チート主人公が遺した娘の話
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「お父さん……」
「サクラ…いいかい…いつか必ず勇者が現れる…たのむ…ここで勇者を待ち…ともに…世界…を…」
「しっかりして、お父さん!サクラを一人にしないで!」
「…大…丈夫…俺は…お前の心の中で…生き続……け……」
「………お父さん?……お父さあああん!!」
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落ち葉を踏みしめながら薄暗い森の中を歩き続けている。王都へ向かっているはずだったのだが、どうやら正規ルートから外れてしまったらしい。途中から舗装がされていなかったことにもっと早く気付くべきだったが、そもそもの舗装がガタガタで機能していなかったのもあり、気付くのが遅れてしまった。
方位を探ろうにも方位磁石はクルクルと楽しそうに、あるいは嘲笑うように回ってしまっていて役に立たない。さらに木々が空を覆うように高く伸びてしまっているため、太陽から方位を知ることさえも難しい。
「……まずったな、これは」
トボトボと歩きながらも、確かにここは迷いの森と呼ぶに相応しいなどと、現実逃避に近い感想を抱いていた。
他の森と違って魔獣がいないことだけが救いだが、それは逆に魔獣でさえも近付かないという意味でもある。良いか悪いかで言えば……最悪と言うべき状況だ。
ここに留まっていても救助が来るはずもないので、薄気味悪さすら感じながらも出口を求めて慎重に歩く。いざとなれば野宿するしかないが……川音も無く、水もまともに確保出来ない中での野宿は出来れば避けたい。
最悪を想定しかけた時、ふと鼻腔を何かが刺激した。こんな場所では絶対にありえない匂いに困惑し、一瞬自分の嗅覚を疑う。
「………パンを焼く匂い?まさか人が住んでいるのか?迷いの森の奥中で?」
期待感と不安で心臓の動きを早めながら、匂いのする方へと足を向けて歩いた。右を見ても左を見ても同じ景色でしかないが、匂いだけは一方向から香ってくる。今はそれを頼りに歩くしかない。
数分か、それとも数十分か、あるいはほんの数秒か。もはや時間さえも見失いつつある中でしばらく歩いていると、一軒の家屋が姿を見せた。家屋は丸太で作られたログハウスで、こんなところで作られた割にはかなりしっかりとした作りをしているように見える。周囲の木々を使ったためか、この周辺だけ拓けていた。
「……マジかよ、本当に家じゃないか……!助かった……!」
早る気持ちを抑えながら、ゆっくりとログハウスの玄関へと歩いて上がる。そして慎重にドアをノックした。
「ーーひっ!?だ、誰!?」
女の子の声だ。このような森の奥深くに住んでいるのだから世捨て人かと思ったのだが、それにしてはかなり若い。いや、幼い。
「驚かせてすまない!俺はオーギュスタンと言う名の旅人だ!森の道から外れてしまい、ここまで迷い込んでしまったのだ!すまないが森の外へ出る道を教えてはくれないだろうか!」
ここで少女に見捨てられたら、今度こそ野宿を覚悟しなくてはならない。なんのあてもないまま、あの森を歩き続けるわけにはいかない。せめてそこの井戸だけでも使わせてほしいところだ。
俺が必死に祈る中、ドアがゆっくりと開けられ、中から半身だけ出して黒髪黒瞳の少女が顔を出した。声色に違わぬ幼さで、おそらく年齢は13,4くらいだろうか。奇妙なことに、屋内にも関わらず帽子を深々と被っていて耳まで隠れてしまっている。
「………た………旅人さん……ですか?」
「そうだ。ああ、顔を見せてくれてありがとう。それで、もしよかったら帰り道だけでも教えてくれるとありがたいんだが……」
少女はどこか迷うように、俺のつま先から頭までを交互に何度か見比べている。やがて空の儚さに気付くと、少し怯えながらも俺の目を見つめ直した。
「あの……で、でも……もう暗い…です…」
よほど怖いのか、彼女は先程から涙目だ。しかしそれでも、俺を見捨てようとはしないでくれた。それどころかーー
「と、泊まっていって…ください……」
「え?それはとてもありがたいけど……良いのかい?」
「夜の森は、すごく危険です、から……」
野宿を覚悟していた手前、正直願ったり叶ったりなのだが、あまりにも怯えているので申し訳なくなってくる。
「えっと、それなら君のお父さんかお母さんとも話していいかな?一応、怪しい者ではないことを表明しておきたい」
「………っ、いえ、あの」
少女は拓けた土地の一角にある、苔むした岩を指差した。いや、ただの岩ではない。あれは……。
「父はもう、起きません、から……。母も、いません……」
「………そうか。なら、君のご厚意に甘えるよ。ああ、誓って君を傷付けないと約束する」
「……あ、ありがとう、ございます……どうぞ……」
声が震えている。本当はすごく怖いはずなのに、勇気を出して俺を助けようとしてくれているのだろう。その優しさに俺は久しく感じなかった胸の温かみを感じていた。
案内されたログハウスの中は小綺麗にまとまっていて、清潔感が感じられる。また天井が高いためか外で見るよりも開放感があった。天窓からは星が見え、テラスまで用意されているではないか。
確かにここには二人で住んでいたらしい。一人で住むには広さを感じさせすぎる。
少女はこちらを時々気にしながら、すでに用意されていたウサギ肉のスープとパン、サラダに加えてもう一品追加してくれた。動物の内臓を塩漬けにしたもので、常備食としては一般的だ。よくパンに挟んで食べられている。王都では比較的安価で買える物だが、この動物もロクにいない森の中で作るのは大変だろう。
「すまない、とても気を使わせてしまったね。随分と豪勢な夕食を頂いてしまうようだ。動物肉も塩も、ここでは貴重だろうに」
「も、森の外なら、動物を狩れます……海に行けば、塩も採れます、から」
その意外な返答に、思わず眉が上がった。狩りに、海だって?
「もしや君は狩猟もできるのか?しかも製塩も自分で?てっきり買い出しに行ってるのかと」
「父の直伝…です」
「このパンとサラダは、どうやって…?」
「小麦と野菜は、畑にあります。服の生地だけは、村に行ってお肉と交換してます」
「原材料を自家栽培してるのか!?まさか服も自分で縫って…!」
「は、はい……」
少しだけ誇らしげに、しかし控えめに話す少女に感嘆の念を禁じえない。素晴らしい生活力だ。見た目は子供だが、やっていることは全て大人顔負けの仕事ぶりではないか。
「じゃあ本当にすべて一人でやっている訳か。君はすごいな……それほどの生活力があるなら、王都でも仕事がありそうなものだけど」
「……父にここを守るように、言われました、から」
これほどまでのポテンシャルを持つ少女が、父の遺言に従って森に縛られ続けていいのだろうかと、部外者でありながら感じずにはいられない。この子なら将来結婚相手にも困らないだろう。
しかし彼女には彼女の生活がある訳だし、俺はまさにそんな彼女のおかげで命を拾うことが出来たのだ。だから俺には、彼女の生活に口を出す資格はない。
一人思考の海を泳ぎそうになった時、「あ」という小声とも息遣いともとれる音がした。
「お風呂、沸かしますね……!」
「オフロ……とは?」
「ここで、お待ち下さい…」
彼女は詳しい説明をすることなく、静かに外へ出ていった。オフロ……聞いたことの無い響きだ。
「お、おお…!?なるほど水浴びならぬ、お湯浴びって訳か!」
それは丸太を組み、その隙間を焼いた土で固めた大きめのバスタブにお湯を入れた物だった。どうやらバスタブの中に焼石を入れて水を沸かしたらしい。しかも焼き石の上には木の板が張られていて、火傷しないように配慮されている。
生まれてはじめて経験するオフロは、旅の疲れを根こそぎ奪い去るかのような、癖になる快感だった。この全身をお湯で包まれる気持ちよさはシャワーでは味わえない。
「それにしても一体彼女はどうやってこれだけのお湯を用意したのだろうか……?焼石もそうだが、水も結構な量だ。あの井戸から汲み上げたというのか?」
考えてもわからないが……少なくとも、これほどの量のお湯を毎日使えるということは、水の確保にも不足はないらしい。
外敵はおらず、何もないようで必要なものは十分に揃っているこのログハウスは、社会から逃れてくるには最適な場所に思えてくる。むしろ整いすぎていて、見方によっては貴族の避暑地のようだ。ただ、それでも不便な環境であることに変わりはない。
苔生した墓にチラリと目を向ける。彼が前途ある少女を死後もここに留まらせる理由は、一体何なのだろう?
