二十六発目
少女が消えたと同時に風は止んでいた……ある場所一つを除いて。
――その風は気をつけていないと気づけないほど弱い。
――その風が吹くのは少女が置き去りにした黒髪の周りだけ。
――その風は黒髪を束ね、意識に語りかける様に俺を髪の束へと誘う。
――私を見て……と言わんばかりに不思議な存在感を醸し出していた。
その黒髪は元々あの少女の体の一部として存在していたものだ。身体と離れたことによって、その少女の想いの一部が溢れてきたのだろう……そんな気がした。
「ジント……それ、持っていくの?」
俺が風に束ねられている髪を持ち帰ろうと手を伸ばすと、背後からイチカが声をかけてきた。
「まあ、何となく……連れていけって言われているような気がしてな」
「そう…………ん?」
納得しかけたイチカが何かに気づいたように声を上げ、訝しげに俺をジト目で見てくる。
「……なんだ、どうした?」
「……もしかして……その髪を煎じて飲もうって魂胆じゃ……」
「そんなことするわけねーだろ!」
「いや……成分を補給しようとしていたのかと……」
「なんだよ成分って!」
「……最近は私の成分しか……」
――そのイチカの一言でおかしな空気が流れる。
「…………ん?」
「なんでもない……何でもない!」
よく分からないことを言い、おかしな空気にしてしまったイチカは、顔を赤くすると照れを隠すように両手で顔を隠して、
「わぁぁぁ! わぁぁぁー!」
喚き散らしていた。
……相変わらずイチカはかわいい……イチカの照れる要素がよく分からないけど、どんな表情でもイチカらしく愛嬌が滲み出ているな。
……そう言う俺の心の声が、独り言の様になっていたらしい。それがイチカの耳に届いたようで、
「なぁぁ! んなぁぁぁー!」
さらに顔を赤くし、瓦礫の中をゴロゴロと転がり悶えていた。
数分後、俺たちは帰路についていた。俺たちが立ち去るまでの間に修復作業が始まり、俺たちは追い出される形で帰ることとなった……この前にあった動物たちの襲撃の影響で、また何かあったらすぐに行動できるように準備していたのがこの行動の速さにつながっているらしい。被害の大きかったところから工事は始まると言っていた……周りを見てみると、どこも工事をやっていないようなので、俺たちが居たところが一番被害が大きかったようだ。……確かに動物たちとともに、派手に飛び出して行ったからそれは頷ける。
「ジント……結局どうするの?」
声をかけられ隣を見ると、赤みがかった頬をして、恥ずかしさで火照った体がまだ冷めあらぬような状態のイチカがそこに居る。イチカは、転げ回ったせいで体中埃まみれだ。だが、だいぶ落ち着きを取り戻してほとんどいつもの調子に戻っている。
「……夕飯の事か?」
「ジント、とぼけないでよ」
「……風呂に入るか入らないかって話か?」
「……ジント」
ジト目で呆れているようにイチカは睨んでくる……とぼけないで? もしかして明日の朝食の……って、我ながらくだらないな。
「ああ、分かってる。モリちゃんの事だろ」
「……何言ってるの? 私にアイスを食べさせてくれるかどうかって話でしょ」
「俺たちがいつそんな話をしたんだ!」
「うぅぅ……急にそんな大声出さないでよ」
「ごめん……じゃなくてモリちゃんの話じゃなかったのか」
キョトンとした表情をしながら、
「それは帰ってからするんじゃないの?」
……と、さも当たり前かの様に言ってきた。
……確かに俺とイチカは別の人間であり考えることも別なのだ。この先も考えていることがずれることはあるだろう……でも、これは分からないだろ! これからアイスの話になる流れだっただろうか! 俺は聞きたい! イチカが考えていたことを分かったのか! ということを…………誰に聞くんだよ! 我ながら何言ってるんだか。
「……まあいいや。でも、こんなことが起こったんだしアイス屋さんは……」
――結果を言うと……閉まっていなかった。
……まじかよ……このソフト屋さんハート強すぎじゃね……あの嵐のような風と動物たちが来たって言うのに、すぐにまた営業を始めるのか。店も少し傷ついたくらいでほとんど壊れている所がない。だとしても、営業できるからと言って普通すぐには営業しないのではないのだろうか……瓦礫も散乱していて衛生面も何かありそうだし。
そう思い、俺が立ちすくんでいる間にイチカはソフトクリームを注文している。
「ソフトクリーム一つお願いします」
