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なぜ、少女に戻れないのか

作者: 梓ちひろ


 まだ、寝ていたい。そんな願いが通じるはずもなく、絶え間なく響く携帯のアラーム音。布団の中から手だけを伸ばし、慣れた手つきでボタンを操作し、朝に似合わない騒音を止める。完全に開けきらない目で時刻を確認する。今は6時30分。もう何年も習慣付けているので、多少は慣れたとはいえ、ふと、何でこんなに朝早く起きる必要があるのかと、未だに思うときがある。怒りなのか、悲しみなのか、どちらともいえない思いを動力源に、私にべっとりとまとわりつく布団を投げ捨てる。いつもはこの時点で、早起きしなければならないことを諦めるのだが、今日はなんだか踏ん切りがつけられない。それになんだか頭が痛い。理由は明確で、昨日の同窓会で飲み過ぎたせいだ。あんまり楽しくなかったな。そんな思いも追加され、私の気持ちはますます落ちていく。


 この沈んだ気持ちを洗い流してしまおうと、いつもより強く蛇口を回し、いつもより強く吹き出す水を、いつもより強く顔に浴びせ、いつもより強くタオルで拭った。おかげでばっちりと目は覚めたが、深く沈んだ気持ちが晴れることはなかった。次第と頭も冴えてきたので、冷静に昨日のことを考えてみても、やはり、楽しくはなかった。それに加えて顔もむくんでいる。酔ってしまえばどうにかなるだろうと思っていた、昨日の自分を殴りたい。まあ、殴ったところで、より腫れあがるだけなのだが。


 8畳ワンルームのど真ん中に位置する、折り畳み式ローテーブルの上に、ポーチから取り出した化粧品を雑に並べる。散らばったその数の多さに、これから起こる面倒臭さを想像すると、身体のどこに溜めていたのか分からないくらいの、大きな空気が漏れる。昔は、化粧なんてする必要なかったのに。同窓会での余韻は、普段は感じないことまで思い出させてくれる。なぜ、化粧をする必要があるのか。可愛くみられたいから?女としての装備だから?それならば、私には必要ない。化粧で、もっといえば顔を武器にしようなんてさらさらないのだ。自信があるからだとか、その逆だとか、そういうことではない。どうでもいいのだ。表面上の事柄でしか戦えない者も、そこでしか判断できない者も、私の人生には必要ない。高校のときもそうだった。周りは指示されたわけでもなく、一斉に化粧を覚え始めた。それらのせいで、朝のトイレの洗面台は、目的をはき違えてしまいそうなほど占領されていた。今と変わらず、当時の私からしても、心底どうでもいい問題であったが、周りがそれを許さなかった。なんで化粧をしないの?みんなしてるよ?将来困るよ?彼氏できないよ?飽きるほど浴びせられたこれらの言葉たち。高校生なんて、世間からすれば全然子供。どうしてみんな、大人になりたがるのだろう。大人になれやしないのに。一向に化粧をしない私をあざ笑う者は多かったが、私からすれば、大人と子供の中間に在する者の方が、よっぽど滑稽だった。大人と子供の間ってなに?なんて呼べばいいの?思春期?盛ってるみたいだね、なんて。そんな私は、大人になった今でも、化粧の必要性は感じていない。大人のマナーと、就活時や、会社の上司には散々言われてきた。こんな私でも、マナーは極力守っていきたい。ただ、大人のというのが気に食わない。なぜ、大人にならなければいけないのか。葛藤していても、答えは出るはずがない。嫌々ながらも、答えが出せない限り、私は化粧をし続ける。


