五十三発目:町はずれのアトリエ・③
アトリエにはジント以外の人間もいた。
それはいつか出てきた三人だった。
「ん……起きて早々うるさいな。お前ら! 今日は何の目覚ましをセットしたんだ?」
「リーダー、ちゃんと目を覚ましてください! ゴリラのいびきの目覚ましはとっくの前に鳴ってます!」
「ねぇ、リーダー。ガソリンのカクテルできたから一緒に飲む? 元気が出て目が覚めると思うよ」
こんな様子で始まるオレの日常。なんかちょっと違う所もあるが、まあいいだろう。
俺の名は無い。いつもこの兄妹にはコードネームとしてリーダーと呼ばれている。――コードネームの意味を成していないような気もするが……
オレと同じく、あの二人も名前はない。あるのはコードネームだけ、オレの時と同じくこいつらが付けた。
変な音を目覚ましに使う謎のセンスを持つ兄貴の方は、ブー。
ガソリンをカクテルにしているかわいらしい妹の方が、ラザー。
二人合わせて、「ブーとラザー、ブーラザー、ブラザー!」らしい。――正直ダサい。
故あってこいつらと三人「ブランク」という組織で働いている。
正直言ってその立ち位置は下の下の下っ端。でも、世界中の人々のために人知れず活動している組織の一員として、オレ達は誇りを持っている。
そんな下っ端のオレ達でも最近重要な任務を任された。
内容は遠くからある人物を偵察して来いというものだった。とても危険な人物と言われたので、うんと離れた。そのせいでオレは視認することができなかったのだが……
それでも失敗した。
観察対象の連れらしい奴から撃たれたらしい。ちゃんと見えてたあの二人から聞いた。
それで流されたオレ達は、町はずれの島で会った姉さんに助けられた。
姉さんには会うなり「お姉ちゃんって呼んでね」と言われたのだが、なんか嫌だったからオレは少し変えた姉さんと呼んでいる。そういえば名前を聞いていないが……無いのはオレたちも同じか。
助けられても姉さんの住んでいるアトリエに泊まらず、影の方でテントを張らせてもらっている。
泊めてもらおうとも思ったのだが、直前にオレの直感がそれをさせなかった。
って、なんだこれ? 走馬灯みたいに……
――オエエエエエ……ごっふ、ごふっ……
「おい、ラザー! 目を覚まさせたいのは分かった! そのカクテルを飲ませようとするな! 命の危険を予感して走馬灯みたから!」
「えぇ、美味しいのにぃ」
「それに、ブー! バカみたいに大声なのに、戦々恐々としたこの目覚ましを止めろ!」
「リーダーそれは……」
「自分に渡すように約束したものが、思ったよりも随分と値が張って驚きと恐怖が一度に襲って、叫ぶしかない状況になった男の声の目覚ましなんて聞いたことないぞ! いっつも変な動物の鳴き声かなんかの目覚ましだっただろ!」
「……聞き捨てなりませんね……リーダー! 変な動物の鳴き声とは何ですか! あれは動物たちのいびきです! 断じて鳴き声ではありません! そこをちゃんと認識してもらえないと困ります!」
なんだ、そのこだわり。そもそも、この目覚ましで起きるのはブーだけだ。
ラザーは何もなくとも決まった時間に起きるし、必要な時は俺はラザーに起こしてもらうしなぁ。
「すまないな、ブー。前向きに善処する」
「そうですか。分かってくれたのなら許します。言っておきますが、この叫び声に関しては知りません」
許してはもらえたが――すまない。正直分からない。
「ブーじゃないとしたら、この変な人みたいな鳴き声は?」
「リーダー! 鳴き声じゃ……」
「お姉ちゃんの、アトリエから聞こえるよ。変な鳴き声なんて言ってるんだろう?」
「ラザー! 鳴き声じゃ……」
「確かにそうだな。お前ら、耳澄ませろ」
「はーい」
「だから鳴き声じゃ……」
「いびきって、愛らしくていいよな。……耳澄ませろ」
「そう、あの愛らしいいびきを聞いたら、寝ていても目が覚めますよね! さあ耳を澄ませてください!」
やっと黙ってくれたか。――てかブー、お前チョロイ。
まあいいや。それでなんて言ってるんだ……って、耳を澄ませてもオレにはよく分からないな。
「ラザー、なんて聞こえる?」
「……膝が爆笑してる」
「なんだそれ、どういうことだ?」
「ガクガク……膝が爆笑、爆笑爆笑。んフフ……フフフフ。面白いなぁ」
「ツボにはまってるな。この時のラザー怖いんだよな」
ラザーは無理そうだし、ブーか。この鳴き声マニ……
「いびきです。それで、なんですか? 耳を澄ましても聞こえないのなら口に出して言いますけど」
こいつ……オレのアイデンティティである直観力持ってないか?
