禁断の恋
その日の午前の仕事にも一区切りがつき、昼食の時間が訪れる。
一人暮らしのしがないOLは、冷凍食品を駆使した手作り弁当で節約生活を強いられる――だなんて、そんなみみっちいことをすれば、この会社に於いては白い目で見られてしまう。
私は常日頃、社外で外食をすることが多い。
外食は健康に悪いとか言うけれど、もはや昔の話だ。健康的な食事を提供する店も多く、むしろ自炊で三十品目きちんと摂れている若者は多くはない。
自炊も手も抜けば安い食材で賄ったり、添加物入りのパックも買うだろうし、味付け次第では外食を優に超える塩分やカロリーを摂りかねない。
その点、私が通うレストランは栄養価もカロリーもしっかりと測れるお店だ。有機栽培の良質で新鮮な野菜を豊富に使用し、添加物が口に入ることはない。
もちろん世間一般のレストランに比べれば高いのは当然のこと。
しかし私の給与なら何の問題もないし、手間のかかる自炊などより、よほど健康的な生活を送れている。
いつもは一人で店に訪れるのだが、不意に隣の席の椅子が引かれた。
「蓬くん。隣に座ってもいいかな?」
「と、東条さん!? ど、どうぞ」
東条江恋がこの店を訪れたことはない。少なくとも、私が美容に気を遣いはじめてからは一度たりとも。
隣に腰掛ける江恋からは上品なコロンの香りが漂った。
「珍しいですね。東条さんもこの店を利用されるのですか」
「いや、はじめてだよ。普段は外食を控えているからね」
私の会社に勤める者は、外食か宅配サービスに任せる者がほとんどだ。
金銭的な逼迫もないのだから、節約という考えは存在しない。
「自炊をされているのですか? 素敵な趣味をお持ちですね」
だから、こういう言葉が出てしまう。料理は生活ではなく趣味であり、それ以外の何物でもない。
ちなみにラヴァーソウルも趣味で料理を嗜むそうだ。神に食事は不要なのだが、人々の恋愛を導く際に、胃袋を掴むという方法を教える為に覚えたらしい。
「趣味と言えば趣味だが、でも私の趣味ではないよ」
「と、言うと?」
「私の妻の趣味なんだ。手の凝った弁当を作ってくれるんだがね、今日は寝坊して作ることができなかったんだよ」
つ、妻……妻って……嫁で伴侶で、つまり奥さんってこと?
「わ、私……」
「ん? どうしたのかな」
「体調が悪いので帰ります」
ほぼ手付かずの昼食を残したままに私は席を立つ。
「だ、大丈夫かね? 蓬くん! 良ければ病院まで連れて行くが……」
「結構です。一人で帰れますので」
ショック転じて本当に気分に悪くなってきた。
さも酔いどれた千鳥足のように店を出ると、ふらふらとあてどなく街を歩く。
平日の真昼間から酒を煽ったように見えるのか、人々が向ける眼差しは軽蔑や好奇に満ちている。
だが恥じらいを感じる余裕もなく、家にも病院にも向かわぬ足は、目に付いた街中のベンチの前で止まった。
東条江恋は既婚者だった。
「はは……馬鹿みたい。会社の皆はとっくに知ってたのかな。知らないのは入社以来、ずっと根暗だった私だけ」
江恋は会社の皆とコミュニケーションを取っていたが、私はつい最近ようやく声を掛けられるようになった新参者だ。
「――――丈夫?」
そんな私は江恋に好かれようと頑張って、綺麗になろうと浮かれてしまった、遅咲きデビューの憐れな女。
「大丈夫ぅ? お姉さぁん!」
「え?」
ベンチで項垂れる私に差す影が二つ。
見上げると、そこには私より年下に見える、ちゃらちゃらした容姿と笑みを浮かべる二人の男が見下ろしていた。
「さっきから見てたけど大丈夫? ここじゃないところでひと休みしよ?」
