第33話 守る者、真の騎士の剣
その魔力の波動は百足龍虫と戦うレイダー達の方にも届いていた。ミリア達とはかなり距離を稼いだはずだが、それでも大気を伝ってここまで届くその魔力量。生半可な相手ではない。
「あっちは一体何と戦ってるのかしら」
「分からん。確かカイトとミリアの相手はシルカだけだったよな」
「間違いない。でも、この力。百足龍虫と同じくらいに感じる」
レミナの言葉に目を丸くしてヴィルナは振り返った。
「ち、ちょっとまってよ。百足龍虫と同レベルって、特A級の魔巨獣がもう1匹いたって言うの!?」
動揺するヴィルナに答えられる者は仲間内にはいなかった。
だが、その変化を察したのはヴィルナ達だけではない。その場には合流を果たした討伐隊の5人もいたのだ。
魔力の波動を感じた方向を見ていたアルメニィ。見ている先では微かに三色の幕が空間を覆い、そしてそれが弾けるのが見えた。
「今のは、極彩色の幕布。
まさか、月光蝶があそこにいるのか?」
「ち、ちょっと待て。レイダー、あそこにミリアがいるのか?」
デニスがレイダーに問いかけてくる。その声は明らかに動揺で震えていた。
「ええ、まあ」
「しかも、たった2人で月光蝶と戦っているだと!?」
デニスの脳裏によぎったのは、邪竜との戦い後、治療院の一室でまるでミイラのような姿で眠るミリアの姿。
「ぬおおおぉぉぉぉぉ!
ミリアァァァ! パパが今行くからなぁぁぁぁぁ!」
まるで咆哮のような雄叫びをあげてデニスが駆け出す。その眼前を遮るように百足龍虫の長い胴が伸びているが、
「どけぇぇぇぇぇ!
魔光の一撃!」
デニスの繰り出した眩く輝く魔力を纏った拳は大木ほどの太さのある百足龍虫の体をいとも簡単に粉砕する。光り輝く魔力が爆発し、百足龍虫の一角はバラバラに砕け散った。
しかし、百足龍虫もそれでは終わらない。
一にして全。全にして一を体現する百足龍虫。散った周囲カケラが同時にデニスに襲いかかる。
が、その攻撃が繰り出される前に、今度は上空から無数の光の矢が降り注ぎ、デニスを襲おうとした百足龍虫のカケラ達を撃ち抜いた。たちまち弾け飛んで無残な残骸を晒す。
「ミリアちゃんのピンチなんです。邪魔はしないで頂きたいですね」
上空には美しい大きな翼を広げた女神が舞っていた。ただし、その表情は笑顔ではあるものの、見る人は皆こう言うだろう。
あれは、女神の皮を被った夜叉だと。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
それは彼がまだ少年だった頃。
彼は芝生の上に座って、近くで剣を振るう青年の姿を見つめていた。青年の剣はまるで舞うかのように繊細で流麗。それでいて強さと鋭さも兼ね備えていた。
青年はふわりと体を翻し、そしてその勢いを利用するように剣で横に薙ぐ。ビシュッと空気を切り裂く音が彼の耳にも届いた。
「うわぁ、すごいなぁ!」
小さな手でパチパチと手を叩く彼に、青年はタオルで汗を拭きながら笑った。
「何だ、見ていたのか」
「うん。やっぱりお兄ちゃんって強いんだね。僕もお兄ちゃんみたいな立派な騎士になるのが夢なんだ」
「立派な騎士か」
青年は苦笑して、
「まだまださ。俺はまだ真の騎士の剣を身につけてないからね」
「しんのきしのけん?」
彼は首を傾げる。そんな彼の頭をやや乱暴に撫でて、青年はこう問いかけた。
「騎士になりたいのか?」
「うん! お兄ちゃんみたいな魔道騎士になるのが夢なんだ!」
「そうか。なら覚えておくといい」
青年は彼の肩に手を置き、
「真の騎士の剣はね、斬る相手を選ぶんだよ」
「?」
「自分の本当に斬りたい相手だけを斬り、斬りたくない相手を斬らない剣なんだ。例え、相手が2人いたとしても、その剣は本当に斬りたい相手だけを斬る。
それが守る者。騎士の持つ本当の剣の技なんだ」
「ふ〜ん」
「ははは、ちょっと難しかったかな?」
「僕もできるようになるかなぁ」
「もちろんだ。俺の弟なんだからな。
きっと、できるようになる。自信を持て、カイト」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ミリアとカイトの方でも戦いは最終局面を迎えようとしていた。
月光蝶の放った極彩色の幕布を受け、戦闘不能に近いくらいのダメージを負って蹲るミリアと、それを庇うように前に立ち剣を構えるカイト。
対する月光蝶も全力で特殊魔法を放ったために、その反動で動きが鈍くなっている。ミリアの補助が望めない以上はまさにここが最後のチャンスと言えるだろう。
カイトの纏う気配が変わったのは月光蝶にも分かったのだろう。警戒心を露わにしてカイトを睨む。
「カイト、お前に攻撃できるのか? この身体を?」
「月光蝶、あんたが出て行ってくれれば攻撃しなくても済むんだけどな。
こう頼んでも出て行ってはくれないんだろ?」
「言うまでもあるまい。私はこの身体を気に入ってるんだ。頼まれたって出て行ったりはしない。
それに、もはや私がこの身体から出るのは不可能なのだよ」
「不可能?」
「そもそも私がどうしてシルカの身体に宿ったのだと思う?
