Housework3 聡一のハーレム&プチパパ体験日和
早朝、六時半頃。
「聡一お兄ちゃん、起っきろーっ!」
「うぼぁっ! 育実ちゃん、その起こし方やめろって。重い」
聡一はすぐに目を覚まし、苦しそうな表情でお願いする。彼の腹の上に思いっきり乗っかられたのだ。
「もう、聡一お兄ちゃん、重いは失礼だよ。アタシまだ三〇キロちょっとなのに」
「いっててて」
さらに強く密着されてしまった。
「早く起きて朝ご飯作ってぇー」
「分かったから早くのいて」
「おはよー聡一、育実ちゃん」
「ソウイチおはよー」
淳子と乃々絵も寝惚け眼を擦りながらこのお部屋に入ってくる。
「育実ちゃん、やっぱ今朝も俺が作らなきゃいけないのか?」
「当然でしょ。契約期間中なんだから」
「面倒くさぁ」
聡一は目覚めはすっきりとしていたが、だるそうに朝食作りをこなしていった。
今朝はシリアル食品にキウイとバナナ。準備に要した時間は十分足らず。昨日以上の手抜きである。
朝食後は食器洗い、
(育実ちゃんと乃々絵姉ちゃんの下着に触れるのは、なんか罪悪感が……)
そして洗濯も今日は干す所まで聡一一人でやらされたのであった。
※
九時ちょっと過ぎ。聡一達は電車を乗り継いで近隣の東京サウスわくわくランドパークを訪れた。屋外プールもあるが、例年通り六月三〇日まで休業中だ。
みんなはガラス張り吹き抜け開放感たっぷりのドーム内へ。
「水着のお店寄って行こう! 私、新商品見たいっ!」
「俺は全く興味ないや」
聡一以外のみんなはプールゾーンへ向かう前に、スイムショップへ立ち寄ることに。
「みんなはビキニとか紐パンとかTバックタイプの水着は着ないの?」
「淳子ちゃん、高校生の私には過激過ぎるよ」
「わたしはこれは無理です。こんなの着たら聡一さんも目のやり場に困っちゃいますよ」
「Tバックのは、お相撲さん以上におしり丸見えだね。アタシはワンピースタイプの方が好き」
「ワタシもそれが一番落ち着くなぁ」
「みんなまだまだ子どもね。このタイプの方がトイレに行きたくなった時便利なのに。まああたしもTバックのはさすがに履かんけど。あっ、あの海パン、聡一にぴったりかも」
女の子みんなで楽しそうに商品を眺めている中、
(なんとも手持ち無沙汰だ)
聡一は店外の休憩所ベンチでスマホをいじりながら待機。
五分ちょっとでみんな戻って来てくれた。
「聡一お兄ちゃん、淳子お姉ちゃんがかっこいい海パン買ってくれたよ。ほら見て。キングコブラさん柄。これ穿いて」
「俺、そんな派手なのは着ないから。無駄遣いはダメだよ」
育実から手渡され、聡一は迷惑がる。
ともあれみんなはいよいよプールゾーンへ。
(やっぱ女の子達はまだ着替え終えてなかったか。予想は出来てたが、カップルや家族連ればっかりだな)
聡一が一番早く着替えを済ませ、プールサイドへ。ショートスパッツ型の地味な紺色水着姿で前方に広がる光景を眺めていると、
「聡一、どう、似合う?」
淳子が露出たっぷりのレモン色ビキニ姿で現れ、ウィンクまじりにこう問いかけて来た。
「似合わん」
聡一はろくに見ずに即答する。
「ひどいな聡一。聡一の高校も水泳の授業もうすぐ始まるでしょ? 特訓してあげよっか? あたしも水泳そんなに得意じゃないけど、クロールなら五〇メートルくらいはノンストップで泳げるよ」
「べつにいいって」
「あぁん、もう。それじゃ、いっしょにゴムボートに乗って遊ばない?」
「断る」
「聡一ったら、照れくさがらなくっても。昔はよく遊んだじゃん」
淳子はくすっと微笑む。
「聡一さん、お待たせしました」
「聡一お兄ちゃん、やっぱりキングコブラさん柄の穿いてくれてなーい」
「聡一くん、この水着どうかな?」
「ソウイチ、これで目立たないかな?」
他のみんなは露出の少ないワンピース水着だ。
育実と遥花はお揃いのトロピカルフルーツ柄、優希は青地白の水玉柄。乃々絵は和風なアジサイ柄で、恥ずかしいのかトロピカルなデザインのパレオも巻いていた。
「似合ってると思うよ」
聡一はしっかり見ずに作り笑いを浮かべ、社交辞令のように言ってあげた。
「みんな、泳ぐ前に入念にストレッチをするよ。みんなアタシの後に続いてね。まずは膝屈伸から。いーち、にっ、さんっ!」
育実はノリノリだ。
「いっち、に、さん」
掛け声を出して楽しそうにこなしていく淳子。
「……」
優希は無言だが、やる気満々で育実の動きに合わせる。
「周りの人は全然やってないのに、なんか恥ずかしいな」
「ワタシも。めちゃくちゃ見られてるよね?」
「俺もだ。今日は遊びだし、べつにやる必要なんてないよな?」
「こらこらみんな、真面目にやって」
他の三人は照れくさそうに準備運動をこなしていった。
首の運動で閉め、
「それじゃ、泳いでくるね」
育実はプールへ駆け寄りドボォォォンと飛び込んだ。
「ワタシも水泳の練習もしようと思ったけど、これだけ人多いと恥ずかしくて出来ないよ」
「私も泳ごうとは思わないなぁ。ビーチボールで遊ぶ方がいいよ。ねえ聡一くん、ふくらませてー」
「足踏みポンプ使ったら簡単だろ」
「それだと聡一くんに見せ場を作れないと思って」
「作る必要ないと思うんだけど……分かった、分かった。ふくらませてあげる」
聡一は地球儀型ビーチボールの空気穴の部分を口にくわえ、息をフゥフゥ吹き込んでいく。
「疲れたぁー」
満タンにした時にはかなり息が切れていた。
「ありがとう聡一くん、さすが男の子だね」
遥花から感謝されるも、
「聡一、肺活量少なそうね。時間かかり過ぎ」
淳子にくすっと笑われてしまう。
「聡一くん、こっち投げてー」
「分かった。それじゃ俺はあの辺にいるから」
「聡一くんもいっしょにビーチボールしよっ」
「俺はいい」
聡一は遥花に向かって投げると、四人がいる場所から離れていく。
「聡一ったら、せっかくのハーレムなのに。遥花ちゃん、こっち投げて」
「淳子ちゃん、いっくよーっ。それーっ。あっ、ヤシの木の方へ飛んでっちゃった。ごめんね」
「ドンマイ、ドンマイ」
「ジュンコお姉さん、パス」
「それっ」
「乃々絵さーん、わたしのとこへよろしく」
「はいどうぞ。あっ、プールの中入っちゃった」
四人は不器用ながらもビーチボールで遊び始める。
それから五分ほど経った頃、
「あたし聡一のとこ行って来るね」
淳子は優希に向けてトスを上げるとそう伝え、ここから立ち去る。
(ガジュマルって独特な形だな)
同じ頃、聡一はベンチに腰掛け、プールサイドに生えている熱帯植物を観察していた。
「ねえ聡一、遥花ちゃんといっしょにこれに乗ってあげて」
そこへやって来た淳子は、途中レンタルコーナーに寄って借りて来たビニールボートをかざす。
「嫌だって」
「あそこのカップルだってやってるでしょ?」
「俺と遥花ちゃんはカップルじゃないし」
聡一はベンチから立ち上がり、スタスタ早歩きで逃げていく。
「待って聡一」
「しつこい」
聡一が不快な気分でこう呟いた矢先、
「聡一くん、危なぁい!」
遥花の叫び声。
ビーチボールが飛んで来たのだ。
「ぐわっ!」
それは聡一の後頭部に直撃した。
「ごめんね聡一くん、わざとじゃないの。怪我はない?」
遥花はぺこぺこ何度も頭を下げて謝ってくる。
「遥花ちゃん、俺は平気だから、気にしないで」
聡一は優しく伝えた。
「ねえ遥花ちゃん、このボートに聡一といっしょに乗ってあげて」
「えっ、それは、ちょっと、恥ずかしいな」
遥花は照れくさそうに笑ってためらう。
「ほら、遥花ちゃんも嫌がってるだろ」
「あぁん、残念」
「ソウイチ、ハルカちゃん、三〇秒だけでもいいから乗って」
「遥花さん、聡一さん、お願いします」
「それじゃ、乗ろっか、聡一くん」
「あっ、ああ」
聡一と遥花はプールに浮かべたビニールボートに乗っかると、向かい合った。
「なんかバランス悪いね。ちょっと動いたら落ちそう」
「そうだな」
けれどもお互い視線は合わせられずにいた。
「二人とも、はいチーズ」
淳子に防水デジカメでちゃっかり撮影されてしまい、
「こらこら」
「淳子ちゃん、恥ずかしいよ」
聡一は苦笑い、遥花は照れ笑いする。
「ソウイチとハルカちゃん、本当のカップルみたい。ユキちゃんも、ヒデサクくんとこういうことしてみたいなって思ってる?」
「いやべつに」
「本当かなぁ優希ちゃん」
「本当です淳子さん」
優希がむすっとした表情できっぱりと伝えた直後、
「うっ、うわぁ!」
「きゃっ!」
聡一と遥花の乗ったボートが転覆してしまった。二人とも水中へ放り出される。
「やっほー聡一お兄ちゃん、遥花お姉ちゃん」
育実が水中から底の部分を手で勢いよく押し、バランスを崩させたのだ。
「こら育実ちゃん、危ないだろ」
「育実ちゃん、私びっくりしたよ」
しかめっ面の聡一と、にっこり笑顔の遥花の反応を見て、
「えへへっ」
育実は得意げに笑う。
「育実さん、ダメですよ、そんなことしたら」
優希は叱らず優しく注意。
「はーい。ごめんなさい。アタシ、ウォータースライダーで遊んでくるねーっ」
育実はそう伝えてその設備がある場所へ駆けて行った。
「わたしもウォータースライダーで遊ぼっと。あれ大好き」
優希もあとに続く。
「聡一は遥花ちゃんといっしょに乗ってあげなよ」
淳子はウィンクまじりでこう勧めてくる。
「それはちょっと……」
「あの、聡一くん、いっしょに乗って。一人じゃちょっと怖いから」
遥花に手首を掴まれお願いされ、
「わっ、分かった」
聡一は緊張気味に承諾した。
「聡一と遥花ちゃんは、二人乗り専用のあれに乗るべきね」
淳子は三種類あるウォータースライダーのうち、最も傾斜が急なのを指した。
「いやいや、俺は緩やかな青色の方に」
「私もそっちがいい。もっと緩やかな子ども用の方ならもっといい。あれは見るからにものすごーく怖そう。ライオンさんの口からして」
「ソウイチ、ハルカちゃん、カップルに大人気だからあちらに乗ってみて」
