第30話 分断
「よく聞いて。これは推測でしかないけど、今のシルカの人格はここ1ヶ月の間に生まれたものである可能性が高いわ。多分、ブライトンと同じく、何かしらの薬を飲まされたんじゃないかと思ってる。
でも幸いなのは、シルカの本来の人格も消えてないって事ね」
「どういう事?」
「理由は分からないけど、なぜか今のシルカの人格はシルカ自身の体を支配してはいるけど、主人格をそのまま残してるみたいなのよ」
そう言いつつ、ミリアはシルカの様子を思い出す。
後から生み出された人格は主人格を乗っ取りにかかる事が多い。そして、乗っ取られた人格は乗っ取った人格に飲み込まれて消滅する。そこまで行く事は稀かもしれないが、今回の人格は禁止薬物によって生み出された、しかも狂気を孕んだ人格なのだ。主人格などすぐに狂気に飲み込まれ消滅してしまうだろう。
ただ、ミリアにはそう考えると腑に落ちないところがあった。今のシルカの人格が、自分の事を私達と呼んだ点である。
主人格を飲み込もうとする2番目の人格は、自分の事を複数形で呼んだりはしない。それは当然の事で、飲み込んだ、もしくは飲み込もうとしている相手を自分自身としてカウントなどしない。故に、自分の事はあくまで単一呼称、私と呼ぶのが普通なのである。
「もしかしたらあのシルカは……」
言いかけた言葉を飲み込む。確証のない話はすべきではない。
「とにかく、カイトに頼みたいのはシルカの説得ね。
多分、シルカを元に戻せるのはカイトだけだと思うから」
頼むわよ、とミリアは踵を返し、再びシルカと百足龍虫の元に向かう。後に続くようにレイダーやナルミヤ達も駆け出した。
最後に残ったカイトは目を閉じ、自分に語りかけるように呟く。
「シルカは助ける。必ず!」
意を決し、カイトも駆け出すのだった。
シルカがいたのは先ほどの廃墟の広場から少し北に行ったところ。百足龍虫の巨大な図体ですぐに分かった。
近づいてくる6人を見てフンと鼻を鳴らす。
「そのまま逃げてれば良かったのに、わざわざ戻ってくるなんてね!」
「もうやめるんだ、シルカ!」
「カイト」
カイトの姿を見て、シルカは本当に嬉しそうに笑う。
「すぐに邪魔者を消してあげるから。待っててね」
「シルカ……」
「カイト、あなたが諦めたら全て終わりよ!」
ミリアが発破を掛けるように声を上げる。
だが、それを聞いた途端にシルカの目つきが鋭くなった。憎しみの篭った魔力がその身体から溢れ出す。
「カイトの事を気安く呼ぶな!」
シルカの豪風の砲弾と百足龍中の強酸液のブレスが同時にミリアに襲いかかった。それを厚め岩石の壁で受け止める。
「あ、あれ?」
間の抜けた声を出すミリア。
その威力はミリアの想像を超えていた。岩石の壁はあっという間にひび割れ砕け散る。そして砕けた瓦礫と共に強酸液のブレスが押し寄せてきた。
「す、岩石の壁!」
とっさに地面に手を付き魔法発動。
ドンっと勢いよく大地が隆起し、反動でミリアの身体を空中に弾き出した。その真下を強酸液が突き抜け、一瞬にして岩石の柱が溶けて倒壊する。
ミリアは空中で猫のように体をひねってレミナ達の側に着地する。
「あ、危なかった」
まさか一発であの壁を破壊されるとは。シルカの魔力自体も相当強化されているようだとミリアは感じた。
「シルカと百足龍中が同時に攻撃してきたらとてもじゃないけど手に負えないわ。何とか引き離さないと」
「ねえ、ミリア。ちょっと良い?」
百足龍中とシルカを見据えて対策を考えるミリアにヴィルナが声を掛けてきた。
「ん?」
「百足龍中の事だけど、あれの注意を引くのにナルミヤをこっちに回して欲しいんだけど」
「ナルミヤを?」
「シルカへの対応はミリアとカイトの2人に任せる事になるけど、百足龍中はこちらで必ず何とかするわ」
ミリアはヴィルナを見つめる。
ヴィルナはややお調子者っぽいところはあるものの、確証のない事は言わない。彼女がこうハッキリと言うからには何かしらの対策があるのだろう。
そう考えたミリアは頷いて返す。
「分かった。ヴィルナに任せるわ」
ヴィルナはニッと笑うと、すぐにナルミヤに指示を飛ばした。
「ナルミヤ! 岩石の壁を作って!」
「分かった! 地の精霊達、岩石の壁を!」
『了解じゃい!』
地の精霊の力により目の前を覆うように岩石の壁が出現する。続けて今度はライダーへの指示。
「レイダー! 壁を破壊して!」
「お、おう」
イマイチ意図が分かっていないレイダーは、言われるがままに目の前の壁目掛けて魔力の篭った拳を打ち込んだ。その強力な一撃で壁は瞬時に砕けて大小さまざまな大きさの岩石へと姿を変える。
「今だ! 重力ゼロ!」