あの力にさらに持ってるならほんと俺の居場所ってないよな……
「何ですかその顔?」
「俺が、リーダーって呼ばれてていいのかなって思ってさ」
「いいに決まってるでしょう。そうじゃなかったらあの時助けませんでしたよ」
「オレ何かしたっけか?」
「……そんなことよりあの叫び声が何を言ってるか聞きたいんですか? どうなんですか?」
「オレの直感で見るにもう少しで終わりそうだし、なんか気になる。なんて言ってるのか聞かせてくれ」
○ ○
「姉御! 何度も聞くようだが……いいんだな! 本当にいいんだな! もらうぞ! もらうからな! 描き終わったら! 持ってくからな!」
「何度も返すようだけど、問題ないよ。もってけもってけ、もってけどろぼー!」
「……本当にドロボーにしないだろうな……俺はイチカのためにもらうんだからな!」
「だから大丈夫だって。イチカちゃんのために描くんだから。値段はないよ」
「でも姉御の絵は売れたんだろ高値で。一生豪遊できるほどなんだろ!」
「まあね。もう半分くらいは消えたけど。でもジントくん驚きすぎだよ。貰うとしても絵の具の代金くらいなのに。膝が爆笑しちゃってるよ! アハハ! 面白いなぁ」
「なんだよ! その額を聞いたら爆笑必至だろ!」
「そう? ……あ、そうだ! えいっ!」
「な! 急に抱き着くな! それに、その大きくて柔らかいの……あ、当てるな!」
「んん? 何のことを言ってるのかなぁ? お姉ちゃん全然分かんない」
「……だから……その……」
「なになに? ジントくんの好きな……お……」
「ああ、そうだ! さっきの食事で俺が使ってたのってお前の旦那の皿だろ。片付けの時に気づいたんだが大丈夫なのか?」
「……そう。……大丈夫だよ。旦那はいないから」
「そうだとしてもダメだろ」
「大丈夫だよ。気にしないから」
「何だ急に静かになって? どうした?」
「どうもしてない。ちょっと思い出したの。準備してくる。待ってて」
「……お、おう」
○ ○
――これ絶対叫び声以外も聞こえてるだろ。
ていうか、あの会話の前にラザーが笑ってたってことは……耳良すぎじゃね?
ていうか、この空気なに?
ていうか、姉さんくっつき過ぎだろ。
「リーダー、妬いてるの? お姉ちゃん大きいもんね」
「な、ラザー! 何言ってるんだ! オレはお前一筋だ!」
「何それ初耳。それに大丈夫だよリーダー。あたしにはお兄ちゃんがいるから」
「リーダー! 妹を貰いたいのならこの僕を倒してからにしてください!」
テンパって変なことを勢いで言ってしまった。
もちろんラザーを大切に思っている事実はある。同じくブーのことだって大切に思ってる。
だとしてもだ、俺が原因だとしても、二人に変なスイッチが入ったこの状況……とおーっても面倒くさい。――よし。
「もっかいオレは寝る。姉さんとの約束もあるから何か動きがあるようなら起こしてくれ」
「はーい。了解」
「わかりました」
途端に素直だな。まあ、いつものことか。
ほんとオレってどこでも寝れるのな。
少し自分に呆れながら眠りについた。
● ● ●
「ねぇ、リーダー。起きて~。ねぇ、おきてぇ~動きがあったよ~」
「…………」
「ん~起きない……そうだ! ……お姉ちゃんがデートしてほしいって」
「……へ?」
「ほら向こうから。耳を澄ましてみて」
オレたちがいるのはアトリエの裏手。表の方から微かに声が聞こえる。
○ ○
「ほらほら、ジントくん早速デートに行こうよ」
「態度を急変させやがって。さっきまでの不機嫌はどうしたんだよ。それに、行くのは画材を買いにだからな」
「何言ってるの? デートをするからついでに画材を買うんだよ」
「違うだろ。画材のついでにデートだろ」
「おやおや、デートしてくれるのかい?」
「あっ」
「あっ、じゃないでしょ。ていうかジントくんそれってわざと? それとも無意識的にノリがいいのかな? それとも……」
「……行くぞ」
「…………」
「どうした? 行くぞ」
「この姿を見て何か言うことない?」
「おまえは既婚者なんだろ。本当にそんなことばっかしていいのかよ」
「大丈夫、大丈夫、問題ないから。珍しく着飾ってみたんだから」
「……はぁ……着てるのは、プリンセスラインのワンピースか」
「よく知ってるねぇ。そうだよ」
