類友
人を殺すって。殺すことでしか、快感を得られないだなんて。そんなこと――
「じょ、冗談……ですよね?」
なんて言っておきながら、そんな冗談は許されない。そして、現状を前にして決して冗談とも思えない。
だけど困る。これが冗談でないのなら、私の恋心は途方に暮れてしまう。
「こういう個性は少ないから信じ難いかもしれない。だけどね、尊重してもらいたい。二次元を愛した恋愛癖を持つ愛子なら、きっと理解できる。少数派の君ならば、僕の個性を理解できると信じてる」
なぜ私の過去の恋愛癖を、恋治先輩が知ってるの?
友香なのか京介か、それとも同じ中学の誰かが、私を妬んで漏らしたの?
しかし幾らなんでも、偏愛と殺人を比べるなんて、そんなの冗談ではない!
恋治先輩の父親は、恐らくここに妻を監禁した。そして殺したんだ。
友香はきっと殺される。それはつまり……私も殺すの?
「あ……あぁ……」
ここでようやく私は、置かれた状況に気付きはじめた。
目の前の恋治先輩が、愛しいと慕い続けた男性が、今はただただ恐ろしい。
脅えた私は振り返ると、もう片側の扉に向かい一直線に駆け出した。
しかしそこは禁忌を封じる部屋で、絶対に開いてはいけない、禁断の扉だった。
「う……うぅ……」
扉の先は地獄だった。
確かに私は奴等の死を望んだ。死んだそれらは役に立ち、それを評価して、おふざけ半分抱き締めたいとすら思えたのに。
いざ凄惨なる骸を前にしてしまえば――
「げぇぇぇえええぇぇぇ」
胃の中身が逆流し、膝を落としてその場で嘔吐いた。
瞼を閉じても漂う臭気は、一目見ただけの惨状をありありと脳に映し出す。
震える私の肩に触れる冷たい感触。
恐る恐る振り向くと、まるで悪意の伴わない、無邪気な笑みを咲かせる早乙女恋治が、蹲る私を見下ろしていた。
「ひぃぃぃ……」
「驚いたかい? でも安心して。見分けはつき辛くなってしまったけれど、彼女らは愛子の敵だった者たちだよ」
なんで……どうして……なぜ恵美と千秋が恋治先輩の家にいるの?
だって彼女らは、ラヴァーソウルが始末したはずでは……
――――そう――――そうじゃないか。
ラヴァーソウルは一度だって殺害を肯定したことはない。私の勝手な想像に、ただ妖し気な笑みを返すだけだった。
ラヴァーソウルは恵美と千秋に裁きを下してなどいなかった。始末したのはこの男、恋治先輩しかありえない。
「彼女らは愛する愛子を侮辱した。愛子以上に、彼女らは僕の敵だった。だからこうして、愛子をいじめた罪を奥で反省しているんだ」
そんなことって……おかしいよ。
千秋への報復だったらまだ分かる。しかしなんで恵美まで?
あんな酷いことをしたのだから、恵美の方が罪深いって?
いや、そうじゃない。だって、だってだって――
恵美の失踪の時点では、私たちは愛し合ってはいなかった。私は愛してはいたけど、愛し合ってはいなかった。
少なくとも恋治先輩からしてみれば、連絡先を交換した程度の間柄。
今になって殺害したのならまだ分かる。だが恵美の失踪は、まさに連絡先を交換した当日のこと。
関係の薄いあの時点から、私をいじめたことに対しての報復だなんて、そんなことはありえない。
嘘を吐いているのか? 単に殺人衝動に駆られて、殺した理由を私の為と言い換えているだけなのか?
しかしそうは見えない。彼は本当に私に対してだけは嘘を吐いていないのかもしれない。だとすれば、残された可能性はただ一つ。
恋治先輩は、はじめから私を好いていた。
いや、それよりずっと前から私のことを愛していた。
人とは違う恋愛癖を持つ私なら、己の歪んだ性癖を打ち明けることができると、分かち合える存在になれると信じて。
「わ、私をこれから……どうする気ですか?」
彼の歪んだ性癖は殺人で、人を殺すことで快感を得る。同じ性癖を持つ父は、当然血の繋がった親であるということだ。
当たり前のことに思えるが、それはつまり子供として恋治先輩を儲けているということ。
妻はすぐには殺されず、出産まで至っている。つまり恋治先輩の目的は、私に子供を産めということなの?