「あっちの方が絶対楽しいですよ。わたしもあれに乗るので」
「優希ちゃんも乗るなら、乗ってあげてもいいかな」
「しょうがない、一回だけだからな」
乃々絵、淳子、優希はわくわく気分、遥花と聡一は億劫そうに待機列へ。
「淳子お姉ちゃん、アタシも身長制限ぎりぎりクリアー出来たから、あの急なやつに乗るぅ。淳子お姉ちゃんいっしょに乗ろう!」
「いいわよ。よかったね育実ちゃん」
「うん、四月の身体測定の時は139.5しかなかったから嬉しい♪」
一四〇センチのラインになんとか並べて育実は大満足げだ。
「すごく楽しそうにはしゃいでるね」
「よく楽しめてるな。俺には感覚が理解出来ん」
乗ろうとしているウォータースライダーから急降下したカップルを見て、遥花と聡一は苦笑い。
淳子と育実の後ろに聡一と遥花。その後ろに優希と乃々絵が並んだ。
「もう順番回って来たわ。それじゃみんな、お先に」
「楽しみ、楽しみ♪」
淳子と育実、わくわく気分でゴムボートに乗り込み、
「それじゃ、行ってらっしゃい」
お姉さん係員からの指示で出発。ちなみに育実が前だ。
「聡一くん、前に乗ってね」
「分かった」
ついに順番が回って来た聡一と遥花は恐々とゴムボートに乗り込む。二人とも手すりをしっかりと握っていた。
「彼氏さん、怖がらずに頑張って♪ それじゃ、行ってらっしゃい」
お姉さん係員からの気遣いの声もかけてもらっていよいよ出発。
二人の乗ったゴムボートが、高さ十メートルの場所から急斜面を猛スピードで急降下していく。
「うわぁぁぁっ!」
「きゃぁぁぁっ!」
落下地点でザブゥゥゥーンと高く水飛沫を上げ、二人ともずぶ濡れに。
「聡一くん、大丈夫?」
「当然」
ボートの動きが落ち着いたのちそんな会話を交わした直後、
「淳子お姉ちゃん、あれもう一回乗ろう!」
「うん! 今度はあたしを前に乗らせてね」
プールサイドを走ってまた同じウォータースライダーの方へ向かっていく育実と淳子の姿を目にした。
「育実ちゃん、こういうの好きなんだね。私はもうこりごり」
「俺ももういい」
聡一と遥花はくたびれた様子でプールサイドに上がり、ゴムボートを仲良く持ち合って返却しに行く。
「ワタシ、けっこう恐怖を感じたよ」
「わたしも。でももう一回だけ乗りたいって感じたな」
続いて落下した乃々絵と優希も返却場所へ向かい聡一と遥花と合流した。
それから十分近く、四人で淳子と育実が戻ってくるのを待つと、
「淳子お姉ちゃんとイルカボートで遊んでくるねーっ」
「聡一も遥花ちゃんとイルカボートで遊んであげなよ」
育実と淳子はそう伝え、いっしょに人工ビーチのあるプールの方へ向かっていった。
「ここのプール、ビーチでは今年から貝殻拾いも出来るようになったみたいだね」
「聡一さん、わたし達といっしょに貝殻拾いしましょう」
「子どもっぽいから俺はいいや。俺、あの辺にいるから」
聡一は逃げるようにここから立ち去っていく。
「聡一くん、大人の人もやってるのに」
「ワタシ、ソウイチの気持ち分かるな」
「聡一さん不参加かぁ。スコップ三つ借りて来ますね」
遥花達が貝殻拾いをし始めてから一五分ほどのち、
「ん? あれは」
そこから三〇メートルほど先の休憩ベンチに腰掛け、熱帯植物を眺めながら過ごしていた聡一が、遥花達のいる方へふと視線を向けると、異変が。
「きみ達、かっわいいね」
「おれらと遊ばない?」
大学生と思わしき男二人組が遥花達のもとへ近寄って来ていたのだ。一人は茶髪に染め、もう一人は髪は黒だがけっこう日焼けした褐色肌だった。
背丈は二人とも一八〇センチ近くはあり、そこそこがっちりしていた。
「すみません、他に連れがいるので」
「あの、申し訳ないですが他を当たって下さい。わたし達よりももっと魅力的な若い女性他にもたくさんいらっしゃるでしょう? あそことか」
「ワタシ達、そんなにかわいくもないでしょう?」
予想外の事態に三人とも戸惑い怖がってしまう。
「おれらきみらくらいの中高生くらいの子が好みやねん。遊ぼうぜ。なっ!」
「パフェ奢ったるから」
「いえ、けっこうですから」
乃々絵が震えた声で断ると、
「まあまあそう言わずに」
茶髪の方が乃々絵の腕をグイッと引っ張った。
(まさか、本当にナンパするやつが現れるとは。漫画やアニメみたいな展開って、本当にあるんだな。どうしよう? 勝てそうな気が全くしないし、でも、行かなきゃダメだろ)
聡一はこの事態にすぐに気付いたようだ。数秒悩んだのち、勇気を振り絞って彼らのいる方へ急いで駆け寄って行った。
「あっ、あのう」
到着すると、
「あっ、聡一くん」
遥花の表情が綻ぶ。
「ん? 彼氏?」
「いや、まあ、正式には違いますが、そのようなものでして」
茶髪の方に問われ、聡一はびくびくしながら答える。
「どっちなんだよ?」
もう一方の男に睨まれると、
「ハハハッ」
聡一は苦笑いして、
淳子姉ちゃん、助けに来てくれないかな?
こう思いながら数十メートル先で育実とイルカボートで楽しそうに遊んでいる淳子の方をちらっと見た。
二人ともまだ気付いていないようだ。
「こんなひょろい男よりオレ達と遊んだ方が絶対楽しいぜ」
褐色肌の方が遥花に近寄る。
「あの、やめてあげて下さい」
監視員の人でもいいから早く助けに来てくれよっと願いながら、聡一が俯き加減でぼそぼそっとした声でお願いすると、
「あぁ?」
茶髪の方に顔を近づけられる。
「とにかく、ここは、お引き取りを……この子達、迷惑してるんで!」
聡一はやや険しい表情を浮かべ、勇気を出して彼なりにきつい口調で伝えた。
「分かった、分かった」
「しょうがねえ」
すると大学生風の男二人組は聡一を睨んだのち舌打ちし、素直にここから立ち去ってくれた。
「殴られるかと思ったぁ」
聡一はホッと一安心する。けれども心拍数はなかなか治まらない。
「聡一くん、ありがとう」
「ソウイチ、すごく恰好よかったよ」
「聡一さん、男らしさを見せましたね」
みんなから感謝されるも、
「いや、まあ、みんな無事でよかったよ」
聡一はまだ恐怖心でいっぱいで、照れくささは感じられなかったようだ。
「聡一くん、あの怖いお兄さん達がまた私達のところに寄ってくるかもしれないから、いっしょにいて」
「分かった」
それからしばらく聡一も交じって貝殻拾いを楽しんでいると、
「ただいまーっ! イルカボートとっても楽しかったよ」
「あたしお腹すいて来たわ。そろそろお昼ごはん食べましょう」
淳子と育実が戻ってくる。
「私達、さっき怖い大学生風のお兄さん二人組にナンパされちゃったんだけど、聡一くんがすぐに助けに来てくれて追っ払ってくれたよ」
遥花は嬉しそうにさっきの出来事を伝えた。
「聡一、さすが男の子ね」
「聡一お兄ちゃん格好いい! 正義のヒーローだね」
「いや、俺は特に何も出来なかったけど、みんな、お昼ご飯、何食べる?」
聡一は照れくささを隠すようにプールに隣接するファーストフード店の方へ目を遣る。
「ドリアンジュースも売ってるじゃん。今夏の新メニューみたいね。アタシちょっと飲んでみたい」
淳子は興味津々。
「ドリアンって、あのものすごーく臭い果物だよね」
「私何年か前、夢の島の熱帯植物館でにおい嗅いだことあるけど、悪臭だったよ」
「俺もそう思った」
「わたしもドリアンは食べたいとは思わないわ。あのにおいのせいで」
「ワタシも食べたことはないけど、食べたくはないな」
他のみんなは苦い表情を浮かべる。
「せっかくだし、試しに買ってみるわ」
淳子は衝動に駆られ購入することに。三百五十円を支払うと、
「お待たせしました。ドリアンジュースでーす」
店員さんからドロッとした黄土色の半液体が並々と注がれた、トロピカルなデザインの紙コップがストロー付きで手渡された。
「すごい色ね」
ドリアンの強烈な香りが周囲に漂う。
「私このにおい、久々に嗅いだよ」
「夏コミ会場のにおいよりもきついな」
「くさい、くさぁい。腐った生ゴミのにおいだね」
「水着がドリアン臭くなってしまいそうだな」
「やはりきついです」
「うーん、これはちょっと……」
淳子は少し啜ってみて、後悔の念に駆られたようだった。
「私、ちょっとだけ飲んでみるよ。どんな味なのかな?」
「協力してくれて助かるわ。はいどうぞ」
遥花は勇気を出して淳子から受け取る。
少し口に含んでみて、
「においはすごーくきついけど、甘みが強くて美味しい」
そんな感想を抱く。
「意外や意外。甘くてすごく美味しい♪」
続いて乃々絵も恐る恐る試飲してみて、とっても幸せそうに飲み込んだ。
「アタシは美味しくは感じなかったけど、トマトジュースよりはマシだね」
「……微妙です。これは加工されてるからまだ飲めたけど、そのままのドリアンは食べれそうにないです」
育実と優希も結局試飲してみてこんな感想。
「聡一、まだ半分くらい残ってるけど飲んでみる?」
淳子に目の前にかざされ、
「いや、いい」
聡一は当然のように拒否。不味そうだったことはもちろんだが、間接キスになってしまうことも拒んだ理由のようだ。
「私が残りを飲むよ」
「ハルカちゃん、ワタシも飲みたいから少し残しといてね」
「うん、癖になるよねこの味」
遥花と乃々絵は協力して、残った分を快く飲んでくれた。
「遥花ちゃん、乃々絵、これ、口臭消し効果があるみたいよ」
ちょっぴり罪悪感に駆られた淳子は、同じ店で売られていたジャスミンキャンディーを購入し、この二人に渡してあげたのであった。
「わたし、ロコモコにしようっと」
優希は他のお客さんが手に持っていたそのメニューをちらっと眺めて決断する。
「あたしはたこ焼きとアイスコーヒーにするわ」
「俺はミーゴレンとフランクフルトにするか」
「アタシはチョコバナナクレープとストロベリージュースとフランクフルトにするぅ」
「私はトロピカルフルーツカレーにしよう。あとパイン味のソフトクリームも」
