6.空色変化と心模様
よしのくんの手を握りながら、わたしと彼は展望台の更に上階となる屋上に着いた。ビルの中と違い、直に風を受けた。真上でなくても、視界を一望する空の色を自分の目で確かめられることが出来た。
「青々してんな。そう思わね?」
「そうだね。でも天気は変わりやすいから」
「それって、何かにたとえて言ってたりしてる?」
素直にいい天気だね。なんてことだけ言えば良かったのかもしれない。その辺がきっと足りてないんだ。もちろん、彼に対して何かを例えて言ったわけでは無く、自然なんて目まぐるしく変わるといった、期待の無い平凡な言葉を出してしまっただけで、他意も悪意も無かった。
「俺はそうは思ってない。そりゃあさ、これだけてっぺんに上がってくれば変わりやすいかもしれない。けど、人は簡単には変わらない。俺はそう思う。みずほから見た空の色ってどんな色?」
「え? んー、少し雲がかかっているから薄い青なのかな」
「そうか。じゃあ、アレだ。今、みずほが見てる空の色を今よりも、もっと青く見えるようにしてやるよ。俺が。多分だけど、よく分かってないからそんな風に見えるんだ。だろ?」
「そうなのかな。心の色もそんな感じだとしたら、多分そうかな」
誰が見ても、誰から見ても空の色は同じだと思うけれど、でも、空の色と心の色を同じに考えるとしたら、そんな答えになると思って答えた。見ている色を今より以上に変えることが出来るのなら、その時はわたしも変わっているのかな。
そうならいいな。見ている、見える色が変われば心模様も変わるかもしれない、そう思えた。
彼の言葉は何を表していたのか今のわたしには分かるはずも無く、そのまま屋上を後にした。
「帰るか」
「そうだね。ありがとう」
「いいよ、これ、一応はみずほ歓迎記念だし。また来ようぜ?」
「だね」
そう言われればそうだった。展望台という、たった一つの場所に来ただけなのに、ほんの僅かながらにわたしは何かを感じられた。そんな気がした。それが分かるようになるのは、単位を落として留年する頃だけど。
学校に戻ったわたしたちは、すぐにお開きとなった。何だかすごく長くあの場所にいた感じがしていたけれど、わたしが今までまともに外に出ていなかっただけで、行って帰って来ただけの一つの出来事に過ぎなかった。
そのまま帰ろうとすると、ナツが声をかけてきて途中まで一緒に歩くことになった。多分、何かを聞こうとしている。そんな気がしていた。
「どうでした?」
「どう、とは?」
「えっと、みずほさん、彼氏とかいます?」
「よく分からないんですよ、わたし」
これは本当にそう。よしのくんがわたしに向けて来ていた感情の流れは、分かる人は分かっていたかもしれないけれど、問われたことに素直に答えたに過ぎないのが本当で、それを男女の恋として思われていたのだとしたら、世間一般の人に申し訳なく思えてしまう。
どうしてこんなわたしに恋という想いを抱いてくれたのかが分からない。容姿は自分で判断が付かないし、聞いたことも無い。あるとすれば、高校卒業の時の告白くらい。
それに、サークルに入りたてのいわば、新人にそうまで想いを寄せられるものなのだろうか。恋もしくは、想いと言うのは確か、時間が相当に必要なものだと誰かに聞いたことがあった。
それがどうして会ってすぐにそうなるのか、わたしには分からない。感情はどこから動いて、動き出していたのかなんて、変化に乏しいわたしには難しすぎた。
「サークル来たばかりなんですよ? どうして会ってすぐにそうなるんです?」
「一概には言えないんですけど、そういうの時間とか期間とか関係ないらしいんですよ。だから、彼はすぐに行動に出したと言いますか、彼氏のこととか気にしてませんでした?」
「聞いてきましたけど、気にしなくていいと言われましたよ」
「気にしているのは本人だけってことです」
ナツの言葉を整理すると、彼、よしのくんはわたしに好意を抱いていて、彼氏の存在を聞いていることが何よりの証拠。出会った時点で彼は一目で惚れたということになるのかな。
展望台は各自が自由に行動しても良かったけれど、彼はわたしといることを選んだ。一緒にいて、それでいて自分の心とわたしの心が重なるかをテストしていた。そういうことになるのだろうか。
人は恋をするのに、時間も期間も関係なくて出会った時には始まっている。そういうことで合っているのかな。イチから教わると言うわけでないけれど、そういう時にどういった対応をすれば良かったのかをナツに聞いてみよう。そうしないと、あっという間に季節が変わって片方の心も移り変わるかもしれないから。
「どうすれば分かるかな?」
「んー……恋をすることをたかだか20に満たない私に聞いちゃいますか? 私もそんなに大した経験してないんですけど、でもみずほさん。本当に知らないんですね、それ聞くと分かってしまった自分がいます」
告白をされたことをナツに話してみた。ただそれも、告白を受けたことを単に卒業の記念としての挨拶としか思わなくて、ありがとう位しか言えなかったと伝えたら落胆されてしまったけど。
高校を卒業し、何の目標も目的も持てずに会社勤めをしたものだからと、言ってしまえばそれまでだけれど、誰かを好きになることも無いまま気付けば、歳を一つ重ねてしまったのがわたしだった。
そんな何気ない日常の中に、素敵な人はいなかったんですかと聞かれたけれど、何が素敵なのかさえ分からなくて、その言葉もナツは驚愕の表情を浮かべていた。
「泰史が珍しがってメンバー入りさせたの、納得しました」
「そ、それはありがとう? でいいのかな」
「いや、良くないんですけどね」
そんなこんなで、恋についての話はこの日を境に、彼女から指南されていくことになった。それについてはどちらでもよかったけれど、自分をどうにかして変えたいと言ったら、それなら恋を知るしかないかもです。なんてことを宣言されてしまった。
3年になっての夏。周りは就活に勤しんでいるのをあちこちで見かけていた。わたしはと言えば、そもそもすでに、社会人だったわけで同じようにして、新卒向けの就活が出来ないと言う重いハンデがあった。
季節が変わると同じ学年の子たちは慌てふためいていた。それには当てはまらなかったわたしは、自分をどうにかして変えることだけを目標にしていた。
サークルの子たちは、彼ら彼女を含めて学年が一つ、二つも下ということが後から分かってしまい、余計にわたし自身も危機感を感じることなく、むしろサークルに勤しんでいたというのが正しかった。




