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ランチタイム&ユーフォリア

 今日は待ちにまったランチデートの当日。

 この日を境に私は一線を越えるのだ。知人や友達という一線を越えて、特異のラインに踏み入れる。

 早乙女恋治にとっての特別になれることを願って。


「どうかな?」

「可愛いわぁ、とぉっても美しいわよぉ。愛子」


 卸したての白のワンピース。色々と迷った末に私はそれを選んだ。

 ラヴァーソウルとお揃いで、白色は神性を表わす。それは明るさや清純を意味しており、そして真実を意味する色。

 化粧は不慣れな私に代わってラヴァーソウルが施してくれた。

 元の顔を崩さない薄めの化粧で、その色は赤が基調。赤は当然、燃えるような愛を意味している。

 白と赤、故に答えは真実の愛。

 装いにはテーマが肝要だ。私の今日のスタイルは、まっさらな心に愛だけを標す、神に見初められし愛の子なのだ。


 待ち合わせの時間は十二時だ。

 少し早めに着くべきか、わざと遅れるという恋愛テクニックを使ってみるか。頭を悩ませたが、ラヴァーソウルは早めに出ることをお勧めした。

 恋愛テクは凡そ大衆を落とす為にあるもので、早乙女恋治という個人を落とすものではない。

 恋治先輩は交友関係に明るいし、小細工を弄する女も沢山いるだろう。よって常日頃から待たされるケースも多いはず。

 うんざりしているか、意図を知っているならば最悪だ。深層心理をつく恋愛テクニックを理論で解釈されれば効果は半減、むしろマイナスにもなりかねない。


 約束の場所は伊邪那美(いざなみ)駅。

 伝統と革新の折衷した由緒正しき町だが、最近改装の済んだ駅前は革新ばかりが目に付く。心なしか寂しさを覚えるが、私の心と同様に、旧きものは自然と淘汰されていくのが宿命なのだろう。

 待ち合わせ場所に恋治先輩の姿はまだなかった。

 しかし待つのは好きだし慣れている。以前の恋愛では、アニメの開始前からずっとテレビに張り付いて、来たる放送を心待ちにしたものだ。

 約束の時間の五分前になると、恋治先輩の姿がロータリーに降り立った。

 恋治先輩も私に気付いてこちらに手を振る。すかさず私も手を振り返すが――


 こういう時って、どうしていいか分からない。

 じっと待つのが正なのか。駆け寄るのが正なのか。忙しなく挙動する者もいれば、とりあえず端末でも眺めている人もいるかもしれない。

 ならば私は見つめよう。微笑みながら、恋治先輩を見つめよう。

 目を瞑れば出会いの全てを想い返せるように。瞳は録画機よりも精密に、恋治先輩だけを焼き付ける。


「ごめんね、待ったかな? 柊さん」

「いえ、私も来たばかりです。お気になさらず」


 ちぇ、まだ”柊さん”か。まあ仕方がない、呼び名の定着なんてそんなものだ。

 それに出会って五秒で即昇天など、アダルト企画にもできないお笑い話だ。


「あの……さ、愛子って呼んでもいいかな?」


 ふう……念の為の下着の替えが早速役に立ちそうだ。


「だ、大丈夫? 蹲って……そんなに名前で呼ばれるのは嫌だった?」

「いえ、ただ少し眩暈がしただけです。名前で呼んで頂いて構いません。むしろとてもイイ――嬉しいです」


 心配からか、不安げな顔を覗かせる恋治先輩。

 仮にその手が背に触れたなら、私は再び飛べるはず。私は何度だって、飛翔することができる。

 とはいえ名前を呼ばれるごとに、いちいち恍惚としている訳にもいかない。碌に話も続かないし、あわや変人に見られてしまうこと請け合いだ。

 賢者ならぬ尼へと変体を遂げた私は、微笑み返して恋治先輩の横に並んだ。


 ながら歩きは悪だという。

 その本質が注意散漫だというのなら、私の行いは大悪だ。右脇を歩く恋治先輩の横顔、今の私にはそれしか目に映らないのだから。


 行き先は駅中ではなく外だった。

 大通りの裏手にあるその店は、一見しただけではレストランとは判別しづらい。

 自然美を思わせる日本庭園や英国式庭園と違い、幾何学から織り成される洗練されたガーデンスタイル。

 広大な平地を利用したイタリア式庭園、それをミニチュア化したような自然を利用した革新美。

 つまりはイタリアン。食べたことのない者などいない程に世に浸透しているが、それは行き慣れたファミリーレストランのなんちゃってイタリアンであり、私は本格的なイタリアンを口にしたことなど未だかつて一度もない。

