【第一章・第五十話】私の権利と義務
朝から大きな音を立てて青銅の屋根を鳴らしていた雨は、いつの間にかすっかり晴れたようだ。窓越しに見える外には、洗い清められたように透き通った星空。今夜は、どうやら月の綺麗な夜のようだ。天壇青にぽつりと浮かんだそれは、月明りの中にも、星を銀砂のように細かく煌めかせていた。
その夜は随分と夢見が悪く、魘されて目を覚ました。真っ暗な部屋の中、汗だくになった身体に寝間着が張り付いていて、不快な思いをしながら体を起こす。
そのままぼんやりと窓の外を眺めていたら、ふと扉の隙間から灯りが漏れているのに気が付いた。こっそりとリビングを覗けば、机に向かって何か手を動かしているティアの姿が見えた。
こんな時間に、いったい作業をしているのか。わざわざ私が寝ている時間を見計らっているくらいだ、買い物の時の反応といい、これだけ隠されれば、どれほど鈍感であっても察するだろう。
人の隠し事をわざわざ暴いてやるような残虐非道な者ではない私は傍観しておこうと思うのだが、それでもこんな時間に起きていてはまともに眠れていないだろう。
自分の体力の限度を本当に分かっているのだろうか。いや、そもそもあの少ない体力内での動きしかしないせいなのだろう、無茶をして倒れるなんてことは今のところないのだが……。
結局、特に声を掛けたりはしないまま、私は再び眠りについた。私が朝起きる頃にはティアは自室に戻っているようだったし、その後は普段通りの時間に起きて、いつものように過ごしている。
起きたときに、朝の挨拶と共に彼女の調子を探ったが、特に具合が悪そうな様子もなかった。過度な心配も毒だろう。もう少し見守っていてもいいかと、いつも通り家のことを片付けることにした。
だが、そのせいで体調を崩したとなっては、黙っておくわけにはいかない。
熱がある気がする、と。
なかなか起きてこない彼女を心配して部屋を訪ねると、そこにはどこかぼんやりとしているティアの口からそんな言葉が聞こえてきた。他に、息苦しさや違和感を感じる箇所はないかと聞けば、少し疲れていただけだと返答が返ってくる。
「ティア。ここ数日、充分な睡眠を取れていないだろう」
「……」
「眠れないのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
こちらから視線を外し、なにかを躊躇うように伏せられた瞳。
「知っているんだ。私に目に触れないよう、なにかをしているのは。それに関して、私に口を出す権利はない。むしろ、ティアのやりたいことなら、満足するまで続ければいいと思う。だが、それでティアの健康に影響を及ぼすことになるのなら、私は保護者として止めなければならないという義務がある」
完全に、自分のことを棚に上げての発言だということは分かっている。孤独と責任に押し潰されて一人で駄目になった私が、彼女に掛ける言葉ではないことも。
どんどん、自分を失っていく感覚。足掻こうとすればするほど、掴みたいものはするりと手をすり抜けていく。
____もう、無理かもしれない。
そう思ってしまう自分を唯一繋ぎ止めてくれたのが、ティアだった。絶望の底に沈んでいた彼女を助けられるのは、私しかいないと思った。あのときは助けられなかったから、今度こそ救って見せる、と。
「……お師匠様は、本当にずるい御方です」
「そうだろうか?」
「ええ。わたしのことを、まるで繊細な硝子細工かのように扱ってくださいます」
身体に若干の怠さがあるのか、普段よりも随分と遅い動きでベッドから身を起こしたティアは、その傍らにある椅子に座っていた私の手を掴んだ。その手のひらを上へ向かせ、長い袖を肘あたりまで捲る。息を呑む私を横目に、ティアは素肌が晒されたその場所を優しく撫でた。
「……御自身には、こんなに無頓着なのに」
なにか鋭いもので切り刻まれたような、見るも無惨なその前腕を。




