ティータイム&ディスフォリア
前を進む千秋の後を付いていくが、言うだけのことはあって足も長く、歩幅も広いのでとにかく早い。
加えて歩調を合わせる気などさらさらないのだから、その足はぐんぐんと先へ向かっていく。
「今日は、この後お仕事ですか?」
「…………」
外を出るに最低限の化粧。靡く髪束に以前のような潤いはなく、ごわついている。人波を裂いて流れる空気からは、甘いバニラの香りに混じり僅かに鼻をつく煙臭さ。
「ご年齢、二十歳でしたっけ。お住まいはご実家ですか?」
「…………違ぇよ」
一本線が入ったような体のライン。後方に押し出すような腕の振り。その先端に続く指先は白魚のように細く、そして飾らない、清潔感のある指先だ。
「モテますよね。若者のみならず、実はおじ様からのご人気もさぞや高いのでは?」
「さっきからごちゃごちゃうるせぇな! 黙って付いて来いよ!」
小野千秋。こいつ――馬鹿だ。
感情を抑えきれない時点でお察しだったが、会話ともいえない会話の中で、それがより明白になる。
「ラヴァーソウル。こいつは私一人でなんとかなる。だからさ――」
「おいチビ、また何か言ったか?」
「いいえ、何も」
千秋の向かう先はカフェだった。
人目に付きたいのか、付きたくないのか、疑問符の浮かぶチョイスだが、千秋からすれば恋治先輩の目に付く危険のない場所であれば、もはやどこでも良いのだろう。
店内に入るも注文すらせずに席へと向かう千秋だが、場所取りをしておくほどの混雑とも言い難い。
まさか何も注文を頼まずに、話だけして決着するつもりだろうか。
ここで私は一人カウンターへと向かい、アイスティーを二つ頼むことにする。
別に店員への配慮でも、片側に毒を盛ってやろうとかそういうつもりはない。
私と店員のやり取りを目にした千秋は、おもむろに席を立つと側まで寄ってきて、黙ってお金を叩きつけて席へと戻っていった。
千秋の使うコンディメントなんて知らないが、適当に掴んでトレイに載せると、露骨に敵意を剥き出す千秋の前に腰掛ける。
「チビ」
「愛子です」
「どうでもいいから。私があんたに言いたいのは一つだけだ。恋治から離れろ。お前じゃ役不足なんだよ」
「私、そんなに大それた人間ではないですが」
「褒めてねぇんだよッ!」
役を演じる一端ならば、配役に関する言葉の意味くらい理解しておけ。
「まあいい、とにかくお前じゃ恋治とは釣り合わない。チビでデブで、業界の者でもなければ金持ちですらないだろ? 分かったら大人しく、身の丈にあった冴えない男を探しなよ」
「お言葉ですが、千秋さんなら恋治先輩に相応しいのですか?」
「何を言うかと思えば、そりゃあお前よりかは――」
「体を売っていても?」
「……なっ?」
途端に動揺の色を浮かばせる千秋。
なんと分かりやすい、行きがけの問答でもそれが顕著で、痛いところをつかれた場合は肯定しない。
違うものは違うと言うが、本当ならば咄嗟に違うと口に出せない。
小野千秋は嘘を吐くのがど下手くそ。
「てめぇ、何を言って……」
ここにきてもまだ否定できないとは。千秋、あなたには役柄を担う仕事は向いていないよ。
洗う頻度の多い髪質、煙草の煙臭さ、そして短く清潔な爪の先。あなたの体は、あなたの人生の全てを物語っている。
光と影、そのどちらもくっきりとね。
「分かるんです。私、母がそういう仕事をしていたものですから。私は母子家庭で育ったのです。だからなんとなく分かるんですよ。チビとかデブとか言われるのはもちろん腹が立ちます。ですが身の上を知れば、尊敬できるところもあるんです」
「何を、知ったかぶりやがって……」
ご名答。知ったかぶりだよ。私は両親共に健在だし、母をこれっぽっちも尊敬していない。
しかしあなたの疑惑は既に早くも、信じるべきかの疑惑に変わっている。
「ご苦労されていると思います。モデルとしてやっていくのは大変なのだと思います。会社勤めと違って、お仕事だって安定してる訳じゃないですもの。そんな辛く厳しい生活の中で見つけたのが、恋治先輩への恋心、そうではないのですか?」
「う……あ………」
遂に千秋は、はぐらかすことさえも儘ならなくなった。
でも分かるよ。あなたは優しさに飢えていて、理解者を欲している。
ただの一つ、私があなたの分の飲み物を頼んだだけで、善意と感じたあなたはすぐにお金を支払いに来た。
根は素直で、故に直ちに行動に走ってしまう。
「分かります、だって素敵ですもの。誰だって好きになります。私も恋治先輩のことが大好きです。面と向かって腹が立つかもしれないですが、同時に仕方がないという気持ちも分かるはず。事実、あなたの仲間内でも恋心を抱く者はおりませんか?」
「それは……もちろんいるさ」
「悔しい、自分のものだけにしたい。その気持ちも分かります。私は学校を同じにしてますし、目に見えないところで何が起きているかというのは、無性に気になってしまいますよね」
