五十一発目:町はずれのアトリエ・①
ジントは親方からのメッセージを受け取る。
内容は助けに来いというものだったが、期間は問わないという。
ジントは親方を放っておき、〈記憶〉を受けたイチカを助けるために記憶のカケラを探しに工房から飛び降り、ある島へと向かった。
目を開くと見覚えのない天井。
そもそも目覚めたときに天井なんて大体認識はしないが、今日のところは違う。
視線の先は木の板が等間隔に貼られ、綺麗に浮かんだ年輪が妙に美しく物珍しいと感じる。
ぼやけが抜けきらない意識で部屋を見渡す。
首を少し動かすと外が見える位置にある窓。外で木々が揺れ、大きな角を持つ動物が風に体毛をなびかせながら闊歩しているのにこの部屋には風が吹かないことでやっとあるのだと分かる。それほどの透明度のガラスだ。
大きな窓は、光を受け入れ部屋を明るく照らす。
天井と同じような壁は、木材の色の違いを利用していて見ているとなんだか落ち着く。
部屋の中には、窓側に今寝ているベッド、その反対側の扉とベッドの間にある持ってきた大荷物だけが置かれていた。
それ以外は家具も何もない。
しいて言うと、不意に視界に入った大荷物が机のように見えなくもなかった、使おうと思えばそのような使い方もできるだろう。
俺は視線を天井に戻す。
今日でイチカが〈記憶〉を撃ち込まれてから五日目だ。今日を含め猶予は後二十六日。
その情報も定かなのかは分からない。
た、多分モンダイナイ……な。
「なあぁぁ! とぉーっても嫌なこと思い出した! 何でホモに好かれにゃならんのだ!」
ああ! 過去のことはどうでもいい。情報が正しくても、それが早まるかもしれない。
急がないとな……でも、姉御が相手だとそんなことできそうもないし、焦ろうにも焦れないし……
「ジントくん! あれ、家具置きましたか? 朝ごはんできてるから早く来てね」
透き通るようなな声音が聞こえてくる。
噂をすると、だな。
起き上がって、扉の方を向きベッドの上で胡坐をかく。
「そんなもん置いてないから……確かに大荷物は持ってきたけど、なんだよその質問」
その子は、藍色のホットパンツに白いシャツその上からエプロンを着て、腰まで伸ばしたサラサラとした髪を後ろで束ねている。
涼し気な印象だが、特にそういうわけではなく、この格好が都合がいいらしい。
彼女は笑顔で答える。
「いやぁ、『ジントくん、起きた?』って聞いてもつまんないでしょ。だから、大荷物を机に見立ててお姉さんとイチャイチャ教え合いっこしようというジントくんの見え見えの魂胆を見抜いたことを気づかせて赤面させようという魂胆だよ。じゃ、早速だけどイチャイチャしちゃう? ねえ、ジントくん」
いつ俺がそんな妄言を言った? この荷物が机に見えたことはよしとしても、どうしたらその先があるんだよ。そもそも姉御がそんなこと言っていいのかよ。
それに今は僅かでも時間が惜しい。
「しないから。でも、朝はありがたくいただくよ。もう少ししたら行くから」
ムッ、急に笑顔がムスッとした表情に……
「昨日来たばっかりなのにくつろいでるよね。女の子の家なのに……少しは緊張してくれてもいいんだよ?」
そんな顔されても、あれだしなぁ。
……うん、昨日しかり……この微妙に気まずい感じは……これは何とかしないと!
「緊張も何も、あ・ね・ご、が緊張する間も与えないんだろ!」
「…………」
……そう黙られたら気まずいんだが。
「……どした?」
「だから……お姉ちゃんて呼んでよぉ!」
――ほれ来た。
……ていうかこの女、この空気を演出してないか?
