続 お仕置き☆ラブウォーリアー
月詠高校は学年ごとに校舎が分かれており、比較的大きな敷地面積を誇る。
そんな月詠高校の一階、二年と三年の校舎を繋ぐ廊下を逸れた桜の木の下の、人気のない校舎裏に私は連れて来られた。
一見して華やかな学園の隅には、とても素行の良いとはいえない三年の女子の集団が、大股を開いて地べたに座る。
せっかく偏差値の高い月詠高校に入れたというのにこの有様、なんとも無様で笑えてくるが、今の私には憐れむ情も罵る余裕もありはしない。
私が訪れたことに気付くや否や、隈取のように化かした顔をこちらに向けて、大袈裟に首を回して見得を切る。
「ひ、卑怯ですよ……」
「あんた馬鹿? だぁれも一対一で話そうなんて言ってないしぃ」
一、二、三、四……恵美を合わせて五人が相手だ。
私は運動音痴の文化女子で、腕づくの喧嘩になれば勝ち目はない。上手く言いくるめられればそれが良いが、舌先三寸だって得意ではない。
「ちったぁ可愛い顔してんじゃん。それがうぜぇけど」
「大人しそうでいい子っぽそうじゃん。それもうぜぇけど」
口々に言いたいことを口にする歌舞伎集団。
そのどれもが、結局私が気に入らないという結論に落ち着くのが、お決まりの文句であるらしい。
「こいつさぁ、生意気に恋治に色目使ってんだよねぇ。暗そうに見えて実は腹黒、みたいな? だから調子に乗る前に、ここで諦めちゃおうかなって思ってさ」
出たよ、出た出た、聞き飽きた。
往々にして世に憚る、自分勝手な性格診断。それは恵美に限らず、この社会に広く蔓延している。
大人しければ、裏は腹黒なんだと決めつける。不良の些細で気まぐれな善意が、その者の全てを善とする。
不良なんて存在は、犯罪者と同等の穢れた存在。社会の爪弾き者の時点で救いのない屑だというのに、なんとも浅はかで下らない裏読みだ。
こいつらは見た目通りの塵屑共だ。
多人数にかこつけて、弱者を痛ぶり平伏させる。こんなゴキブリ以下の害虫を、愛しの恋治先輩に近寄らせる訳にはいかない。
「私は、ただ恋治先輩とお話したいだけです! それが悪いことですか? 誰だって人と話して仲良くする権利は――」
「ねぇんだよ。お前みたいなキモい根暗に、恋治と話す権利なんかな」
ナンダト……ケンリガナイノハオマエラダ……
「とりあえず今日は忠告に留めておくけどさ。次なにかやらかしたら――」
「やめません」
「――は?」
不意のことに呆気に取られるものの、直後には敵意を剥きだす女たち。
だが私の決意は固いんだ。その場逃れの嘘でさえ口にする訳にいかないんだ。
「私は恋治先輩と関わることをやめません。むしろあなた達の方が! 恋治先輩に近づく資格なんてないんだから!」
「この……ブスがッ!」
激昂した恵美は息を荒げて迫りくると、貧弱な私の体を校舎の壁に叩きつけた。
同時に頭も打ち付けて、骨まで衝撃が響き渡る。
「う……」
「てめぇ……マジで覚悟しろよな! 私を怒らせたらどうなるか――」
やかましい耳障りな雑音だ。飢えた豚のように喚き散らして、もはや私の耳には届かない。
すぐに残りの四人も迫ってくるだろうが……なぁに、私にはラヴァーソウルが付いてるのだから――って……あれ?
叩きつけられた拍子に閉じた目蓋を開いてみると、傍らにいたはずのラヴァーソウルの姿が――あれあれ? そこに……いないし……
「ちょ……ま……」
「待つ訳ねぇだろ! てめぇ今の立場分かってんのか! とりあえず一発ヤキいれてやるよ。お前らこいつを抑えとけ!」
恵美の合図と共に残りの女共は一斉に私の四肢を掴みだす。四人がかりで押さえられては、暴れようがびくともしない。
そして恵美が腹に跨ると、身動きの取れない私の顔に目掛けて、固めた拳を振りかぶった。
や……やめて。
やめてやめてやめて……
殴るのはやめて顔だけはやめて他はいいから顔だけはやめて恋治先輩に顔向けできなくなっちゃう恋治先輩に嫌われちゃうだから顔を殴るのはやめてやめてやめてラヴァーソウルは何をしてるの大丈夫と言った癖に私を助けて救ってこいつらを叩きのめしてじゃないと私の恋はここで終わる終焉を迎えるそんなのやだやだやだやだだからやめてやめてやめてやめて……
顔だけはやめてぇええええええ!!!