シルカの記憶を見る限り、私がシルカの身体に精神を宿したのはシルカがある薬を飲んだ時からだ。
私自身の記憶は満月の夜に闇のような真っ黒な人間と戦いそこで途切れている。どうやらその人間に敗れたようだ。そして気が付いたのはこのシルカの身体の中だ。
ここまで言えば分かるだろう。
シルカの飲んだ薬液はこの私。魔蟲『月光蝶』を材料に作られていたのだ。その薬をシルカが飲んだ時から、徐々にシルカの身体は人間と魔蟲の丁度間の存在。お前達が言う『合成生物』となっていったのだ。そして今では、この身体はほぼ完全に合成生物と成り果てている。ここまで変わってしまってはもはや元には戻れん。零れ落ちた時の砂はもう元には戻れんのだ」
「そんな……」
呆然と立ち尽くす。
月光蝶を倒せばシルカは元に戻ると思っていたが、それは甘い考えだったらしい。
例え月光蝶を倒してもシルカが元に戻らないのでは、それは全くの無駄なのではないのか。そんな考えがカイトの脳裏によぎる。
「どのようにしてももはや融合してしまったシルカの身体と私の魔蟲の身体は元には戻らない。
ならばもう戦う意味は無いだろう?」
反動が取れてきたのか、月光蝶は羽を動かして宙に浮かび上がる。
そんな時だった。
――カイト!
どこからともなくそんな声が響いた。
「シルカ?」
「な、なんだと!?」
見上げるカイトとミリアの前で、突然月光蝶の身体から薄緑色の魔力が噴出した。
それは風属性の魔力。そう、シルカの持つ魔力の色だ。
やがてその魔力が1つの姿を形作る。それは今目の前にいる月光蝶の元となっている人間と同じ姿をしたもの。そう、これこそがシルカ本人の精神体なのだろう。
――カイト、騙されちゃダメ!
確かに私の身体はもう元には戻らないかもしれない。
これが力を得るための代償だったのなら、それは受け入れないといけない事だから。
でも、私と月光蝶、どちらが身体を持っているか。
その意味は全然違うよ!
シルカの言葉にカイトはハッとする。確かに、人族であるシルカと魔蟲である月光蝶ではその常識や考え方がまるで違う。それは前に月光蝶本人が言っていた言葉からすでに分かっていた事ではないか。
人族には理性があり、一般常識がある。
やって良い事と悪い事の分別をつけられる。
だが魔獣の一種である魔蟲は違う。
魔蟲達は常に自分の欲望に忠実に動く。奪いたい物は奪い、殺したい者は殺し、喰らいたいものは喰らう。それに関して一切の躊躇をしない。それが魔蟲の考え方だ。その考え方はシルカの身体を奪った後でも変わっていない。カイトを喰らって取り込むと告げたその事からも明らかだ。
月光蝶は必ず倒さなければいけない。
だが――
「シルカはそれでいいのか?
もしかしたらシルカごと殺してしまうかもしれないんだぞ」
魔力で象られたシルカの表情に笑みが浮かぶ。それはまさにいつもカイトを見ていたあの幼馴染シルカ・アルラークの顔だった。
――私はカイトを信じるよ。カイトは魔道騎士になるんでしょ?