姉御は叫ぶと、床を蹴って飛んでくる。
後ろには見づらいけどガラスがある。避けたらぶつかって大惨事だ。そうでなくても避けはしない。
この人にけがをされたらシャレにならない。ただでさえ今日は新しく買わないといけないというのに、さらに目的の達成も遅れてしまう。
ということで受け止めると。
「おわっ! ちょ、あ、当たって……当たってるから!」
「なんだなんだ? ジントくんはお姉ちゃんのおっぱいが御所望かな? 甘えん坊さんめ!」
これである。
彼女とは昨日今日の間柄だが何を思ったのかボディタッチがやたらと多い。
本人曰く“気まずいから”みたいなこと言っていたが、それだけではないような気がする。
まあ、確かにできることならイロイロと御所望したいところであるが、それは色々とマズい。
――精神的にも、精神的にも、そして精神的にも……
今までにイチカと何かとボディタッチが多かったため気づいたのだが、俺自身触られることが得意ではないらしく、このようなコミュニケーションをされると緊張以前に頭の中が白くなる。
要するに俺の精神状態がもたないということだ。
それに加えて、色々とマズいというのには……
「だ、だからやめろって! あ、ああ、あんた既婚者だろ! この状況見られたらどうするつもりだ!」
ということも含まれている。
旦那さんの性格にもよるが、この状況を見られたら半殺しにされる危険性もある……正直なところ彼女の身に着けているものが単なるアクセサリーであることを願いたいが、その望みは薄いだろう。
なぜなら、ここに招かれたときに見えた食器が二つずつだったからだ。皿の種類から見てもひとりで何枚も使うようなものでもなかったし、キッチンもきれいにされていて洗い物を残しておくような性格でもないようだからだ。
「…………な、なにぃ、ばれていただと!」
なぁに、今更バレたと言われたところで知っているから見れば分かる。
それに、そんなあからさまに芝居がかった驚き方をするな。こっちもあんたのせいでいっぱいいっぱいんなんだから。――精神的に。
でも、妙に驚き方がどこか焦ったというか……見当違いのような……まあ、そんなことはいいか。
とにかく言い返すために、豊満な胸に顔を沈められながら俺は吠える。
「その指輪、着けている場所見れば分かるわ!」
「むぅ、今時にこの指輪の意味を理解する男がいるとはね……」
神妙なような、珍妙なような……姉御がシリアス口調で言っても、俺の頭はホールドされて、さらには胸に埋められている。
強引に引き離してもいいが、そうすると頭の中が真っ白になり感触を……ではなく、ふいに怪我をさせてしまうかもしれない。
俺は何も見えないながらも、彼女は何かに気づいたようで、声が聞こえた。
「はっ、さてはその眼で、エプロン越しの私の体をむっつりと観察していたり……」
「はい!? 何をどう繋げればそうなるんだよ! ていうかしてない、してないから! そもそも今はそれどころじゃ……」
そもそも今の状況(胸を押し付けられてのホールド中)でそんなことできる余裕はない。――精神的にピンチ。
今でないなら気にかかるのは『記憶のカケラ』のことだ。――イチカを元に戻すため。
今! そう、今だからこそ! 頭の中が白みがかっている今だからこそ! この柔らかな感触を……
「ひひっ、そうだよね。ジントくんがそう見てあげるのはイチカちゃんだけだもんね」
そう言うと、彼女の腕に再度ギュッと力が入った。そして、ホールドを解かれ頭が自由になった。
ああ、なんだろう。とても罪悪感を感じる。原因は……俺ですね、はい。――イチカ、ごめん。
「じゃあ、冷めちゃうから早く食べに来てね!」
かわいらしい笑顔を残し姉御は部屋を去った。
我慢してたからなのか頭の中が今になってさらに白く染まっていくのを感じる、頭を振りそれを振り払いながら彼女が出て行った扉の方を見る。
「こんなことしてると冷めるだろ。まったく」
口だけの文句を溢し、立ち上がると寝間着から着替えるために荷物を漁る。
着替え終わり、最後にシンプルだが使い勝手のいいお気に入りの弾丸収納ベルトを身に着けるとベッドに腰かけ、視界を掠めた一つの弾丸を何気なく取り出す。
「好きな人、俺を愛する、俺が愛する、その人を見つけろ、か」
取り出した拍子にこのフレーズを思い出していた。
この弾丸は今の俺では使えない。使うための条件がさっきの言葉だ。
随分と前のことに感じる……果たしてあれはなんだったのか、今もよく分からない。
――色々あって忘れかけていたけど、この弾丸をもらった日があるからこそ今日この日があるんだよな。
「イチカと過ごしていたのもこの弾丸があったから……だろうか。だったら不純な理由だな」
今の状況がどうであろうと俺はその日を否定はしない。
苦笑しながらも想う。
あの日、夢かどうかも定かではないよくわかない場所、そこで神と名乗る存在にこの弾丸をもらったんだよな。
座ったまま上半身を後ろに投げ出す。
背中に感じたベッドの感触はさっきよりも硬物になっている。そういう服だ。
弾丸を掲げ光にかざす。
青く透き通った弾丸に光が入り、弾丸の中に見える気泡のような部分をさらに青く輝かせる。
小さくて、酷く脆そうな見た目に反しその輝きはと力強いもので心奪われる。
見ているとふと思う。
「人を好きになる……定義が曖昧。愛する愛される……同じく曖昧。曖昧だからこそ少しの綻びで脆くも崩れる。そもそも理解している人はいない。愛されていると分かるときは来ない」
――なんてな。
自分でそんなことを言ってまた苦笑をしてしまう。
輝く弾丸をさらに目に近づけ覗く。
その光は目を焼くことのない優しいものだった。
「俺が好きなのって誰なんだろうな。イチカ? す……嫌いではない。モリちゃん? 家族として愛すると言ったけど、この弾丸が使えることはなかった。姉御? なんだか初めて会った気がしない。でも、実際昨日会ったばかり。嫌いではない」
なんだか妙に嵌り切らないような……変な感じだ。
俺が好きになったら、姉御もイチカも俺を好きになる可能性はあるのだろうか?