考えても仕方がないとオフロから上がった後は、少女へのお礼もそこそこに、すぐに寝入ってしまった。やはり自分が感じていたよりも疲れていたようだ。
随分久しぶりに床や地面で眠らずに済んだことを感謝しながら、何日ぶりか分からない深い眠りについた。
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「ん……月…か」
月明かりが眩しくて、思わず目を覚ましてしまった。もう一度眠ろうと体を横にすると、隣から呻き声のような、苦しげな呼吸音が聞こえてきた。
「い、いや…!お父さん…!お父さん…!!」
悲鳴?……いや、あの子がうなされているようだ。
「一人は嫌…!起きて…!起きて、お父さん……!」
……辛い夢を見ているようだ。寝顔を見ることは流石にしないが、やはり心配なのでベッドを仕切っていたカーテンの近くまで寄って、声をかける。
「……おい、大丈夫か?」
「お父さんっ!?……え、あっ!?み、見ましたか!?」
余程驚いたのか、慌てて布団を頭から被ったらしい。恥ずかしいよな、そりゃ。カーテンを開けなくて正解だった。
「いや、うなされていたようだから心配しただけだ。寝顔は見てないから安心してくれ」
「そ……そう、ですか……ありがとうございます……」
「こちらこそ。じゃあ、おやすみ」
「……っ、はい、おやすみなさい……」
少女の穏やかな寝息を確認してから、俺はもう一度眠りについた。どうかいい夢が見られますように。
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今日も無事に冒険者依頼を達成し、ギルドへ依頼達成を報告した。それほど難しくない討伐依頼だったが、住民たちにとって脅威であることに変わりない。
「依頼達成おめでとうございます、英雄殿!」
「ありがとう。けど、その英雄殿ってのは止めましょうよ」
「いえいえ!英雄殿は私達の希望ですから!またお願いしますね!」
いつもの元気の良い受付嬢から報酬を受け取り、私は冒険者ギルドから退出した。
英雄と呼ばれるようになったのは、ちょうど一年前。王都からほど近い山で暴れていたドラゴンを少数精鋭のパーティーで討伐した際、当時のパーティーリーダーが私だったからだ。そして偉大なる曽祖父の血統であることを理由に、周囲が過大評価した結果がこの英雄呼ばわりだ。
分不相応な呼び名だと常日頃言っているのに、何故か周りは訂正してくれない。本当に英雄と呼ばれるべきは、私の指示に従ってくれた仲間たちの方だと言うのに。
「……英雄、か」
いくら担ぎ上げられようとも、かつて勇者の再来かと目されていた曽祖父には及ばない。
既に魔王は復活し、遠方の国ではかなりの範囲で支配が広がってしまっているという。あまり持ち上げられ、曽祖父の代理として勇者扱いされてはたまらない。私に魔王を倒す勇気も実力もないことは、自分が一番よく分かっている。
宿屋で一息ついていたところに音もなくドアが開いた。そして一人の子供が、これも音もなくスッと中に入ってくる。布面積の少ないぴっちりとした肌着に最低限の装備……レンジャーのロニが隠密調査をする時の装いだ。
「セシル様ー。迷いの森における遭難者、今月だけでもう3人だってさー」
相変わらず緊張感が見られない間延びした高い声だが、報告内容は深刻だ。
「まだ第2週だというのに、3人か……」
「未確定なのも何人かいるから、実際はもっと多いかもねー」
私は冒険者業の傍ら、昨今の迷いの森での遭難事故について調べている。国王に報告するためだが、かつて偉大なる曽祖父が、まだ30歳という若さで消息を絶ったのがこの森であり、その足跡を追うためでもある。
現在、迷いの森を2つに割るように街道が引かれているが、それは当時私と同じく英雄とされていた曽祖父が遭難したことがきっかけだった。森には精霊が住まうとされ舗装が見送られていたのだが、国の宝が失われたことで当時の王家も緊急対応せざるを得なかった。
だがその道も雑草やヒビ割れで荒れてきていて、それが遭難者を再び増加させる原因になっている。森と道の境目が曖昧になり、自然と道から外れてしまうんだ。
流石に看過できず、国王には街道整備のお願いを続けているのだが、予算不足を理由に断られている。だが、それは無理も無いことだ。何故なら――
「それでも魔獣による犠牲者の方が多い…か」
「そうだねー王都周辺だけでも死者は5人、重軽傷者は16人だからね」
魔王の再出現により、魔獣達はどんどん狂暴化していた。
迷いの森には何故か魔獣が寄り付かないため、死体が他の魔獣を呼び出す餌になるといった二次被害が発生しない。外敵がおらず、綺麗にいなくなってくれるそちらに予算を割くくらいなら、現行の軍備増強、王都周辺の警備強化に金と人を回したくもなる。
それは人の命を数字として捉える、戦時国の考え方の一端だった。しかしそれ故に合理的でもある。それが理解できなくもないだけに、強くは言えなかった。当然、自費でどうにかできる問題でもない。まさに手詰まりだ。
だが、遭難者には子供も含まれている。本当にこのままでいいのだろうかという疑念は日々強まるばかりだ。
「いつも正確な情報を持ってきてくれて助かるよ。ありがとう、ご苦労さま」
「にへへっ!お安い御用さー」
鼻を擦りながらも得意気に、少年らしい筋肉の少ない薄い胸を反らしている。私がかつて失った子供らしさを見て、つい頬が緩んだ。彼はまだ幼いが、元情報屋らしくこの手の調査活動においては誰よりも信頼できる。
「部屋はもう取ってあるから、ロニも休むといい」
「ありがとー!夕飯は一緒に食べようねー!」
彼は入室時とは違い、華奢な体を踊らせながら賑やかに退室した。彼がシャワーを浴びて出てくるまでは、もう少しだけ一人で考える時間がありそうだ。
「……シュウジ様。あなたなら、どうなさいましたか……?」
現状を打破できないことで少し心が弱くなっているのかもしれない。アゼマ家初代当主にして歴代最強と名高い、尊敬する曽祖父の名前が口から零れ落ちた。
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俺は夜が明けて陽が高くなったのを確認してから、少女に道案内を頼んだ。一見するとどの木も同じに見えるのだが、少女が指摘した箇所をよく見ると特徴的な傷や、微妙に色や種類の違う木が混じっている。どうやらこれを辿れば外と自由に行き来できるらしい。
迷っていた時は延々と歩き続けたというのに、目印を辿れば数十分で外に出ることができた。目の前には海が広がっている。なるほど、これなら確かに塩を作りに行くのにそれほど時間はかからなさそうだ。
「本当に世話になったね。ありがとう」
「い、いえ……こ、困った時は……お互い様、です」
この妙に徳の高い言葉は、遠い異国のものなのだろうか。オフロもそうだが、時々彼女からは異文化を感じさせる。黒髪黒瞳もこの辺りではかなり珍しい。もしかしたらかなり遠い土地から流れてきた難民なのかもしれない。
「何か君にお礼をしたいんだが……生憎手持ちが何もないんだ」
「気にしないでください……その……楽しかった、です」
そう言いながらも少女はどこか寂しそうだ。物々交換も最低限に留めているらしいので、本当に人とはあまり話さないのだろう。
…………俺も別に次の行き先が決まっている訳でもない、か。
「ああ、俺も楽しかった。忘れがたいほどに。……ところで、もし君が良ければだが、俺と友達になってくれないか?」
「……えっ?」
「俺は基本的に一箇所に留まらないから、友達が少なくてさ。しばらくは王都を拠点にするつもりだから、時々君の家に遊びに行ってもいいかい?適当に王都土産を持っていくよ。それに、あのオフロとやらにもまた入ってみたいからね」
少女はその言葉の意味を飲み込むのに時間がかかったらしい。ひょっとして友達が出来るのも初めてなのだろうか。誰だって初めて食べる物は、口の中で吟味するものだ。
果たして十分に友達という単語を咀嚼した彼女は、照れ笑いを浮かべながら首を縦に振った。
「あ、ありがとうございます…!オ、オーギュスタン…様?」
「こちらこそ。でも、友達なんだから様はいらないよ。あー、ええっと……」
「あ…わ、私の名前はーー」
希望を見出したように瞳は潤み、弧を描いた唇がその名を紡いだ。
「ーーサ、クラ。サクラです」
「いい名前だ、サクラ。これからよろしく頼むよ」
「~~っ、は、はい…!よろしくお願い、します…!」
歳の離れた友人と固い握手を交わし、再会を約束する。ここは王都からは少し距離があるが、教えてもらった目印のおかげで出入り口としてはそれなりにわかりやすい。もう迷うことはないだろう。
サクラ……か。この辺りではあまり聞かない響きの名前だ。やはり、遠い異国の生まれに違いない。彼女にあの家を守れと命じた父親とは、一体どんな人物なのだろうか。
俺と友達になったことを彼女があまりにも喜ぶものだから、俺は正直浮かれていた。あの森で迷い、彼女と出会えたことを幸運であると誤解するほどに。
何故俺はこの時、彼女の友達になろうだなどと軽々しく言えてしまったのだ。
人と触れ合うことを恐れながらも喜び、友達を作れたことに希望を見出せる彼女が森の奥深くから出ようとしない理由を、どうしてもっと考えようとしなかったのだ。
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その日から、俺とサクラの奇妙な友人づきあいが始まった。王都で売っているお菓子や布生地を手土産に彼女の家に通い、食事とオフロを堪能する日々だ。俺は今までの旅で見知ったことを話、彼女は父親との思い出を話す。とても充実した楽しい時間は、俺が旅人であること忘れさせそうになるほどだった。
この日も俺達は王都で流行っている果実酒と果実水で乾杯しながら歓談していた。
「英雄さん、ですか?」
「ああ。昔、少数精鋭でドラゴンを倒したやつらがいてさ。それ以降彼らと、特にそのリーダーは英雄って呼ばれてるんだ」
「ふーん……」
あれ、反応が薄いな?
