五十四発目:姉御が描くものは・①
デートにいくことになったジントと姉御の二人。
町はずれのアトリエから町に向かっていた。
姉御は絵を完成させたら俺に渡すことになっている。期限は今日から十日だ。
今はそのための絵具などの道具を手に入れるための道中。
現在地はというと、アトリエがあった島を落ちてから少し経ち、町が見え始めたくらいのところだ。
俺が今手に入れたい姉御の描く絵――欲しいものはそのキャンバスなのだが――は、とんでもない金額で売れたこともあるという。それならば色んな意味で注目もされているだろう。
あんまり想像つかないけど。
それでも、警備がいるとしても戸締りはした方がよかったんじゃないだろうか?
「なぁ姉御。本当に良かったのか?」
「いいの、いいの。それにお姫様抱っこって憧れるでしょ」
「……いや別に……じゃなくて……もういいや」
そもそもこの状況もいかがなものかと思う。
俺が姉御を両腕で抱きかかえて空を泳ぐ様に飛ぶこの状況。全く人妻相手に何をしているのだろうか?
珍しく着飾ったという姉御のワンピースもひらひらしていて抑えていないとまともに進むことすらままならない。
そんな俺の手や腕、同体、足には久しぶりに使う推進装置にその補助パーツが装着されている。
これは姉御の島に行くときにも使っていたものだ。
あの島には交通手段がないと言っていい。姉御が住んでいるから多少は物流の手段はあるのだろうが。
それでも、姉御がいるなんて元々知らないオレはこの装置を使って島までたどり着いた。
そもそも一人用の装備であって二人分の推進力があるわけでもないものだ。
だから島を出る前に聞いた。「この島にどう来たのか?」と。
答えはこうだった「人魚って知ってる? それを想像すればいいよ……想像した? んフフ……エッチいなぁジントくんは」。
――どっちがエッチいんだか?
それにしてもそれは人魚スーツ的な何かなのだろうか? それならば参考のために見せてもらいたいところである。あくまで参考のために。
姉御は自分の力で移動する気はなかったようでこの状況。
直前に俺がこの装備の出力に手を加えてたのだが、多少の不安定さがあり速度もそれほど出ない。
余計にスピードが出て怪我でもされたら困るのでなんにせよ問題はない。
姉御が俺の顔をつついてくる。
「……なんだよ。それになんだよその笑顔」
「別にいいでしょ。……それにしてもジントくんはさぁ、わたしに大丈夫か、大丈夫なのか? って聞く割には今の感じに抱っこしてくれたり、デートに付き合ってくれたりするよね」
「……それがどうしたんだよ」
「いやぁ、今までのわたしの人生でこんなに両親以外の人に甘させてもらえることなんて今までなかったからね。そんなジントくんに大切に思われてるイチカちゃんはどんな子なんだろうってさ」
「甘えてくるっていうなら姉御が勝手に……? 旦那に甘えるとかないのか?」
「……そんなラブラブな夫婦なんてそんなにいないんじゃない? 他は知らないけど」
「俺の親は……一応ラブラブなような気がするな。特に親方が甘えてる気がするな」
「お父さんのことを親方って呼んでるの?」
「まあな。あ、そういえば今は失踪中だったな。ブランクとかいう組織に誘拐されたらしいが……」
「…………! ブランクって……」
「まあ、気にしなくても問題ないから」
「…………!? 誘拐されたのに?」
「優先順位的にイチカを助ける方が先だからな。親方の方も、急がなくてもいいが助けに来てくれ、みたいに言ってたからな」
「誘拐されたのに余裕だね……」
姉御がなんとも言えないような顔になる。
「まあそんな顔にもなるよな。あの人とかかわるとそんな事ばっかりだから気にしない方がいいぞ」
会話が終わる。少しの間ただ黙っている時間が続くと、姉御の顔に逡巡が見え始める。
「……ねぇ、ジントくん」
俺は進行方向に向けていた視線を姉御の方に向ける。
姉御は決心のついた表情になる。
「さっき聞きそびれたけどイチカちゃんって、ジントくんにとってどんな子?」
きまりが悪いようで姉御の頬はうっすらと朱色に染まっていた。
今までとは違うその表情に俺は内心で一瞬たじろぐ。
ハッキリ答えた方がいい気がする。――何を?
俺はどうしてそう思ったのだろうか?
分からなかった。
その間に戸惑った俺の口は動いてしまっていた。
「……よく、分からない」
「……? 今ジントくんが動いてるのはイチカちゃんのためなんでしょ。それなのに分からない?」
「改めて聞かれると……」
――バチッ
「……! いってぇええ!」
それはデコピンだった。姉御渾身のその威力はその冷然とした表情を見れば明らかだった。
「何その答え? よく分からなくても、大切な人だからだ、くらいは言い切ってくれないと……馬鹿らしくなるじゃん」
質問をされたとき、俺の中には言い訳のような言葉が飛び交った。
――神様からもらった弾丸を使うために都合がいいと思っていなかったか?
――親方の煽りに乗ったんじゃないか?