「きっと楽しくて、辛いことも忘れて、気持ちよくなれるぜ?」
原色に染めた髪の色に、首筋や腕から覗く墨の色。
まるで教養は無いし、育ちも良くはないだろう。
ただ……顔立ちだけは整っていた。
「どんなこと……してくれるの?」
「まじ? 意外と興味ある系?」
「お姉さんノリいいじゃん!」
はは……ノリがいいだなんて、根暗な私には到底縁のないと思っていた言葉だ。だけど言われてみて、存外悪い気はしなかった。
そこには二人の容姿が美しい、ということもあるだろうが。
「興味あるならさ、俺たち色々知っているから」
「そうそう、天国いっちゃうような体験してみよーよ!」
「あは……なんだかとっても面白そうね……」
やばそーな気はするけど……ま、いいかぁ。
どうせ既婚者の江恋は手に入らないし、もはや誰に嫌われたところで関係ない。
それにこの子たちはイケメンだし、私の初体験としても悪くはないかも。
自暴自棄になった私は大人しく後に着いて行き、はじめてホテルの門をくぐり、淫靡な灯りの下に横になると、二人の男に体を明け渡す――
「駄目ぇぇぇ」
今まさに始まらんとする狂乱の宴を前に、その者は現れた。
「だ、誰だ! お前――って……」
「こいつ……人間……なのか?」
裸の私を差し置いて、ラヴァーソウルの美に釘付けになる男たち。
神の美は人知を超えており、皺とかシミとかムダ毛はおろか、毛穴さえもあるのかどうか。
ただいるだけで人外を思わせる、完全な美貌を備えている。
「駄目駄目ぇ。その子は私の大切な友達だからぁ、穢したりしないでぇ?」
首を斜めにするラヴァーソウルはあざといが、それがオスには刺さるのだろう。
互いに顔を見合わせる男たちの口端は邪悪に歪む。
「オッケーオッケー、見逃してやるさ。この女は――だけど」
「代わりにあんたが相手をしてくれよ」
「いやん、私が欲しいのぉ? どうしよっかなぁ」
「めっちゃ気持ち良くしてやるからさ」
「なかなかできない経験だよ~」
指先を頬にあてがって、考える仕種を見せるラヴァーソウルだが、彼女の場合は本当に振りだけで、頭の中は何人も理解が及ばない。
「やっぱり駄目ぇ。他のお願いにしてくれないかしらぁ?」
この私を二の次にするなど許し難いが……どうせ私は江恋の妻の件しかり、二番目止まりの女ということか。
それにしてもラヴァーソウルは、存外イケメンには甘いのだろうか。てっきり制裁に走るかと思いきや、お願い程度に留めている。
しかしやっぱり考えたところで、神の思考は分からない。
「じゃあさ、代わりにコレ飲んでよ」
「そしたら俺たちも諦めるからさ」
差し出した男の掌に乗る錠剤。明らかにヤバいものだと分かる白い薬。
あのまま流されていれば、私がこの薬を飲まされていたかもしれないと思うとゾッとする。
しかしラヴァーソウルは錠剤をおもむろに掴み取ると――ぱくっと一口。
なんの躊躇いもなく口の中に放り込んでしまった。
「飲みましたぁぁぁ。じゃあね、バァイ」
私の手を引くと、ひらひらと手を振るラヴァーソウル。
明らかに飲んだように見えたが、とはいえ直ちに効果の出るものではないのかもしれない。
でもその前に、せめて服を着させて……
「ちょ……ちょいちょいちょいちょい!」
「待て待て! すこぉしだけ時間をくれないかな?」
先回りした男たちが私たちの退室を阻む。
彼らはラヴァーソウルをここに留めて、薬の効果が現れるまで待たせて、そしてその後は私ともども蹂躙するつもりに違いない。
「もうっ……暇じゃないのよぉ? 少しだけ待ってあげるけど、約束はちゃあんと守って頂戴ねぇ……」