「あまり興味なかったかな?」
「あ、い、いえ!私のお父さんもよくドラゴンを倒していたと聞いてましたので、きっと英雄だったんだなって思って!」
なんだって?ドラゴンと言えば単独で複数パーティーを全滅させかねない危険なモンスターだが、それを何度も倒した男なんてそうそういないはずだが。
「……なんというか、すごい人だったんだな。ちなみにお父さんの名前は何と言うんだ?」
「シュウジ・アゼマです。私は物心つく頃にはもう森にいましたので、お父さんがドラゴンと戦うところは見たことないんですよね……」
眉を下げながらも、サクラはこれまで見た中でも一番誇らしげな笑みを浮かべた。なるほど、彼女にとって父は本当に尊敬する人物なんだな。
……ん?シュウジ・アゼマ?……いや、まさか、な。
「それほどの人物なら、図書館に行けば何か資料が残っているかも知れない。今度探してみるよ」
「本当ですか!?お願いします!お父さんのこと、私もっと知りたいんです!」
「ああ、調べてみる。何か分かったらすぐに教えるよ」
確か、英雄さんの名前が"セシル・アゼマ"だったはずだ。もしかしたらこの子は、英雄一家の血縁者かもしれない。俺だって旅人である前に冒険者だ。この時はあの英雄セシル・アゼマと繋がりができたかもしれない可能性に、少しだけ胸が高鳴った。
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「……あった。シュウジ・アゼマ……セシル・アゼマの曽祖父…か。随分と歳の離れた親子関係だったんだな」
ギルド管轄の資料室で、俺はアゼマ家の家系図や過去の栄光について調べていた。シュウジ・アゼマ…出自は不明。表舞台に出てきたのは彼が成人を迎えたばかりの頃で、自らを"転生者"と名乗っていたという。
「転生者…つまり、一度死んだってことか?不死者系の魔人…なわけないか。彼が生きていれば、詳しく教えてもらえたんだろうか。惜しいな」
彼は初めの頃、かなり好き放題に過ごしていたらしい。魔人が使う魔法とも異なる、"チート"と自称する圧倒的な力で数々の問題を解決し、同年代の少女たち相手にハーレムを作っては義姉妹を何人も作っていたという。
だがその実力は当時、いや現代の価値観で見ても圧倒的だった。セシル・アゼマのように少数パーティーで倒すだけでも偉業であるはずのドラゴン討伐を、なんと彼は単独で成し遂げたこともあるようだ。
「……マジ物のドラゴンキラーじゃないか。ソロ討伐とか、もはや人間じゃないなこいつは」
この国では、魔法とは魔族や魔女が使う邪悪なものと忌み嫌われている。そんな中、魔力を一切使わずに圧倒的な力を行使するシュウジ・アゼマはまさに英雄の中の英雄、女神に愛されし男だった。
他にも超能力の数々でこの国の文化レベルを押し上げたり、複数のハーレム少女達が彼の子供を身ごもったと自称する等、公式非公式問わず、彼の逸話は非常に派手だった。残念ながら、彼が好きだったというオフロは定着しなかったようだが。
「派手な割には、俺の国にはあまり伝わってきていないんだよな。いや、ちょっと派手過ぎたからか、あるいはこの国が囲い込もうとしたからかもしれない。セシルの方はかなり有名なんだがな。……ん?」
『――813年、迷いの森にて消息を絶つ。これが契機となり、迷いの森を貫くようにして街道が整備され、遭難者の数は――』
「813年…!?遭難だと!?」
つまり彼は約50年前に、30歳そこそこにあの森で遭難したというのか。いや、それはあり得ない。確かにあのログハウス周辺の環境は整っていたが、森の外で肉や塩と言った不足分を補う必要がある。そもそもサクラに森の出方を教えたのもシュウジのはずだ。彼が森から一度も出なかったはずがない。
しかし消息を絶ったのは事実らしい。確かに彼の逸話は登場から10年間ほどに集中しているが……サクラの幼さを考えるに、彼が老境に入ってからの子供と見るのが自然だ。サクラの母親とは遭難後に森で出会い、結ばれたということか?
「……いや、違うな。恐らくサクラは森のどこかで拾われた子だったんだろう」
森は魔獣がほとんど居らず、遭難者を綺麗に消す。だから子供を捨てるときに森を使う親もいるのだ。老境に入ってから子供を作ったと考えるより、拾ったと考える方が自然ではないか。
つまり彼は何かがきっかけとなって自ら森に引きこもり、森の奥深くであのログハウスを建てた。そして数十年後にサクラを拾い育て、森ないし家を守れと遺言を残し、その生涯を閉じた……?
「……森に移り住んだ理由はわからないが、それにしたってわざわざあんな不便な場所でサクラを育てる理由がわからない。サクラだけでも王都の孤児院なりに預けることだって出来たはずだ」
何故遭難扱いされるような消え方をして、あの隔離された環境でサクラを育てたんだ?
他の文献も調べてみたが、創作かと疑うような派手なエピソードこそ数多いものの、彼が遭難に至るまでの過程については決定的な情報が少ない。わかっているのは、遭難する数日前に女性を探していた事だが……女たらしなのか女性関係が結構派手だったらしく、単に女の尻を追いかけていた可能性もある。あまり手掛かりになるとは思えないな。
……ひとまず分かっている範囲であの子に教えてあげるか。サクラには幼少の頃のことを詳しく聞いてみるとしよう。
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「迷いの森に通う男がいる?」
「うん。名前はオーギュスタン、銀等級の冒険者だってー。王都での活動記録が殆ど無いから、最近異国から来たばかりの旅人だねー。んで、結構頻繁に王都で買い物をしてから森に入って、一日したら出てくるらしいよー」
迷いの森での遭難事故を調査中、ロニの口から奇妙な報告が飛びだしてきた。俄かには信じがたい話だが、ロニが言うのだから間違いはあり得ない。しかし、他国の人間がどうやってあの森を攻略したんだ…?
「旅人、か……その男の目的は?」
「さっぱりだよー。だって討伐対象の魔獣もいない森だよー?それに何かを採りに行くわけでもないし、逆に荷物を持って行ってどこかに置いてきてて、しかも地元民でもないのに迷わず通えるなんて、もう意味わかんないよー」
誰にも目的を話していないのか。秘密にしてる……のではなく、ここに来たばかりだから知り合いが少ないのだな。
「……まさか森の中まで追跡してないよね」
「ごめん、帰ってこれる自信が無かったからしてないよー…」
「いや、その判断は正しい。よく自重してくれた」
もし深追いして森に入っていれば、見失った時点で遭難しててもおかしくない。ドラゴンも倒してきた曽祖父でさえ、森の誘いには抗えなかったのだから。
「探索魔法が使えればなぁ……」
ぽそりと漏らしたロニの言葉で、私の心に黒い炎が激しく燃え上がった。今、ロニはなんと言った?魔法を使いたいだと?
