神に選ばれし基準
それから間もなく、当然と言えば当然だが、会社には救急車が訪れた。
本日は緊急車両を多く目にするが、どちらも神の力には手が出せない。赤色灯の儚い赤では、ラヴァーソウルの深紅を塗り潰すことなどできやしない。
今回の報復だが、正直に言ってしまえばやり過ぎた感は否めない。犯人を憐れむ気持ちは微塵もないが、会社で騒ぎを起こすのはよろしくない。
会社の評判に影響して給与が減ったら、美に注ぎ込めなくなってしまう。
今後はなるべく騒ぎは控えるとして、それでも収穫といえるものはあった。
此度の二人の犯人がいじめの首謀ということは女子社員の間では周知の事実であったみたいで、原因不明の植物状態に陥った二人を前に、罰やら祟りやら、神の御業によるものだと畏れをなしてくれたのだ。
これで安易に私に手を出す馬鹿は激減すること請け合いだ。
事故の処理には色々あったそうだが、そこは会社の上の者が対応し、私の前には二人がやるべきだった業務だけが残された。
一度だけ、会社の同僚という旨で二人のお見舞いに行ってきた。ラヴァーソウルはただ一言、”もの好きね”とだけ言い残し、その場には同伴しなかった。
いやに静かな清白の病室で、呆けた面で糞尿と涎を垂れ流す、人型と成り果てた二人の姿はとても憐れで――
化粧を取ると意外にも不細工だったことに気付き、込み上げる笑いを堪えるのに一苦労した。
これにて快適なワークライフが実現したが、私には真の目標が存在する。
会社の上司で才能に溢れ、収支や見た目も十分な、生涯のパートナーとして申し分ない東条江恋の攻略だ。
これまでも役には立ったが、ここからが恋の神様の腕の見せ所。
ラヴァーソウルの神力の下に、東条江恋を魅了したまえ。
「愛美ぃ、それは反則よぉぉぉ」
「なんでっ! どうしてっ!」
意気込みを新たにした直後、出だしから頓挫を喰らうことになる。
口論に至った要因はラヴァーソウルが嘘を吐いたから。
「私とあなたは契約したじゃないの! だったら恋の魔法で一発、東条江恋を私に恋させなさいよ!」
「それってぇ、なぁんにも面白くないものぉ。私はちゃあんと言ったはずよぉ? 代わりに私を楽しませて頂戴ねってぇ。それも契約の条ぉぉ件っ!」
悪戯におでこを突かれるが、苛立ちこそすれときめきは皆無だ。
そんな曖昧なものが条件だなんてずるい。ラヴァーソウルが楽しいかどうかなんて、結局その時の気分次第じゃないか。
「愛美は恋愛経験ないものねぇ。恋は楽しいのよぉ? 後戻りはできないのだからぁ、せめて初恋くらいは楽しみなさぁい」
「えぇぇぇ……」
その後も駄々をこねてみるが、ラヴァーソウルに譲るつもりはないようだ。
ラヴァーソウルは感情や記憶を操ることができるらしく、それは恋愛感情も例外ではない。
しかしそれではつまらないと、最後の最後の奥の手でしか使わない。
基本は真っ当な手順を踏んで恋愛関係を築かせるので、ラヴァーソウルが携わった者の中には、実は魔法など使えないと誤認する者もいるとのこと。
「ラヴァーソウルはどういう基準で結びつける人を選ぶの?」
「それはぁぁぁ、ヒ・ミ――」
「気分ってことね」
「ばれちゃったぁぁぁ」
恋の女神の癖に選ぶ人間も気分とは。
神に選ばれし、なんて言葉は下手に使えるものじゃなくなった。
「恋愛に盲目な人とかぁ、一度も恋をしたことのない人とかぁ。その時の機嫌で相手を変えるわぁ。乙女の気分はねぇ、お天気模様と同じなのぉ」
「ラヴァーソウルを好いたら大変そうね。好かれても大変そう」
「そんなことはないわぁ。私はとっても一途なんだからぁ。数百億の歳月が過ぎても想いは廃れず、今この瞬間も募り続けるのぉぉぉ」
胡散臭いが、仮に本当なのだとしたら、相手は想いに潰れてしまって息もできなくなりそうだ。
「あなたが恋に真面目なのは分かったわ。だけど私には億年どころか、あと数十年の時しかないの。だから特別に恋の魔法で――」
「駄目ぇぇぇ。ちゃぁんと、段取り踏んで結ばれましょうねぇ」
ちっ。
人の命はどうでもいい癖に、やはり常人の感覚とずれているみたいだ。
そんなラヴァーソウルの恋の成就率だが、なんと驚異の100%だそう。
百歳も離れる歳の差、王と奴隷の身分差、女性同士の性差、そして殺人鬼と一般人との罪の差。そのいずれも超越し、恋人関係を築いてきた。
とはいえ最終的には強制力をもって交際させるのだから、100%というのも当たり前といえば当たり前なのかもしれない。
そして私と江恋の関係は会社の上司と部下というもの。なんとありきたりで、先に挙げた格差に比べれば、なきに等しい一本道だ。
東条江恋は今年で三十路で、今の私が二十五だから歳の差としても適正値。
あくまで推定だが、今の私の給与を鑑みるに、江恋は年収で戸建てすら買えるだろう。年相応に落ちついているし、体付きも逞しい。そして精悍な顔付きは、間違いなくイケメンの枠に入る。
それが私の知る東条江恋の全て。
三年間コミュニケーションを怠ってきた私には、他の社員の素性など不確かだし、誰が誰と付き合っている――なんていう恋愛話は全くもって無知だった。
だから私は知らなかったのだ。
社内では周知の事実となっている、東条江恋についての致命的な事情を。