二十九発目
お待たせいたしました。
以前とは内容が少し変更されているところがあります。
辺りは暗闇に隠され、木々に囲まれた島の中では動物たちが一人の少女を囲んでいた。
動物たちの目はその少女に向けられる。
美しい瞳を持つ少女は自分を囲む動物たちに向け声を張る。
「ここにはいずれ英雄さんが……仲間たちを殺した人間が来ます」
少女は誰かを思い出すようにして言葉を紡ぐ。
「その人間は私たちと同じように自分の縄張りを守っただけです。そして、私たちは人間の縄張りを侵犯しました。人間は特に縄張り意識が高い動物で、縄張りを犯した者は縄張りの外まで追ってくることもあります。だから私はその人間を呼びました。人間は縄張り意識が高いと同時に自らが手を汚すことを恐れます」
少女は動物たちに話しかけ続ける。意味が分かっているかは分からないが動物たちは少女の言葉に耳を傾けているようだ。
少女は再び声を張る。
「ここには人間が来ます! 私たちの殲滅を押し付けられた人間が! ですので、皆さんで盛大に歓迎いたしましょう!」
少女が宣言すると同時に町に届くほどの咆哮が少女を中心に巻き起こる。
「……私は自らのために失敗してしまいました。尻拭いさせてしまうようで申し訳が立ちませんね」
自らを戒めるように発せられた少女の声は動物たちにかき消される。その後に続く少女の心の声も……
「……どうか……英雄さん……この子たちを……そして私の願いを……」
誰のもとにも届かない少女の声は、動物たちへの愛に満ち、それと同時にどこまでも深い寂しさを感じさせた。
動物たちには声は聞こえずとも、その少女の思いは少女の知らないところで届いている。だから動物たちに寄り添われ、動物たちには少女の言葉は受け入れられる。
少女は【森】の全てに愛される。
だが、その愛を受け入れることを今はできない。
● ● ●
気分の悪さに吐き気を覚えながら、俺はベッドの上でうずまる頭の中身を整理しようともがく。
状況証拠から考えると、俺たちが相手にするのは【森】だ。
正確に言うと森にいる動物たちだ。
それを使役するのはモリちゃん。
モリちゃんを倒せば森から動物たちの襲撃に怯えることはない。
俺はもともと怯えてはいない。
襲撃があったとしてもなんとかできる。
怯えているのは町の住民でいつ襲われるのか気が気ではない。
ニュースにもだいぶ取り沙汰されている。
それを見た親方が気まぐれでイチカに依頼をした。
俺もそれに同行することになった。
最初に町が襲われた時に俺は動物たちと戦った。
殺して英雄といわれた。
戦ったのは動物たちを連れてきてしまったかもしれないから。
尻拭いのつもりと島を破壊されそうになったから。
町を守ったつもりは毛頭ないが、俺は英雄と呼ばれ、そう呼ばれたところで腹癒せや押し付けを受けた。
英雄なんて都合のいいものにすぎない。
その時モリちゃんの言葉が頭をよぎる「動物を殺しただけの英雄さん」という言葉が。
本当にその通りだと思う。
俺は殺しただけで英雄と呼ばれた。
どこかの伝説のように、殺しによって英雄と呼ばれた。
――英雄と呼ばれるならもっと違う形でなりたかったな。
不意にそんなことを思った。
「ジント、一人でどうしたの? こんなに部屋を暗くしてさ」
俺が一人で結論も出ないままベッドの上にいると、急に扉が開かれる。そこにはいつも通り元気な笑顔で、いつもと少し違った雰囲気を纏っているイチカがいた。
俺はその姿を見ると自分でも嫌になるほど弱々しい声を出す。
「……何でもない……」
「何でもない訳じゃないでしょ? ……そんなに小さくなっちゃって」
「……イチカ……考え事をしているんだ……ほっといてくれ……」
俺が拒絶するようにそう言うと、イチカは顎に指をあてて子首を傾げる。
「うーん……それなら、私が話し相手をすればまとまるのも早くなるんじゃないかな」