「ロニ。魔法が使えたら良いなどと二度と言うな。あれは王弟を殺めた魔族が使う凶器だ」
「あっ…!」
「我が偉大なる曽祖父も、魔法を使う魔族を追っている中で行方をくらましてしまったのだ。魔族さえいなければ、曽祖父は今もご健在だったかもしれないのに。魔法など世の中に絶対あってはならない、魔族ごと滅ぼさねばならない邪悪そのものと知れ」
「ご、ごめん!わかった!も、もう言わないよ……」
「分かればいい」
かつて王都で人々の生気を吸い上げた四天王の女が使っていたのも魔法だ。あんなものは今すぐにでも滅ばねばならないのだ。くそ、私に勇者の力が……光の魔力さえあれば、すぐにでも魔王ごと全て滅ぼしてやるものを。
……いや、落ち着け。今はオーギュスタンとかいう旅人だ。
「……話を戻すが、ぜひ彼に……旅人に接触したいんだが、どうすればいいかな」
「……っ、えっと……ギルド併設の酒場で張り込んでればいいと思うよー。ギルドの酒場でお酒を分けてもらうことも多いみたいだからねー」
決まりだな。隠れてコソコソする気がないなら、こちらも堂々と聞き出してみようじゃないか。
「よし、明日から酒場で張り込もう」
「はーい!」
さて……曽祖父の痕跡が少しでも見つけられると良いのだが。
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今日は俺も料理を手伝っている。いつも振舞われてばかりでは申し訳ないので、今度は一人暮らし仕込の腕前ってやつを見せてやろうとしたのだ。
だがサクラには座ってて良いと言ったのに、結局キッチンに並び立ちながら調理を手伝ってくれていた。うーん、本当に大丈夫なんだが……。それにしても、やはりいつもこの大きな帽子を被ってるのだな。暑くはないのだろうか。
俺は包丁で肉を切りつつ、彼女の父親についてわかったことを話した。
「ーーということらしい。若い頃は何人も"妹みたいな存在"がいて、アゼマ夫人をヤキモキさせていたんだそうだ」
「へえ…!そういえば、お父さんはすごくかっこいい人でした!やっぱりモテモテだったんですね!」
「ああ、そうらしいな」
「思い出すなあ、お父さんのこと。……それに…私のお母さんって、どんな人だったんでしょうね……」
父親の半生を初めて知ったサクラは、瞳を輝かせながら俺の報告に耳を傾けた。ここで生活していながら、父親は自分のことを殆ど語ろうとしなかったのだという。ただ自分と同じ黒髪黒瞳であったことが、血の繋がりを証明していたらしい。
血の繋がり……実際にはその繋がりさえも儚いものかもしれないことは、まだ言わなくていいだろう。せめて確証がほしい。
「お母さんのことも何も言わなかったのか?」
「はい……あ、でも一度私が夜中に起きたとき、"あいつに似てきたな"と一人呟いてました。きっと私はお母さんに似ているのだと思います」
では母親もさぞ美人だったに違いない。
「そうなのかも知れないね。君も顔立ちが良いから、きっとお母さんに負けないくらい綺麗になるよ」
「えっ!?あ……ありがとう……ございます……」
他人からそんなことを言われたのは初めてだったのだろう。彼女は顔を真っ赤にさせながらもじもじと身を揺らした。実に擦れていない子だ。都会の荒波に揉ませるより、彼女の父親が願ったようにここで純粋無垢なまま育ってほしいと一瞬願ってしまった。
「……痛ッ!」
その初心な姿に注目しすぎた俺は、包丁で指を切ってしまった。くそっ、何やってんだ俺は。
「大丈夫ですか!?」
「へーきへーき、こんなの水で洗って薬草でも巻いておけばすぐ治るよ」
とはいったものの、ちょっと深く切ったなこれは。結構血が出ている。すぐにでも処置しないといけない。
「任せてください」
「うん?……なっ!?」
彼女は俺に聞こえない大きさで何事かを呟くと、急激に髪が銀色へと変わり、瞳の色が赤へと変わった。そして俺の指を両手でそっと囲うと、次の瞬間には完全に指の傷が消えてしまっていた。
「……ふぅ。あの、今見たことは、内緒にしてくださいね?」
「あ……ああ……。しかし、それは……」
これは魔法だ……!それも古に失われたという、治癒の魔法!魔王現れし時、勇者を支えた少女が使っていた魔法だ!
俺が驚きのあまり口をパクパクさせているのを見て、すっかり元の黒髪黒瞳に戻った彼女は少しだけ照れ臭そうだった。
「ま、魔法、です。お、お父さんが、内緒にしなさいって言ったんです。そ、それで、私……」
「……どうして俺に教えてくれたんだ?」
「オーギュスタンさんなら、良いかなって」
柔らかく笑う少女の顔は、息を呑むほど美しい。
「ずっとお父さんに言われていたんです。私は聖女だから、ここにいずれやってくる勇者と一緒に世界を救いなさい、勇者の隣に立てるのはお前だけだって……だけど魔法が使えることは、お父さんと勇者だけの秘密にしなさいって言われていたんです。魔法は皆が怖がるからと、そう言われてきました」
ああ、なんということだ。この可憐で、可愛らしく、そして美しい少女が。
「だけど私の怖い魔法でも、その…お、お友達のお役に立てました。オーギュスタンさんも、怖がりませんでした。私、とっても嬉しいです…!」
この国では殺されるべき存在だなんて。
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その翌日、王都に戻った俺は頭を抱えていた。この国では魔法を使った者は即決裁判により死刑に処されると聞いている。過去に四天王の一人が魔法で王弟を殺害したことがあったらしく、それ以降魔法に対して極端とも言える排除令が出ているらしい。実は俺も多少は魔法が使えるのだが、意識しないと使えない破壊魔法や探索魔法なので問題にはならないだろう。
だがサクラはまずい。恐らくあの優しい娘は、俺でなくても目の前に大けがをしている人がいれば、危険を承知で治癒魔法を使ってしまうだろう。そうなればその場で処刑が確定してしまう。シュウジ・アゼマが彼女を森に匿ったのはそのせいだったのか。
しかしまだ疑問は残る。
この国で禁忌とされる魔法を使えるサクラと、それを隠し育てたシュウジ・アゼマ。サクラ本人は森での生活に満足しているようだが、シュウジはいつ彼女が聖女だと気付いたのだろうか?いくら魔力があると言っても、乳児に魔法が使えるかどうかを判別する術はない。森に捨てられた物心つく前の彼女をどうして隠し育てるべきだと彼は判断できたのだ?
俺は王都に戻ってから、再びシュウジ・アゼマとその周辺の少女たちについて調べなおした。一度目の調査でギルド管理の書物はほぼ調べ切っていたので、今度は王立図書館の資料だ。だが元々ギルドに所属する冒険者でもあったシュウジの情報は、ギルドが一番よく収集出来ている。図書館では大衆向け、あるいは政治的な話が中心に集められていて、あまり目新しい情報は無い。
「やはり派手な活躍ばかりがクローズアップされているな。全盛期を調べてもあまり意味が無いかもしれない」
そういえば、遭難する数日前に女性を探しているんだったか。なら、そこに絞って調べなおしてみよう。
俺は当時のシュウジ・アゼマを知る騎士や、ギルド関係者に対して遭難する前のシュウジについて聞き取りを行った。あくまで異国よりシュウジの活躍を聞いた旅人としての聞き取り調査だったので、シュウジを誇りとする人々は喜んで当時の様子を語ってくれた。結構な人数に一杯奢ったおかげで、俺の財布は随分軽くなってしまったが……必要経費だ、仕方ない。
その多くは文献と整合性が取れた内容であったが、いくつか新しい情報を手に入れることが出来た。特に、当時シュウジとパーティーを組んでいたという老騎士の話が興味深い。
「シュウジに注目するとはなかなか目があるな。あれは遭難する三日前の事だが、彼は一人の魔王幹部を追っていたんだ」
「魔王幹部?」
「ああ。四天王と呼ばれている中の紅一点でな。当時はなんと王都で魔王復活に必要な生命力や精力を集めていたらしい。壮絶な美貌と数多の魔法を使いこなす、忌々しい魔族の女よ」
「……四天王が王都にいただなんて初めて知りました」
「常に尖った耳と頭の赤い角を隠してたから、一見普通の女にしか見えなかったんだ。それにシュウジも混乱を避けるために探してる女が魔王幹部である事は伏せていた。おかげで彼が女の尻を追いかけてると言った軽口も生まれてしまった訳だが……」
「なるほど、そういう事でしたか。しかし魔王幹部を追うとは、シュウジ・アゼマは勇敢ですね。ところで、貴方から見てシュウジは勇者であったと思いますか?かなりの実力者だったようですが」
老騎士は少しだけ迷うように眉間にしわを寄せた。その迷いには、過去のシュウジに対する深い敬意を示すと同時に、信仰ではなく現実を受け止めるだけの強さを感じさせる。
「勇気ある者という意味では間違いなく勇者だろう。だが、彼に魔王は倒せなかっただろうな」
「何故です?彼には超能力がーー」
「勇者とは聖剣に選ばれし者。魔王には聖剣と、光の魔力しか通用しない。彼の超能力では魔王を傷つけることは出来ないのだ」
王都土産でケーキといくつかの果実水を買った俺は、サクラの家へ向かいながら、頭の中で情報を整理していた。転生してからのシュウジは大活躍する中、魔王復活を妨げようと動いていたのだ。恐らくシュウジ自身も魔王を倒せないことを自覚していたからこその行動だろう。そして、彼はその行動中に森へ入っていった。
そしてあのログハウスと生活基盤を作り、誰の援助も求めずに生活を続けた。そして数十年後に捨てられた聖女サクラを拾い、保護した。保護しなければ国は聖女を処刑してしまうだろうから。
「しかしサクラは森の外で狩猟をし、海水で製塩していた。つまり当時のシュウジもある程度自由に出入り出来ていたと見て間違いない。家族を捨ててまで世捨て人になることを選んだ理由はなんなんだ?…派手な生活に嫌気が刺したとでも言うのか?」
調べればそれなりに不明点は明らかになっていく。しかしどうにも引っ掛かる部分が残ったままだ。もしかしたら前提が間違っているのかもしれない。
もし初めからあの森で聖女を育てるために潜んだとしたら?そしてそのきっかけが魔王幹部の女性とも関係があるとしたら?この時、俺の頭には一つの可能性が浮かび上がっていた。だがそれは今までの…サクラとの関係が終わる可能性を示唆している。もしかしたら、彼女は――。
「やあ、少し時間を貰うことはできるかな?」
考え事をしながら冒険者ギルドへ入ると、横から一人の美青年が現れた。ま、まさか…こいつは!?
