[短編]お味噌汁で献杯する冬の飲み屋
「寒いねぇ〜!熱燗頼むよ!」
「あら。武藤さん、お久しぶりね」
赤提灯だけが目印の裏通りの飲み屋。
ちょっと粋なおかみさんが1人で切り盛りする小さな飲み屋だ。
武藤武夫は、いつも通りのカウンターの席に腰を落ち着かせた。
年末進行の仕事に振り回されて、この飲み屋に来るのもひと月ぶりだった。
お通しの漬け物を食べながら、手酌で熱燗を飲む。
焼き鳥の注文を済ませて、煙越しのおかみさんの顔を見ていて、武夫は思い出した。
「なぁ、佳彦は?」
武夫と同じ苗字の武藤佳彦は、この飲み屋で知り合った。
いつも同じ時間に店に来るし、同じカウンターに座る。その上、同い年の同じ苗字となれば、話をするのも当然のことだった。
武夫も佳彦も同じように恰幅が良い体つきで、二人で並んで呑んでいるといつも兄弟と間違われた。
その度に、自分の方がいい男だと言い合うのがお決まりだった。
ひと月ぶりの飲み屋に、佳彦の姿は無かった。
おかみさんが焼き鳥をくるくると回しながら、煙の向こうで言った。
「亡くなったわ」
「え」
武夫は聞き間違いかと思った。
けれど、黙ったままおかみさんを見つめていると、そうではないのだと分かった。
ビールのおかわりを大声で叫ぶ知らない客の声がやけに耳に残った。
佳彦は闘病生活の中、この飲み屋に来ていた。
「いつもここでだけ、ちょっと豪勢に食べるのが楽しみでした」
佳彦そっくりな顔をした娘さんが店に来て、おかみさんに言ったそうだ。
武夫は、黙々と飲んで食べていたらしい。
気付けば、焼き鳥の串だけが皿にのっていた。
武夫は佳彦の家も電話番号も何も知らない。
いつもこのカウンターで会って、酒を飲んでいただけだ。
「おかみさん、赤だしのあさりのお味噌汁と、焼きおにぎりを頼むよ」
「…おにぎりは、いつも通りに2つ?」
おかみさんに聞かれて、武夫は黙って頷いた。
いつも2人で飲んだ時のシメは、この味噌汁と小さな焼きおにぎりだった。
焼き鳥の焼き台で炙る小さな2個のおにぎり。
それを2人で分け合って食べて、帰っていた。
「お前の分も食べるよ」
武夫はそっと味噌汁のお椀を掲げると、
「献杯」
と言ってから箸をつけた。
その味噌汁は喉に詰まって、なかなか飲み込めなかった。
ずずっと、鼻をすすりながら、焼きおにぎりを口にした。
鼻が詰まって、いつもより味がしなかった。
冬の風に、外の赤提灯が揺れた。