「何してる!」
その御声は、絶望の淵に立たされて、奈落へと傾く私を引っ張り上げた。
私にとっては救いであり、彼女らにとってはその逆の。恵美の体は凍りつき、分厚い化粧が汗で滲む。
誰かが私を助けてくれた――だなんて、そんなあやふやなものではない。
御姿を見なくたって私には分かる。何度も何度も脳内で反芻した憧れの御声なのだから。
話したことは一度きり、だけどイヤホン越しに四六時中耳にした、愛する御方の尊い御声。
「れ、恋治……これは……その……」
「ちょっと遊んでた……っていうか……」
女たちは安い言い訳を口々に述べているが、苦し紛れもいいところだ。
か弱い一人の女子を取り押さえて、遊んでいたで済むはずがないだろう。
「僕にはとても、そんな風には見えないよ」
「で、でも……」
「いいから! この場からとっとと消えるんだ!」
「あ、う……」
あれほどに怒り喚いていた屑共が、恋治先輩の一言であっさりと退いていく。
だがそれもそのはずだ。恋治先輩はスクールカーストなどという、一学校の上下関係など遥かに超越したところに位置している。
仮に敵対してしまえば、この先ずっと生き辛い。それは恋治先輩自身が報復するという訳ではなく、この社会がそういう風にできているから。
「大丈夫かい? 柊さん」
「は、はい。危機一髪のところでしたが、なんとか……」
「本当に良かったよ、間に合って」
間に合って? そういえば恋治先輩は息を切らしている。
偶然居合わせただけに見えたが、まさか私を救う為に、急いでここまで来てくれたのであろうか。
「恋治先輩は、私が連れていかれたことを知っていたのですか?」
「うん。教室にいたんだけどね、ふと誰かの声が聞こえたんだ。二年の柊が吉野と一緒に歩いてたって、桜の木の下に呼び出されているって。吉野の噂はちょくちょく耳にしてはいたんだけど、まさか本当にこんなことをするなんて……」
恵美にまつわる負の噂、そんなことはどうでもいい。
しかし誰かが私の噂を流してくれた。そしてそれが恋治先輩の耳に入った。
そんなことって……なんて偶然! なんという幸運! こんな奇跡、信じられようはずもない。並の恋愛運だったらの話だが――
ラヴァーソウルッ!
恋治先輩の背後には、陰からひっそりと眺めるラヴァーソウルの姿が。
彼女は直接助けはしなかった。だけど恋の神様として最善の選択をしてくれた。
あぁ、ラヴァーソウル。あなたはなんて素晴らしい神様なの!
そして恋治先輩。噂を聞いて駆け付ける優しさ、やっぱり貴方はその見た目も、そして精神さえも、完全無欠であることが今まさに証明されたんだ!
こんな状況、今すぐにでも恋治先輩の胸に抱き付いてしまいたいが、それはまだ早い。並の男ならその程度で陥落できるだろうが……しかし相手はあの早乙女恋治。
恵美のような塵虫が、こぞって彼の体に身を寄せる。そんな低俗な奴らと一緒では駄目なのだ。
私は彼にとっての、真の特別にならなくてはいけない。
「有難うございました。私を救って頂いて。とても勇気があるのですね」
「いやいや……当然のことだよ。困っている人を放ってなんかおけない。それより教室への帰りは大丈夫かな? よければ僕が送っていくけど」
な……なんという魅力的な提案。私の体は全力で受け入れを望んでいる。
だが反面リスクも大きい。公に仲良くしてしまえば、恵美のような愚挙に出る輩が現れないとも限らない。
口惜しいが、ここはこの場で終息させるのが正解だろう。
「有難うございます。ですが、そこまでお手を煩わせる訳にはいきません」
「そう、柊さんは強い子だね。じゃあせめて、連絡先を教えてくれないかな。何かあったら、すぐに僕に連絡して」
れ……連絡先……だと?
まさかそんな、遠慮したのは単なるリスク回避のつもりだったのに、このような僥倖を呼ぶなんて。
こんなにもあっさりと、しかも恋治先輩の方から、連絡先を交換しようと言ってくれるだなんて。
笑いたい……腹の底から笑いたい。
身に余るほどの幸運が、次から次へと起こりうる。何をしようが、私の行動は最良の吉事へと転がりゆく。
今の私は恋において敵う者のない、最高最幸のラヴウォーリアーなのだ!