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蓬愛美の場合

 私、(よもぎ) 愛美(まなみ)は、その人生を勉学に捧げた。

 恋愛などに現を抜かすな、今を怠ければ将来困ると。両親にそう言い聞かせられ続けて、私は机に向かい勉強に励んだ。

 そんな私の学生時代は灰色だ。

 周囲が遊びに部活に色恋沙汰に、色めいた青春を堪能する中、一人モノクロの灰春を生きる。

 一流大学を卒業した私は、一流企業に就職することになる。素晴らしいことなのかもしれないが、その喜びを共有できるのは両親だけ。

 人生の目的を半ば達成してしまった私は、次に一体何をしたら良いのだろうか。


 働きはじめて三年が経ち、一人暮らしも慣れた私は休暇を使って、久々に実家へと帰ることにした。

 一人娘である私を温かく迎えてくれた両親だが、あろうことか夕食の時間に私の結婚について語り出した。

 あれほど恋愛を禁忌としてきた両親が、いつになったら結婚するのかと、この私に問いかけてくる始末。

 いやいや……青春を捨ててきた私が今更、恋愛などどうやってすればいいのか分からない。

 モテメイクなどからっきしだし、ファッションにも疎ければ、恋を語るような友達だって一人もいない。

 その内に孫の顔が見たいとでも言い出すのだろうか。一泊した後、憂鬱な気持ちで実家を出る。


 電車に揺られ、降りる頃には日も沈む。

 最寄り駅は草薙(くさなぎ)駅だ。天叢区(あまのむらく)の隅にある、何の面白味もないしがない駅。

 帰り道、町行く男を眺めてみるも、地べたに座って煙草をふかし、周りを気にせず”ながら”歩き。知もなく金もなく、底辺ばかりの負け犬たち。

 この中の誰かと私が結婚するなど、あまり考えたくはない未来だ。

 しかし恋愛経験のない私がいつまでも奥手では、いつか世間に負け犬と称される日が訪れてしまう。

 青春を堪能した者の中には、学生の内に子を儲けて結婚し、生活苦を強いられる者もいたみたいだ。

 それを内心では小馬鹿にしていたが、独り身で生き続けるよりかはよほどマシなのかもしれない。


 肩を落として歩いていると、先には地下道が見えてくる。通勤にも使う道なのだが、ここは三年経っても未だに苦手だ。

 地下道に寝そべる、帰る家もない浮浪者たちの溜まり場。鼻を突く匂いが充満し、底辺の中でも更に窪んだ底の底。

 できれば避けて通りたいが、その為には大きく迂回しなければならない。だから仕方なく、私はこの地下道を通り続ける。

 私の肢体を見つめる視線。自分に色気があるとは思わないが、彼らの脳内ではこんな私でも蹂躙しているのだろうか。そう思うと無性に吐き気が止まらない。

 目を伏せて息を殺し、足早に地下道を進んで行く。


 息が……もたない……


 こんなに長い地下道だったろうか。

 堪え切れずに息を漏らすと、肺に満ちるのは臭気ではなく、存外爽やかな花の香りが広がる。

 不思議に思って伏せていた視線を見上げてみると――


 そこは紅き月夜が照らす庭園で、一面に紫焔の花々が盛っている。

 花の名は小町草だったか、実家住まいの頃には道端でよく見掛けた。学名はシレネ・アルメリア。別名は虫取り撫子。

 花言葉は未練や罠、そしてもう一つは――偽りの愛。


 英語ではFALSE LOVEが正しいだろうか。だが、その意を為すもので、もう一つ知っている言葉がある。

 それは、LOVER(ラヴァー) SOUL(ソウル)

 直訳すれば恋人の魂? だが海外では偽物の愛と、そういう訳が為されていると聞いたことがある。

 そんな偽愛を冠した者が、紫焔の花園に一人佇む。

 燃え盛る紅き瞳に、死人のように白い肌。白金の長髪は真円の月明かりにさらされて、冷たい輝きを放っていた。


「いらっしゃぁぁい。恋に迷える子羊さぁん」


 垂れ気味の目尻だが、しかし弱気な様子には見えなかった。

 浮かべる笑みは嘲るようで、挑発的とするのが正しく思える。


「あなたは……というか、ここは一体……」

「私はラヴァーソウル、恋を司る女神様よん。そしてここはぁ、恋に迷いを抱く者だけが訪れることができる、禁断の花園ぉぉぉ」


 神を自称する女が言うように、確かに今の私は困っている。

 だが恋の迷いというよりは、それ以前の問題なのだが。


「悪いんだけど、好きな人だっていないのよ。恋愛はしたいと思うけど、どうしていいのかもさっぱりで……」

「恋をしたいと思う欲、それも立派な恋心ぉぉぉ。あなたにぴったりな人物を、この私が結び付けて差し上げちゃぁう」


 あ……怪しい。いくらなんでも怪しすぎる。

 新手の悪徳商法かなにかかと、そんな疑念を持たずにはいられない。

 しかし目の前に広がる異質な景色は、あながち嘘と決めつけるのも憚られる。


「やめたくなったらぁ、途中でやめてもいいのよぉ? でも最近は多いみたいねぇ、孤独死。誰にも気付かれず一人で死ぬなんてぇ、なぁんて憐れぇぇぇ、あはっ」

「う……」


 確かに、このまま事故も病もなく、一人で一生を生き続ければ、私に待っているのは孤独死だ。

 一人寂しく、ひっそりと人生の幕を下ろす。

 気付かれる頃には地下道の底辺すら鼻を摘まむ、腐乱死体の出来上がりだ。それだけは避けなければ。


「わ、分かったわ。だけど怪しいと思ったらすぐに降りるからね。それだけは承知しておいて」

「おっけぇおっけぇ。私ぃ、こう見えて約束はちゃあんと守るのよぉ? あまり信じてもらえないけれどねぇぇぇ」


 それはまあ、こんな不可解な登場をしておいて、更に妖しげな色香を醸し出しているのだ。

 嘘吐きの典型のような胡散臭さで、そう見えて仕方がないというもの。

 だが私には恋愛を語れるような者はいない。そして目の前には、仮にも恋の神と名乗る女が現れた。

 胸中は期待半分に恐れ半分。差し出される白い右手を、私は恐る恐る握り返したのだった。

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