こいつを使えるようになるのか?
……なんだかガチッと嵌らないな。
「俺って誰でもいいのか?」
……そうか! 『誰でもいい』のか。
好きになってしまえば誰でもいいじゃないか。
好きになったのがその『誰』ってだけだから。
なろうと思っても思わなくてもそうなればそれでいい。
おっ、何か浮かんできた!
『脆そうに見えても、脆くはない。脆く見えなくても、とても脆い。
そういう関係の中で生きていく。繋がって壊れてを繰り返して、
最後に残ればそれが…………』
そうか、そういうことか! 面白い! 何が残ろうがそうでなかろうがどうなるのか分からない……だからこそ胸躍る!
――なんてな。
俺は何度苦笑いをすることか。それに、何が何だかサッパリだ。
だからこそ、なんだか楽しみな気がするけどな。
「さぁ、腹減ったから行くか」
俺は思考を切ると、弾丸を仕舞って飛び起きて姉御が待つ食卓へ向かった。
● ● ●
姉御と会ったのは昨日のこと。イチカが撃たれてから四日目のことだっだ。
――ザザザザザ、ザザァ、ドスゥン。
「ぐはぅ」
背中の方から落ちて地面に叩きつけられた。
落ちてくるときに枝に絡まり失速したことと、大きなリュックを背負っていたことで和らいでいたようだが、少しの間多少悶絶するほどの衝撃が全身を走っていた。
少しして動けるようになり、身体が少し痛みながらも軽くなった体で軽くストレッチをする。
木に立て掛けていたリュックを、重さを感じながらもう一度背負いなおす。
「いってぇ、こんな重いの背負ってるとバランスがとれやしねぇな。そもそも入り口が人の住む島と全然違うし。人が入るように設計してないだろ! ……天然の防壁だし当然か」
文句を言うが背負っている物の中身は、数日分の衣服に食料、調理器具など。リュックはそれを全部入れるため内容量の大きい直方体型の物だ。側面には弾丸を入れるポケットが幾つかついていて何かと便利だったりする。
そのポケットから懐中時計のような物が繋がっている弾丸〈捜索〉を取り出し、顕現させた銃に込め引き金を引く。
赤い宝石で装飾された懐中時計部分から半透明のスフィアが空中に投影される。その中心部から何本か伸びる赤い光、その中で一番近くを指す光に向かって木を避けながら歩を進める。
俺が今いるこの場所は町外れにある天然の島の一つだ。ここの島には特に名前はない。人は住まず、木々が生い茂り、動物たちがひっそりと暮らすそんな島だ。
この島に入らず、さらに町の反対に進めば【森】の周回軌道にぶつかる。モリちゃんと出会ったその場所は特異な進化を遂げた動物たちが支配する危険な場所だ。それと比べれば随分と穏やかに感じてしまうが、だとしても油断はできない。
過剰戦力だが危険な時は〈究極〉を使用しなければならないかもしれない。そんなことにならないように慎重に進まなければならない。
「にしても……重い」
進み始めてはや数時間、息は切れ、身体も重く、足取りも重い。
「何かおかしい……光の方に進んでいたはずなのに……この島そこまで大きく見えなかったんだけど……おかしくね? この光をまっすぐ辿ってるのに端にすらたどり着かない死……とっくに横切ってるはずだ死……水持ってくるのを忘れた死……本当アホだ死……語尾が『死』になってる死……」
俺はこの数時間の間、俺は延々と歩き続けていた。
記憶のカケラは生物には宿らない……らしい。
だから、そこらへんを飛んでる虫ではないはずだ。だとしても見逃さない。
石だとしても流されるような川も見当たらないし……
なんだよこの島、日差し強いし、湿度も高い。
人が住む島は人が住みやすいように温度や湿度を調節できるようになっているけどこの島は違う。天然の防壁で覆われている島だ。人間の都合なんて考えちゃいない。
時間もないし、もう少しで見つけられる、と自分に言い聞かせ歩き続けたけど、もう無理。
頭痛いし世界が何回転もしてるし、ああもう……死ぬ。
「水が欲しい、水が欲しい、水が欲しい、水が欲しい、水が……」
あるはずなんだ、歩いている時に何匹か動物を見かけた。体格が大きいやつもいた。それなら、近くにあるはずなんだ水場が……
――ポチャン
潤いを求める俺に天使の囁きが聞こえた。
一目散に音のした方に走り出す。
木々を避け、生い茂る草をかき分け、最後の灯のように力強く地面を蹴った。
そして、開けた場所にに飛び出す。
湖が視界に入り、遠のいていた意識をがっちりと握り……つぶした。
俺は、目前のオアシスを目に映し、燃え尽きたのだった。
水面には人のような影……天使だろうか?
そこにいるはずの誰かに向かって手を伸ばす。
「……ちょっと手、貸してくれ……イチ、カ……」
そして、俺は地に伏した。
ご精読ありがとうございました。
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