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ランチタイム&ユートピア

 ハンターズハイとでも言えばいいのか、狩りをすることで人はえも言えぬ高揚感に包まれるというが、まさに先までの私がそれだ。

 既に死体となった江恋の妻だが、最後の繋がりというべき薬指に向けて包丁を突き立てる。


「これで江恋は私のものぉ♪ 薄汚い結婚指輪も切り落として――」


 それで夫婦の繋がりは切れるのか?

 愛とか想いとか、そんな抽象的なものではなくて、具体的な契約として、書面での婚姻関係は……


「まずい……ラヴァーソウルに証拠を消してもらうにしろ、失踪になった場合って、すぐには結婚できなかったような……」


 離婚が成立するのが失踪後三年、失踪宣告は確か七年も掛かってしまう。

 ラヴァーソウルはそんなことを知らないから忠告のしようもなかっただろう。

 これはまずった……殺す相手が配偶者の場合は、社会的に死んだと分かるように消さなければならなかった。


 想定外に狼狽える私の肩に、冷たい掌が乗せらせる。


「あらぁ、どうしたのぉ? 神妙な面持ちをしちゃってぇ」

「ラ、ラヴァーソウル……それが――」


 私はラヴァーソウルにことの事情を語った。

 死体を残さなければ、死亡扱いではなく失踪になってしまうこと。

 そうなれば結婚までの時間が遠大になってしまうこと。


「どうしよう……死体は残さなければならないし、とはいえ証拠を残し過ぎた。見つかれば私が疑われちゃうよ。どうしようラヴァーソウル……」


 肩から頭へ乗せられる掌は、体温以上にラヴァーソウルの想いが伝わって、私の荒れた心を温めてくれた。


「愛美はちゃあんと頑張ったからぁ、安心してねぇ。とりあえず血に濡れた服を着替えて、先に家に戻って待ってなさぁい」

「え……でも……」

「いいからぁ、大丈夫。後は私に任せてぇ」

「ありがとう……」


 ラヴァーソウルに全て任せ、私は大人しく家に帰る。

 その後がどうなったのか気が気でなかったが、ニュースを見ても事件は流れず。

 そして結局その日、ラヴァーソウルは家には帰ってこなかった。


 翌日の朝もラヴァーソウルは家にはいない。果たして一体、どこで何をしているというのだろうか。

 有休も昨日までなのだから、私は普段通りに出社した。

 心はずっともやもやしてて、気分はあれから沈んだままだ。それに突然に妻が消えてしまったら、江恋も会社を休むだろう。


 受付を抜けた先でエレベーターを待っていると、唐突に肩を叩かれた。

 馴れ馴れしいと感じ、顰め面を向けてみると、そこで微笑む者は本日いるはずのない男性だった。


「蓬くん、おはよう」

「えれ……東条さん? なぜ会社におられるのですか?」

「ん? おかしなことを言うね。それより体調は大丈夫かな? あのあと幾日か休んでいたみたいだけど」

「は、はい……おかげ様で……良くなりました」


 エレベーターが到着するが、乗り込むのは私と江恋の二人だけ。

 気まずい訳ではないのだが、不可解な現状についつい口を開いてしまう。


「あ、あの……」

「どうした?」

「えーと、奥様は……」

「妻? 妻がどうかしたのかい?」

「いえ……なんでもありません……」


 取り立てて誤魔化しているようにも、無理をしているようにも見えない。まるでいつものように、今朝も妻に見送られてきたような。

 まさか……昨日の出来事は夢だった? いやいや、あの感触が幻の訳は。

 ではあの家は江恋の家ではなかった? でも女は確かに江恋の名を呼んでいた。

 妻の容姿を確認したい。この場で写真を見せてと尋ねてみたい。

 しかしそれはできない。思わず妻のことを口にしてしまったが、これ以上の深堀は後々怪しまれてしまう。

 くそ、ラヴァーソウルめ。

 あいつのおかげで助かりはしたが、早くどうなったか教えて欲しい。


 その後も普段通りに始業し、何事もなく昼の時間を迎える。いつもなら外食をするところだが、今日は休憩室へと足を運んだ。

 喫煙室だけがぎゅうぎゅう詰めで、他はがらんとした会社の休憩室。その片隅で弁当の包みを広げる江恋。