「ワタシは、お好み焼きとマンゴーソフトにするよ」
みんなお目当てのメニューを受け取ったあと、
「ここ、六人掛けのはないみたいだな」
「聡一と遥花ちゃんは、あっちの席に座ってね。さあどうぞ」
「みんないっしょがよかったけど、仕方ないね。聡一くん、座ろう」
「……うん」
淳子→乃々絵→優希→育実の並びで四人掛け円形テーブル席に、聡一と遥花はそのすぐ隣の二人掛け円形テーブル席に座った。
「聡一お兄ちゃんのフランクフルトの方がアタシのより大きくない?」
育実は二本のフランクフルトをじーっと見比べてみる。
「同じだと思うけど」
「聡一お兄ちゃんの方が三ミリくらい大きいよ。交換して」
「いいけど」
聡一は快く承諾。
「ありがとう。あ~、美味しい♪」
育実はカプリといい音を立てて味わう。
「聡一のフランクフルトは、もう少し大人になるまで遥花ちゃんに食べさせちゃダメよ」
「淳子姉ちゃん、何下品なこと言ってんだよ」
「あいてぇっ」
聡一は耳元で囁いて来た淳子のおでこをぺちっと叩いておく。
「聡一くん、私のカレー少し分けてあげるよ。はい、あーん」
遥花はカレーの中にあったパパイヤの一片をさじで掬い、聡一の口元へ近づける。
「いや、いいって」
聡一は困惑顔を浮かべ、左手を振りかざして拒否。右手で箸を持ち、麺を啜ったまま。
「あーん、やっぱりダメかぁ」
遥花は嘆く。でも微笑み顔で嬉しそうだった。
「聡一さん、お顔は赤くなっていませんが、きっと照れていますね」
「ソウイチ、一回くらいやってあげたら?」
優希と乃々絵はにこにこ笑いながらそんな彼を見つめた。
「出来るわけないだろ」
聡一は苦笑いしながら伝え、引き続き麺をすする。
「赤ちゃんみたいで、恥ずかしいもんね」
育実はチョコバナナクレープをもぐもぐ美味しそうに頬張りながら言う。聡一の気持ちがよく分かったようだ。
「たこ焼きとアイスコーヒーだけじゃ少し物足りないな。かき氷買ってくるね」
そう伝えて淳子は席を離れた。
「アタシは波の出るプールで泳いでくるね」
育実はストロベリージュースを飲み干すと、すぐに席を立ってその場所へ駆け寄っていく。
「育実さん小学生みたいに元気いっぱいね」
「そうだね。若さだね。パインソフトすごく美味しいよ。聡一くん、少しあげるよ」
「いらねー。そんな酸っぱいの」
「酸っぱくないよ」
「それでもいらねー」
「もう、全部食べちゃうよ」
遥花はにっこり笑顔でそう伝え、最後の一口を味わう。
「ソウイチ、フルーツあまり好きじゃないもんね」
乃々絵はマンゴーソフトを頬張りながら呟いた。
それから約五分後、遥花がカレーも残り僅かまで食べ終えた頃に、
「聡一、遥花ちゃん、ヤシの実ジュースも買って来たよ。はいどうぞ。二人で仲良く飲んでね」
淳子が戻って来て、聡一と遥花の目の前に置いていった。
まさにカップルでどうぞと言わんばかりに、ヤシの実にストローが向かい合わせに二本刺さっていた。
「俺、これは飲みたくないな。不味そう」
「私一人じゃ飲み切れないよ。聡一くんも協力してね」
「飲み切れなかったら協力してあげる」
「たぶん飲み切れないよ」
遥花はカレーも平らげると、
「いただきます」
ストローに口をつけ、美味しそうに飲んでいく。
「じゃあこれ、捨ててくるね」
聡一は席を立って、近くのごみ箱に紙皿を捨てに。
「予想通りの行動ですね」
「ワタシもこうなると思ってた」
「聡一もいっしょに飲まなきゃ」
優希と乃々絵と淳子は、ブルーハワイかき氷を頬張りながら二人の様子を微笑ましく観察する。
「もうお腹いっぱい。あとは聡一くんが飲んで」
「やっぱり残したのか。まだ半分以上はあるな……やっぱあまり美味くはない」
聡一はこう思いながらも、もう一方のストローで快く飲んであげる。
そんな時、
「みんなもうプール入らないのぉ?」
育実が戻って来た。
「俺はもういい。っていうか元々プール入る気なかったし」
「私ももういいな」
「ワタシもー」
「わたしもです」
「あたしももうじゅうぶん満喫したわ」
「そっか。アタシもじゅうぶん泳いだからもうここ出てもいいよ。これから映画を見に行きたい。ちょうど見たいのがあるんだ」
こんな育実の希望により、みんなはこのあとは泳がずに東京サウスわくわくランドパークをあとにし、隣接する大型ショッピングモールに立ち寄った。
ここも家族連れを中心にかなり大勢の人で賑わっていた。
「育実ちゃん、迷子にならないようにおてて繋いであげよっか?」
「淳子お姉ちゃん、アタシもうそんな歳じゃないよ。みんな、早く映画見に行こう!」
育実はそう叫んでせかし、一人で先へ進もうとする。
「イクミちゃん、そんなに急がなくても次の回余裕で間に合うよ」
乃々絵は微笑ましくそんな育実を眺める。
シネコンへ辿り着くと、
「これ、みんな見るよね?」
育実は壁にいくつか提示されてあるポスターのうち、お目当てのものに近寄った。
「育実ちゃん、まだそんな幼稚なの見たいんだな」
聡一はにこにこ笑う。それは、本日公開されたばかりの女児向け魔法もありのファンタジーギャグアニメだった。
「聡一くん、私もこのアニメ大好きだよ。さすがに一人じゃ見に行きにくいと思ってたからちょうど良かったよ。次の回は一時半から始まるみたいだね。もうすぐだね」
「これ、CMで予告流してましたね。わたしもちょっと気になってたの」
「ワタシの好きな声優さんも何人か出てるし、けっこう面白そう」
「今大学で習ってる発達心理学入門の勉強になりそうだし、あたしも見ておきたいわ。動物キャラが中心でイケメンショタキャラもいるから、大友ウケは悪そうね」
「俺はこの辺で待っとくよ。チケット代の節約にもなるし、そもそも高校生の見るものじゃないし」
聡一は当然、見る気にはなれず。
「聡一お兄ちゃんもいっしょにこの映画見よう。さっき聡一お兄ちゃんの三倍くらいは年上に見えるおじちゃんが一人で入って行ったよ」
「仕方ない」
育実に背中をぐいぐい押されチケット売り場の方へ連れて行かれる。
「育実ちゃん、これはどうかな? ゾンビがいっぱいよ」
淳子は他に上映されているホラー映画のポスターを指した。
「それは絶対に嫌ぁ~」
育実は顔をしかめ、すぐにポスターから顔を背けた。
「わたしもそれは見たくないです」
「俺も、進んで見ようとは思わんな」
「私もこういう実写のホラー映画はものすごく苦手だよ」
「ワタシもー」
「アタシは誘われたら見るけどね。中学生一枚、高校生四枚、大学生一枚」
淳子が代表して、お目当ての映画六人分のチケットを購入。受付の人がその入場券と共に入場者全員についてくる、キラキラして可愛らしいおもちゃのペンダントをプレゼントしてくれた。
「育実ちゃん、これ。俺こんなのいらないから」
「ありがとう聡一お兄ちゃん♪」
聡一は速攻育実に手渡す。育実が受け取ったものとは種類違いだった。
チケット売り場向かいの売店でドリンクやポップコーンなどが売られていたが、みんなお腹いっぱいなため何も買わず、お目当ての映画が上映される5番スクリーンへ。
「遥花ちゃん、周り幼い女の子ばっかりだから、やっぱり、俺達は入らない方が……」
「まあまあ聡一くん。気にしなくてもいいじゃない。たまには童心に帰ろう」
聡一は否応無く、遥花に背中をぐいぐい押されていく。
「聡一さん、気にせずに」
「聡一、幼い娘を連れたパパの気分になればいいじゃん」
優希と淳子はその様子をすぐ後ろから微笑ましく眺める。
真ん中より少し前の列の席で、聡一は育実と遥花に挟まれるように座った。座席指定なのでそうなってしまった。育実の隣が淳子、遥花の隣が乃々絵、乃々絵の隣が優希だ。
(視線を感じるような……)
聡一は落ち着かない様子だった。他に五〇名ほどいた客の、七割くらいは就学前だろう女の子とその保護者であったからだ。
*
上映時間七〇分ほどの映画を見終えて、
「遥花お姉ちゃん、とっても面白かったね」
「うん、私また見に行きたいな」
育実と遥花は大満足な様子で5番スクリーンから出ていた。
「聡一、上映中一度も遥花ちゃんと手を繋がなかったね。しかも途中寝てたし」
「退屈な映画だったからな」
「聡一お兄ちゃんは面白く感じなかったの?」
「ああ。もろに幼児向けだし。育実ちゃんと同じ年の子でも子どもっぽいからってこの映画見ない子の方がずっと多いと思うよ」
「幼児向けでもアタシはすごく面白いと思ったけどなぁ。聡一お兄ちゃん、乳幼児向けのアニメや絵本とかを楽しんで見てあげることも、イクメンパパにとって大事なことだよ」
育実からふくれっ面で注意された。
「はい、はい」
聡一は余計なお世話だといった感じの生返事だ。
みんなは続いてシネコン隣接のファミリー向けアミューズメント施設へ。
「淳子お姉ちゃん、いっしょにプリクラ記念に撮ろう!」
「もちろんいいわよ」
「やったぁ!」
「わたし、プリクラ撮るの久し振りだな」
「私も」
「ワタシは、つい先週お友達と撮ったよ」
女の子五人は最寄りのおしゃれな外観なプリクラ専用機の前へ近寄っていく。
「聡一、いっしょに写らないの?」
「淳子姉ちゃん、状況的に考えて俺は写らない方がいいだろ。俺も写りたくないし」
「聡一、女の子五人の中に男の子一人だからって照れくさがらなくてもいいじゃん。ハーレム王になれるこのチャンスを思う存分楽しまなきゃ」
「聡一くんもいっしょに写ろう。高校時代の思い出になるよ」
「聡一さん、お願いします。普段撮る機会なんてないでしょう」
「ソウイチもせっかくなので写って」
「いや、いいって」
聡一は気が進まなかったが、
「聡一お兄ちゃんもいっしょに写ろうよぅ」
「分かった、分かった」
育実に無邪気な表情で腕や服を引っ張られたりしがみ付かれたりすると断り切れなかった。
そりゃ大勢の女の子達と写れることは嬉しいけど、イケメンでもない俺なんかがいっしょに写っていいのかな?
