【第二章・第八話】認めたくない現実
しばしの沈黙の後、お父様はなにかを決意したかのようにゆっくり目を開け、お兄様に向かって頷いた。
「これは、何百年以上も前の話だ。遺伝とはいえ、その血はかなり薄まっている。実際、俺も日焼けしやすいくらいで、お前は朝に弱いだろう」
「は……? あれ、そういうことなのかよ……?」
お父様の唐突な指摘に、お兄様は拍子抜けたような声を出す。確かにそれくらいの変化なら、もはや遺伝かそもそもの体質なのか判別がつかない。ましてや吸血鬼だヴァンパイアだと持ち上げられることもないだろう。
ひょっとすると、お父様はもう少しわたくし達が成長して、例えば子供を持つ話になったとき、注意喚起程度にこの話題を持ち出すつもりだったのかもしれない。それほどに心配のないことだったし、実際ここまで大きな問題も起きていなかったのだろう。
「だが……サングイス」
不意に名を呼ばれ、膝の上で握り締めた拳から視線を上げていく。
テーブルの向こう側、お父様はじっとこちらを見ていた。一つ目の特性が若干残っていた程度のお父様、お兄様とは違い、わたくしに関しては二つ目の特性に嫌というほど覚えがあった。
「心当たりが、あるんだな」
すべてを見透かしたように告げたお父様に、お兄様は目を見開きながらこちらを見た。
わたくしは、なにも言わなかった。いや、なにも言えなかったのだ。言えないまま、ただぼんやりと目を背けたくなるような現実を理解していた。
『サングイス。いいリップクリームを教えてくれませんか? 唇が切れてしまったのですが……』
今の季節とは真反対の、小春日和のように澄んだ彼の声が現実逃避のように頭の中を木霊する。軽い電撃に打たれたような、唐突に水から湧き上がるような。あるいは、なにかを思い出すような。なんとも形容し難い、確かな衝撃。
……あの時のあれは、きっと。
暗い部屋。腕に浮かぶ脱力感に身を任せ、壁に背を預ける。鈍い痛みを主張する腕へ視線を送れば、残った唾液に血が滲んで広がっているところだった。せっかく塞がりかけていたというのに、また一からやり直しだ。
こうやって渇きを誤魔化す頻度も、前より着実に増えていた。ナイフで切ったにしては浅い、それでもはっきりと目を引く傷。改めて見てみれば、自分の腕は随分と痛々しい姿になってしまっていた。
今が冬で、本当に良かったと思う。正直、長袖の今でさえ腕の傷を誤魔化すのには骨が折れるのだ。それでも手首は一番血が出やすいし、より目立ちにくい足や腹では肝心の口が届かなかった。
当然、好きでやってるわけではない。初めて切ったときも、一昨日切ったときも、こうしている今だってきちんと傷は痛かった。けれどこの程度で渇きが落ち着くのなら安いものだとも思う。ただ……。
____別に、美味しくもなんともないのに。
生温くてつんと苦いような、どうにもはっきりしない味。幼い頃に口の中を切ったときと同じような怪我の味だった。当然、体調が良くなることもない。これは、単なる誤魔化しに過ぎなかった。
きっとお父様の言う通り、彼の首から血を飲まない限り、この渇きは一生消えないのだろう。