「服選びのセンスいいな。とっても似合ってるよ。姉御の魅力をさらに引き立ててるよ」
「そ、そう……あ、ありがとう……うれしい!」
「でも、センスがいいが、って感じだな」
「むっ、どういう意味?」
「姉御の普段着でもどうかと思うが、その服でこの林を抜けられるのか?」
「……ありゃ、どうかな?」
「とりあえず外までの道案内は頼む。何かあったら手伝うよ」
「ありがとう。じゃあ、行こう」
「ああ。そういえば戸締りはいいのか。しっかり扉の強度からしっかりやらないと大変なことになるぞ」
「そのことなら大丈夫。少しの間、警備をしてくれる人たちがいるから」
○ ○
「えへへ。リーダー騙された。……うぅ、痛いよぉ」
「おいラザー、からかうのもいい加減にしないとオレだって怒るんだぞ。お前のほっぺが伸びきるまで引っ張るのをやめなくなるんだぞ」
「もう引っ張ってるよ。ていうか、やっぱお姉ちゃんに惚れてるの?」
「そんなわけないだろ。もし惚れてたとしても、それはあの姿にだろうな。くびれから腰のあたりのラインが何とも言えない美しさがある。そんな人と一緒に居られるかもと思えは……少しは……って何言わせるんだ!」
「リーダーが勝手にべらべらしゃべっただけだよ……」
「何だよラザーその眼は」
「いやぁ、アタシ一筋とか言ってた人がアタシとは縁もゆかりもないものに見とれてたなんてと思って。アタシって、見る限りスットントンだし……あれ? リーダーって節操ない感じ?」
――こいつ、ただ面白がってからかってるだけだろ。
「痛い、痛いからやめてリーダーお嫁に行けなくなるよぉ」
――やっぱこいつふざけてる。めちゃ棒読みだ。
「リーダー、ラザーに何してるんですか?」
完全に空気を凍らせるほど冷えたセリフにオレは振り返る。
――おいおいブー、お前。あんな棒読みのセリフを真に受けたのか? チョロ過ぎるだろ!
「……なにビビってるんですかリーダー?」
――そりゃビビるから。絶対零度の顔でズイズイ近づいてくる男にビビらない奴はいないだろ。
「僕はただ報告に来ただけですけど」
――おい、ラザーこの状況が面白いからってクスクス笑うな。でも、かわいいんだよなぁ。
「怖いから顔を近づけるな! 報告するならするでその表情を戻せ! それにな、さっきのラザーのセリフはただの戯言だ」
「そうですか。ならよかった」
「すんなり信じるんだな」
「そりゃ僕らのリーダーですから」
「それが理由か? まあいいや。それで報告ってなんだ?」
「姉さんがデートに行くようなので、アトリエの周りの地形を調べておきました。その際に妙な気配が。ハッキリとわかりませんでしたから気のせいかもしれませんが、人ならばそれなりの手練れです」
「そうか……確かに、歓迎できない客が来そうな感じがするな。二人とも戦闘の準備もしておいてくれ」
「……クスクス……了解リーダー」
「そのつもりです」
ラザー、お前はいつまで笑ってるんだ……まぁ、かわいいから、まあいいか。
● ● ●
オレは自分の首を通している黒い輪に触る。その輪は、俺の首から一生外れることはない。
オレは失敗作だ。
失敗作は、失敗した時点で死ぬ。殺されるのではなく死ぬのだ。
でも、あの兄妹に俺は助けられた。オレが何をしたのかは覚えていないが。
それでオレは中途半端な失敗作になった。あの兄妹も同じく中途半端な失敗作だった。
それでもよかったと思う。
オレの命は他人に助けられた……今は家族のような奴らだが、それでもその命は他人様のために使うべきだと思ってる。
だからこそ、今のようなこの状況はとてもそれを感じられる。
姉さんが出てからそれほどしないうちにその男が来た。
その男は俺たちに気づいていながらも現れた。
「チッ、なんだよ警備のやつらがいるなんて情報なかったのに」
銃を向けながらスーツ姿の男が言う。
「いやいや、情報がなかったからと言って真正面から堂々と入ろうとする泥棒はいないだろ」
オレは両手でそれぞれ違う弾丸を入れた銃を構え、右側にはラザー、左側にはブーがいる。
「俺はただのセールスマンだ」
「だったら銃はかまえないだろ」
「じゃあ、泥棒でいいや」
「それなら納得」
オレは一歩左に飛ぶ。
――パンッ
軽い銃声が聞こえ、右のこめかみをかすめる。
「よく避けられたね」