聡一は今、こんな幸福感と罪悪感が入りまじった心境だ。
みんなはプリクラ専用機内に足を踏み入れると、前側に乃々絵と育実と淳子、後ろ側に聡一達三人が並んだ。
「あたしこれがいい!」
育実の選んだイルカさんのフレームに他のみんなも快く賛成。
「一回五百円か。けっこう高いな」
「聡一、ここは男の子が出すべきよ」
「まあ五百円くらいならいいか」
聡一は気前よくお金を出してあげた。
*
撮影&落書き完了後、
「きれいに撮れてるよ」
取出口から出て来た十六分割されたプリクラを真っ先にじっと眺める育実。自分が見たあと他のみんなにも見せてあげた。
「育実ちゃん、聡一お兄ちゃんとデート、ハートマークって落書きしないで」
聡一は迷惑顔を浮かべる。
「いいじゃん聡一お兄ちゃん、ほとんど事実なんだし」
育実はてへっと笑い、舌をペロッと出した。
「聡一くん素の表情過ぎるね。もっと笑顔で写らなきゃ。優希ちゃんは、相変わらず表情がちょっと硬いね」
「本当だ。ユキちゃん性格のきつい女弁護士みたい」
「優希お姉ちゃん、話しかけづらいがり勉少女っぽいね」
「あれれ? 笑ったつもりだったんだけどな。生徒証の写真はもっと表情硬いよ」
優希は照れくさそうに打ち明ける。
「アタシも学生証の写真は表情めちゃくちゃ硬いよ。睨んでるような感じだな」
育実がさらりと打ち明けると、
「育実さんも同じなのですね。それを聞いて安心しました」
優希に笑みが浮かんだ。
「優希ちゃん、今の表情いいね」
遥花はサッとスマホをかざし、カメラ機能で優希のお顔をパシャリと撮影する。
「優希ちゃん、いい笑顔が取れたよ」
「遥花さん、恥ずかしいからすぐに消してね」
優希の表情はますますほころんだ。
「遥花ちゃん、見せて見せて。優希ちゃん、本当にいい笑顔してるわ」
「あたしにも見せてーっ。優希お姉ちゃん本当にかわいい」
「ユキちゃんのこの笑顔素敵♪ 消すのは勿体無いよ」
淳子と育実と乃々絵は興味深そうにその写真を眺める。
「あーん、これ以上見ないでー」
優希は表情を綻ばせたまま、頬を赤らめた。
(どんな表情してるんだろ?)
聡一は気にはなったが、罪悪感に駆られ見ようとはしなかった。
「あたし次はこれがやりたいなぁ」
育実はプリクラ専用機すぐ向かいの筐体前に移動する。
「育実ちゃん、動物さんのぬいぐるみが欲しいんだね?」
「うんっ!」
遥花からの問いかけに、育実はえくぼまじりの笑顔を浮かべて弾んだ気分で答える。彼女がやりたがっていたのはお馴染みのクレーンゲームだ。
「あっ! あのウーパールーパーのぬいぐるみさんとってもかわいいっ! あれ一番欲しいっ。お部屋に飾りたぁーいっ!」
お気に入りのものを見つけると、透明ケースに手のひらを張り付けて叫び、ぴょんぴょん飛び跳ねる。
めちゃくちゃかわいいな。
聡一はその幼さ溢れるしぐさに見惚れてしまった。
「この異形の両生類、妙なかわいらしさがあるよね」
淳子はにっこり笑う。
「育実さん、あれは隅の方にあるし、他のぬいぐるみさんの間に少し埋もれてるから、難易度はかなり高いわよ」
「大丈夫! むしろ取りがいがあるよ」
優希のアドバイスに対し、育実はきりっとした表情で自信満々に言った。コイン投入口に百円硬貨を入れ、操作ボタンに両手を添える。
「育実ちゃん、頑張れーっ」
「イクミちゃん、頑張ってね」
「育実さん、慎重にやれば絶対取れますよ」
「頑張れよ育実ちゃん」
「育実ちゃんならきっと取れるわ」
他のみんなはすぐ後ろ側で応援する。
「みんな応援ありがとう。アタシ、絶対取るよーっ!」
育実は慎重にボタンを操作してクレーンを動かし、お目当てのぬいぐるみの真上まで持っていくことが出来た。
続いてクレーンを下げて、アームを広げる操作。
「あっ、失敗しちゃった」
ぬいぐるみはアームの左側に触れたものの、つかみ上げることは出来なかった。
育実が再度クレーンを下げようとしたところ、制限時間いっぱいとなってしまった。クレーンは自動的に最初の位置へと戻っていく。
「もう一回やるもん!」
育実はぷくぅとふくれてとっても悔しがる。お金を入れて、再チャレンジ。しかし今回も失敗。
「今度こそ絶対とるよ!」
この作業をさらに繰り返す。
育実は一度や二度の失敗じゃへこたれない頑張り屋さんらしい。
けれども回を得るごとに、
「全然取れなぁーい。なんでー?」
徐々に泣き出しそうな表情へ変わっていった。
「あのう、育実さん、他のお客さんも利用するので、そろそろ諦めた方がいいかもです」
優希は慰めるように忠告したが、
「諦めたくない」
育実は諦め切れない様子。ぷくぅっとふくれる。
「気持ちは分かるのですが……わたしも一度やると決めたことは、最後までやり遂げたいですから」
優希は深く同情した。
「このままだと育実ちゃんかわいそう。ねえ聡一くん、取ってあげて」
「聡一、ここはお兄ちゃんらしさを見せてあげなきゃ」
遥花と淳子が肩をポンッと叩いて命令してくる。
「俺も、クレーンゲーム得意じゃないし。真ん中ら辺のスッポンのやつはなんとかなりそうだけど、あれはちょっと無理だな」
聡一は困惑顔で呟いた。
「ねーえ、聡一お兄ちゃん、お願ぁい!」
「……分かった。取ってあげる」
育実に寂しがる子犬のようにうるうるした瞳で見つめられると、聡一のやる気が急激に高まった。クレーンゲームの操作ボタン前へと歩み寄る。
「ありがとう、聡一お兄ちゃん。大好き♪」
するとたちまち育実のお顔に、笑みがこぼれた。
「さすが聡一くん、男の子だね」
「聡一さんの判断は正しいです」
「ソウイチ、年下の女の子に甘いね」
「聡一、かっこいいよ♪」
他の四人も、彼に対する好感度が高まったようだ。
(まずい。全く取れる気がしない)
聡一の一回目、育実お目当てのぬいぐるみがアームにすら触れず失敗。
「聡一お兄ちゃんなら、絶対取れるはず♪」
背後から育実に、期待の眼差しでじーっと見つめられ、
(どうしよう)
当然のように聡一はプレッシャーを感じてしまう。
「聡一くん、頑張れーっ!」
「聡一さん、ドンマイ!」
「ソウイチ、ご健闘を祈るわっ!」
「聡一、頑張ってね」
(よぉし、やってやろう!)