埃まみれながらも、イチカはそんなことを感じさせないような笑顔をその顔に浮かべている。
「はいよっ! おっ、お嬢ちゃん今日はデートかい?」
歯切れよくソフト屋のゴツイ店員がそう言う。
「そうです! デートなんです。私デートなんて今まで誘われたことなくて、今回が初めてなんですよ」
「おお、それは良かったな! それで、どうだった?」
「とっても楽しかったです!」
「それは彼氏さんからも喜ばしい事だろう」
「違いますよ……私たちはそう言う関係ではないですから」
「俺からはお似合いに見えるがな!」
「……あのー、もしかしてどこかでお会いしたことありましたっけ?」
「そ、そそそんなことないと思うよ」
「誰かが変装してるとか」
「しょ、初対面だよ」
「そうですよね」
イチカがはじけるような笑顔を見せて何かを店員と話しているようだ。たまにチラリと店員が見てくるのが気になる。よく聞こえないが、楽しいことを話しているようだ。それが今日のデートの事で、楽しかったと言ってくれてればいいな……なんて思ったりしていると、手招きされ、俺は店に近づいてゆく。
俺が呼ばれた理由は支払いだった……まあ、分かってたけど。
「おいしいっ」
語尾に音符をつけるかのようにイチカはそう言う。
……喜んでくれたならこれでいいか……イチカは相変わらず可愛い。そういえば、イチカの一挙一動に可愛い可愛いって言ってる気がする……まあ、事実だから問題ないな。
「そんな大きなソフトクリームを一人で食べきれるのか?」
「パクッ……問題……パクッ……ない……パクパク……これくらいがちょうどいい」
「喋るのと食べるのを交互にやるなんて大変じゃないか?」
イチカはさっきから、食べて、飲み込んで、喋る。食べて、飲み込んで、喋る。というのを繰り返していた。見ていて大変そうだ。少し焦っているようにも見える。
「早くしないと溶けちゃうからね……パクッ」
「だからってそんなにも焦らなくても……」
「ソフトクリームは鮮度が大切だよ!」
「……ソフトクリームに鮮度ってあるのだろうか……」
俺はイチカの言うソフトクリームの鮮度というものの考察をしながらイチカの持つそれを見る。それは、そびえる様に高く、その高さを作り出すためには十回近く巻かなけらばならない。しかも、その高さに到達するためには絞り出すマシンの癖を把握しておかなければならないらしい。そこまでしなければこの高さはできないという……まさにベテランの業である。
綺麗に巻かれているとはいえ、ただでさえ高くそびえるソフトクリームはバランスも崩れやすいだろう。だが、イチカはそれをものともしない。そびえ立つソフトクリームをイチカは普通に食べるのだが、その高さから倒れそうになる。だが、イチカはそれを許さず、倒れそうになると倒れないようにバランスを取るのだ。そして、そのバランスのとり方がとんでもない。たとえほぼ真横に倒れてしまったとしてもその瞬発力により、いつの間にか元の位置に戻っているのである。
……もうバランスを取るという領域ではない感じだ。
そうしながら、イチカが食べていたアイスはあっという間に無くなり、イチカは満足そうな顔をしている。
……あのサイズのアイスを溶かさず手は汚さずにきれいに食べきってしまうとは恐ろしい……食べている間も倒れたと思ったアイスがいつの間にか戻っているという曲芸のようなものは普通にすごかった。ただし、誰かが真似をしないように注意書きをした方がいい。真似をすると、足元がベトベトになってしまうから……。
「帰路に就いたのはいいが、途中で道草を食ってしまったな……まあ、食ったのはイチカで、なにを食ったかというとアイスだが……」
「そうだね……おいしかった」
幸せそうな笑顔でイチカはそう言う。俺は、その幸せそうなイチカに向かって、繋げるように手を差し伸べる。
「満足したか? 帰ろうぜ」
「……うん」
イチカが答えるのに少し間があった……そういえば、今日のデートで俺からイチカと手を繋ごうとしたことはほとんどなかったような気がする……ほとんどイチカの方から繋いできたからな。
「行くぞ」
そう言って、俺が手を繋げるようにしたまま進もうとすると、
「まって!」
イチカはそう言うと、俺の手を優しく握り、二人で歩調を合わせて今度こそ帰路に就いた。
「はぁ~疲れたー」
そう言いながら俺は自室のベットに突っ伏していた。
