【第二章・第二十四話】ミラージュの言葉
「それで、貴殿はここへ来た、と?」
赤黒く染まった小瓶が乗っているトレーをこちらへ差し出しながら、ミラージュはわたくしへ尋ねる。あまりに淡々とした態度には、いっそ清々しさまで感じられるほどだ。
だが、その清々しさは、ありがちな気持ちの悪い同情や思いやりとは遥かにかけ離れたものだった。思えば、この店へ来るまでの経緯を語っている間も、彼女は顔色一つ変えていなかった。その様子を見れば、厄介な事情を抱えている客はおそらくわたくしだけではないのだ。
こちらの話に否定も肯定も示さないのは、きっとミラージュなりの気遣いだろう。温かくも冷たくもなく、信じ難い事実には大仰な反応も見せず、ただただ真実だと受け入れて、客と誠実に向き合う。
そんな店主が開くミラージュ・ドゥ・シュヴァルツという店は、とても居心地の良い場所だ。
「私が思うに、貴殿はなかなかドクトゥス卿のことを否定しない」
「……どうして、そんなことが言えるのよ」
彼女の言葉に頷いたわたくしは差し出された小瓶を受け取り、それを上へとかざす。すると、琥珀色の光に照らされた中の液体がとぷん、と微かな音を立てた。先程まで朱殷色だった血液は、天井から吊るされた照明を受けて朱色に透き通っている。
未だに不思議だ。あんなにも思い悩み、心の底から望んだものが今、わたくしの手の中にあるということが。小瓶の無機質な冷たい質感が指先から伝わってくる。
「先程の話を聞く限り、大概のことは断らないのではないか? 誤っていることは正すが、彼自身を否定したりはしない。だからこそ、ドクトゥス卿も貴殿を恐れない。イクェス卿の身になにかが起こっていると理解しつつも、恐れずに、貴殿の傍にいようとする」
ミラージュはなんでもないことかのように素っ気なく言葉を続ける。ただ事実を述べているまで、というような調子で。その言葉に妙な説得力があるように思えてしまうのは、この店の雰囲気に呑まれているからだろうか。
「イクェス卿も、彼を信じてみたらどうだ。なにがあっても、決してドクトゥス卿が貴殿から離れていかないことを。失望しないことを」
トレーを整えて、彼女はわたくしの目を正面から見据えた。吸い込まれるようなその色にあてられたのか、自身の中にも欲が燻って混ざり合っていくのが分かる。
ミラージュの言う通り、コロクルム様は決してわたくしを無理に暴くことはしない。彼はただ、明確に想いを伝えてくる。目いっぱい、伝えてくれる。余計な言葉を削ぎ落とし、強く強く研ぎ澄ませて、持てる全ての想いを。
____それこそ、わたくしが恐れてしまうほど。