でも結局のところ、母親は殺されているに違いない。
「恐れているね。分かるよ愛子。僕が君を殺すかもしれないと、そう考えているんだね。でもね、それは大きな誤解だよ」
ち、違うの?
彼も、彼の父親も、意中の者を本気で愛していたというの?
「僕一人では自慰なんだ。やはり性交は、愛する者と共にしたい」
「……え?」
共にって……え?
でも彼の性交に当たるものは殺人で、それを共にってことは、やはり私を殺すことと変わりないのでは?
「愛子を殺すなんてことはしない。それはされる側で、する側じゃない。性交は共に”する”ものだ。彼氏とセックスした女の子は、彼と”した”と言うだろう? ”された”なんて、そんなのはレイプだ。愛する者にすることじゃない」
それって、受動ではなく能動ということ。
つまり私に殺されて欲しいのではなく、一緒になって――殺して欲しい。
「だから一緒にしようよ、愛子。愛子ならきっと分かってくれる。二人でナイフを手に取って、津雲さんに入刀するんだ。共に切ろう、共に剥がそう、共に抉ろう。そうして僕たちは愛を紡いでいくんだ」
「あ……あ……」
慄く私を前にして、恋治先輩は首を傾げる。
悪びれる様子は一切なく、見当違いなところで心を遣わす。
「どうしたのかな? やっぱり初めては緊張するかい? でも大丈夫、ちゃんと僕がリードするから。だから愛子、僕の言うことを聞いて欲しい」
愛する者の為ならば――
財産など放棄しよう。友の縁など切り捨てよう。私の全てを捧げよう。彼の為ならなんでもしよう。それであなたが手に入るのなら。
それはとても尊い想いだけど、私の愛した恋治先輩への想いに他ならない。
あなたの為ならなんでもする。
この言葉、守る必要のない時があるって知ってる?
取引としての場合は駄目だと思う。互いの合意の上の契約ならば、断ることはできないよね。だけど――
愛する恋人の為なら。
信頼する友の為なら。
尊敬する恩人の為なら。
これらの条件は前提が覆されれば、守る必要はなくなるの。
言い換えれば――
優しく、思いやりのある彼。だから愛している。
そんなあなたの言うことなら、なんでもする。
勇気があり、弱者を守る友達。だから信頼する。
そんなあなたの言うことなら、なんでもする。
聡明で、誇り高い恩人。だから尊敬する。
そんなあなたの言うことなら、なんでもする。
恋人や友、そして恩人。
彼らの提示する”なんでも”が、愛し、信頼し、尊敬する理由を改め、失望させる内容ならば、なんでもする為の前提自体を消失させてしまう。
金を盗めと、人を殴れと、仮にそう要望したのなら。彼らは優しくもなく、勇気もなく、聡明ですらない。だから愛さない、信頼しない、尊敬しなくなる。
そして恋人でもなければ友でもなく、恩人ですらなくなる。
そんな彼らの言うことは、聞けない。命すら懸けることができたのに、彼らの言うことを聞けなくなる。
だからもしあなたが、愛する者の為に責任を感じたとしても、自信をもって、こう答えて――
「あなたは私の心を裏切った! だから愛してなどいない! 全てを捧げる早乙女恋治はもういない! だからあなたの言うことは……聞くことはできない!」
それは心の奥底の、魂からの拒絶。
私は愛に生きる柊愛子。故に偽愛に生きるなど、そんなことはできっこない。
「そうか……とても残念だよ」
己を拒絶されて項垂れる恋治、その心中や如何に。
言ったはいいが、イコールこれは敵対宣言。考えられることは口封じか、自暴自棄になることもありうる。
後ろ手にハンマーを握り締め、さてどう出るか。
「本当に、残念で――――ぅ」
「……う?」
「うえぇぇぇええええええん! ひぐっひぐっ、うわぁあああぁあぁぁぁあああん! ひっひっひぐぅぅぅううう……」
それはまるで子供のよう。
十八にもなる早乙女恋治は、まるで子供のように泣きじゃくる。