「セシル・アゼマ!?」
「おや?私の事を知っているか。なら話は早い。君に聞きたいことがあるんだ」
同じ冒険者として尊敬する、最も勇者に近いとされる英雄。
「森で何をしているのか教えてくれるかな?」
老騎士からシュウジ・アゼマの生き写しと評された、今最も会いたくない男がそこにいた。
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酒場に張り込めばオーギュスタンに会えることはわかっていた。だがこうも早く会えるとは思わなかった。どうやらほぼ毎日のように森へ通っているというのは本当らしい。
ギルドが運営する酒場の奥には、ギルドの幹部だけが使える小部屋がある。そしてそこは英雄と担ぎ上げられている私は特別に使うことが出来る。正直使う機会など訪れないと思っていたが、まさか銀等級の冒険者を相手に使うことになるとはね。
私は彼に上等な酒とオードブルを提供し、努めて和やかな空気を演出した。全ては彼から少しでも情報を引き出すためだ。
「お会いできて光栄です、英雄セシル」
「その呼び方はあまり好きではないんだ。普通にセシルと呼んでくれていい」
「あ、僕はレンジャーのロニ!よろしくねー!」
賑やかな声とは裏腹に物音を立てずに挙手したロニに対して、彼は一瞬だけ眉を寄せた。もしや今の動きで私がロニを使って足取りを追っていた事を察したのか。……どうやらただの銀等級だと思わないほうが良さそうだ。
「すまない。魔王が復活して物騒になってきたから、荷物を持って独りで森を行き来する君の動きを彼に調べさせていたんだ。調べたのは足取りだけで、プライバシーの全てを調べたわけじゃないから安心してくれ」
「彼……ですか?……それは何に誓って?」
「英雄の称号に誓って」
裏で探っておきながらシュウジ・アゼマに誓えるほど、恥知らずにはなれない。
「……わかりました。それで、森で何をしているかについてでしたね。俺はあの森でキノコを採っていたに過ぎませんよ。この辺りで一番近い森はあそこですから」
「へえー?でも食べ物とか果実水とか、結構色んな買い物をしてから行くみたいだけど、それはどうしてー?」
「迷いの森に備えるのだから当たり前だろう」
「へー!王都に来たばかりなのにあそこが迷いの森って知ってたんだー!きっとすごく貴重なキノコがあるんだろうねー!」
「……っ!?」
いつの間にかロニが主導権を握っている。彼は短慮な部分はあるが、流れや勢いに任せて行動する時にはいつも最適解を選ぶ。だからこそ、私はドラゴン退治を終えた後も彼を相棒にしているのだ。
それにしても結構直情的だな、彼は。やはり小細工はいらないか。
「君が酒や食べ物、布生地を購入して森へ持ち込んでいる事を私は知っている。だがキノコ狩りには必要無いものも多いし、むしろあの森で誰かと会っているように見えるんだよ」
「仮に誰かと会っていようと、俺には俺の交友関係があります。頼むから深入りしないでください」
なるほど、それが彼が出せる最大の情報ってわけだ。森の奥に誰かが住んでいるとは驚きだ。だがそれで満足できるはずがないだろう?
「深入りしているのは君の方だ。知っているんだよ、君が曽祖父の事を色々調べていることは」
彼の手に力が入る。何故そこまで緊張しているのか……それは彼が、私の知らない何かを知っているからだ。それも、おそらくは曽祖父の核心に近い部分を。
「実は私も曽祖父の足跡を追い続けているのさ。超能力で空も飛べたらしい偉大なる曽祖父が、迷いの森で遭難するなんて不自然だ。そうだろう?」
「……ええ」
「私の勘に過ぎないが、君は森の奥でシュウジ・アゼマにつながる何かを掴んだのだと想像している。例えば……彼の隠し子とかね」
私のブラフに、オーギュスタンの顔が強張った。まさかの当たり…か。曽祖父の女たらしっぷりは有名だったから、公になっていない私の血縁者がいてもおかしくないとは思っていたが。
「図星か。森の奥に住んでいるんだね?」
「…ええ、そうです。でも彼女は――」
「私の血縁者かもしれないじゃないか。会わせてくれないかな?安心してくれ、その子の生活を乱すことはしないと約束しよう。私は曽祖父の事をすごく尊敬しているんだ。もし曽祖父にお子がいたというなら、是非一度お会いしたい」
「しかし……」
「きっとギルドの関係者も賛成してくれると思う。誰もがアゼマ家の世話になっているからね」
「……っ!?」
アゼマ家を敵に回すことはギルドを敵に回すに等しいと、恐らく彼はそう察したのだろう。そのとおり、これは脅迫だ。
我ながら随分と卑怯な言い方だ。逆に言えばそれだけ必死だという事だから、商売人相手ならともかく、政治家相手には通用しない言い方だろう。だが彼は冒険者であり、話がしたいという勝手な願いに応じてくれたお人好しだ。ならば――。
「……彼女に聞いてみます」
やはりな。王都の冒険者ギルドを敵に回して、次の土地へ旅立つのはなかなか骨が折れるだろうからね。
「ああ、確かに了承が必要だな。よろしく伝えてくれないかな?」
「わかりました。ただ……絶対に暴力は振るわないと誓ってください」
うん、やはり狙い通り応じてくれたな。だが暴力とは何の話だ?私はただ、曽祖父の足跡を追えればそれでいいんだ。少しでも曽祖父に近付ければそれでいいのに…暴力をふるう理由があるとでも?
彼から連絡があったのは、私と酒場で出会ってから数日後のことだった。どうやら彼も調査に金がかかったらしく、冒険者ギルドが提供している依頼を数日こなしてから森へ向かったらしい。
情報収集には酒が必要になることも多いから、余程懐が寒くなったのだろう。逆に言えばそれだけ彼が曽祖父について知っているという事だろうね。
「彼女も会いたいそうです。いつでもいいとのことですが…」
「では、早速明日の夕方にでも伺おうかな。楽しみだよ、オーギュスタン君」
相変わらず彼の表情は固い。まるで森の奥に行けば悲劇が待っているかのように悲壮な、それでいて何があっても彼女を守ろうと決意するような強い意思を感じさせる表情だ。
何から守ろうとしているのか?決まっている。
私から守ろうとしているのだ。まるで魔王に立ち向かう勇者のように。
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俺は二人を引き連れて、無言のまま迷いの森を歩き進めた。そう何度も訪問されても困るので、敢えて目印のことは話していない。
「迷いなくグングン行くね」
「場所さえわかっていればそれほど時間はかかりませんから。でも、俺からは離れないでください。はぐれたら俺でも救助できません」
「ひえー怖いなー…」
実際何度も通う俺でさえ、目印が無いことには辿り着けない。万が一救助しようとしても、恐らく二重遭難になるだろう。
……或いは、その方が良いのだろうか。
くそ、ある意味一番嫌な展開になってしまった。あのちょっと異国風のロニはわからないが、英雄さんの方はこの国で生まれ育っている以上、光の魔力以外の魔法に対しての忌避感が非常に強い。一応サクラには、彼らには絶対に魔法を見せないようにと言ってあるが…もし魔力があるとバレればその場で斬られてもおかしくない。
『つ、使いませんよ!あ、あれは…その…お、お友達のオーギュスタンさんにだからお見せしただけで、あ、あなたが特別、だから……』
……こんな時にもじもじするサクラを思い出すとか、俺も随分と肝が座ったものだ。英雄さんの気が済んだら、ちゃんと彼女と飲みなおそう。彼女が今まで飲んだ中で一番好きな果実水を聞いておかないとな。
「着きました」
「おお…!これは予想以上だね…」
「えー!すごーい!迷いの森の中に本当に家があるよー!しかも結構立派ー!?」
今日は晴天だから、あのログハウスがより輝いて見える。シュウジ・アゼマの逸話は数多くあるが、俺が一番素晴らしいと思うのはこの家を建てたことだ。転生前は大工か何かだったのだろうか。
「い、いらっしゃい、ませ」
健気にもサクラが、あの耳まで隠れる大きな帽子をしたまま、ログハウスの前でオジギしている。この国では頭を深々と下げて挨拶をする風習はない。これもシュウジの影響なのだろう。
「サ、サクラ・アゼマと申します…は、はじめ、まして…」
