【第二章・第四十一話】白百合の君
勿忘草の少女が言っていた花屋は、思っていたよりもすぐ近くにあった。
先程まで僕たちがいた路地を進み、段々と傾斜になっていく上り坂を少し下ったところ。さして遠くもない距離だが、普段から運動をしていない僕にとってはすぐに息が切れるほどだ。
坂を越えると同時にふわりと漂ってきたのは、緑気の強い香り。鼻腔を擽るその柔らかな香りに釣られるようにして視線を向けると、そこには色とりどりの美しい一夜草が咲き乱れていた。
思わず足早に駆け寄って、花の傍に屈む。狂い咲きの花は開花時期が本来とは異なるだけで、その構造に根本的な違いはないのだろうか。そういえば、少女はこの店の店員に狂い咲きという言葉を教わったと言っていた。
その店員に話を聞けば、狂い咲きのことが少しは分かるだろうか。いや、たとえ分からなかったとしても、図書館で本を借りればいい。もうじき日も暮れるが、早く孤児院に戻らなければ、シスター・アンゲルスに咎められてしまう。なら、仕方なくそれは明日にしようか。ああ、でも、狂い咲きについて早く知りたい……。
___いつぶりだろうか。こんなにも、頭が冴えているのは。
他でもない僕自身が無理だと断じた夢を、どうしてまた考え込んでしまっているのだろう。そもそも、もう夢のことを諦めたのなら、植物学の本を読む必要なんてなかったじゃないか。
どうせ、僕は夢を叶えられない。夢に必要な努力さえも行動に移さない人間など、本気で夢を追いかけている人に対して失礼だろう。
「本来咲かないはずの秋に花が咲くことを、返り咲き……または、先祖返りとも呼ぶんだ」
段々と暗くなっていく思考に俯きかけたそのとき、聞き慣れない声が耳に飛び込んできた。
「狂い咲き、という言葉もあるけれど、それは植物の変化を異常と捉えることによって名付けられたからだと言われている」
シスター・アンゲルスとはまた違った、ゆったりとした音。
突然の声に驚く僕に構わず、淡々と穏やかな調子を崩さずに言葉を続ける。
「返り咲きや先祖返りは、植物の潜在性があらわになったと考えられるようになったからなんだよ」
いつの間にか僕の隣に並んでいたその『白百合の君』は、純白に染まった一夜草を一つ手に取った。
「同じ事象でも捉え方で呼び方も変わるなんて、本当に面白いよね」
そして、僕にその一夜草を差し出し、柔らかな笑みを湛えながら、こう言い放つ。
「ふふっ、君もそう思わないかい?」
にこりと微笑んで僕へそう問いかけてきた彼___ドクトリナ・プルデンス様は、その瞳に怪しげな光を宿していた。