そこでヴィルナは自らの固有魔法『重力魔法』を発動させる。対象は目の前の岩石群全て。魔法の効果で岩石は全て空中で静止した。
そして、さらに追加で重力魔法を上乗せする。
「重力制御、方向前方。
重力、10倍!」
その瞬間、岩石の群れはまるで何かに引っ張られるように前方に向けて高速で落下した。
その数30を超える大量の岩石が一斉に飛来したのだ。前方にいた百足龍中の巨体では避ける事など不可能だった。当然、それは頭の上にいるシルカも同様である。
「ちょっ、待って、きゃあっ!」
思わず悲鳴を上げるシルカを守るように、百足龍中の下半分が分散して岩石の群れの盾となる。百足龍中の体は強靭な鱗に覆われていてかなり防御力が高い。しかしそれでも限度がある。分散して盾となった百足龍中のカケラ達の内、数体が大きめの岩石を喰らって体液を撒き散らしながら後方にすっ飛んで行く。だが、それでもシルカの身は無傷で乗り切った。
「く、よくもやったわね」
そう呟きながら前を向くシルカの目に飛び込んできたのは、その手に風の塊を纏わせたミリアの姿だった。
「なっ!」
「シルカ。悪いけど私達と一緒に来てもらうわよ。
旋風の炸裂弾!」
圧縮空気が弾け、解放された突風に不意を突かれたシルカは成すすべもなく飛ばされて行った。ここまでは計画通り。
「みんな、ここは頼んだよ!」
「私達の事は気にせずに、さっさとシルカを連れ戻して来なさい!」
キチキチと百足龍虫がシルカの方に顔を向けるが、
「アンタの相手は私達よ!
ナルミヤ、レイダー、次行くわよ!」
再びノームによって生み出された石壁がレイダーによって砕かれ、ヴィルナの重力魔法で百足龍虫目掛けて押し寄せる。一度に放たれる個数もその大きさも岩石の弾丸を魔法で放つよりもずっと威力がある。百足龍虫はシルカの事が気になっているようだが、ヴィルナ達の猛攻を前にシルカを気にしている余裕は存在しなかった。
百足龍虫はヴィルナ達を見据え、カケラ達を本体に結合。その全身から強酸液を吹き上げた。前に使ったあの強酸液の雨だ。
しかし、今回はちゃんと対策を練っている。
レミナが前に出て上空を見上げた。空高い位置にあれば、強酸液は全てレミナの視界内に十分に収まる。レミナは真言魔法を発動させた。
「真言、『眼に映る』『強酸液は』『蒸発する』」
レミナの真言魔法は彼女の言葉通りの現象をこの世界に再現する。百足龍虫の強酸液は眼に見えるもの全てが一斉にジュワッと音を立てて蒸発した。
そこにさらに砕いた岩石の嵐が押し寄せる。
キシャアアアアア!
ドドドドと長い身体にいくつもの岩石を受け、甲高い雄叫びを上げて大きく仰け反った。
空中で体をひねって頭部から着地すると、ギチギチと歯を鳴らしながら8つの目でヴィルナ達を睨みつける。その瞳は全て怒りの赤に染まっていた。
「ちょっと必要以上に怒らせた気もするけど」
「問題ねえだろ。キレさせた方がこっちに向かって来やすいからな」
「後は締めの策だけど。ナルミヤ、偵察に行ってもらった精霊は戻って来た?」
「ちょっと待って。ちょうど今戻って来たから」
ヒュッとナルミヤの耳元まで飛んで来た風の精霊がナルミヤに2、3呟く。
頷いてナルミヤはシルフの報告をみんなに展開した。
「百足龍虫の討伐隊は少し前に学園都市を出たみたいです。人数は5人」
「5人? たった?」
その報告にヴィルナは耳を疑った。
討伐難度特A級の百足龍虫相手にたった5人で挑むなど自殺行為も甚だしい。本来ならば10人以上で挑む相手なのだ。
そう言うヴィルナ達もたった4人で百足龍虫と相対しているが、足止めと討伐とでは訳が違う。討伐するとなるとミリアも含めても無理だと実感したばかりだ。
だが、ナルミヤからそのメンバーの内訳を聞いて、やや暗くなり気味だった心境が一変する。
「アルメニィ学園長、シグノア生徒会長、ルグリア副会長。そしてデニスさんとセリアラさんの5人です」
「学園長にデニス先生も来るのか。ならイケるかもしれねぇな!」
レイダーが表情を明るくする。
確かに人数は5人だが、戦力的には一軍にも匹敵すると思われる面子だった。
「ならこちらも次のステージに移るとしますか」
4人はお互いに頷き、そしてレミナが言った。
「みんな、私に手を触れて」
レミナに言われた通りに3人は手をレミナの肩に乗せる。それを確認し、レミナは呟く。
「真言、『私と』『触れてる人』『軽くなる』」
真言魔法による身体強化。
レミナとレミナに触れていた人全員の体を軽くする。これによって、移動速度は倍以上に跳ね上がる。
「よし、ついて来なさい、百足龍虫!」
そう言って全員が西に向かって風を切るように駆け出した。百足龍虫は怒りの雄叫びを上げて4人を追いかける。
その追いかけっこは討伐隊と衝突するまで続いた。