 身支度を終え、出勤のために好きでもない満員電車に乗る。ただでさえ憂鬱な時間は、週初めということもあり、他の乗客からも私と同じような、不満感満載の空気を醸し出し、それに晒され、より一層な不快感を覚える。両耳から聴こえる、月曜の朝には似合わないEDMは、私の心臓の鼓動を動悸に似たテンポに変えていく。直立不動の私の前に座る女子高生は、焦点を一切動かさずスマホを眺めている。後ろの窓に反射する画面を眺めてみると、SNSを流し見しているようだ。自身が懸命に映える物、場所を探して、それをアップロードしてみても、他人にでも、例え友達にでも、邪見に流されてしまうものなのだろうかと推測する。かくいう私も、SNSに投稿はしない。見る専門、もっといえば、流し見専門だ。この歳にもなると、SNSを頻繁に利用している人間は、有無を言わさずどうしようもない。子供がどうだとか、飼い犬飼い猫がどうだとか、ランチがどうだとか、想像しただけで吐き気を催す。決して、満員電車独特の空気に酔ったわけでも、二日酔いだからというわけでもない。この一連の話題に共通していえるのが、全て自分の力ではないということだ。子供や犬猫はもちろんのこと、ランチだって旦那の稼ぎで食べているだけ。そんな人間は、さも自分が魅力的だと錯覚する。側近の力なのに。この年齢までそんなことをしているので、過去を遡れば目も当てていられない。彼氏がいるからなんだ、読モだからなんだ、親が金持ちだからなんなんだ。小さいときからちやほやされてきたから、もう自分の力で生きることをしない、いや、そんな生き方を知らない。そのくせ、やたらとアメリカにかぶれたがる。米国は自由の国だぞ、依存することしか知らない人間は、生きていけるわけないだろう。イヤホンから漏れるラップのヘイトに合わせて、私の思考も行き過ぎてしまった。普段はそんなこと、少ししか思わない。そう、ほんの少しだけ。


 「え、まだ良い人いないの?」

 席に着くなり第一声がこれだ。左手の薬指に指輪がないだけで判断するのは安直だなとは思うが、間違ってはいないのでなんともいえない。高校を卒業してから10年、久しぶりに会いましょうと題されたこの回。参加者は皆、すっかりと大人びていた。もう、大人と子供の中間な人はいない。正真正銘、大人の集まりだ。その半数は、既に所帯を持ち、子供を持つ人も何人かいるそうだ。特に女性陣でバリバリのキャリアウーマンなのは、私ともうひとりくらいだった。居酒屋の奥まで進み、お座敷につながる襖を開けると、マシンガンのように「久しぶり」とか「変わんない」とか、いろいろな言葉が混ざって聞き取れないくらいの騒めきを浴びせられ、瀕死の状態で女性陣の待つテーブルへたどり着く。疲れた、もう帰りたい。違う人種のお祭りに紛れ込んでしまったかのような不安感は、乾杯の音頭に向けて右肩上がりであった。


 久々に会ってみても、少し大人びた様子はあるが、あまり変わらないものだなというのが第一印象。特に男性陣は、連日の飲み会が理由か、はたまたストレスでの暴飲暴食が理由かはさて置き、少数の太ったメンバーを除いては、高校時代の面影を残し、そこに座っていた。一方の女性陣。誰が誰だかは分かるが、明らかに印象が違う。大人びたというより、くたびれた、強くいえば劣化したという言い方があっているかもしれない。幸せ太りをしているならまだ良い方、手に取るように分かる、自分の力を放棄した雰囲気。話題に上がるのは旦那がどうだとか、子供の習い事はどうだとか。私の知らない世界でマウントを取られるのだけは避けたかったので、真剣にメニューを選んでいるふりを続けた。だが、避けきれなかった。「早く結婚しなよ」「子供はいいよ」なんて、自分のものさしで他人の人生を測らないでほしい。はいはいと聞き流していたが、それも限界があったので、自然とビールジョッキに手が伸びた。酔ってしまえば、こんなくだらない話を聞かなくてよくなる。横文字の色鮮やかなお酒を飲む周りを尻目に、手を休めずビールを口に運ぶ私は、はたから見ればまるで山賊のように見えたのかもしれない。


 正直、幾分お酒を飲んだとしても、会話は聴こえる一方であった。それも、聞きたくもないものばかり。実際は、少しばかり周りが羨ましかった。大半の人が歩める幸せを、私は味わえていない。そんな話を聞きたくなかっただけかもしれない。身体だけは成長して、大人になった私。そんな私を、心身ともに大人になった周りが置いて行く。それが怖くて、不安で。心が身体に追いつけない、いや、追いついてほしくない。むしろ、追いかけないでほしいと願う私と、不安がる私との狭間で悶々としている。ひとりで酔っているから、こんなことを考えてしまうのだろうか。いつの間にかカラオケが始まっており、女性陣が「夢見る少女じゃいられない」を熱唱する。この歌詞の意味が、最近少しずつ分かり始めた気がする。もう、少女ではいられないのかもしれない。この思いを、仕方ないかと諦められれば、ちゃんと大人になれるのかなと、湧き出た感情を胸に残し、一足先に夢の中へとお邪魔した。

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[一言] 初めまして、40代底辺労働者童貞の作文太郎です。 ある日突然「オトナ」って言われても困りますよね、二十年寝て起きただけなのに。 私は40年以上の童貞歴を持ちますから、その気持ちがよく分か…
2019/08/30 19:53 退会済み
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