だって、私も気になるもの。モデルとして活動する恋治先輩が、私の及ばない世界で何をしているのかを。
だからこそ私は、その不安を理解することもできる。
「ね……寝れないんだよ。気になって、気になって……気が付けば行動しちゃうんだ。いても立ってもいれなくて」
俯く千秋は身を小刻みに震わせる。モデルとしてのコマチの殻が破れ、小野千秋の弱き心が露となる。
しかし私は変わらない。本心を垣間見せた千秋に対して、上に出ることも下に出ることもせず、変わらず凛として対応する。
「理性で考えるより先に動いてしまう、それほどに恋治先輩のことが好きなのです。それは誇るべきこと。そして私は、そんな千秋さんを応援します」
「――――え?」
怒りから動揺、続いて共感。そして呆気に取られる千秋の思考は、もはや完全に置いてけぼりをくらっている。
もちろん応援するだけでは駄目だ。そんな聖人みたいな人間、あまりにも現実味が無さすぎる。
だからこれは宣戦布告で、スポーツマンシップに則った意志表明。
「私も諦める訳ではありません。千秋さんは学校を共にする私が憎かった。でも私も同様にモデルの領域には手が出せない。私は学生として、千秋さんはモデルとして、お互い違う部分で恋治先輩にアプローチできるはず。であれば私とあなたは五分と五分。私は正々堂々と恋愛をします!」
「そ、そんなこと……信じられる訳が……」
「私は高校二年生の小娘ですよ。人生経験の豊富な千秋さんには戦略だって敵いません。できるのはこうして、誠実さを伝えるのが精一杯。私だって、いつ裏切られるか今も不安に怯えているんです」
ここで私は、ようやく自分の不安を吐き出した。
これまでの私の気丈な振舞いは、千秋の目からすれば無機質な機械にすら見えたかもしれない。
しかし私は人間で、恐怖もあれば怯えもする。饒舌だった私が途端に黙りこくると、千秋はゆっくりと身の上を話しはじめた。
「……私は、馬鹿だよ。幾つになってもお馬鹿。モデルに憧れて、高校辞めて家を出て、男に騙されて借金抱えて、気が付けばこれだ。体を売って日銭を稼ぐ日々。薬に頼って、自殺だって考えたこともある」
「……千秋さん」
「そんな折に出会ったのが恋治だ。本当のことは言えないけど、恋治の笑顔は私の心を清めてくれた。恋治の優しさなら、私の罪を赦してくれるように思える。恋治は私に生きる道筋を照らしてくれた、大切な人なんだ」
ふーん。
「あなた、潔いのね。自分がより醜く感じるよ」
「そんなことはありません。先程言ったように、私はあなたを尊敬してます。心は売らない、気高く生きる小野千秋という人間を」
千秋の瞳には潤いが、私も合わせて涙を浮かべる。好きであり続けることは辛くって、味方がいないのであればなおさらだ。
人は共感を好む生き物だが、一人で生きてきた千秋にはそれがなく、敵だと認識していた私から掛けられた言葉は。思いのほか理解を示すものだった。
カフェを出れば、そこは新しい世界。
道行く人々には一寸たりとも変わらぬその世界は、私たちからすれば新しく開けた新世界。
そして私たちは向かい合う。腰を折り、視線を合わせる千秋の顔に以前のような迷いはなかった。
「これが、あなたの見る世界か。私の見る世界より、ずっと広い」
「それ、馬鹿にしてます?」
「あはっ、そうじゃないよ」
朗らかな笑顔を咲かせる千秋、私も合わせて微笑み返す。
「ありがとう、少し心が軽くなったよ。私は今まで体を売る自分に引け目を感じていた。周りに知れたらと思うと怖かった。自分に自信が持てなかったから、他人を蹴とばすことばかり考えていたの。でも、これでふっきれた。私も絶対諦めない。愛子、あなたとはライバルだけど、正々堂々戦いましょう」
晴れ渡る空の下に見つめ合い、互いに頷き合うと、双方踵を返してその場を去る。
心を決めた千秋は、もう振り返ったりはしない。
気高く強く、前を見て生きていくと、そう誓いを立てたのだから――ってか。
当然、私は振り返る。
そして唸る。
過去に推しキャラを巡り鍛えられた、私の爆速タイピングが!
伊邪那美町周辺のエリア。本日出勤。十七時以降。長身かつモデル体型若しくは瘦せ型。Bカップ。スリーサイズは目視で八十・五十八・八十六。年齢は誤魔化している可能性も鑑みて十八から二十二。学生詐欺の可能性もあり顔写真は無しあるいはモザイク。エトセトラエトセトラ……
いたよ。
伊邪那美町店舗型サロン、伊邪那美ラブ学院。源氏名は、ヨシコ。
該当は何人かいたが、SNSの投稿とサイト日記の投稿から見ても、時間的な違和感はない。
そして何より日記の文章。文章の癖や絵文字の使い方がSNSとまるきり一緒だ。これじゃあまるで、バラしてくれと言っているようなもの。
さようなら、小野千秋。
あなたは恋のライバルはおろか、モデルとしての人生も終わりを告げたのよ。