 少しカジュアルなイメージはあるが、厳格なマナーはあるのだろうか。

 そんなこと、平凡な一高校生の小娘には分からない。


「ちょっと、ラヴァーソウル……あなた、マナーには詳しいの?」


 息衝くようにこっそりラヴァーソウルへと問いかける。

 神ならばそれなりの知識や見聞はあるはずだと、そう期待したのだが……


「断片的にしか分からなぁい。マナーって、ここ数百年でできた浅い歴史でしょう? それに私、神だものぉ。神は気遣われる立場でぇ、気遣う立場じゃないからぁ」


 おいおい、この女にとっては数百年も浅い歴史か。いったいどれほどの時を生きてきたというのか。

 しかし困った。このままでは私の無知が無礼を働いてしまうかもしれない。恋治先輩を幻滅させてしまうかも。


「だけどぉ、美しい所作というのは必要ねぇ。美は行動に現れるものぉ。それが統一し基準とされたものならぁ、それほど簡単なことはないわぁ。おぼろげで良ければフォローはするけどぉ。大丈夫、これは大人のマナーであなたは子供。これから学んでいけば良いのよぉ」


 言う通り、マナーが完璧という学生は珍しいかもしれない。

 とはいえやはり気にはなる。そんな不安を察してか、恋治先輩が私の顔を覗いた。


「あまり固くならなくて大丈夫だよ。ここはそんなに格式高い訳じゃないし、ラフな客だって普通に来てる。父は忙しいから、晩御飯がてらに使うことも多いんだ。純粋に料理を楽しむことが主人の言うマナーさ」


 と、恋治先輩はそう言うが、本当はもっと気楽なお店の方が良いと感じた。ここを選んだ理由には、本当は人目に付きたくないということがあるのかもしれない。

 でもそれを恋治先輩は言わない。私と二人でいることが不利益を被る可能性、言えば私の心を傷付けるかもしれないから。


 先を促され中に入ると、そこは豪華絢爛な宮廷風というよりは民家を思わせる古風な造り。異国の情緒ながらどこか昔懐かしく、確かに肩肘張らせるような仰々しさは感じられなかった。

 席へと促され、メニューを見るはいいものの、恥ずかしながらよく分からない。

 普段ファミレスや家で口にするようなピザやパスタ、トマトやオリーブオイルのイメージが強いが……はて、コース料理に含まれるポルチーニ茸とは一体。

 まあ良い。私にとってのメインディッシュは、あくまで恋治先輩なのだ。


「愛子には本当に迷惑を掛けたね。恵美の件、心から悪いと思ってるんだ」

「大丈夫です。それより早く、行方が分かるとよいですけれど……」


 なんて、思ってもないことを口にしてしまった。

 しかしある意味嘘ではない。恋治先輩に好かれるという行動は全てが真実で、嘘偽りない私の正義なのだから。


「あんな酷い仕打ちをされたのにかい?」

「人命には代えられません。それより、恋治先輩の方こそ大丈夫ですか? 一悶着あったとはいえ、お知り合いです。私にはそちらの方が気掛かりで……」


 少しの陰りを見せる恋治先輩。哀愁が漂いなんとも言えずかっこいい。

 しかしその顔は悲しみというより、憂いの念が見え隠れするようにも思える。


「気掛かりといえば気掛かりさ。でも自業自得だと思ってしまう自分もいる。恵美は恨みを持たれるタイプだったからね。皆は自殺と噂するけど、僕は別の可能性もあると思ってる」