オレの髪の毛が火花を散らして弾けた。そして、その弾丸が直撃した。アトリエの扉が爆発する。
「鍵も閉めてない扉を破壊するなよ!」
「あらら、なんて不用心な。泥棒にはに気を付けないと」
「お前が言うなよ」
そしてオレたちはまた銃を構え合う。
すると男は――ククク、クククと笑いだす。
「お前ら面白いな。俺って強い奴が好きなんだ。泥棒をしながらたまに会う強い奴を殺してくのが楽しくてさぁ。おまえら、その中でも強いな。それに、さっき出てった男はそうでもなかったが、でも何か危険なにおいがした……そうだ、今度はあいつにしよう」
「早速オレたちのことを死んだことにするのはやめてくれないか?」
「あたしたちだってそれなりに危険な場所を通ってきてるんだよ」
「僕らが不覚をとることはない」
男が下卑た笑みを浮かべる。
「楽しみだなぁ……ゲヘヘへへ」
最初に動いたのはこちらだ。
俺は男の方に構えてた銃を、左右にいるブーとラザーに向ける。そして引き金を引いた。
「……仲間割れってわけじゃあないんだろ」
「ああ。右のは〈起動〉左のは〈覚醒〉ここからは、避けることしか能がない俺の出番は終了だ」
両方の袖が広がっていて、腰のあたりで切り返されスカートのようになっているラザーの服が、内側からの風でなびく。その頬には青い光のラインが浮かび上がり、髪が光り輝く。なびく服の隙間からは所々機械のようになった腕や足が見える。
ブーは服を脱ぎ上半身が裸で、膝の辺りに武骨な金属が付いたズボンをはいただけの状態に。すると、肌の色が変わり、筋肉が肥大化していく。目は血走り、髪は禍々しい色に染まり頭には角のようなものが現れる。
「お兄ちゃん」
ラザーがそう言うと、ブーは頷く。
ラザーの差し出す左腕をブーが握ると、腕が肩から外れる。すると、ブーの両手に変形しながら絡みつく。
「行くよ」
ラザーがそう言うと、右手をブーの背中につける。また肩から外れ、体を沿うように変形して両手と膝のあたりの金属に繋がる。膝の金属は足を囲うように変形する。そして、ブーの体自体も骨格から変形する。
ラザーの両腕はなくなり、ブーは金属製の蹄を持った牛のような姿に。
その姿は言うなれば天使と悪魔のようなものだった。
「これはすごい! ああ、これを使って本気で戦いたい」
そういう男の目の前には、天使もといラザーがいた。
「……! いつの間に……!」
ラザーがふわりと浮き上がるとその奥からは、ブーが突っ込む。
「危ない危ない」
男はひょいとかわす。
「……本気でやりたいなぁ……戦いに熱中したいところだけど、一応今日のメインは絵だしなぁ……さすがにこの相手に本気を出すとここら辺はただでは済まないし……仕方ない」
男はひょいひょいとかわしながら、そんな独り言を言う。
男はこちらに言う。
「ここじゃあ本気出せないからまた今度やろう。とっても残念な気持ちだよ。今度やるときはちゃんと本気でお願いね」
そう言うと、男は去っていった。
オレは銃に〈解除〉を込めてブーに撃つ。
「さすがに単調過ぎたか? まあ、目的はただの足止めだから問題ないか」
オレはそう独り言を言うと、ブーとラザーの元へと向かった。
そこでふと思う。
――“ちゃんと本気でお願いね”ってのはオレ達を煽ったんじゃなくて、アトリエに近づけないようにしていたのに感づいたからの言葉か?
そうだとしたなら。
「嫌な奴だったなぁ」
ラザーが蹄のようにブーの両手両足に巻き付けた体の一部を自信の両手に戻す。
オレはそれを確認するとラザーに〈解除〉を打ち込む。
その弾丸を撃たれた二人は人の姿に戻る。
その二人の姿はとても元気なものだ。
オレは男が去った方向を見る。そして、
――またあの泥棒に会いませんように、
と心で願うのだった。
そんなオレの内心ではその願いを嘲るように笑う自分がいる。
――『物語でもよくあるだろう。その願いは叶わない』
首を絞められた気がした。――オレの首に周る黒い輪に。
その輪はオレの能力の源。
元の能力から歪んだその能力は〈予知〉。漠然としたものを前もって知れる程度のものだ。
それでもオレは願いたい。
――また奴に会えば、ただ漠然と、後戻りできない気がするから。
今回は、ジント以外の一人称での話でした。
次回はジントに戻りますが、これからはたまにこんな感じの話もあります。
次回は一週間後です。