「アゼマ…!では君が、曽祖父の!?……な、なんて可憐なんだ……んっ!?」
ロニが肘で英雄セシルの脇腹を小突いたらしい。その気持ちはわからないでもない。
「す、すまない。あまりに若いから、意外でね……。私はセシル・アゼマ。始めまして、サクラ」
そう言って躊躇なくセシルは手を差し出し、サクラもおずおずと握り返した。彼女は頬を染めながら何も言わず、セシルに見惚れている。セシルの方も同様だ。
呆れるロニに代わって俺が咳払いをすると、二人は慌てたように手を離した。
「あ、あの!私、調理に使う薪を忘れたので取ってきます!皆さんは先に中に入っててください!」
「私も手伝おう」
さしずめサクラに良いところを見せようってところか。これは完全に誤解しているな……。
「いや、英雄殿。あなたは初めて迷いの森を歩いて疲れているはず。いつも手伝っている俺がやりますので、どうぞ中でお休みください」
「何?いつもだって?」
「あーもー!疲れたー!セシル様ー早く中に入ろうよー!セシル様だって薪なんて割ったこと無いでしょー!?邪魔になるだけだよー!」
ナイスだ、ロニ。実際は既に割ってある事など、あの子も分かっているだろうに。
ロニが露骨な不満を表明すると、英雄殿は不承不承といった様子で中に入っていった。ドアを閉める直前、ロニが俺にウインクしてくれた。彼の相棒にしては、随分空気の読めるやつだな。或いは何か後ろめたさでもあるのか。
俺は二人がちゃんと中にはいったのを確認し、サクラのもとへ向かった。案の定、顔を真っ赤にしながら目を潤ませている。彼女にとって、セシルは刺激が強すぎるのだ。
「……大丈夫か?」
「……びっくりしました。ほ、本当に、お父さんにそっくりで……そっくり過ぎて、お、お父さんって、呼びそうに……なる、くらい……」
亡くなった父親を思い出したのか、ポタポタと大量の涙が流れ落ちた。彼女にとってシュウジの死は、数年程度では過去にはできないのだろう。
「ば、馬鹿ですよね、私……!だって、お父さんのお墓、あるのに……っ!わ、私が、この手で、埋めたのに……っ!か、帰ってきて、くれたかもって、起きて、くれたかもって……っ!ち、ちょぴっとだけ……き、期待しちゃって……っ!あっ!?」
俺は何も言わず、彼女の頭を胸に強く押し当てる。温かで硬い感触が、帽子越しに伝わってきた。
「あいつらも5分くらいなら待てるだろ。顔、隠しててやるから、泣きなよ。すっきりするからさ」
「……あ、あり、が……ううっ……!お、お父さん……!お父さぁん……っ!」
彼女は俺が頭に手を乗せていることにも気付かないまま、静かに泣いた。亡き父を偲び、ただ静かに。
そして俺の予感は確信へと変わり、内心で決意を固めた。
本当にすまない、サクラ。
俺が君の友達で居続けることは、もしかしたら出来なくなるかもしれない。
--------
「美味しかったー!ごちそうさまー!」
「本当に美味しかったよ、サクラ。オーギュスタン君がここに通うのもわかる気がする」
「そ、それほどでも、ないです…」
俺達はいつもよりちょっとだけ豪華で種類の多い食事を堪能しながら、サクラの話に耳を傾けた。この森でどのように育てられたか、そして何を教わってきたか。そしてシュウジが老衰で亡くなったことも。今はどのような生活をしているかを嘘偽りなく、彼女が話せる限りのことを話してくれた。
「ありがとう、サクラ。ここに来れて良かったよ」
「い、いえ……!私も、セシルさんが来てくれて、嬉しいです。お父さんを、思い出させてくれました、から」
「……そうか」
セシルの顔に少しだけ陰が差す。まあ、今まで散々大英雄と比較されてきただろうから、内心複雑なのだろう。少しだけ表情が暗くなったのを見たサクラは、少し取り繕うようにアレを提案した。
「あ、あの!お父さんが好きだったお風呂があります。よかったらセシルさんとロニさんも入りませんか?」
「いいのかい?嬉しいな。曽祖父に習って屋敷にも作らせたんだが、どうも上手くいかなくてね」
「やったー!僕一度オフロに入ってみたかったんだよねー!じゃあサクラお姉ちゃんは僕と一緒に入ろうよ!」
ロニは躊躇なくサクラに抱きついた。いきなりの暴挙に驚くサクラは顔を真っ赤にして目を回している。
「え!?ええ!?あの、一緒にって!?」
「大丈夫だよー!ほら行こー!」
「ロニが誰かと入浴するなんて珍しいな。私とすら水浴びを共にしないというのに」
そりゃそうだろう。ていうか、なんで英雄殿はロニを見て何も気付かないんだ?全く度し難い。そういえばシュウジも自分を"自分でも嫌になるくらいのボクネンジン"と言い残していたな。……そんなところまでシュウジに似なくてもいいだろうに。
「おい、嫌がってるだろう。サクラから離れろちんくしゃが。ていうか彼女に気安く触るな」
「ち、ちん…!?もう!失礼だなー!旅人君は黙っててよー!ほらお姉ちゃん、そんな帽子取ってお風呂場行こー!髪の毛洗いっこしようよー!」
「っ!?バカ、やめろ!!帽子に触るんじゃない!!」
「えっ!?きゃあっ!!」
俺が静止するよりも早く、ロニはサクラの帽子を思いっきり奪い取ってしまった。帽子の中から現れたのは、肩まで流れる美しい黒髪と、黒曜石のように輝く瞳。先の尖った耳。そしてーー
「………えっ!?おねえ…ちゃん…?」
「な、何だとっ!?」
「………くそっ」
「……み、見ないで、ください…!」
そして四天王の女と同じ、2つの小さな赤い角だった。
--------
「お姉ちゃんは……魔族!?」
そう、彼女の正体は聖女ではなく、魔族。癒やしの魔法は確かに聖女が使うものに近いが、神より分け与えられし神力を操る聖女と違い、彼女は自らの潤沢な魔力を使って人を癒やす。だから髪と瞳の色が、魔力の影響を受けて変わるのだ。
恐らくシュウジはあの日、四天王の女をこの森まで追い詰めたに違いない。だが、四天王の女は王都での活動中に身籠ってしまったのだろう。彼が四天王の女をどう処理したかは不明だが、少なくともその後暴れた記録は無い。サクラを産んでから死んだか、あるいは戦闘不能となったのだろう。
そしてシュウジは、生まれたばかりの四天王の娘を殺せなかった。そもそも四天王の出産を許した男だ、魔族とはいえ赤ん坊を遺棄することなんて初めから出来るはずもない。かと言って、魔族を王都に連れていけば殺されてしまう。だからこの森で育ててゆく決意をした。
だが、魔族と人間では寿命も、育つ早さも違う。長寿命の魔族らしくゆっくりと育ったサクラが、年頃の少女と言えるようになる頃には、すでに彼は老境へと至ってしまっていたのだろう。
『ずっとお父さんに言われていたんです。私は聖女だから、ここにいずれやってくる勇者と一緒に世界を救いなさい、勇者の隣に立てるのはお前だけだって……だけど魔法が使えることは、お父さんと勇者だけの秘密にしなさいって言われていたんです。魔法は皆が怖がるからと、そう言われてきました』
あれはサクラを守るための、サクラを森から出して危険に晒さないための嘘だったのだ。サクラが聖女ではなく、むしろ勇者の敵であることは、シュウジ自身が一番わかっていたはずなのだから。
「わ、私の頭…変、ですよね…?お、お父さんと、ここだけ、全然違ってて……嫌で……は、恥ずかしくて……」
そして彼女がいつも帽子を被っているのも、頭を見られたくなかったからというだけではない。彼女は自分が持つ赤い角と、先の尖った耳が嫌いだったのだ。それさえ無ければシュウジと同じ存在なのだと、心からそう信じたかったのだろう。
「魔族……そうか……君は……いや、お前は……!!」
しかし、英雄セシルの解釈は異なるに違いない。彼からすれば、魔法を使う魔族は人類の敵だ。例え可憐な少女に見えたとしても、かつて王都で生命力を吸っていた四天王の女と同じに映る。あの四天王の女も頭を隠していたのだからなおのこと。
つまり彼にとって、サクラは尊敬する曽祖父の仇に等しい存在だ。
「お前達が曽祖父を惑わし、森へ引きずりこんだのだな!?偉大なる曽祖父を殺したのもお前か、魔族の女!!」
英雄セシルは勇ましく剣を抜き放つと、剣先をサクラに向けた。一方のサクラは取り返した帽子を強く握りしめながらガタガタと恐怖で震えている。剣も、敵意も、殺気も、彼女は一度も向けられたことはなかったはずだ。