するとイチカは俺と同じようにベッドに身を預け、覗き込むように顔を向けてくる。
――俺の部屋から出る気ないな……イチカはいつも通りかわいい顔してやがる。
しばらくすると、イチカは天井を向き優しい笑みを浮かべながら話しかけてくる。
「ジント、さっきのすごかったね」
「……何の話だ?」
「ほら、うちの子を見つけたあの時計みたいな物のことだよ」
「……ああ、あれの事か」
俺は宝石がはめられ、見事な装飾が施された時計の事を思い浮かべる。
「そう、あのきれいな……あれ、そういえばなんて言えばいいんだろう。ねえ、ジントってあれの名前知ってる?」
「いや、おれも知らないな」
「じゃあ名前を付けようよ、子供ができた夫婦みたいに」
「フッ……なんだよ、その変な例え」
「むぅ……笑わないでよ」
「そんなこと言われたって急にそんなこと言うから」
「もういいから! 早く名前を考えよう」
「はいはい分かりましたよ」
「いい加減な言い方しないでよ」
「じゃあどう言えばいいんだよ!」
「……例えば、マッサージを頼むときのように……やりたい?」
「嫌だよ、痛いから」
「え、ジント……マッサージされたくないの?」
「なんだよ! その意外そうな表情は!」
「え、いや、だって……いつもいい顔してくれるから」
「それはお前の趣味だろーが!」
「……好きだから受けてたんじゃ……」
「なわけねーだろ!」
話をする中で、気分の悪さも忘れ、話も逸れる。それでもイチカと話すのは楽しかった。
――そんなこんなで話は戻ったが、時計のようなものもといその弾丸の名は〈捜索〉に決まった。かっこいい名前も、しゃれた名前も浮かばずに、気持ちの良いほどその弾丸を表した名前だ。我ながら名前を付けるのは苦手のようだ。イチカも俺と同じような感じだった……本当に子どもなんてできたら名前はどうするんだって感じだな……って、なんで俺はこんなこと考えてるんだよ! ……そんなこと起こるわけ……ないよな。
――なんだよその間! 期待してんのかよ!?
○ ○ ○
「ジント……楽しいね」
脈路もなく急にイチカが話しかけてくる。
「……何が?」
「今話していることとか、〈捜索〉の使い方を一緒に考えてた時とか、デートしたときとか、ご飯を食べてるときとか……挙げるときりがないよ」
「……そうか、それは良かったな」
「うん……私さ、ジントと会ってから何をするにも楽しくなってね……特にジントと一緒にいるときが楽しいんだ」
「……へ~そうなのか……何でだろうな?」
「さあ、分かんない。でも、嫌なものではないから分かんなくてもこれでいいような気がする。むしろ分かっちゃうと……ううん、何でもない」
イチカは何かを言いかけ首を振る。
――なんだろう、イチカの話を聞いてると、
「イチカって、俺と一緒にいたいとか思っていたりするのか?」
頭に浮かんだことを吟味することなく俺の口から出ていた。
そんなこと思いもしていなかったのかイチカは目を見開く。
「どうなんだろう……う~ん……考えてみると、最近はジントが傍にいるものだって思っていたりするね。一緒にいたいというよりかは、一緒にいるのが当然のように……何かよく分からないね」
「……まあ、俺もイチカの隣が俺の定位置みたいだなって思ったりすることがあったな」
「……なんだろうね」
「……さあ? よく分からん」
ベッドの上で隣同士座りながら俺はイチカと話をする。
お互いが似ているような結論の出ない話に興じ、自然と俺たちの周りは落ち着いた空間へとなっていた。
なんでも受け入れそうな落ち着いた空間の中、満を持してイチカは話しかけてくる。
「ジントは悩んでいることとかある?」
「……何で急にそんなことを聞くんだ?」
俺たちの周りの空間がわずかに落ち着きをなくす。
「だからさ、ジントが何を考えているのかは私には分からないけど……何か悩んでるっていうか……心がもやもやってしたら私に相談しほしいんだよ。……力にならなくても一緒に考えて……いや、考えたいから」
