恋の戦士☆ラブウォーリアー
ラヴァーソウルと本殿を後にして、出口の鳥居が囲う景色は普段の通学風景と変わりない、ありふれた日常が映されている。
途中振り返るなと、ラヴァーソウルに念を押された本殿からの帰り道。仮に後ろを向いてしまえば、果たして何が起きていたのだろうか。
「ねぇ、ラヴァーソウル。もし振り返ったら私はどうなっていたの?」
「なぁんにも――」
「……え?」
「別に何も起きないわぁ。でも今のあなたにぃ、振り返る暇などあるのかしらって、そういう意味よぉぉぉ」
なんと下らない比喩だこと。だけど実際、私にそんな暇が無いことは確かだ。過去を振り返り後退する卑屈など、今の私に不必要なのは間違いない。
ただただ真っすぐ前を向き、先行くラヴァーソウルの後を付いて行く。彼女になぜ学校の方角が分かるのか、という疑問もあるけれど何より気になるのはその容姿。
純白の衣装を身に纏い、整った目鼻立ちに銀の髪。そして鮮やかな深紅の瞳は西洋の人形を思わせる。そんな彼女が町を歩けば、さぞや人目につくことは間違いない。
だというのに、道行く人々は誰一人としてラヴァーソウルに見向きもしない。
「ラヴァーソウルって、とても目立つと思うの。決して悪い意味じゃないんだけれど、誰もあなたを見もしない。まるで透明人間かのように……」
私の問い掛けにラヴァーソウルは足を止めた。
捻る腰を追うように見せる横顔は淫靡なもので、聖なる者とは思えない妖しき色気を滲ませる。
「いやぁん、私は女神なのよぉ? 神様なんてぇ、誰もかれしもが見える訳じゃないでしょぉ?」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
「じゃあ、気にしちゃ駄目ぇぇぇ。あなたが特別で、それだけのこと。あとはそうねぇ、ヒ・ミ・ツゥ」
指を口元に添えて、それは秘密を意味する暗号だ。
よくよく秘密は女を美しくすると言うが、この女に限っては如何わしさを増長しているようにしか思えない。
陽が地平線に近付く頃合いとなって、ようやく学校へと戻ってくる。
恋治先輩は既に部活を終えているだろうか。彼を想うだけで胸がときめき、そして同時に痛みをも感じる。
だけどきっとこれからの私には、ときめきだけが訪れる。なにせ恋の女神を味方に付けたのだから。
意を決して校門を跨ぐと、浮き立つ足で校庭へと向かった。グラウンドには既に人の姿はなく、隅では恋治先輩の所属するサッカー部の部員たちが、個々に後片付けをはじめている。
そんな静まる校内で、汗を流す一人の男性。見間違うことのない、憧れ続けた早乙女恋治の御姿が水飲み場にあった。
幸いにして近くに人の気配はなく、声を掛けるには絶好のチャンスだと言える。
だが……声が出ない。足を進めることが……できない。
先程まで浮いていた足は地に着いて、更にそのうえ鉄の足枷をはめられたように固まってしまって動かない。しかし当然と言えば当然のことだ。
仮にこの場で声を掛ける勇気があるのなら、とうの昔にコミュニケーションなど図っているだろう。
踏み出せずに思いあぐねていると、私より先に恋治先輩を呼ぶ声が、黄昏の校庭に響き渡った。
あぁ、やってしまった。せっかく学校まで戻ってきたというのに。
己の臆病さが恨めしい。
下唇を噛みしめ、せめて目に留まってしまう前に場を去ろうと背を向けた。
その時だった。
「君かい? いま僕のことを呼んだのは?」
「え――?」
御声に導かれて振り返ると、憧れの恋治先輩が目を向けている。
これまで草陰に隠れる様にして生きてきた私には、これが一瞬、後方にいる誰かを呼んでいるのではという錯覚に陥りそうになる。
だが違った。恋治先輩の凛々しい眼差しは紛れもなく、この柊愛子に向けられているのだ。
「え……と……」
「はい、私が呼びました。恋治先輩」
答えあぐねていると、さっき恋治先輩を呼んだ声と同じ声が再び聞こえた。
それは私のすぐ近くから張る声で、誰もいるはずのない空間で、そんな不思議な声の源へ目を向けると――
悪戯な笑みを浮かべる、ラヴァーソウルの横顔が隣にあった。瞬間、思考が止まりそうになるものの、堪えて脳を働かせる。
もしや……先程の呼び声もラヴァーソウルが放ったのでは? 臆病な私に代わって、恋治先輩へ呼び掛けてくれたというの?
その問い掛けは直接声に出した訳ではない。けれど疑惑の視線が、私の言いたいことを全て物語っていたのだろう。
ラヴァーソウルはちらとこちらに目を移すと、垂れがちな目を細め、一つ頷いて肯定した。
「黄昏の空だなんてぇ、ムードは十分ねぇ。第一印象が肝心だからぁ、無理にキャラを変えたりしないで、あなたのお淑やかさを活かして、お疲れ様ですって控えめな微笑みで、そしてタオルを渡したら、万事はそれでおっけぇおっけぇ」
突然タオルだなんて言われても、しかしふと己の手に目を向けると、右手にはいつのまにか真っ白なスポーツタオルが握られている。
いつの間にタオルを――なんてことは、恋治先輩の意識が向いてしまった以上、悠長に尋ねている暇はない。
もう後には引けない。勇気を出して一歩踏み出すと、私は夕色に染まる恋治先輩の下へ、静かに足を運んだのだった。
「お疲れ様です。早乙女先輩」
「あ……ありがとう。えぇと、君は――」
「二年の柊愛子です。突然だったので驚いたでしょうか?」
「うん、ちょっとね。でも感謝の気持ちの方が強いかな。ありがとう、柊さん」
あぁ、ああぁ……
憧れの恋治先輩が、私の名前を妙なる御口で、お呼びなすった。
あああぁああああああぁぁぁ!
なんという幸せ! なんという悦び! 絶頂快楽至極至悦! 天にも昇る至福とは、正にこのことなんだぁああああああ!!!
「恋治ぃ!」
――――あ?
「みんな準備できたよ! 早く帰ろう――って……その子だぁれ?」
「あ、うん。二年の柊さん。ちょっと話をしてたんだ」
「ふぅん。まぁ、どうでもいいけどさ。そんなことより皆を待たせちゃ悪いよ。行こ行こ恋治! じゃあね、柊さん……」
去り際に嫌らしい笑みを浮かべた女。あれはサッカー部のマネージャー、吉野 恵美――か。
恋治先輩の手を取って、あまつ薄汚い肉袋を押し当てる浅ましい下劣な雌豚め。
これまでの私なら、こんな場面を見ようものなら、その場で卒倒していたに違いない。だが今の私には恋の女神が付いている。
いいだろう、吉野恵美。今だけは恋治先輩の側にいることを許してやる。だがな、すぐにその場所は私だけのものとなり、未来永劫寄り添い続けることになるんだ。
陽は沈み、私の心にも影が落ちる。
校庭を包む闇より深い感情を心に宿す。そんな私を知るのは、校舎の上から臨むラヴァーソウルただ一人。
「あぁぁん……その表情、とぉってもそそる。執念の眼に、恋を最優先するその情熱。今の愛子は稀なる愛の魂を掲げた、素敵で無敵なラブウォーリアーねぇぇぇ」