「ち、違います!さっきから魔族って何ですか!?わ、私は本当に、何もしていません!私はただ、お父さんに言われて、ここを守るようにーー」
「我が曽祖父を気安く父などと呼ばないでもらおう!曽祖父は人間だ!だがお前が持っている赤い角は紛れもなく人外の証!あの四天王の女と同じものだ!膨大な魔力を生み出し、全てを破壊するおぞましい魔法を生み出す魔族の象徴!お前が曽祖父の子であるものか、この悪魔め!」
曽祖父は人間。赤い角は人外の証。
それを聞いたサクラは、持っていた帽子を取り落し、顔を真っ青にしたまま先程よりも大きく震えだした。それは殺意をぶつけられた時よりも大きい、恐怖と絶望だったのか。
「そ、そんな…!?じゃ、じゃあ、私は……本当に、お父さんの子供じゃ……!?」
「大英雄シュウジの娘を騙った罪は重いぞ、魔族の女!亡き曽祖父に代わり、この手で成敗してくれる!!覚悟しろ!!」
サクラは真っ青になりながら、セシルの顔を凝視している。あの父と同じ顔をした青年が、自分の首を飛ばすべく剣を振るう。その絶望は彼女の目から光を奪い、剣が迫ってきても一切動けなくしていた。
そうか、約束を破るんだな?この嘘つきめ。
「……何故邪魔をする、オーギュスタン!」
「……えっ……オーギュスタン……さん?」
俺はサクラの首に迫った剣を、持っていた剣で受け止め、サクラを背にかばうようにして英雄と対峙した。
「どけっ!お前も斬られたいのか!」
「どかないね。俺の大事な友達を殺させてたまるかよ、この約束破りの嘘つきが」
英雄は俺ごとサクラを斬るつもりなのか、凄まじい殺気を俺にぶつけてきた。サクラが動けなくなるのも納得できるほどの強烈な殺意は、彼の相棒であるはずのロニからも戦意を奪っているようだ。
「サクラ。あの日、俺を助けてくれてありがとう。君が人外だろうと、君は命の恩人だ」
「え……?あの、一体……!?」
「恩返しをさせてくれ」
俺が言い切るのが早いか、英雄は猛烈な勢いで剣戟を見舞ってきた。多少広いログハウスとはいえ屋内だ。剣は俺の視界いっぱいに広がる一方で、逆に回り込まれる心配もない。俺だって、銀等級とはいえ冒険者だ。でかいトカゲを殺していい気になってる英雄殿に、そう簡単に負けてやるつもりはない。
俺は右手で剣を振りつつ、無詠唱で左手に障壁魔法を展開した。さらに身体強化の魔法を同時展開し、やつの速度と力に対応する。絶え間なく続く金属音は耳が痛くなるほどだ。
本来なら剣にも魔法を付与したいが、必要以上にこの家を傷つけたくはない。この家は、サクラの全てだから。
「貴様、魔法を使うとは卑怯者め!やはり魔族に与するだけの事はあるな、この外道が!」
「この国の魔法アレルギーは異常だな。それとも英雄さんが異常なのかな?私怨で剣を握るお前にだけは言われたくはないぜ、英雄さんよ」
とはいえドラゴンを仕留めただけあって、一撃一撃が非常に重い。身体強化もなしで、あの細腕のどこにこんな膂力があるんだ、くそ!
「ごめん…なさい…!ごめんなさい…!私の、せいで…!私が、人間じゃ、ないからぁ……!!」
俺の背後で、喉をしゃくる音が聞こえる。違う、違うぞサクラ。君のせいなんかじゃない。
「サクラ!泣くなッ!泣くんじゃないッ!!」
「……っ!?」
「君は勇者に会わなきゃいけないんだろッ!お父さんの遺言を果たさなきゃいけないんじゃないのかッ!こんなところで英雄もどきに殺されていいのかよッ!!」
英雄もどきと呼ばれた男の目に明確な殺意が宿り、剣を握る手に力が籠もった。
「魔族が勇者の隣に立てるものか!そいつは勇者の、人類の敵だ!魔族を庇うお前も同罪だぞ、オーギュスタン!」
目の前の何かが喚いているが、関係ない。彼女を泣かせたのは俺だ。今こうして彼女を危険に晒しているのは俺のせいだ。だから、せめて友として、俺が彼女を護って、彼女が間違えないようにしないといけないんだ。
「サクラ!君は本当は寂しかったんだろう!だからあの日、俺を見捨てないでくれたんだ!違うか!!」
「っ!?……そ、それは……っ」
「君は勇者と一緒に外に出たかったんじゃないのかッ!本当はもっと友達を作りたかったんじゃないのかッ!色んなものを見て、好きなものを食べながら生きてみたくはないのかッ!君にだってやりたいことがあるんじゃないのかあッ!」
サクラを護るためとはいえ、脚を踏ん張って剣を振るうだけでは限界がある。防ぎきれなかった剛剣が、腕や脚を斬りつけていく。ログハウスの壁や床に血が飛び散り、火のついたカンテラが倒れて絨毯の床を焼いた。炎に驚いたロニが細い悲鳴を上げた。
「家が燃える!?セシル様、もうやめよう!僕が悪いんだ!お姉ちゃんは何もしてない!」
「魔族の演技に惑わされるな!!そうやってこいつらは曽祖父を俺達から奪ったんだ!!」
「も、もういいです!セシルさん、殺すなら私だけにしてください!オーギュスタンさんは、彼は大事な人なんです!お願いします!もうこれ以上傷つけないでッ!!」
「うるさい!!貴様に言われなくてもすぐに斬り殺してやる!!魔族に肩入れする愚かな男を排除したらすぐにでもな!!」
いよいよ流血も激しくなり、腕の痺れも限界を迎えつつある。だが、構わない。構うものか。サクラはずっと独りで、健気にも父親との約束を守り続けてきたんだ。それをこんなやつに邪魔させてたまるものか!!
俺の口の端が自然と持ち上がった。目の前の浅慮な男への侮蔑と嘲笑、そして流血による興奮。死の予感が、逆に死力となって限界を超えた力と速さを俺にもたらす。持っている剣が俺の力に耐えきれず悲鳴を上げていた。
「確かにあんたは英雄と呼ばれるのに相応しくないな、セシル!シュウジ・アズマがあんたを見たらどう思うだろうな!」
「貴様に何がわかる!曽祖父は魔族の女を追う中で行方不明になったんだ!こいつらさえ……こいつらさえいなければ!!」
「わかってたまるかよ!あんたはただの人殺しで嘘つきだ!暴力は振るわないと約束しておきながら、罪のない少女を魔族というだけで殺そうとする、ただの狂人だ!はっ!何が英雄だ!笑わせるぜ!!」
「なっ…!?貴様ぁ!!」
剣戟の音が一層激しくなる。俺が持つ剣にヒビが入るのが見えた。
「サクラ!お父さんと約束したなら!君の命はもう君だけのものじゃないだろ!君はお父さんを嘘つきにするつもりかッ!!」
「うっ……!?そ、そんな、こと……!で、でも……!」
「だったらッ!俺が君を必ず勇者に会わせてやるッ!君が魔族だろうが聖女でなかろうが関係あるかよッ!君が勇者に並び立てる素晴らしい癒し手だってことをッ!俺が勇者と世界を相手に証明してやるッ!」
ついに英雄の猛攻に耐えきれなかった俺の剣が、中程から折れた。それでも俺は掌を前に突き出して、破壊魔法を繰り出すべく魔力を練った。
今更死刑だの処刑だのと気にしていられるか!友を護って死ねるというのなら!
「俺が君を護るからッ!!だから生きることを諦めるなッ!!君のしたいことを諦めるなッ!!サクラあああああ!!」
俺の叫びと、セシルの剣が腕を切り飛ばそうと迫ったのはほぼ同時だった。
甲高い音とともに、俺の腕は一本の剣によって守られていた。折られた剣ではない。誰の剣でもない。
「ば……馬鹿な……!?その剣は!?」
「うそでしょ……!?」
「オーギュスタンさん…ま、まさか…あなたが…!?」
俺の拳の横に、光る剣が現れていた。俺はこれを知っている。いや、世界の誰もが知っている。
はるか昔、遠い異国の地で魔王の娘を愛した勇者が振るったこの剣を。
血のつながらない愛娘を護るため、資格なしに命懸けでこの聖剣を握り、片腕を喪いながらも見事に生還した一人の男の物語を。
これを手に入れた国は繁栄を約束されるという、誰かを守るためだけに振るうことを許された、聖剣の名は。
「聖剣……アスカロン……!?」
『抜け』
声がした。たぶん、俺にしか聞こえない声が。俺は震える手で聖剣を抜き放つと、燃え盛る家の炎がすべて消し飛ばされた。聖剣アスカロンは炎を司る魔剣でもある。持ち主を選び、持ち主以外を燃やし尽くす。そして同時に自分以外の炎が存在することを許さない。
周囲の熱を全て奪ったのように熱くなった体を見下ろすと、傷口が塞がっていくのが見える。こ、これが聖剣の力か…!!
