【第二章・第二十三話】お母様の目
しかし、なんとか声にしたというのに返ってくる言葉はない。沈黙に耐えきれず顔を上げれば、お母様は小さく口を開け、呆けたような表情でこちらを見ていた。
普段、わたくしがそんなことをしようものなら、はしたないと言って叱るのに。その反応に若干拍子抜けしつつ、今度はわたくしが眉をしかめる。
「……なんですか」
なけなしの文句を合図に、お母様はパチリと瞬きをしてため息をついた。
「……サングイスったら、時々難しく考えるわよね」
「え?」
どこか呆れたようにボソリと呟いた後、お母様はなにやら考え込みだした。しばらくすると、伏し目だったお母様の瞳に光が宿る。続いてお母様は、軽いステップでも踏むかのようにこちらへ近付いてきた。
「貴女、家でも彼の話ばかりだし、本人のことを考えられていないとは思わないけれど……その自分を疑ってる気持ちを彼に明かすのは、別に悪いことではないと思うの。言ってしまえば、案外大したことないかもしれないし」
軽やかな、それでもきちんと重さのあるその声に息を詰まらせる。それでも素直に頷くことは出来ず、無意識のうちに視線を下げていた。
確かに、気持ちをぶつけ合うことは大切だと思う。それこそ、わたくしもコロクルム様も、話をしなかったことで一度痛い目を見ていた。ただ、言ってみれば大したことはないということについてはやはり賛同しかねる。
白い光。何よりも強く、そして染まりやすいその色にこの泥を晒して、わたくしは、彼は、本当に無事でいられるのだろうか。
「それに、彼____貴女の力になれるのはきっと嬉しいと思うわよ」
しかし、落ちていく思考に待ったをかけるようにして、お母様は呟く。
どこか湿度の乗ったその声に、促されるようにして視線を上げた。十数センチ下、睫毛を伏せたお母様は、どこか懐かしむような、あるいはなにかを思い出すような表情を浮かべていた。
「……なんですか、それ」
わたくしを通して、なにかを見ているような瞳。それでも妙な説得力を感じつつ呟けば、お母様はまた強く光を宿した瞳でわたくしを見る。
「似たような経験、あるの! ……とにかく、こんなときくらい、余計なこと考えなくてもいいんじゃないかしら?」
一瞬の表情はどこへやら、今度はしっかりとこちらに焦点を合わせたまま、他でもないわたくしに対してお母様は柔く言い切った。
丸く、大きな瞳。淡い灰色の中に映った自分を眺めつつ、少し立ち止まる。振り返ってみる。
相談する選択肢だって、これまでに幾度となく学んできたはずだった。今回そこに行きつけなかったのは、自分の欲望の醜さを知っているから。
明かすにはあまりにも危険で浅ましかった。わたくしがわたくしでなくなってしまうような、そして彼が彼でなくなってしまうような、そんな気さえしてしまうほどに。
けれど、それ自体が全部余計なことだ、と。光の中、全てを晒してもなにも溶けてしまわない、というのなら。
無言を肯定と受け取ったのか、お母様はどこか満足気な顔で小さく息をつく。
「分かったら、さっさと寝なさい。夜更かしはお肌に良くないわよ」
茶化すように笑ったお母様の瞳は、どこまでも娘のことを想う母の目だった。