イチカが俺にかける言葉には自然と不快感はない。
「……お節介だな」
だが、俺は軽く不機嫌そうに返してしまった。
――我ながら嫌な奴だな。
俺の返答に困った顔をしながらイチカはパタパタと手を振る。
「そうだね、私もつくづくそう思うよ」
そう言いイチカは続ける。
「ジントがこの部屋に来たのはニュースを聞いてからだよね。丁度ニュースでモリちゃんの話題になってたよね」
「……それがどうしたんだよ」
触れられたくないような所に触れられそうな気がして、俺は粗暴に答える。
それでもイチカはお構いなしに続ける。
「私は、ジントがそれを聞いて気分を悪くしたように思ったんだよね」
イチカは額に指を置き目を瞑る。
「内容は、『町の英雄に接触した謎の少女の正体は? 英雄との関係は?』『町の英雄はこの問題を解決してくれるでしょう!』その後の町の人の声は、『森を焼き払え!』『動物を皆殺しに!』とか『あの少女のせいよ! あの少女の皮をかぶった怪物を殺して町の英雄!』とか『魔女狩りだ! あの少女は魔女に違いない! 町の英雄できるのはあんたしかいない!』その後も、『英雄さんお願い!』『英雄さん』『英雄!』『頼んだ英雄!』まだまだあったね。それとは逆に森で起こっていることを探って平和的に解決しようとしているのもあったけど、やっぱり過激なものが多く取り上げられてたね。それも町の英雄に任せようとした内容だったね」
イチカは「覚えているのはこれくらいかな」と終わらせる。
それを聞いた俺の口からは、俺のかも分からない言葉が出て来る。
「……やめろ……」
「…………」
「……やめてくれ!」
「もう何も言ってないよ」
イチカが何も言っていないのは分かっている……だが、頭の中でさっきの言葉が、モリちゃんに言われた言葉が、自分自身の言葉が……ごちゃごちゃになって頭がかき回されるような感覚がする。不快だ……不快だ不快だ! 不愉快だ不愉快だ途轍もないくらいに不愉快だ。
あぁ、体が……俺の体が言うことを聞かない! ……やめろ! 勝手に動くな!
言う事の聞かない俺の体はのた打ち回る。
「ジント……大丈夫じゃ、なさそうだね」
イチカの声を察知すると、俺の意思とは関係なく心と切り離されたかのような俺の体はイチカに襲い掛かる。
イチカは避けずに為されるがまま押し倒される姿勢になる。
体がほぼ密着し、いつもなら俺が真っ赤になるところだが、異常な状態の今の俺は表情を変えないままだ。
――何をする気だ!
心と切り離され、本能で動いている俺の体はイチカに手を伸ばす……そして止めた。
寸での所でイチカが話しかけてきたのだ。
その声は慈愛に溢れ、俺の切り離された心と体の繋がりを取り戻す。
それでも、まだ思ったように体は動かない。
動かせるとしたら口だけだ。
押し倒された状態のイチカは俺を起き上がらせると、力強く抱きしめる。
力が強く少し苦しいが、俺より小さいイチカの体がその腕が、そしてイチカの心が近くにあるように感じられ、優しくかけてくれる言葉がとても心地よかった。
「私には、ジントがどうしてそんなに苦しんでるかは私には分からない。そして、ジントが感じている感覚も分からない。でも、話は聞くことはできるよ。私はジントの味方でも敵でもない……安心していいんだよ。私はジントの隣にいるだけの女の子だよ。味方なら気兼ねするし、敵なら警戒するよね。でも、大丈夫……私はどちらでもないから……言いたいことがあるのなら、飾らず、誇張せず、正真正銘そのままを話して……ね」
……心からの言葉だった……イチカの、心からの言葉だった。イチカの体温を感じ、イチカの淡い呼吸を肌で受けて、俺の心をイチカにぶつける。
俺の心に溜っていた言葉の数々が脈路もなくただ……ただ、イチカにぶつけられていた。