『さあ、お前が護りたい者のために振るうがいい』
「……セシルッ!!」
呆然としているセシルの剣に聖剣を叩きつけると、切断面が溶解して炎を吹き上げた。慌てた英雄は剣を取り落とし、俺から距離を取る。その腕には「狂人」と読める焼印が刻まれていた。
だがそれだけで許す俺ではない。俺は剣を握りしめたまま、セシルへと突進しーー
「ひいっ!?や、やめーー」
「この、大バカ野郎があああ!!」
剣を握ったままの拳でセシルの頬をぶん殴った。
--------
『ふん……お人好しめ』
「……何も殺す必要はないからな。それに、この家で人殺しはしたくない」
剣を握りしめていた上、聖剣による身体能力強化により、普通に殴るよりもかなり威力は増していたのだろう。頬から顎にかけて強打されたセシルは完全に伸びていた。流石に死にはしないだろうが、歯は何本か折れたはずだ。
さあ、それにしても聖剣だ。俺が勇者に選ばれたってのか?
「どうして、俺を選んだ?」
『似ているからだ』
「誰に……?」
『かつて魔王の娘を護ろうとした男達にだ。期待を裏切ればすぐにあの男のように焼き上げるから、心して使うのだな』
そう言い残すと、アスカロンは炎と共に消え去った。必要な時に現れるというわけか。これじゃどっちが主人かわかったものじゃないな…。
「ロニ」
「は、はい!?」
「荷車にセシルを乗せる。森の外までは案内するから、そこからは王都までお前が運んでやれ」
「……わかった、ありがとう」
「ああ、それとな。もうお前、年齢的にも体格的にも、男のふりをするのもそろそろ限界だぞ。なんでそんなことしてるかは聞かないけど……後悔しないようにな」
ロニは何故か少し傷付いた顔しながら、開きかけた口を閉ざした。彼女にも彼女なりの事情があるのだろうが……それは、セシルが目覚めたあとでゆっくり解決していけばいいだろう。
さて、後は……。
「……すまない。どうも、そういうことらしい」
サクラは俯いたまま何も言わない。赤い小さな角が、小さな頭と一緒に震えている。
「勇者の力に目覚めてしまった以上、俺は義務を果たさずにはいられない。光の魔力がなければ、あの魔王は倒せないらしいんだ。不本意だが……行かなきゃ」
頭が2度横に振られる。まるで全てを否定するかのように。
「君は魔族だが、聖女のように清く、尊い女の子だ。だけど、外では魔族への偏見にいつも晒される。今日みたいなこともあるだろう。だから無理についてこいとは言わない。もし旅立つのが怖いなら、ここで俺の帰りをーー」
「嫌ですっ!!」
サクラは叫ぶと同時に俺に抱きついてきた。亡き父のために涙した、あの時のように。
「もう……独りにしないでください……!!」
「サクラ……」
「あなたの言うとおりなんです……私は寂しいんです……!あなたのおかげで、友達といる楽しさを知りました…けど、私は一人の時間がまた怖くなってしまったんです…!でも、違うんです…!私が…私が今一番したいことはーー」
顔を上げたサクラの瞳は、恐らく世界中に散らばるオブシディアンよりも美しい。
「あなたと旅をすることです、オーギュスタンさん…!」
「俺と……?」
「あなたが聖剣に選ばれる前から、私はあなたと旅をしたかったんです……!あなたと一緒に世界を巡って、色んなものを見て、食べて、いっぱい笑いたかった……!辛いことも一緒に乗り越えて、楽しいことは分け合って…!あなたが勇者ならいいのにって、ずっと思ってたッ!それが私の希望だったッ!なのにあなたは、私の目の前で勇者になったというのにッ!私をまた独りぼっちにするんですかッ!!」
……俺よりずっと年上であるはずのサクラは、だからこそ俺よりずっと孤独だったのだろう。シュウジ・アズマがいつ亡くなったのかはわからないが……岩が苔むしてしまうくらいには、たった独りで生きてきたのだ。その顔は美しくも幼く、芯の強さと同じくらい脆さも垣間見える。まるで、春の訪れを予感させる少女のように。
……そうだったな。俺は勇者である前に、旅人で、この子の友達だった。なら、最初から言うべき言葉なんて決まっていたじゃないか。
「ごめん、サクラ。君を想うあまり、却って傷つけてしまったね。……君が良ければ、俺と一緒に世界中を旅してくれないか?魔王を倒す、その日まで」
「……はい!どこまでもお供いたします、勇者様!」
「違うだろ、サクラ。俺達は友達なんだ。友達に様なんて、いらないだろ」
「……っ、ずるいですよ、オーギュスタンさん…!私がほしい言葉、全部、知ってて…!本当に、あなたは、ずるいです……!!」
溢れる涙を拭うことなく、今までで一番輝かしい笑顔を見せたサクラは、これまで見てきたどんな宝石よりも美しかった。赤い角も、尖った耳も、彼女らしくて愛おしかった。
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あの日のような強い月明かりに照らされながら、俺達は森の外に出た。出来れば明るくなってから出発したかったのだが、あのセシルが寝てるうちに動かないとまた面倒になりそうだ。
「じゃあ、またなロニ。セシルが起きたら、俺達は魔王を倒すまではこの国には帰って来ないとだけ伝えておいてくれ」
「うん、わかったよー」
「あ、あの……お風呂をご用意できなくて、ごめんなさい、ロニちゃん」
ちなみにサクラも、ロニが女の子であることに初めから気付いていたらしい。だからあの時も強く反対できなかったのだ。やはり、気付かないセシルが異常だな。
「いいよー!こっちこそごめんね、お姉ちゃん!お風呂自体はセシル様の屋敷にもあるから、そっち使うよ!……まあ、使ったことないけど!」
少しだけ顔が引きつったのは、サクラに対してではなさそうだ。……多分、セシルの屋敷のお風呂である点にだろう。
シュウジ・アゼマは女たらしではあったが、それ以上に"ラッキースケベ"と自称する偶然が頻発していたという。その生き写しである彼の屋敷か……最悪な形で彼女の正体がバレなければいいのだが……。
「あ、あの……ロニちゃん。こんなことがあったばかりだけど……」
「ん?」
頭の角に負けないくらい顔を真っ赤にし、もじもじとしながらも、サクラは勇気を振り絞った。
「……わ、私と、お友達になりませんか?」
「へ……?」
「お、お風呂、お貸しします、から!」
一瞬だけぽかんとしたロニは、しばらくして腹を抱えて笑い転げた。そのせいで気絶したままのセシルが荷台に頭を強打していたが、まあどうでもいいだろう。
「うん!いいよ、お友達になろー!オフロ楽しみにしてるから!そしたら一緒に入ろうねー!」
「は、はい!ありがとう、ございます!」
固い握手を交わす二人を見て、俺はあの日と同じ、胸の暖かさを感じていた。きっと二人は、いい友達関係を築けるに違いない。魔王を倒したあとも、きっと。
ロニが見えなくなるまで手を振っていたサクラは、今までよりも少しだけ凛々しくなった笑顔で振り返った。
「おまたせしました!では、行きましょう!」
「ああ。勇者と魔族で魔王退治……伝説を再現してやろうじゃないか」
「あの……オーギュスタンさん、それなんですけど……」
「うん?」
「その伝説って……どんなお話だったんですか?いえ、聖剣のことは聞いてたんですが……」
まじか。世界でも有名な話なんだが……いや、もしかしたら本当に知らないのか。そういえば、シュウジがいつ転生したかについては不明なままだったな。知らないまま育ったとしても不思議ではない……のか。
「よし、道すがら教えてあげるよ。まずはちょっと遠方だが、フォーレ王国に向かおう。あそこがまさに、伝説発祥の土地なんだ」
「あ、ありがとうございます!いっぱい、色んなところに行きましょうね!オーギュスタン様!」
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「ーーそして、二人は魔王を倒した後も世界中を旅をして、その後は森の中で子供達と一緒に幸せに暮らしましたとさ。おしまい」
「おかあさま!おともだちになったロニと、えいゆうセシルはどうなったの?」
「絵本には書かれてないけど、旅の中でまたロニとは再会したのよ。今でも時々一緒に温泉巡りをしてるんじゃないかしらね」
「へー!なんだかおかあさまみたーい!セシルは?」
「冒険者を続けたみたいね。魔法嫌いのままだったけど、探索魔法だけは認めてたらしいわよ」
「おーい、夕飯ができたぞ。絵本はそれくらいにしなさい。アヤメ、ちゃんと手を洗うんだぞ」
「はーい!おとうさま!おかあさま、いこ!」
「今日も美味しいご飯をありがとう、オーギュスタン」
「いいんだよ、サクラ。さあ、食べよう。お腹の子のためにもね」
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伝説については「人類の敵となった俺の子育て日誌」が詳しいです。