姉御のデコピンはそれらを吹き飛ばしてくれた。
俺以外のことを言い訳にして、自分の感覚を疑って……馬鹿らしい。
俺がイチカを助けようと動いているのは大切だからに他ならないんだから。
「ありがとう」
俺の言葉に姉御は表情を緩めて返事をした。
「どういたしまして」
そして沈黙が訪れる。
それを破るのはまた姉御だった。
「決めた。決めたよジントくん」
「……?」
「どうしたの、分からない? 決まってないって言ったでしょ。だから決めた。誰の絵を描くのか。だから予定変更。イチカちゃんのところまで連れて行って」
まだ、道具類を手に入れたわけではないが、決まっていなかった絵の内容が決まったらしい。
それならば姉御の言うとおりにするのがいいだろう。
行動が一歩でも進む感覚に胸を躍らせながら、俺は頷くと進路を変えた。
● ● ●
島の外、それを漂い流される男がいた。
「やっぱり残念な気持ちだよ。でもなぁ、アトリエをあれ以上破壊するわけにもいかなかったし」
「この弾丸を拾えてついてるなぁ。こいつを使って思いっきり本気でひねり潰したいなぁあの三人組」
「今度はちゃんと本気を出してもらえるように……どうしたらいいだろう?」
「わかんないや」
「でも、さっきの場所だったら結局本気出さないだろうし……突然殺すつもりで現れてくれないかなぁ」
「まあ、それもそれとして今回の仕事もやらないと。ああ、面倒。とりあえずもらったリストで……近くのはこいつ。なんだこれ、ひどい写真だ。中途半端にハゲを恥ずかしがってるのか……なんだか殺したい気分が失せたな」
ハゲの写真のおかげで男の気まぐれで死ぬ生物は減ったかもしれない。
● ● ●
マッサージ屋に着き開口一番。
「サイテーですね英雄さん。ママがあんな状態の時に、英雄さんはその人をお持ち帰りですか?」
モリちゃんは俺を睨み上げる。
俺の返答を妨害するように姉御が答える。
「お持ち帰りというか? デート中なんだよねぇ。ね、ジントくん」
――こんなツンツンとした雰囲気のモリちゃんに何を言っているのでしょうか姉御!
「本当ですか? 英雄さん」
モリちゃんがさらに睨みを利かす。
相変わらずモリちゃんの睨みは、背筋におぞけが走る。
「成り行き的にそうだが……」
「ふ~ん。そうなんですか」
「でも、モリちゃん違うんだ!」
「何が違うんですか? 英雄さんがどこの誰とも知らない女性を連れてデートをしているという事実には変わりないでしょう?」
ここで姉御にも何とか言ってほしいところだが……
「……クスクスクスクス」
笑っているなら姉御も何か言ってほしい。
――爆弾になりそうなところをピンポイントで投下するだけして傍観とはいかがなものでしょうか!
「それで英雄さん」
「……はい」
「ママを助けるカケラの一つは見つかったんですね」
「へっ……?」
俺を睨んでいたモリちゃんの顔はきれいさっぱりに消え、さっきまでのことが嘘だったように破顔した。
それはとても眩しい笑顔だった。
俺は困惑し姉御の顔をうかがう。
「アハハハハハッ! ジントくん見事に騙されたね。気づかなかった? その子はそこまで本気じゃなかったよ」
「その人の言う通りです。半分くらい本気なだけですよ」
「モリちゃんが半分本気なだけでも十分怖いよ。さすがにその笑顔でぶっ飛んだからいいけど」
「それならよかったです。それで英雄さんその人は?」
俺は二人を紹介する。
モリちゃんには姉御が画家ということ。
姉御にはモリちゃんがイチカの住み込みの弟子のようなものだということ。
「そう、モリちゃんっていうんだ。じゃあわたしはモリーって呼ぶね」
「じゃあ私はお姉ちゃんって呼ばせてもらいますね」
なんだか妙な自己紹介だな。相変わらず姉御の方は本名を名乗らないし、モリちゃんもモリちゃんでそもそも本名なのか?
ここまで自己紹介で本名が出ないのは珍しい気がする。
そんな俺の表情を呼んだのかモリちゃんが言う。
「別に名前なんていいんですよ。呼称さえあれば事足ります。それに、今大切なのはママを助けることですので」
「でも、よく分かったな。姉御が記憶のカケラを持ってるってこと」
「それはそうでしょう。英雄さんがなにも訳が無く人を連れてくる特に女性を連れてくることはないでしょうから」
「やけに“女性”のところを強調するな」
「それはそうでしょう。ママがいながら……」
モリちゃんの話を遮るように姉御は「ちょっといいかな?」と言い顎を触る。
「さっきから気になってたけどモリーってイチカちゃんの娘なの? それなら相手は……」
姉御は空虚な目で俺を睨んでくる。
何かを感じ俺は首を横に振っていると、モリちゃんが補足してくれた。
「それは違います。勝手に私がママと呼んでいるだけで特に親子というわけではありません。ですがそれ以上に大切に思っています」
俺は続いて言う。
「モリちゃんの呼ぶママはイチカのことだし、お母さんは実験台にされていたのを助けてくれて人なんだよな。やっぱ紛らわしいな」
姉御は首をかしげる。
「話についていけないんだけど……」
「すみません。今、関係ないので気にしないでいいですよ」
「そうだね。あまり詮索もよくないね。それより私が気になるのは、ジントくんが英雄さんってどういうこと?」
モリちゃんが答える。
「英雄さんはこの町を襲った脅威から守ったんですよ。まあ、その脅威は私が巨大化させたゴリラや森で仲良くしていた動物たちなのですが……そういえばその弾丸が戻ってきていないような……」
「……?」
姉御が俺のことを知っていたのは、俺が英雄と呼ばれているのを知っていたからじゃないのか。
――それを知らないということは、俺を俺という個人として姉御は認識していたのか?
俺がそう思っていると姉御は思いついたように口を開く。
「ねぇ、ジントくん。お互いの中を深めるためにはよく知った方がいいけど、短期間のなかで同じ目的に向かうなら、必要以上に知らない方がスムーズにいくこともあると思うんだ」
「確かにそうかもな」
俺はそう答えるだけだった。
お読みいただきありがとうございました。
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