他の四人からの声援を糧に聡一は精神を研ぎ澄ませ、再び挑戦する。
しかしまた失敗した。アームには触れられたものの。
けれども聡一はめげない。
「聡一お兄ちゃん、頑張ってーっ! さっきよりは惜しいところまでいけたよ」
育実からも熱いエールが送られ、
「任せて育実ちゃん。次こそは取るから」
聡一はさらにやる気が上がった。
三度目の挑戦後。
「……まさか、本当にこんなにあっさりいけるとは、思わなかった」
取出口に、ポトリと落ちたウーパールーパーのぬいぐるみ。
聡一は、育実お目当ての景品をゲットすることが出来た。ついにやり遂げたのだ。
「やったぁ! さすが聡一お兄ちゃん! だぁぁぁーい好き♪」
育実は大喜びし、バンザーイのポーズを取った。
「聡一くん、おめでとう! 三度目の正直だね」
「聡一さん、大変素晴らしいプレイでしたね」
「ソウイチ、ワタシ、感動したわ」
「聡一おめでとう、イクメン力もさらにアップしたね」
他のみんなもパチパチ拍手しながら褒めてくれる。
「たまたま取れただけだって。先に育実ちゃんが、少しだけ取り易いところに動かしてくれたおかげだよ。はい、育実ちゃん」
聡一は照れくさそうに伝え、育実に手渡す。
「ありがとう、聡一お兄ちゃん。ウッパちゃん、こんばんは」
育実はさっそくお名前をつけた。受け取った時の彼女の瞳は、ステンドグラスのようにキラキラ光り輝いていた。このぬいぐるみを抱きしめて、頬ずりをし始める。
「育実ちゃん、幸せそうね」
淳子はにこやかな表情で話しかけた。
「うん、とっても幸せだよ♪」
育実は恍惚の笑みだ。
「育実ちゃん、楽しい思い出が出来てよかったね」
遥花は優しく微笑み、育実の頭をなでてあげた。
「うんっ! もっと楽しい思い出作りたいから、次はジェットコースター乗りたぁーい!」
「そういやここのショッピングモール、ジェットコースターも最近出来たんだったな。俺は、乗らずに近くで待っとくね」
「私もー。ジェットコースターすごく苦手だから」
「聡一と遥花ちゃん、まだジェットコースター苦手なままなのね。さすが恋人同士♪」
淳子はにこっと微笑んだ。
「聡一お兄ちゃんと遥花お姉ちゃんもいっしょに乗ろうよぅ。楽しそうだよ」
「聡一さん、遥花さん、お願いしますっ! あのスライダーよりはきっとマシですから」
育実と優希から強くせがまれ、
「しょうがない」
「聡一くんが乗るなら私も乗るね」
聡一と遥花はしぶしぶ承諾。
アミューズメント施設をあとにしたみんなは、別館と繋ぐ間の広場にあるジェットコースター乗り場の乗車待ち列へ。この六人の前後にも大勢の客が二列になって並んでいた。育実と淳子、聡一と遥花、優希と乃々絵が隣り合う。
親子連れや若いカップル、中高大学生くらいの男性または女性同士のグループなどがほとんどで、この六人のような、男子高校生一人に女子小中高大学生五人というハーレム的な組み合わせは他に見られなかったこともあってか、
(この場から、早く抜け出したい)
聡一は周囲からの視線を非常に気にしていた。
十五分ほど待ってようやく乗れることになり、
「よかった。運よく一番前の席とれた」
「こんなにラッキーなのは、聡一お兄ちゃんのおかげだね」
淳子と育実は満面の笑みを浮かべる。
「聡一くん、二列目でも怖いよね?」
遥花は暗い表情を浮かべながら、聡一の右手を強く握り締めた。マシュマロのようにふわふわやわらかい感触が、聡一の手のひらにじかに伝わる。
「あの、遥花ちゃん、どうせ離さなきゃいけないから」
聡一は少し照れくさがった。
「お似合いの恋人同士ね」
淳子は後ろを振り返って微笑む。
「……」
聡一は照れくささから、俯いてしまう。
「いい構図です」
優希は遥花のすぐ後ろに座った。そしてちゃっかりスマホのカメラで聡一と遥花の後ろ姿を撮影する。
その他の乗客も座ったことが確認されると、座席の安全バーが下ろされた。
もう引き返すことは出来ない。
「吹き飛ばされないようにしなきゃ」
遥花は顔をややこわばらせ、安全バーを必要以上の力でしっかりと握り締めた。
「そんな心配はいらないだろうけど」
聡一は男気を見せようとしたのか、素の表情で平静を保とうとしていた。けれども彼の心拍数は否応なく上がってしまう。
〈発車いたします〉
この合図で、ジェットコースターはカタン、カタンとゆっくり動き出した。
「怖い、怖い」
遥花は周りの風景を見ないよう、目を閉じていた。
ジェットコースターが坂道を登り切り、レールの最高地点に達した直後、一瞬だけ動きが止まる。
「きゃあああああああーっ!」
そのあと一気に急落下。と同時に遥花は口を縦に大きく開け、かわいい叫び声を上げる。もちろん楽しんでいるからではない。恐怖心を強く感じているからだ。
「いえええぇぇぇぇぇーいっ!」
淳子、
「きゃあああああああーっん♪」
育実、
「おうううううぅぅぅぅぅ!」
優希の三人は喜びと興奮の叫び声を上げる。さらに両手を挙げる余裕も見せた。
「うぅっ!」
乃々絵は表情が若干引き攣る。怖かったようだ。
「……」
聡一は走行中、男らしさを見せようとしたのか平静を保ち終始無言であった。表情もほとんど変わらなかった。
ジェットコースターから降りた直後、
「このジェットコースター、すごく気持ちよかったわ。無重力擬似体験、最高っ!」
「宇宙飛行士の気分が味わえたね、淳子お姉ちゃん♪」
淳子と育実は幸せいっぱいな表情をしていた。
「楽しんでもらえてよかったわ。遥花さん、大丈夫?」
優希ににこやか笑顔で質問され、
「うん、すごく怖かったけど、今は解放されてホッとした気分だよ」
遥花は安堵の表情を浮かべて答える。
「思ったよりは、マシだったな」
「スピードも遅かったもんね」
聡一と乃々絵もホッとしている様子だった。
「聡一、声がちょっと震えてるわよ」
淳子はにやりと笑う。
「そうか?」
聡一はほんの少し照れてしまった。
「遥花お姉ちゃん、お写真が出来てるよ。遥花お姉ちゃんすごい表情してるぅ。ムンクの『叫び』みたーい。記念に買おう」
降車口を抜けた所に展示されていた写真を眺め、育実はくすくす笑う。
急降下するさい一列ごとに写真を撮られていたのだ。
「そんなのいらないよ」
遥花は照れ笑いしながら言う。
「よかった。俺、素の表情のままだ」
聡一は軽く苦笑いした。
「遥花ちゃんとってもいい表情してるわ。これぞ絶叫マシーンに乗ったって感じのお顔ね。聡一ももっと表情崩して欲しかったな」
淳子は目にしっかりと焼き付けたようだ。
「遥花さんのこの表情はレアね。買っちゃおうかな」
「ダメダメ優希ちゃん」
遥花は、楽しそうに眺める優希の後ろ首襟をぐいっと引っ張って阻止しようとする。
「ごめん、ごめん。買わないって」
優希は快く諦めてくれたようだ。
*
「ワタシ、ちょっとこのお店に用事あるから」
続いて乃々絵の希望により、みんなはモール内のアニメグッズ専門店に立ち寄った。
発売中または近日発売予定のアニソンBGMなどが店内に賑やかに流れる。
「乃々絵お姉ちゃんは、声優さんのイベントはよく参加する方?」
育実の質問に、
「ワタシ、声優さんのイベントはそんなに魅力は感じないの。特に女性声優さんの場合、客はディープな男の人ばっかりで怖いから」
乃々絵は苦笑いを浮かべながら伝えた。
「そっかぁ。まあ気持ちは分かるな。アタシも一回お友達と見に行ったことがあるけど、また行きたいとは思えなかったから」
「ああいうの、男の俺から見ても怖いよ。秀作がよく見てるアニメイベントのブルーレイで声優さんが挨拶する度にうをぉーっ、とかオットセイみたいに叫んで、声優さんが歌ってる時はうぉうぉ叫びながらペンライト振り回してすごい激しく踊ってる集団」
「私は恥ずかしがり屋さんだし怖がりだから、声優さんは絶対無理だなぁ」
聡一と遥花も苦笑いを浮かべる。
「ワタシも声優を職業としてやるのは無理。でもアフレコ体験はしてみたいな」
「わたしも同じく」
「アタシもしてみたーい。楽しそう」
「あたしの通ってる大学の学園祭、去年はアフレコ体験コーナーもあったみたいよ。今年もそのイベントあったら連れてってあげるよ。十一月上旬でまだまだ先だけどね」
「ワタシめっちゃ行きたい。ジュンコお姉さん、楽しみに待ってるね」
「アタシもーっ」
「私も。あったらいいな」
「わたしも一回体験してみたいです」
「俺は全然興味ないや」
「アニ研の子の自主制作アニメのアフレコだから、あまり期待は出来ないと思うけどね」
「それでもじゅうぶんよ。それじゃワタシ、トーンと原稿用紙買ってくるね」
乃々絵はそう伝えてお目当ての画材道具コーナーへ。
他のみんなは文房具などのキャラクターグッズコーナーへ立ち寄る。
「ナ○トの下敷きとノートと、ボールペンも買おう」
「育実ちゃん、無駄遣いはし過ぎないようにな」
「はい」
育実がお目当てのグッズを籠に詰めている時、
「お待たせー」
乃々絵が戻って来た。籠にはB4サイズの漫画原稿用紙と数種類のスクリーントーンが。
「乃々絵お姉ちゃんはグッズは買わないの?」
育実が尋ねると、
「うん。ラ○ライブ! とかお○松さんとかの新作グッズ欲しいのいっぱいあるけど、ここは我慢。今月の小遣い無くなっちゃう」
