【第二章・第十九話】飛び交う怒号
数秒の沈黙。こちらの嫌なざわつきを知ってか知らずか、お兄様は再び口を開く。
「酷い顔、してる。……お前、そんな顔で仕事するつもりなの?」
刹那、とうとうカッと視界が白んだ。
「なら、どうしろって言うのよ……!」
沸騰した喉で焼けるように声を出す。気づけば両手は震えるほど強く、服の裾を握りしめている。なにも諦めたつもりはない。喉はずっと渇ききっている。それでもやはり、わたくしは理性的でいたかった。
「別に、わたくしだって死ぬつもりはないわ! けれど、なんて言えばいいのよ!? 貴方の血が欲しい、と? わたくしのために喉に傷をつけろ、と? 馬鹿じゃないの!?」
嘲笑混じりの言葉にお兄様は息を飲んだ後、一層眉を吊り上げてこちらを見る。
「っ、じゃあお前は、アイツを置いてこのまま死ぬのかよ? 助かる方法は分かってるのに? それこそ大馬鹿だろ」
「そんなこと言ってない! 逃げてるわけでもない! ただ、命と同じくらい大事なものがあるってだけよ……!」
「はあ……!? 母さんも父さんも、お前のこと心配してんだよ……! なんでそれが分かんねえの!?」
「コロクルム様は、わたくしの恋人なのよ!!!」
空気が揺れる。みっともない大声に、お兄様は一瞬驚いたように肩を揺らした。悪いとは思いつつ、じわりじわりと思考が追い詰められていくのを感じる。額に滲んだ汗。一度見てしまった澱を無視することは難しい。止まれそうになかった。
「あの方が優しい人だって、お兄様も知ってるでしょう!? そんな人に、こんなっ……こんな、化け物みたいな……! っ、言えるわけ、ないわよ……!」
己の口から出た、取り繕いようもない本心に肌が粟立つ。緊張からか、それとも未熟な自分への恥ずかしさからか、全身が燃えるように熱かった。
見せたくない。汚したくない。結局のところ、そこが全てなのだ。
喉が渇いた。ただただ、喉が渇いている。だから、ありのままに説明すればきっと、彼なら赦してくれるのではないか。それくらいお願いしたっていいのではないか。わたくし達は恋人同士なのだから。
欲に溺れてそう甘えてしまう瞬間が、反吐が出るほど嫌いだった。
情けない。みっともない。これじゃ何も制御できていないのと同じだ。いつだって自分ことくらい全て掌握しておきたかった。理性を手放した自分を誰かに見せたくはなかった。特に、コロクルム様には。
考えてみる。いつだって涼しげに光の中で立っている彼と、欲望の抑え方すらままならない自分自身。恋人になったその日から、彼のことを大事にしたいと、わたくしはずっとそう思っている。




