【第一章・第四十八話】黒髪と白藍のネコ
「ん……うぅ……」
変な姿勢で寝てしまったせいで肩が凝っている。あくびをしながら上体を起こせば、ぬいぐるみを抱えたまま、うとうとしているティアの姿が目に入った。ずっと抱えていたのか。買ってすぐにこれほどなのだ、よほどお気に入りらしい。
「気に入っているんだな」
そう声をかけると彼女は顔を上げ、なぜだか不思議そうな顔をする。
「ずっと持っているだろう?」
ぬいぐるみを指しながら言えば、ティアは小さく頷いた。
「別に、これではなくても良かったんです。ただ、こうしてなにかを抱きしめていると、妙に落ち着くので……しかも、大きさがちょうど良くて」
ティアは、またネコに顔を埋める。そう言われてみると、ティアは毛布だったり枕だったり、何かとそういったものを胸に抱き抱えてじっとしていることが多い。それが安心する体勢なのだろうか。
「だから、あんな物欲しそうに見ていたのか?」
「あ、それは……少し、お師匠様に似ていると思いまして」
ティアは少しだけ気恥ずかしそうに口元を緩める。そして、ネコの両耳をつまみ、ぬいぐるみの顔を眺めながら、嬉しそうにそう言った。
「……そうだろうか」
白銀とも似つかぬ、暗い黒色をした毛並み。別に自分と同じわけでもない、白藍の瞳。にこりと上がった口角。似ている……似ている? どの辺りが?
それでもティアが大切そうにそれを抱きしめているのを見ていれば、彼女が満足しているのならそれでいいかと、そんな気持ちになった。
「そんなに気に入ったのなら、名前くらいつけてやったらどうだ?」
お師匠様にそんなことを言われて、わたしは抱えていたぬいぐるみを反対に向けると、その顔をまじまじと見つめた。
「名前、ですか……」
「好きなものの名前など、だな」
悩ましげなわたしに、お師匠様がそう口添える。
好きなもの、と言われてもピンとくるものがない。苦手なものを問われれば色々と答えられるものはあるが、好きなものはなんだろう。ミラージュ・ドゥ・シュヴァルツで過ごす時間やお師匠様がくれたものは全て好きなのだが、それを名前として一言に集約するのは、少し難易度が高いように思える。
どうしたものかと視線を落としたわたしだったが、そのとき、先程お師匠様が出してくれた、香ばしく甘い香りを放つ焼き菓子と目が合った。
「ココアクッキー、なので……クルミはどうでしょうか」
あたたかいこのクッキーのことを思いながらそう言うと、お師匠様は呆然とした顔をしてから、顔を背けて肩を震わせた。
「ふ、っ、ふふ、っ」
「えっ、な、なにか、変な名前でしょうか」
その滑らかな手で軽く口元を覆い、堪えるようにお師匠様は笑っている。予想だにしなかった反応に、わたしは眉尻を下げて尋ねた。世間に疎い自分のことだ、頓珍漢な名をつけてしまったのかもしれない。
「いや……ふふっ、てっきり、ココアとか、クッキーとか、そういう流れかと思ったから、ふ、ははっ……しかも、そのクッキー、クルミは入ってないだろう?」
確かにクルミは入っていないが、以前食べたクルミクッキーがとても美味しかったことを思い出したのだ。
何がそんなにおかしかったのかよく分からないのだが、お師匠様は一人で笑い続けている。今まで、調子が落ち着いている時なんかは時折笑いかけたりはしてくれたものの、こんなに笑っているのを見るのは初めてだ。
「いいのではないか? クルミ」
先程のをまだ引きずっているのか、お師匠様はまたふふっと笑みをこぼした。
「……あまり笑われると、クルミが拗ねますよ」
言いながらぬいぐるみの腕を持って、ぴこぴこと動かしてみせる。
「拗ねているのはティアの方だろう?」
「む……」
図星を突かれて顔を顰めると、お師匠様は揶揄いすぎたと眉を下げた。
お師匠様には納得がいっていないような顔をされたが、お師匠様の柔らかい髪と同じふわふわとした毛並みや、その長い毛足がプラスチック製の目の上の方を隠して柔らかい目つきになっているところ、なにより、こうしてそばにいるだけで、温もりをくれるところが。
クルミ、と名前を呼ぶ。
もちろん返事はないのだが、なんだか嬉しそうな顔をしているように思えてくる。新しい家族を抱き直し、わたしは自然と笑みがこぼれた。