乃々絵は商品棚から目を背けた。
「それじゃ、そろそろお金払ってここ出よっか?」
遥花がそう言った直後、
「あっ! ちょっと待って」
聡一はコミックコーナーにいた誰かに気が付き、近寄っていく。
「やぁ、鴨下君ではあ~りませんか。奇遇ですねぇ」
秀作であった。
「秀作、また同じやつ保存用、鑑賞用、布教用の三つ買うつもりなのか」
聡一は秀作が手に持っていた籠の中を眺め、呆れ気味に呟く。
「鴨下君、この三つは全く違うものですよん」
「タイトル同じだろ」
「これはラノベをコミカライズしたものなのですが、作者と出版社がそれぞれ違うのですよん。アニメが始まる前に、原作コミカライズ版も買おうと思いまして」
秀作はにこやかな表情で主張した。
「表紙は確かに違うけど、なんか、どれも同じような絵柄に見える」
聡一は若干呆れ顔だ。
「鴨下君、全く違うではあ~りませんか。目をよく凝らしてみましょう」
秀作に軽く鼻で笑われてしまった。
「こんにちは秀作さん、ここに来るならいっしょに参加してくれればよかったのに」
「やっほー、秀ちゃん、奇遇だね」
優希と遥花は嬉しそうにご挨拶。
「どっ、どうもぉ。僕、この近くでやってる科学博見に行った帰りでして……」
秀作は反射的に視線を床に移してしまう。
「聡一のお友達の丸尾くんもどきくん! 久し振りね」
「ヒデサクくん、お久し振り。また痩せたような」
淳子と乃々絵も秀作の姿に気付くと、彼の側にぴょこぴょこ駆け寄っていく。
「あっ、どうもどうも」
秀作はけっこう緊張気味だ。彼の心拍数、ドクドクドクドク急上昇。そんな彼に、
「この子が聡一お兄ちゃんの親友の秀作お兄ちゃんかぁ。お金持ちのお坊ちゃんって感じね。はじめまして」
育実は爽やかな表情と元気な声で挨拶した。
「こちらの、子が、鴨下君にイクメン候補育成指導しているという……」
秀作はますます緊張してしまう。年下の現実の女の子は特に苦手なのだ。
「その通りよ。アタシの名前は乳井育実っていうの。今、聡一お兄ちゃんちでお泊りさせてもらってるんだ」
育実は爽やかな笑顔で伝える。
「そうでしたかぁ」
秀作は居心地が悪くなったのか、
「じゃっ、じゃあね」
会計を済ませるとそそくさこのお店をあとにした。
「秀ちゃん逃げちゃったね」
「秀作さん、そんなに慌てなくてもいいのに。シャイな性格をなんとかしてあげたいです」
遥花と優希は彼の後ろ姿を微笑ましく見送った。
「ユキちゃん、ヒデサクくんに絶対恋心持ってるでしょう?」
乃々絵はにこりと笑い、優希の肩をポンッと叩く。
「乃々絵さん、そんなことは全くないからね」
「いててて、ごめんねユキちゃん」
きっぱりと否定され、両ほっぺたをぎゅぅーっと抓られてしまった。
(優希ちゃん、明らかに照れ隠ししてるわね)
淳子はふふっと微笑む。
「アタシ次は文房具屋さんへ行きたいな」
育実の希望によりそこへ向かっていく途中、
「あら、あなた達もここへ来てたのね」
みんなの背後からこんな声が。
「あっ、保科先生!」
「ここに来ていたとは……」
「こんにちは保科先生。学外でもよく会いますね」
思わぬ再会の仕方に遥花、聡一、優希はちょっぴり驚く。
「保科のおばちゃんだぁっ!」
「こらイクミちゃん、おばちゃんは失礼よ。ソウイチ達の担任の保科先生、昨日振りですね」
育実と乃々絵は大喜びだ。
保科先生は娘の梨音ちゃんをベビーカーに乗せていた。
「この子が梨音ちゃんだね。かっわいい!」
「赤ちゃんって本当にかわいいね」
育実と乃々絵は初対面の梨音ちゃんの姿に目をきらきらさせる。
この時、梨音ちゃんは気持ち良さそうにすやすや眠っていた。
「今日は梨音のベビー服と絵本とおもちゃを買いに来たの」
「どうも、はじめまして」
旦那さんもいた。背丈は一六五センチほどで低め、痩せ型、それほどイケメンでもないが、ほんわかとしていて優しそうな雰囲気を漂わせていた。
「ほっちゃんの旦那さん、マ○オさんっぽい」
淳子はそんな第一印象を抱く。
「良きパパって感じの人だね」
遥花が褒めると、
「いやいや、それほどでも」
旦那さんは謙遜してにこやかに笑う。
「おじちゃんは何歳?」
育実が知りたそうに質問すると、
「三一歳だよ」
旦那さんは快く教えてくれた。
「思ったより年上だ。まだ二十代半ばに見えますね」
優希はこう褒める。
「そうかな?」
旦那さんは陽気に笑った。
その直後、
「ふぇぇ、ふぇぇぇ」
梨音ちゃんが起きて、泣き出してしまった。
「おしっこ出ちゃったみたいだから、おむつ替えてくるわね」
保科先生が梨音ちゃんのおむつに鼻を近づけながらそう伝えると、
「保科のおば、お姉さん、おむつ交換、聡一お兄ちゃんにやらせてみて下さい」
育実はこうお願いする。
「そうねえ。出来るようになっておいた方がいいかも」
「俺には無理ですよ」
聡一は嫌がるが、
「鴨下聡一君だったね。ぜひやってみてくれ。勉強になるから」
旦那さんも快く承諾。
「いや、俺まだ高校生だし早過ぎますって」
「高校生でも、保育科とか生活科とか家政科とかの子だと保育実習で赤ちゃんのおむつ交換やってるよ」
育実はにこにこ顔で伝える。
「俺普通科だから。それに、その保育実習も事故防止のために人形でやるんじゃないのか?」
「鴨下くん、将来のためのいい経験になるからぜひやってみて。手助けするから」
保科先生からウィンクされお願いされると、
「まあ、一回だけなら」
聡一は仕方なく引き受けた。
「聡一お兄ちゃん、本当のパパらしく頑張ってね。さあ行こう!」
そういうわけで聡一は育実に手をぐいっと引っ張られ、強引に授乳室へ連れて行かれてしまった。旦那さん以外の他のみんなも授乳室へ。
「梨音ちゃん、おむつ換えまちゅね」
保科先生がおむつ交換台に娘の梨音ちゃんを寝かせると、
「あぁ~」
梨音ちゃんはすぐに泣き止んでくれた。
「聡一お兄ちゃん、スキンシップも大事だから赤ちゃんを褒めてあげて」
「どう褒めればいいんだよ?」
「おしっこいっぱい出てよかったねぇ。とかって」
育実からそう教えられ、
「えっ、その、おしっこ。出て、よかったな」
聡一は照れくさそうに作り笑いをして棒読みで言う。
「うぇぇぇ! うえええぇぇぇぇっ!」
すると梨音ちゃんは大声で泣き出してしまった。
「保科先生、どうしましょう?」
聡一は戸惑う。
「大丈夫よ。梨音ちゃん、おしっこいっぱい出てよかったでちゅね」
保科先生が赤ちゃん言葉をかけて微笑みかけると、
「ああぁぁぁ、きゃはっ」
梨音ちゃんは泣き止んでにっこり微笑んでくれた。
「さすがほっちゃん」
「さすが本物のお母さんだね」
淳子と遥花は感心する。
「いよいよおむつ交換よ。鴨下くん、梨音ちゃんの両足を上げて、おしっこついちゃったパンツを脱がしてね」
「はい」
聡一がその作業をしようと恐る恐るおむつに手を触れたら、
「あぁぁぁ、あぁぁぁ~ん!」
梨音ちゃんはまた泣き出し暴れ出してしまった。
「どうしよう?」
戸惑う聡一。
「梨音ちゃん、ちょっと待っててね」
保科先生が抱きかかえてあやして大人しくさせる。
「ありがとうございます。それじゃ、外すよ」
聡一は今度は泣かせることなく汚れたおむつを外すことに成功。
「くさっ」
思わず本音が漏れてしまう。う○こじゃなくて良かったぁ。とも思っていた。
「次はこのタオルでお尻の回り拭いてあげてね」
保科先生から手渡されると、
「分かりました」
聡一はやや緊張気味に、梨音ちゃんのお尻周りをその専用タオルで丁寧に拭いていく。
「きゃはははっ」
すると梨音ちゃんはにっこり微笑んでくれた。
「ははっ」
聡一も思わず微笑む。
「梨音ちゃん気持ち良さそうだね」
「梨音ちゃん、かっわいい。アタシも自然に笑顔になっちゃうよ」
「癒されますね」
「うん、ソウイチも嬉しそう」
「聡一、イクメン経験値アップしたね」
「鴨下くん、とっても手際よかったわ。梨音ちゃん、きれいになったね。きれいなおむつ履かせるからね」
他のみんなも楽しそうに梨音ちゃんの笑い顔を眺めた。
「テープで止めるやつよりは簡単そうだな」
聡一が新しいパンツタイプのおむつを履かせようと足に触れたら、
「あぁぁぁ、あぁぁぁ~ん、あぁぁぁぁぁ~ん!」
梨音ちゃんはまたまた泣き出し暴れ出してしまった。
「どうしよう?」
またも戸惑う聡一。
「梨音ちゃん、ちょっと待っててね」
保科先生が抱きかかえてあやして大人しくさせる。そののち、交換台に梨音ちゃんをそっと寝かせ、履かせやすいように両足を上げさせた。
「鴨下くん、今がチャンスよ」
「あっ、はい」
聡一は慎重におむつを履かせる。
「よぉし、出来た」
装着完了し、ホッと一安心。
次の瞬間、
「おめでとう鴨下くん、梨音もとっても嬉しがってるわ」
「聡一くん、おめでとう」
「聡一お兄ちゃん、よく出来たね」
「聡一さん、お見事でしたね」
「ソウイチ、すごく手際良かったよ」
「聡一、上出来だったわ」
他のみんなからパチパチ拍手された。
「鴨下くん、今からこの出来なら将来素敵なパパになれるわ。いい経験になったでしょ?」
保科先生からにこにこ顔で問われ、
「はい、まあ。作業自体は簡単だけど、赤ちゃんが暴れると難しいですね」
