを出て、ボク、どうやって生きていったらいいんだろう?)
「ねぇ、エビータ。ここを出ていくって・・・じゃあ、ボク、このままここを飛び出してもいいの?だって、ボク、奴隷なんでしょ?死んじゃった母さんも奴隷だったんでしょ?ボク、お金なんて全然持ってないよ?身上げなんてできないよ。」
フラーがそう言うと、エビータは笑った。
「・・・そこは心配いらないよ。とうの昔にここの店主とは話がついてあるのさ。フラー。あんたはもう身上げされてるんだよ。あんたはとっくに奴隷じゃないんだよ。」
「え?」
「あたしがあんたを身上げしてやったんだよ。」
「え?・・・どういうこと、エビータ?」
「あたしがこの娼館一番の稼ぎ頭だって知ってるね?給金だって他の娼婦たちよりは多くもらってるってことも。」
フラーは頷いた。
「それは、まあ、あたしが他の娼婦たちよりたくさんお客の相手をしてるからって訳じゃない。むしろ、他の娼婦たちより相手するお客の数は少ない。金払いのいい上客ばかりをつかまえてるってだけだ。加えて、そのコネで他の娼婦たち向けの客を紹介してもらってるからね。」
「上客って?」
「あんたに言ったところで、貴族の階級なんて分からないだろう?」
「知ってるよ。伯爵様とか、公爵様だろ?」
「どっちが身分が上なのか、知ってるのかい?」
「・・・知らない・・・。」
「ハッハッハッ!だろ?まあ、フラーには貴族の階級なんか関係ないから、知らないまんまでいいよ。」
「・・・。」
バカにされたようで少しムッとするフラーだったが、すぐに落ち着いた。
「あ、ねぇ、エビータ。今言ってたボクを身上げしてくれたって話・・・。どうして・・・。」
「なぁに簡単なことだよ。あたしがあんたを身上げできるお金を持ってたってだけだ。」
フラーはその言葉を聞いて合点がいった。エビータがいつまでも自身を身上げしないのか。フラーのためにそれをはたいてくれたのだ。
「で、でも、それって・・・それじゃあ、エビータは?自分を身上げできなくなっちゃったんじゃない?」
「元から、あたしは身上げできないからいいんだよ。」
「え?」
「あたしの・・・まぁ、正確に言えば、あたしの親だね、親の借金。あたしが死ぬまで娼婦やったって返せる金額じゃないんだよ。」
「え?・・・そんなにたくさん?」
「悪どいところから借金してね。元金だけなら返せるんだけど、利息が膨らみに膨らんじまってね・・・。それに比べてあんたの死んだ母親が抱えていた借金なんて微々たるもんだよ。」
「・・・で、でも・・・。エビータのお金なのに・・・。」
フラーは申し訳なさそうにうつむいた。エビータはフラーの頭を自身の胸元に引き寄せた。
「いいんだよ、フラー。言ったろ?あんたはあたしらの娘みたいなもんだ。それにあたしは、この仕事が好きだからいんだよ。ま、そうは言っても客を取れなくなる前に、あたしを見受けしてくれる上客をつかまえるつもりだから、心配はいらないよ。」
エビータの言葉に、フラーはエビータの胸元から自身の頭を離し、彼女を身上げた。
「で、でも・・・エビータの借金ってすごいんでしょ?見受けしてくれるようなお客さんがいるの?」
「・・・いるね。まあ、その人があたしを見受けしてくれるかどうかは、あたしの魅力にかかってるけどね。」
エビータはフフと笑った。
「・・・フラー。貴族の中には、あんたが想像もできないくらいお金持ちがたくさんいるんだよ。あたしら娼婦や平民が一生働いても稼げないお金を、連中は小銭を出す感覚でポンと出せるぐらいの。」
「・・・そうなんだ。」
「だからあんたはもう奴隷じゃない。いつでもここを出ていける。誰からも文句を言われる筋合いはないんだよ。」
「でも・・・。ボク、ここを出てどうやって生きていけばいいのか・・・。」
フラーが自信なさげにそう言うと、エビータはフラーの頭を再びポンと叩いた。
「まずは仕事を見つけてお金をためるんだ。娼館の外でどこかに家を借りるんだ。アパートでもいい。どこか住み込みで働けるところを探したっていい。最初はあたしが援助してやるから。」
「・・・。ボク、エビータとずっと一緒にいたい。」
フラーはエビータに抱きついた。エビータは一瞬驚いたようだったが、すぐに優しく微笑んで、フラーの背中をさすった。
「バカ言ってんじゃないよ。あんたが事故や病気で死んじまわない限り、あたしの方が先に死んじまうんだ。あたしが元気なうちに一人で生きていけるようになるんだよ、フラー。」
「・・・。」
フラーはエビータに抱きついたまま、ぎゅっと唇を引き結んだ。それは泣くのをこらえてのことだった。それに気づいたエビータは、イタズラ気に笑った。
「ま、一人がイヤなら、あんたがもう少し大きくなったら、いい男を捕まえて亭主にするって手もあるけどね。」
【作者より】
【更新履歴】
2024. 5. 5 Sun. 20:31 再投稿