フッとカイトにも笑みが浮かんだ。
(やっぱり俺にはシルカが必要なのかもな)
カイトは剣を握り直し、そして真っ直ぐに月光蝶にその切っ先を向ける。
「悪い、どうも弱気になってた。
月光蝶、魔蟲であるお前を野放しにはできない。
お前がシルカの姿をしていようが、魔蟲であるお前が魔蟲の本能で行動していればいずれ誰かに狩られるだろう。そんな事はさせられない。
お前は、この俺が倒す!」
――カイト……
「チッ、余計な事を。
シルカ、ここまではお前の意志を尊重して行動したがもうそれも終わりだ。
これからは私のやりたいようにやらせてもらう。お前は引っ込んでいろ!」
月光蝶が身体から三色の魔力を放出する。それに押し流されるようにシルカの魔力は流れて消えた。
「いいだろう。ならばこの場でカイト、お前を殺し喰らってやる。そうすればその絶望でシルカ自身の精神も完全に生きる力を失い二度と表には出て来れなくなるだろう」
「そうはいかない。俺は、絶対に負けられない」
月光蝶は再び極彩色の幕布を展開する。だが、その速度は先ほどミリアが喰らったものと比べると明らかに展開が遅い。まだ月光蝶は完全に反動から回復したわけではないのだろう。
カイトは目を閉じる。
かつて子供の頃、兄であるライエルに聞いた剣の極意。
『真の騎士の剣は斬るものを選ぶ。斬りたいものだけを斬り、斬りたくないものは斬らない剣。それこそが、守る者である騎士の扱う真の剣の極意なのだ』
今なら分かる。その剣の極意が。
視界を閉じる事により純粋に魔力のみを感じ取る。これまでデニスが課した修行で練習した事だ。
それにより感じ取れる魔力。
背後に何かに無理やり押さえ込まれているかのような光り輝く七色の魔力。これはミリアのもの。
遠くにはミリアほどの輝きはないものの、同じ七色の魔力が1つに白い魔力と白銀の魔力が1つずつ。これはアルメニィ学園長とミリアの両親であるデニスとセリアラのもの。物凄い勢いでこちらに近づいてくる。それに追随する形で4つの魔力がある。こちらはアザークラスの4人だろう。
そして、目の前。
緑色の魔力とそれを覆い隠そうとする邪な感じがする白い魔力。
(……分かる。あれがシルカと月光蝶の魔力だ。
兄さん、分かったよ。兄さんの言っていた剣の極意が。これなら、斬れる。
月光蝶だけを斬れる!)
剣を構えるカイト。その剣に魔力が結集していくのが、傍で見ていたミリアには感じられた。
やがて無色のはずの無属性魔力はカイトの闘気と融合して黄金色の輝きを放ちだす。
(凄いわね、カイト。本気を出したパパと同じ黄金色の魔光。
でも、一手足りない。月光蝶を倒すためには、宙を舞う蝶を捕らえる手段がいる。
……無理してでも私がやるしかない)
一方のカイトは魔光を宿した剣を振りかざし、そして魔力を足に流してブーストを掛ける。そして一直線に月光蝶に向かって地を蹴った。
「そんな猪突猛進で一直線な攻撃にこの私が当たるとでも」
嘲りながらも月光蝶はひらりと宙を舞いカイトの一撃を回避しにいく。だが、その動きが空中で止まった。
「えっ!?」
何もないはずの空中で動きを止められるはずが無い。戸惑いの目で周囲を見回しハッとする。
その背後の空中、周囲の瓦礫や柱から伸びる氷の蔦。それによって編まれた巨大な網。
今の月光蝶はまさに、蜘蛛の巣に捕らわれた哀れな蝶と同じ。
キッと憎しみの篭った視線を向けた先で、ミリアが得意げに笑みを浮かべる。傷が開いたためか、魔法を使った腕からかなりの出血を伴ったまま。
「リーレの得意技氷結の網。これが今の私にできる最後の援護よ。
シルカを救うのよ、カイト」
「ありがとう、ミリアさん。
さあ、終わりにするぞ、月光蝶!」
月光蝶はもがくように身をよじるが、氷の網はビクともしない。さらにミリアが残った魔力を根こそぎ篭めたのだ。いくら極彩色の幕布と言えども水の属性相手ではまともに働かない。
「や、やめろカイト! シルカの身体がどうなっても良いとでも言うのか!?」
「今の俺には見えてるんだ。
そして、今の俺にならきっとできるはず。
斬りたいものだけを斬り、斬りたくないものは斬らない。その真の騎士の剣が」
カイトは黄金の魔光を纏った剣を月光蝶に向かって振り上げる。
「斬るべき相手は月光蝶!
斬り裂け! 魔光の一閃!」
一太刀。
カイトの無属性の魔力相手では極彩色の幕布や瘴気のガードは無意味。
振り下ろした剣から放たれた黄金の剣閃は縦に両断するように月光蝶の支配したシルカの身体を、シルカの身体内に宿った白の魔力の存在のみを斬り裂いた。
その瞬間、まるで劈くような奇声のような絶叫がシルカの口から響き渡った。
魔道騎士団の扱う技『エナジースラッシュ』を現在カイトが使える技『魔光の一閃』は別物です。
こちらはデニスが考案したもので、エナジースラッシュよりも威力が高い代わりに魔力と闘気を融合させる必要があるため、魔道騎士団の幹部クラスにしか使えません。