聡一は照れくさそうに伝える。
「きゃははっ」
新しいおむつに換えてもらって、満面の笑みを浮かべて満足げな様子の梨音ちゃんに、
「次はおっぱいの時間でちゅよぅ」
保科先生がにっこり笑顔でこう話しかけると、
「保科先生、おっぱいあげるところ、私も見ていいですか?」
「保科先生、わたしも見たいです!」
「アタシもーっ!」
「ワタシも、見たいな」
「ほっちゃん、見せて見せて」
遥花達は強く要望する。
「いいわよ」
保科先生は恥ずかしがることなく快くOKしてくれた。
母親の貫禄である。
ただし、
「鴨下くんは、見るのやめて欲しいな」
こんな条件付きだ。
「俺、全く見たいとも思いませんから」
聡一はきっぱりと主張して授乳室から早足に出て行った。
休憩所の長椅子に腰掛けてのんびり待っている旦那さんのもとへ。
「何とか無事成功しました。おむつ換える途中、娘さんを一回泣かしてしまって申し訳ありません」
「べつにかまわないさ。ぼくがおむつ替えやってもいつも嫌がられて大泣きされちゃうからね。きみ、女の子いっぱい連れてたけどモテモテだね」
「いや、あの子達は姉と近所の幼馴染なんです。あの子達には、昔からショッピングとか遊びによく無理やり付き合わされてて。荷物係的な感じで」
「ハハハッ。やはりそうか。ぼくと同じだな。ぼくにも姉二人と妹一人がいてね、しょっちゅう無理やり付き合わされたものだよ。女の子向けの下着売り場や水着売り場に連れて行かれた時はいつも居心地悪く感じてたよ」
「俺も同じ経験ありますよ」
「そうか。ぼくは姉に生理用品無理やり一人で買いに行かされたこともあったな。記憶にあるだけでも十回以上は」
「それは大変ですね」
「分かってもらえて嬉しいよ。ぼくの中高時代の男兄弟ばかりの友人には、羨まし過ぎるとか言われたけどね。きみの連れてた女の子達、地味な格好の子ばかりだけど、きみはどう思う?」
「まあべつに、地味でいいと思います。俺、渋谷や原宿にいるような派手な格好の女の子は苦手だし」
「それで良いぞ。きみも将来の結婚相手には、おしゃれに関心のない地味な子を選んだ方がいいよ。おしゃれにやたら拘る子は、服だけじゃなく宝石とかアクセサリーとかブランド物の高価なバッグや財布や化粧品や香水、エステとかにも余計な大金を使うからね」
「その考え、俺にもよく分かります」
「そうか。嬉しいよ」
旦那さんと聡一、意気投合していたその頃。授乳室では、
「いっぱい飲んでね」
保科先生がブラをはずし、梨音ちゃんに母乳を飲ませていた。
「梨音ちゃん、美味しそうに飲んでるね」
「ほっちゃんの乳首、いい形してるもんね」
「わたし達にもこういう時期があったっていうのは、なんか不思議」
「アタシも癒されるよ」
「ワタシも」
他のみんなは真剣な眼差しで眺める。
「お腹いっぱいになったみたいだね。おいちかったでちゅか?」
保科先生が梨音ちゃんの背中をなでながら赤ちゃん言葉で問いかけると、
「ぁあぁ~」
娘の梨音ちゃんは満面の笑みを浮かべてくれた。
「あたしもほっちゃんのおっぱい飲みた~い。飲ませて~」
「こらこら鴨下さん」
「あいでっ」
保科先生は淳子に軽くでこぴんしたのちブラを着け、半袖ブラウスのボタンを閉じて梨音ちゃんを抱きかかえる。ここにいるみんなは聡一と旦那さんが待っている場所へ。
「保科先生、これからのご予定は?」
優希が尋ねると、
「スカイツリーに行く予定よ」
保科先生は楽しそうにこう伝えた。
「それでは、わたし達とはここでお別れですね」
「よかったら、あなた達もいっしょにどう? 電車賃と入場料は全額先生が払うよ」
「皆さんもぜひどうぞ」
保科先生と旦那さんは誘ってくれるも、
「アタシはいいよ。ゴールデンウィークに家族で行ったばかりだから」
「保科先生、家族水入らずの時間をお楽しみ下さい」
「そこは家族で楽しむべきだよね」
「ワタシ達がいると邪魔になるもんね」
「それに、高額な入場料負担させるのは悪いもんな」
「ほっちゃん、ご家族で楽しんで来て」
みんな丁重にお断りした。
「べつにかまわないんだけど、気遣ってくれてありがとう。先生今日はとっても楽しめたわ。では月曜日に元気でね。梨音ちゃんもばいばいしましょうねぇ」
「あぁぁぁ」
「皆さん、さようなら。またどこかでお会いしましょう」
「まったね、ほっちゃん、梨音ちゃん、イクメンパパの旦那さん」
「ばいばーい、梨音ちゃん、おじちゃん、保科のおばちゃ、んじゃなくてお姉さん」
「保科先生、梨音さん、旦那様、さようならです」
「梨音ちゃん、ばいばーい。保科先生、旦那さん、さようなら」
「保科先生、これからもワタシの弟達のことをよろしくお願いします」
「それじゃ、また」
これにてお別れ。
「私達も、そろそろ帰ろっか?」
「そうだな。もう四時半過ぎてるし。あっ、その前に、今夜の夕食と明日の朝食の材料買って帰らないと」
聡一達は一階食品売り場へ。聡一がカートを押して、遥花はその横を並ぶようにして歩き、他のみんなはその後ろをついていく。
「聡一さんと遥花さん、新婚夫婦みたいになっていますね」
優希からにこにこ顔で突っ込まれ、
「そうでもないだろ」
聡一は困惑顔。
「そう見えるかなぁ?」
遥花はちょっぴり照れた。
「聡一お兄ちゃん、今夜は何を作ってくれるのかな?」
「今夜はすき焼きにしようと思う。育実ちゃんがいる最後の夜だし、ちょっと豪華にしようかなっと」
「聡一お兄ちゃん、アタシのためにそんなことしてくれるなんて優しいじゃん」
「いや、べつにそういうわけじゃ。俺も食いたいと思ったし。あっ、この長ネギ安いな」
「ソウイチ、天ぷらも作って欲しいな」
「乃々絵姉ちゃん、勘弁して。揚げ物はむずいから」
聡一は野菜コーナーですき焼きの材料をどんどん籠に詰めていく。
続いて精肉コーナーへ。
「聡一、この宮崎牛のが食べたいな」
「淳子姉ちゃん、これは高過ぎだろ。こっちのオーストラリア産のにするから」
「えー、かわいい育実ちゃん最後の夜なのよ」
「聡一お兄ちゃん、アタシもこのお肉が食べたいな」
「聡一くん、買ってあげなよ」
「ソウイチ、ワタシもこれが食べたい」
「聡一さん、ここは奮発すべきですよ」
「まあ、いいか。父さんの金だし」
聡一は結局わりと高めのすき焼き用牛肉を選び、籠へ。
「ソウイチ、暑くなって来たし、そろそろアイスも買っとこう」
「そうだな」
みんなは続いてアイスコーナーへ。一箱八本入りのアイスパック計五箱《メロン味、オレンジ味、ソーダ味、レモン味、抹茶味》を買い物籠に詰めた。他に食パン、お味噌、りんごジャムなども。
会計を済ませ、
「聡一くん、この入れ方はダメだよ。潰れちゃうよ」
「そんなに気にしなくても……」
聡一と遥花、仲良く協力して買った物を袋に詰める。
「このジュゴォォォーッて出てくるの面白いよね」
アイスを入れた袋の方には溶けないように、育実が専用機械にコインを入れてボタンを押し、粉状ドライアイスを入れた。
ここを最後に、みんなはショッピングモールから外に出た。
「雷雨になってるな」
予想外の土砂降りの大雨で、ゴロゴロ雷も断続的に鳴っていた。
「聡一お兄ちゃん、もう少ししてから帰ろう」
育実は苦い表情で言い、一人で店内へ戻ろうとする。
「育実ちゃんは、まだ雷が怖いんだな」
聡一はにっこり微笑んだ。
「うん、そうなの」
育実は俯き加減で照れくさそうに打ち明ける。
「聡一くんも幼稚園の頃、雷鳴った時私にしがみ付いて来たことあったね」
「遥花ちゃん、俺は全く覚えてないから」
「あったわね、そんなこと。懐かしい」
優希は思い出し笑いした。
「聡一君、そんなことがあったんだぁ」
「姉ちゃんも笑うなよ。大昔の話だろ」
「ごめんごめん、どこで時間を潰す? そういや育実ちゃん、おもちゃ屋さん行きたがってたよね?」
「そこはもういいや。七階まで戻るの遠いし。あたし三階のペットショップ寄りたーい」
こうしてみんなは育実の希望したお店へ。
(小学一年生の頃、カブトムシをここで父さんに飼ってもらったことがあるな)
聡一が懐かしさに浸りながら店内を見て回り、
「エリマキトカゲちゃんだ。ワタシのお友達に飼ってる子いるよ」
「このスッポン、すごく格好いいっ! 美味しいのかな?」
「ネオンテトラ、かわいいわ」
乃々絵と育実と淳子が水槽で売られているペットに夢中になっている間、
「寄ったついでにコニちゃんのエサ買っておこう」
優希は遥花といっしょにペットフードコーナーへ。コニちゃんとは優希の飼っているクサガメの名前だ。
「優希ちゃん、最高級のを買うんだね」
「一回これ与えたら、コニちゃんすっかり舌が肥えちゃって、市販品の亀のエサはこれしか食べてくれなくなっちゃったの」
「あらら。コニちゃんは優希ちゃんに似てすごく頭良いみたいだね」
「わがままなだけだと思うけど」
※
店内で三〇分ほど過ごして再び外へ出た頃には、すっかり晴れ上がっていた。
地元駅へ戻り、自宅への帰り道を歩き進んでいる頃には、午後六時半過ぎ。
「そういえば育実ちゃん、駅降りてから急に大人しくなったね」
「遊び疲れちゃったのかな?」
遥花と淳子はついさっきまでとは様子が違う育実に疑問を抱いた。
