恋の炎
翌日は朝早くに目が覚めた。
昨日は深酒をしてしまったが、早起きは既に日課となり、体が自然と目覚める様に習慣化された。
独力での化粧やスキンケアも欠かさない。神の力を貸してもらえるようにはなったものの、さすがに恋の魔法でメイクアァァァップ!
なんてことは自堕落すぎるにも程がある。
きっちり余裕をもって支度をし、玄関を出る前に最後のチェックをして家を出る。
扉の先では清々しい朝日が迎えてくれるが、有害な陽射しは肌の手前でSPFがシャットアウトだ。雰囲気だけの清らかさを陽の光から受け取る。
うんと胸を張ると、朝の澄んだ空気が肺に満ちてくる。しかし向かう場所は会社であり、通勤経路には苦手な地下道がある。
迂回をする時間もあるのだが、朝の時間帯は地下道の住人はここにいない。あるのは段ボールで組まれた犬小屋以下の工作と、汚れた毛布が幾つかだけ。
一体彼らはこの時間、どこで何をしているというのか。
「ねぇ、ラヴァーソウル」
「何かしらぁ?」
「ここのゴミ、全て吹き飛ばしてくれないかしら?」
なぁんて冗談を言ってみたり。
神罰という言葉があるが、神を名乗るラヴァーソウルは少なからず善良であるはずで、少し意地悪なお願いだったと思う。
本音は消えてくれれば嬉しいが、とはいえ彼らも人間なのだ。少しくらいは私の心も痛む訳で――
パチンと指を弾くような、軽い音がしたと思う。
その直後、爆音と共に巨大な火柱が目の前に立ち昇った。
灼熱の炎は鉄すら溶かし、流動するマグマの如き溶鉄と、燃え盛る火炎が織り成す赤色のグラデーションは、さながら地獄の様相だ。
「う、噓でしょ……」
「えぇぇぇえええ? 冗談だったのぉぉぉ? 私ってとぉってもピュアだからぁ、そういうの分からなぁぁぁい」
握り拳をこつんと頭に乗せるラヴァーソウル。
だが幾らなんでもこれは……あざとさで済まされるような事態じゃない!
「も、元に戻すことは……」
「できないわぁ。私の炎はこの世の全てを焼き尽くす。一度燃えたら灰になるまでは消えないのぉ。恋の炎とおんなじよぉ」
これが神の力……これが神罰。
そこに善良さは皆無で、無慈悲に世界を弄ぶ。
人がいなくて幸いだったが、仮に地下道の住人がいたとして、果たしてラヴァーソウルは焼き払うことを躊躇ったのだろうか。
「あなたは……神様なのよね?」
「えぇ、そうよぉ。創造と破壊、どちらも神のお仕事ねぇぇぇ」
そう語るラヴァーソウルは、大火を前に歪んだ笑みを浮かべる。
この女は人の生き死になどに興味はない。ただただ炎の揺らめきに酔いしれて、美しさだけがラヴァーソウルの正義。
そして裏を返せば、それはつまり――
「ねぇ、ラヴァーソウル……」
「なぁにぃ?」
「もっと燃やしたいのなら、丁度いい生ごみがあるのよ」
不快なものは無くなったが、おまけで地下道も消え去った。結局わたしは迂回する羽目となり、今後しばらく遠回りせざる負えないだろう。
暫く歩いていると、向かいからはサイレンの音が響いてきた。
私たちのうっかりの尻拭いをしに来てくれた訳だが、ラヴァーソウル曰く恋の炎は、水や粉末などで鎮火する代物ではないそうだ。愛情を燃料に燃える炎は、酸素すらも必要としない。
反面、特定したターゲットが燃え尽きれば炎は自然に鎮火するそう。
あとは燃料が底をついた時にも鎮まるが、それはラヴァーソウルが愛そのものに興味を失った時であり、故に不完全燃焼に終わることは絶対にありえない。
そんな恐るべきラヴァーソウルの力だが、扱い方さえ間違えなければ大いなる天恵であることも確かだ。
それらに比べてしまえば地下道の迂回の手間など些細なものである。
会社に着くと、まず向かう先は更衣室だ。
純粋無垢な私の清い手が、悪意の込められたロッカーの取っ手に掛けられて――
「痛っ……」
走るような刺激の後、鮮血が床に滴り落ちる。
取っ手の裏を覗いてみると、そこには幾つもの画鋲が仕掛けられていた。
「これってもはや傷害だわ……」
仮に根暗な私のままであれば、滴る血に涙も加わっていただろう。
だが今の私はもう違う。度を過ぎた悪戯を前にして、感謝の念すら覚える程だ。
「ラヴァーソウル……」
「はぁい☆ ラヴァーソウルよぉぉぉ」
普段、仕事の間は何処ぞへ姿を消してしまうラヴァーソウルだが、今日は会社に留まるようにお願いした。
これらの悪戯――いや、犯行と言い換えよう。裁きを下したくても、未だ明確な犯人像は掴めない。
しかしラヴァーソウルは私を除いて他者には見えない。
まったくもって警戒させない、監視カメラより優秀な探知機だ。
「お仕事待つの、つまらないでしょう? だから悪戯を仕掛けた犯人捜しをして欲しいの。そして見つけたら……たぁああっぷり! お礼をしてあげて頂戴」
「まったくぅ、愛美は神遣い荒いわぁ。だけど同僚に気遣いができるのは、とぉっても良いことねぇ。頂いたものにはちゃあんと、お返しを差し上げないとぉ……」