 さすがに鋭いね、恋治先輩。確かに恵美の失踪は自殺ではない。

 だからといって犯行ともいえない。何故ならそれは――


「天罰、かも」

「え?」

「いえ、特に信心深い訳ではないのですが。それは人の手の加わらない神罰かもしれない。良いことも悪いことも、神様は全て見ているような気がするんです」


 犯罪ではなく神罰。

 神は元来、人の心を清める為に存在するのだ。神罰だと思えば、少しは恋治先輩の心も救われるかもしれない。


「そういえばマナーの事だけどぉ、宗教の話は駄目みたぁい。飲食店ってぇ、神様はお断りなのかしらぁ」


 どうでもいいわ。


「そっか、つまりそれは僕らも見られているのかな?」

「きっと。でも神様は天罰だけではなく、天恵をもたらします。私たちに与えられるのはきっとそっち」

「そう……だといいね」


 そうだよ、恋治先輩。恋治と愛子、私たちは二人合わせて恋愛なのだ。

 それは決定付けられた、結ばれるべき神の定めた運命だもの。


「愛子って、人とはちょっと違うよね」

「それは変わってる、ということでしょうか」


 意地悪な返しに聞こえるが、別に悪意はない。よく言う茶目っ気というやつだ。

 恋治先輩もそれを分かって、笑みを零して首を振る。


「ううん、そういう意味じゃないけど、でも人とは違う。それは変わってるということじゃなくて、特別だということ。僕の周りは陽気な奴が多いからね、愛子といると自然と心が安らぐよ」

「それはとても光栄です。私の陰キャをお気に召して頂いて」

「意地悪だなぁ、愛子は」

「ふふ」


 うふっ。特別、ですって。


 うひっ


 その後は恵美の話題も控えめに、取り留めも無い話を口にした。

 私はなるべく聞き役に徹する。聞き上手はすこぶる印象が良いという戦略もあるが、単純に声を聞いていたいというのが素直な心。

 恋治先輩と二人だけの空間だなんて、まるで夢のような時間だが、そのぶん終わりを告げるのもまた早い。

 気が付けばあっという間に時は過ぎ、そろそろモデルのお仕事の時間が差し迫る。


 恋治先輩は一人で会計を済ませた。

 もちろん私は支払う素振りだけを見せることにする。

 こう言うとケチな女に聞こえるかもしれないが、仮に私が全額払ったとしても何も惜しくはない。むしろ本音を言えば、全額払いたいくらいだ。

 しかしそれでは男のプライドを傷付ける。この場は恋治先輩を立たせ、次の機会は私が支払うということで落ち着いた。

 帰りの駅までの道のりも、私は恋治先輩の横に収まった。ここが私のあるべき居場所で、この上ない多幸感に包まれる。


「今日は付き合ってくれて有難う。最後は慌ただしくなってごめんね」

「いえ、そんなこと。それよりお仕事頑張ってください。心より応援してます」


 別れ際にキスをしたいと、そんな衝動に駆られる。

 だがそれはまだ早い。私も女を磨かなくては。恋治先輩に相応しい、美と知を磨いていかなくては。

 改札の向こう側、群衆に紛れて消えていく恋治先輩。

 それを見届け、名残惜しくも背を向けた。


「どけ、チビデブ」


 唐突、本当に突然のこと。振り向きざまに言われた一言がこれだった。

 言い返す間もなく、すらりと伸びた百八十近い巨女は、潤んだ黒髪を靡かせて、つかつかと足早に改札の向こう側へと行ってしまった。

 なんとも不快な女だが、改札前で突っ立っていた私も全く非がない訳ではないし、それに些細な悪態程度で、輝かしい一日を台無しにしたくもない。

 とっとと忘れて、今日の想い出にでも浸ろうかな。


「今の女――」

「なぁに? ラヴァーソウル」

「多分、モデルさんねぇぇぇ」

「!?」


 振り返るとまだ見える女の背中。頭一つ抜けた女の向かう先は、恋治先輩と同じホームの番線。

 もちろん偶然という可能性が高いのだが、しかし先程の暴言。いくら捻じれた人間でも、さすがにそこまで罵るだろうか。

 どけだとか、邪魔という一言だったらありうるかもしれない。だがチビデブというのはあまりにも辛辣だ。

 まさか、私と恋治先輩の別れ際を見ていたのでは? ラヴァーソウルの言うことが真実であれば、あいつは恋治先輩の同業なのでは? 嫉妬を抑えきれずに、暴言を吐き捨てたのでは?

 そして恋治先輩を追って、偶然を装い傍らに身を置く。


 まだ、私の居場所は指定席にはなりえないようだ。

 近い内に実現させるが、しかし学校外の人間となると……


「敵意を隠せない幼稚な女。すぐにでも愛子の前に、再び姿を現すでしょうねぇ」


 確かになるほど、それなら話は早い。

 報復の段取りは必要だが、今しがた感じた女への違和感。

 それが明らかになりさえすれば――

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