【第一章・第五十五話】勿忘草のバレッタ
「ティア、誕生日おめでとう」
いつも通りの朝、いつも通りの部屋の中で、朝の挨拶代わりにお師匠様からそう伝えられた。わたしはまだ寝ぼけていたようで、ぼんやりと言葉を返してしまったが、意識が覚醒すると嬉しさがこみ上げてきた。
朝のうちは二人で家のことを片付けて、お祝いが始まったのは昼になる少し前だった。
「誕生日プレゼントだ。気に入ってくれると良いのだが……」
お師匠様はどこか不安げにそう言って、長方形の黒い木箱を取り出した。手渡されたそれを慎重に開けると、目に飛び込んできたのは可憐な明るい青色の花。
「これって……」
独特な光沢感があるアイボリーグログランに、滑らかで艷やかなスモークブルーサテンを重ねたリボン。そこには、煌びやかな勿忘草の天然石やパールなどが華やかに飾り付けられている。
「勿忘草のバレッタだ。以前、ティアが欲しいと言っていたあの糸は、結局私のためのものだっただろう? だから、改めて別のものを用意した」
アストノズヴォルド皇国の国花でもある勿忘草は、春から夏にかけて薄い青色の小花をつける植物だ。花には青の色素を持つものが少ないことから、古来より神秘的な花として人々に愛されてきたのだという。
「お師匠様、その……着けていただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろん。今日はティアの誕生日なのだからな」
普段は自分でこなしてしまうような些細なことも、誕生日だからと甘えきってしまう。だが、せっかくお師匠様が選んでくれたものだ。今日ぐらいはお師匠様の手で着けてもらいたいと思ってしまった。
まあ、そんなわたしの我儘にも嫌な顔一つせずに甘やかしてしまう、お師匠様もお師匠様だと思うのだが。そう考えている間にも、お師匠様はわたしの髪を結い終えたようだ。ふう、と一息つくと、お師匠様はこちらへ鏡を持ってきてくれる。
「自分が贈った身としては、少し自惚れもあるのかもしれないが……とても、似合っているな」
「本当ですか? ふふっ、褒めていただけて光栄です」
本来であれば、わたしの髪と同じ色である勿忘草のバレッタはあまり髪には映えないのだが、アイボリーのリボンを挟むことによって、天然石もより一層煌めいて見える。
「ところで、この天然石はなんという石なのですか?」
「勿忘草の花芯の部分が、エンジェライトという優しさや癒しを象徴する石だ。大空から舞い降りる天使を連想させる優しい青の色合いが特徴的なため、天使を呼び寄せる石とも言われている。博愛、平和が石言葉で、心に安定感や穏やかさをもたらす力があるんだ。
そして、花の周りにある石の欠片が、アクアマリンのさざれ石だな。石言葉は、幸せな結婚、和合、勇敢。水のエネルギーを受容するアクアマリンは、負の要素を洗い流す浄化の力と身の安全を守ってくれる守護の力を持つ。そして、別名は……」
そこまで分かりやすくわたしへ知識を与えてくれていたお師匠様は、急に言葉を止める。どうしたのかと様子を窺うために後ろを振り返るが、わたしが顔を覗き込んでも、そこにはぼんやりとしているお師匠様がいるだけだった。
「どうかしましたか?」
「……いや、なんだったのか少し忘れてしまってな。ああ、そういえば、以前ティアが好きだと言ってくれたクッキーを焼いたんだ。ちょうど冷えた頃合いだと思うから、持ってこよう」
淡々とそう言って足早に扉の向こうへ去っていくお師匠様へ、なぜかわたしは声を掛けることができなかった。
「本当に、今日は幸せな一日です。お師匠様が誕生日の日は、ちゃんとお返しさせて下さいね」
そう意気込むわたしから視線を逸らし、お師匠様は、歯切れの悪い返事をする。
「……まあ、とりあえず食べてみてくれ。どれにする?」
尋ねられたわたしは、白いお皿に並ぶ数種のクッキーの中から角の丸いクッキーを手に取った。クルミの名前をつけるときに思いついた、クルミのクッキーだ。いただきます、と挨拶をして、焼き菓子特有の良い香りが広がるそれに歯を立てる。
「美味いか?」
その言葉に、もぐもぐと口を動かしながら、わたしは頷く。
「誕生日、だからな。……特別、だ」
「お師匠様が祝ってくださるから、特別なのですよ?」
頬杖をついたまま言うお師匠様へ、目を細めながらわたしはそう返す。一緒に食べてください、と言わんばかりにお皿を動かすと、お師匠様は苦笑した。仕方がないな、と茶色の四角いアーモンドクッキーを手に取ってくれる。
「誕生日おめでとう、ティア」
改めて祝福の言葉を口にして、お師匠様は小さなクッキーに歯を立てた。わたしも、緩む頬を抑えきれないまま、クッキーを口の中に入れる。サクリと崩れたそれは口の中で柔らかく溶けて、バターの芳醇な香りが鼻から抜けていく。
ふわりと広がる甘さに、幸せはこんな味がするのだろうかと、そんなことを思った。
初めまして、結び羽と申します。
いつも『あいのものがたり。』をお読みいただき、ありがとうございます。
ここで第一章は終わりなのですが、この物語にはまだまだ続きがあります。
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