意味もなく延々と俺の心の言葉がなくなるまで……その間、イチカは抱きしめてくれていた。
言葉を並べ立てるだけで何の解決にもならない……だが、気分は徐々に晴れていった。
籠っていたものが無くなり、俺の中を渦巻いていたものが消え去った。
イチカのおかげで考えていたことが全てどうでも良くなった。
英雄になったから、期待に応えなくてはならないと思っていたこと。
それに伴いモリちゃんとの事をどうすればいいかということ。
そして、モリちゃんに言われた言葉。
思ってみると、二つ三つのものが始まりで頭が埋まっていたのだと分かる。
実際考えているときは途方もない数の事を考えていたように思うが、本体は簡単なものだった。
小さい火種でも考える中で山を越えるほどの大きなものになるのか……。
――実にくだらないな。我ながら何でこんなになっていたのか甚だ疑問である。だが、今はそのすべてがどうでもいい。
今はそれでいいと思う。
○ ○ ○
「イチカ……英雄ってどう思う?」
俺はベッドに横たわり、イチカはそのベッドの端にちょこんと座っている。
「……どうって、急に言われてもな~どうなんだろう?」
急に聞かれて答えられないイチカは、可愛らしく小首をかしげる。
「俺はさ、英雄ってものは憧れだ! みたいな感覚なんだよな」
「……今のジントは憧れられてるの?」
「さあな。……今は英雄を都合のいい理由にされてる気がする」
イチカは俺の顔を覗き込み言う。
「……ジントって、結局どうしたいの?」
「そう言われると弱いな……英雄と聞くと、俺も憧れるところもあるし……」
「ジントは、憧れられる存在になりたいの?」
「……憧れか……俺は殺しただけだしな……」
「……よく分かっていないのなら、ジントが思い描く英雄になってみたらいいんじゃない? 今はジントが英雄なんだから」
「……そうだな。確かに、それがいい」
俺は不敵に笑い、イチカも俺の顔を見て満足そうに笑う。
イチカが、「ふぅ」と腹を決めたような息をする。
そしてイチカは立ち上がり俺の頭の両隣にベッドに乗りかかるように手を置き、俺の目を吸い込まれるような双眸で覗き込んでくる。
「そう、この顔……ジントはこの顔でなくちゃね。……私の大好きなこの顔でなくちゃ」
――この顔ってどの顔だよ……最後は声が小さくて聞こえなかったな。
「……少し前の俺はそんなに変な顔をしてたのか?」
「してたよ……とってもひどい顔をね」
そう言うとイチカは起き上がり扉のもとへ向かう。
俺はイチカに向かって声をかける。
「なぁ、イチカ」
「まだ何かあるの?」
イチカは扉に手をかけこちらを見ずに答える。
俺はそのまま声をかける。
「何も殺さずに英雄になれるかな?」
俺の頭に浮かんだ一つの英雄像であった。
「難しいけど……」
振り向きざまにイチカが言う。
「ジントならきっとできるよ」
イチカは全てを魅了してしまうような笑顔を向けてきた。
○ ○ ○
廊下で一人の少女が自分の言葉によって悶えていた。
「うぅぅー! なんで私はあんなことを! うわぁぁぁぁぁ!」
顔を真っ赤にして、叫びにもならない叫びを上げゴロゴロと転がる。
「ジントには聞こえてなかったみたいだけど……うわぁぁぁぁ! なんで、あんなこと言うのぉぉぉぉぉ! わぁぁぁぁぁ!」
悶え転がる少女の隣を、どこからともなく現れた白く細長い影が通る。
その影はたった今、少女が出てきた部屋に向かう。
運がいいのか悪いのかその扉は、その影が通るのにちょうどいいくらいの隙間が空いていた。
少女はその影に気づかず、その部屋の主人も気づいていない……というか、部屋の外なので気づくことはない。
細長い影はとうとう、部屋へと入る。
少しした後、
「痛ぇぇぇー!」
少女が一人悶える廊下に主人もといジントの痛々しい叫びが響いた。
お読みいただきありがとうございました。
三十発目は三日に投稿予定です。