「お隣よろしいでしょうか」

「蓬くん? 構わないけど、今日は外食じゃないのかい?」

「ちょっと外に出るのがだるくって、宅配サービスにしちゃいました」


 当然わざとに決まってる。江恋に用があるからそういう呈にしただけの話。

 隣の江恋の弁当を覗いてみると、それは季節の食材をふんだんに使った、彩り豊かな日本料理だった。


「今日はやけに豪華だな」

「……奥様が?」

「そうだね。今朝はいやに張り切っていたけれど、こんなに腕を上げてたのか」


 今朝に張り切っていた? 一体どういうことだ。

 江恋は妻の姿を確認してる。それってまさか……


「うまいな! 本当びっくりだ。前から下手な訳ではなかったが……」

「お、美味しそうですね……」

「人の弁当なんてあれかもしれないが、良ければ一口食べてみるかい」

「では、お言葉に甘えて……」


 箸を付けたのは鰈の煮つけ。箸の重みを乗せるとほろほろと身が崩れ、口に運べば甘いタレの味が口に広がる。

 そしてうっすらと仄かに感じる、隠し味は恋の味。


「ラ、ラヴァーソウル……」

「ん? 何か言ったかい?」

「い、いえ……とても美味しいです」


 ま、間違いない……おつまみ程度でしか食べたことはないが、この料理はラヴァーソウルが作ったものだ。

 つまり今現在、ラヴァーソウルは江恋の妻になりすましている。


 その意図を考えている内に、着信音が鳴りはじめる。ふと手元に目を向けるが、鳴っているのは私の携帯ではないようだ。

 となるとこれは江恋への着信。


「おや、僕の携帯だね。誰からだろう、知らない番号だ」


 箸を置くと、携帯電話を手に取る江恋。

 ラヴァーソウルが掛けたのか? しかしあの女神に電話の操作は……


「もしもし……はい、東条で間違いですが……な、なんだって!?」


 唐突に声を荒げる江恋。

 みるみる血の気が失せていき、動揺がありありと伝わってくる。


「はい……はい……すぐ……向かいます」


 通話を切った江恋の顔は真っ青に染まっていて、すぐに向かうと口にしながら、だらんと力なく目を落とす。


「ど、どうされたんですか?」

「妻が……車に轢かれたらしく……」


 そんな……まさかそれって……


「そんなー。それは大変ですー。会社には私から伝えておきまーす。だから東条さんは急いで奥様のところにー」

「すまない……蓬くん」


 開いた弁当もそのままに、席を立った江恋はふらふらと休憩室を後にした。


「演技ぃ、下手っぴねぇ」

「ラヴァーソウル……」


 隣にはいつ間にかラヴァーソウルがいて、弁当の中身を摘まむと口に放る。


「美味し☆」

「さすがね、ラヴァーソウル。でも今後の料理のハードルが上がったわ」

「ごめんなさぁい。ついつい本気になっちゃってぇ」

「一体何をしたっていうのよ」

「んん? 言わなきゃ駄目ぇ?」


 煮物を口に頬張るラヴァーソウルは、ゆっくりもぐもぐ咀嚼して、ようやく呑み込んだところで続きを軽薄に語りはじめる。


「蘇生したのよぉ。そして肉体を乗っ取った。それでさっき車に猛烈☆アタックしてきたのぉ。それだけのことぉ」

「傷跡は……荒らした部屋の方の」

「人よりかんたぁん、でしょ?」


 どうやらラヴァーソウルは、証拠という証拠を消してくれたみたいだ。

 そして何食わぬ顔で江恋と一晩過ごし、弁当を持たせて見送った。


「じゃあ……江恋の妻はやっぱり……」

「死んだわぁ。魂もちゃっかり消しときましたぁ」

「よくなりすませたわね」

「誰でもって訳じゃないけどぉ、愛美にだってなれるんだからぁ。ぶい」


 指先を綺麗に嘗めとると、ピースサイン向けるあざとい女神。


「殺して生かして、また殺すなら、私がやる必要なかったじゃない」

「だ・か・らぁ、これは覚悟だってぇ。殺害が目的じゃなくってぇ、愛美の本気の覚悟が見たかっただけぇ。けれど必ず、この経験は活きてくるからぁ」

「人殺しの経験なんて、一体何に活かすっていうのよ」

「ふんふふぅぅぅん♪」


 ラヴァーソウルは問い掛けに答えず、煮物をまた一つ口に運んだ。

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