しわに歪み、大口を開けてよだれを垂らし、鼻水すら憚らぬ泣き面には、もはや女子の憧れる端正な面影は見られない。
「なぁんでだよぉぉぉおおお! うぐっ……あんなに僕のことぉおおお! ひっく……愛してたじゃあないかぁああああああ!」
愛する人と一緒にいたい、愛する人と一緒にしたい。純粋に私のことが大好きで、振られたが故に悲しむ。
それは正常な人の心で、早乙女恋治は感情豊か。彼はいわゆるサイコパスには分類されないのかもしれない。
しかしそれを踏まえても彼の言動は――
「ど、どうかしてる……」
いい歳して子供のようにだだをこねる。その姿はあまりに異様。
ずるずると不甲斐なく擦り寄る早乙女恋治は、未練に塗れた穢れた手を私の足に絡みつかせる。
「君はぁあああ! 僕が触れただけで感じていたじゃないかぁあああ! 夜には僕を想って身を捩り、恍惚に浸ってたろぉおおお?」
「なんでそれを知って……」
「頼むよぉぉぉおおお! 君を殺したくないんだぁああああああ! 僕が全てを打ち明けたらぁ、共感してくれないとぉおおおおおお!」
き……きもい……気持ち悪い……
私が愛するのは完璧な男の子で、断じてこんな気持ちの悪い男などではない。
「い、嫌よ! 共感できる訳ないじゃない! 私のことは諦めて!」
「うぐっ、ううう……そしたら君を……殺さなくっちゃあならない」
「く……」
やはり、断ればそうなってしまう。
全てを知った上で、私を逃さないのは当然の話だ。
私の武器はハンマーとナイフ、だけどそれで立ち向かえるのか?
対する恋治はスポーツ万能。戦闘にどれほど影響するかは不明だが、少なくとも腕力で敵う相手ではない。
頼みのラヴァーソウルも今はアリバイ工作で使えない。しかしそろそろ異変に気付いて、こちらに来てくれるとも限らない。
なるべく時間を稼ぎたいが、そんな折、ふと私の目には寝台に横たわる友香が映った。そして過る一つの思惑。
友香を利用すれば、少しは時間を稼げるのでは?
元は私の嫉妬から殺害を試みようと思った訳だが、今となっては動機はない。友香はもはや、私に殺される必要などないのだ。
だがこの状況、今すぐにでも恋治の凶行が及びかねない。
もはや友香に恨みはないが、これは緊急避難。生きる為には、友香を犠牲にしても許されるはず。
心は売らず、表面上だけ恋治に同意をし、共に友香を殺める。
その内にラヴァーソウルが来てくれるかもしれない。若しくは決定的な隙が見つかるかもしれない。
面と向かって対峙するより、遥かに安全といえるはず。
よし、そうしよう。これは正当防衛で、仕方のない行いだ。
第一、私が恋治への興味をなくしただけで、友香が私を裏切った事実は変わりないのだから。
…………
…………ほんとに、そうなのか?
友香は恋治が好きなのか? 私たち二人の仲を、本当に引き裂こうとしたのか?
上辺の恋治に騙されて、ラヴァーソウルの笑みにも引っ掛かり、そんな私の思い込みが、果たして本当に正しいのか?
考えろ、愛子。事実だけを見て、考えろ。
友香は私の親友で、私の為に身を呈した。それは紛れもない過去の事実。
最近の友香の変化は眼鏡を外したこと。恋をしたからと決めつけたが、たかが眼鏡の着脱なんて、誰にだってありうる些細な事柄じゃないか。
そして私の恋を都度妨げたこと。それはまさか――
友香は早乙女恋治の犯行に気付いていた、若しくは疑惑を抱いていた。
これは憶測で、証拠なんてまるでない。
しかし冷静に考えれば、友香の性格上こちらの方が遥かに自然だ。
そしてそれらの誤解を信じてしまった、とある言葉とは――
”きっと、友香は愛しているのねぇ。とても深く愛している”
ラヴァーソウル。
濁してはいるが、あの女が発したこの言葉が思考の余地をシャットアウトした。
しかし恋の女神が言う以上、友香は誰かしらを愛しているのかもしれない。
では友香は何者を愛していたのか。そんなのは、決まってる。
私だ。私しか、いないじゃないか。