「今日はいつも以上に疲れたような気がする。一日の間にいろいろなことが起こりすぎだ……でも、イチカはいつも通り可愛かったな」
俺たちは特に何かに巻き込まれることもなく無事に家にたどり着くことができた。島に入るとイチカは工房の隣に設置されたマッサージ屋兼寝床の簡単な造りだが機能は折り紙付きの親方特製の小屋に入り、俺は性能的にも負けていない自室に入った。一時間後に俺の部屋でモリちゃんのことについて話すこととなり、俺は疲れた体を休めるために少し休憩を取ることにして今はベットの上だ。俺は自分が思っている以上に疲れていたようで、三十秒もしないうちに眠ってしまった。
「ジント……起きてジント……もう、どれだけ寝るつもり」
微睡の奥底から引きずり出される感覚があり、それがどうしても不快だったが俺の名を呼ぶ声がそれ以上に心地よく、それに呼ばれて目を開くと目の前には、石鹸のいい匂いのするイチカがいた。
「おはようジント」
「……おはようイチカ」
イチカの優しい声に寝ぼけながらも挨拶を返す。
「風呂でも入ったか? 石鹸の匂いがする」
「埃まみれだったからね。どう、いい匂いでしょ」
匂いをかがせようとして、イチカが体を俺の顔に近づけてくる。近づくほど、イチカの匂いなのか石鹸の匂いなのか分からないがいい匂いがしてくる……もしかしたら両方の匂いかもしれない。
「ああ、イチカの雰囲気に会ってるよく分からないいい匂いだ」
「何それ……もっと何かないの?」
そう言われ俺は後間を悩ませる……悩んだ挙句俺は、
「イチカの魅力が増したよ」
と言った。その答えが嬉しかったのか少しにやけて、
「フフッ……惚れるなよ~」
まあ、嬉しかったらしい。
「さあ、どうなるかな。それでどうしてここに?」
俺は、イチカにそっけなく言葉を返し、疑問に思っていたことを聞いてみた。
「ジントもう忘れたの? モリちゃんのことを話し合おうと言うからきたんだよ」
「あ、忘れてた」
「ジントが一番忘れちゃダメでしょ」
「……確かに」
……その通り過ぎて返す言葉もない。我ながら疲れがたまり過ぎていたらしいな……こういう時のイチカのマッサージなんだろうけど……受けたくない……痛い、痛い痛い痛い痛い痛い……はっ、我を忘れていた。
「でも、ジントの寝顔がかわいいからついそのまま眺めてたんだよね……フフッ」
「起こせよ……かわいいか……全然嬉しくないな」
「本当に嬉しくなさそうだね……照れもしないね」
……こんなことで照れてたまるか……俺はイチカの裸を見ても平常心を保っていたんだぞ……舐めんなよ。あれ、それはそれで良くない気がするな……いや、大丈夫だ……大丈夫だ!
心では自分の心配をしながら俺はイチカとの会話を続けている。
「可愛いのはイチカでいいよ……俺はそのイチカを愛でてるから」
俺の言葉が恥ずかしかったのか顔を赤らめるイチカ……やっぱり可愛い……いつまでも愛でてられるな。
「じ、ジントはいっつもそんなことを平然と言うの? ……恥ずかしいよ」
「恥ずかしいって言う概念があるなら、裸を見られたら少しは恥ずかしがれよ」
俺が呆れ交じりそう言うと、それは理解できないとばかりに淡々とイチカはそれに答える。
「それについては別に恥ずかしくないな……お腹はだめだけど」
お腹は……というところだけは少し恥ずかしそうにしながらそう言う。
「やっぱりお腹はだめなんだ」
そう言いながら俺はイチカのお腹を突こうとすると、
「……触らないで」
スイッチを入れられたように鋭い目に切り変わり睨み付けると同時に臨戦態勢に入る。
……少し一緒にいたことで俺はこの時のイチカの対処法を知っている……効くうちに使っておこう。
「やっぱり時たま見せるその顔もいい……そういう顔も俺は好きだな」
「うぅぅ……ジントってホント恥知らず」
俺がそう言うと顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「お前に言われたくないね」
俺がにやけながらそう言うと、
「……ハハハッ」
「……フフッ」
しばらくの間二人で笑った。
他愛もない話をする二人がいる部屋の前。とある影が二つ……必死に壁を透視するかの如く気迫をあらわにして中を覗き見しようとしている事を二人は気づかずにいた……だが特に害はないようだ。そのままにしておいても問題ないだろう。
今回はあまり話が進みませんでした次回には展開があると思います。
ありがとうございました。