「育実ちゃん、なんか顔がちょっと赤いぞ」
「育実さんお熱あるんじゃない?」
「それっぽいわ」
聡一と優希と乃々絵もすぐに育実の異変に気付く。
「なんかアタシ、今、すごくしんどくって」
育実はゆっくりとした口調で答えた。
「育実ちゃん、本当にお熱があるよ」
遥花は育実のおでこに手を当ててみた。
「大丈夫ですか? 育実さん」
優希も心配そうに問いかける。
「まあ、なんとか」
育実はそう答えるも、ぐったりしていた。
「育実ちゃん、乃々絵姉ちゃんの部屋までおんぶしてやろっか?」
聡一はふらふらした足取りで歩いていた育実に、優しく声をかけてあげる。
「ありがとう、聡一お兄ちゃん」
育実は囁くような声で礼を言うと、聡一の両肩に手を掛けた。
「しっかり掴まってて」
聡一は優しく伝え、育実が背負っていたリュックもいっしょにおんぶしてあげる。
「聡一くん、心優しい」
「ソウイチ、またもお兄さんらしいとこを見せたね」
「聡一さん、男らしいです」
「聡一、本当のお兄ちゃんらしいわね」
聡一の気配りに、遥花達は感心したようだ。
七時ちょっと前に自宅へ帰り着いた聡一は、
「母さん、父さん、育実ちゃんが熱出した」
すぐさま両親に報告。
「あら大変。疲れちゃったのかしら?」
「育実ちゃん、知恵熱かな?」
両親は心配そうに接してくれる。
「育実ちゃん、もう少しで部屋に着くからな」
聡一は育実をおぶったまま階段を上り、乃々絵のお部屋へ向かっていく。乃々絵と淳子もあとをついていった。
「さあ着いたぞ育実ちゃん」
「ありがとう、聡一お兄ちゃん」
辿り着くと、ベッドの上にそっと下ろしてあげた。
「あたしも幼い頃は遊び疲れて熱出すことよくあったなぁ」
淳子は懐かしむ。
「おねんねする前に、パジャマに着替えなきゃ」
育実はリュックを床に下ろすとすぐに立ち上がり、スカートを脱ぎ下ろした。みかん柄のショーツが露に。マイバッグから取り出したパジャマのズボンを穿くと、続いて普段着の上着を脱いで、シャツ一枚姿となった。ブラジャーは当然のようにまだ付けていない。
「育実ちゃん、半袖のパジャマで寒くないか?」
聡一は心配してあげる。育実の下着姿には特に気にならなかったようだ。
「うん、大丈夫。んっしょ」
育実は暗闇で光るフォトプリントパジャマに着替え終えると、すぐさまお布団に潜り込んだ。聡一に取ってもらった、ウーパールーパーのぬいぐるみを隣に置いて。
「育実ちゃん、お熱計ろうね」
それからほどなく母がこのお部屋に入って来て、育実に体温計を手渡す。
「うん」
育実はパジャマの胸ボタンをはずし、わきに挟んだ。
一分ほどして体温計がピピピっと鳴ると育実はそっと取り出し、自分で体温を確かめる。
「37.8分もある」
育実はしんどそうに、不安そうに呟く。
「大丈夫よ育実ちゃん、微熱だから今晩しっかり休めば朝には治ってるから」
母が優しく伝えてあげると、
「よかったぁー」
育実はホッとした表情を浮かべた。
「あっ、育実ちゃん、鼻水が垂れてるわよ」
淳子はとっさに、学習机の上に置かれてあったボックスティッシュから何枚か取り出し、育実の鼻の下にそっと押し当ててあげた。
「ありがとう、淳子お姉ちゃん」
お礼を言って、育実は鼻をシュンッとかむ。
「イクミちゃん、気分は悪くないかな?」
乃々絵は優しい声で尋ねる。
「ちょっと悪いかも。でも、吐きそうなほどじゃない」
「晩ご飯は、食べれそう?」
「あの、お母様、固形物は食べる気がしないけど、コーンポタージュが、食べたいな。あと桃も食べたい」
育実はゆっくりとした口調で希望を伝えた。
「コーンポタージュと桃か。聡一が用意してあげて」
母はにこっと微笑みかける。
「えっ、俺が作るの?」
「材料は揃ってると思うから。育実ちゃんも聡一に作って欲しいでしょ?」
「はいお母様。聡一お兄ちゃん、作って来て」
育実から弱弱しい声でお願いされると、
「それじゃ、作ってくるよ」
聡一はやる気アップ。
「ありがとう、聡一お兄ちゃん。楽しみに待ってるね」
育実はとても嬉しそうな表情を浮かべる。
「少し待っててね」
聡一がこのお部屋から出て行き、キッチンでコーンスープ作りに励んでいる時、
「聡一くん、育実ちゃんのために元気が出る食事作ってあげるなんてえらいっ!」
「いやぁ、母さんに頼まれただけだから」
遥花も駆け付けて来てくれた。聡一に顔を見せた後、乃々絵のお部屋へ向かう。
「こんばんは育実ちゃん、絵本読んであげるよ」
おむすびころりんの絵本を持って来ていた。
「ありがとう遥花お姉ちゃん」
「遥花ちゃん、気が利くわね。将来確実に立派なママになれるわ」
淳子は深く感心する。
「そうかなぁ? それじゃ、育実ちゃん、読むね。むかし、むかし。あるところに」
遥花がこのお話の最後まで読み終えた頃に、
「お待たせ育実ちゃん。インスタントで悪いけど」
聡一が戻ってくる。約束どおり、コーンポタージュを作ってあげた。もう一つのお皿に皮を剥いて雑に切られた桃も。
「それでじゅうぶんだよ。ありがとう聡一お兄ちゃん、食べさせて」
育実はとっても嬉しそうな笑みを浮かべる。
「それじゃ、あーんして」
聡一は熱々のコーンポタージュを小さじですくい、ふぅふぅして少し冷ましてから育実のお口に近づけた。
「あー」
育実は口を小さく広げて、幸せそうに頬張っていく。
風邪引いてる時の育実ちゃん、より幼く見えるな。
聡一はそう思いながら眺めていた。
「熱出した時って、お母さんの手料理がいつも以上に美味しく感じられるよね」
遥花はにこにこ顔で呟く。
育実はコーンポタージュを全部飲み干し、桃も全部平らげて、
「とっても美味しかった。ごちそうさまぁ」
満面の笑みを浮かべる。汗も全身からびっしょり流れていた。
「お体拭いてあげるね」
「ありがとう、お母様」
「どういたしまして。ちょっと待っててね」
母は機嫌良さそうにそう告げて、お部屋から出て行った。
数分のち、
「遅くなってごめんね育実ちゃん」
母はお湯を張った洗面器と、二枚のバスタオルを手に持って戻ってくる。そのセットを、育実の枕元にそっと置いた。
「待ってましたー」
育実は寝転んだまま、小さく拍手した。
「俺、薬用意してくるよ。母さん、風邪薬は確かタンスの一番上だったよな?」
「ええ」
聡一は気まずく感じたのか、お部屋から出て行った。
「聡一お兄ちゃん、いなくなっちゃった」
育実は寂しそうに、小さな声で呟く。
「聡一ったら、育実ちゃんの裸を見るのに罪悪感に駆られたのかしら? 育実ちゃん、お体拭くからパジャマ脱いでね」
「うん」
母に頼まれると、育実はゆっくりと上体を起こす。パジャマのボタンを外して上着を脱ぎ、次にシャツも脱いだ。きれいなピンク色をした小さな乳房が露になる。
「育実ちゃん、お腹は痛くない?」
「うん、大丈夫」
「よかった。それじゃ、拭くね」
母はお湯で絞ったタオルで育実のお顔、のどくび、うなじ、背中、腕、わき、お腹の順に丁寧に拭いていく。その後に乾いたタオルで二度拭きしてあげた。
「ありがとう、お母様。汗が引いてすごく気持ちいい」
育実は恍惚の表情を浮かべた。
「育実ちゃん、パジャマ着せるからバンザーイしてね」
遥花に言われると、
「はーい」
育実は素直に返事し、両腕をピッと上に伸ばす。
遥花はシャツとパジャマの袖を通してあげ、ボタンも留めて着衣完了。
「次は下を拭き拭きするね。下着脱がすよ」
続いて母は育実のパジャマズボンとショーツをいっしょに脱がし、下半身も丁寧に拭いてあげる。
「ふぁ、んっ、気持ちいい」
おへその下からおしりにかけてなでるように拭かれた時、育実はぴくんっとなり思わず甘い声を漏らす。
「きゃはっ」
足の裏を拭いてあげた時にはくすぐったがって、かわいい笑い声を出した。
「はい、拭き終わったよ。足上げてね」
母は同じように乾いたタオルで二度拭きし、ショーツとズボンを穿かせてあげた。
「おば様、慣れてますね」
遥花は感心する。
「そりゃぁ昔、聡一と乃々絵と淳子のおむつを交換してあげたことが数え切れないほどあるからね。三人とも交換する度いつも大声で泣いて暴れ回ってて大変だったわ」
母は使ったタオルを絞りながら微笑み顔で言う。
「なんかアタシが赤ちゃんみたいで恥ずかしいよぅ」
「ワタシもなんか照れくさいな」
「あたしもちょっと」
育実と乃々絵と淳子は照れ笑いする。
それからほどなくして、
「母さん、育実ちゃんの体、拭き終わった?」
聡一はお部屋の外から小声で問いかけた。
「うん、もう大丈夫よ」
母がこう答えると、聡一は安心してお部屋へ足を踏み入れた。
「これ、薬」
そして小児用のメロン味の風邪薬を溶かした水を母に手渡す。
「育実ちゃん、次はお薬飲もうね」
母はそれを育実の口元へ近づけた。
「これ、苦いからいらなぁい!」
育実はぷいっと顔を横に向ける。
「育実ちゃん、わがまま言わないの」
母は笑顔でなだめる。
「アタシこんなの飲まなーい」
育実は頬を火照らせながらぷくぅっとふくれた。
「お薬飲まないのなら、坐薬を使おうかなぁ」
母がにこっと微笑みかけると、
「えっ! やっ、やだやだやーだぁ。お薬、飲むよ、飲むよ」
育実はびくーっと反応し勢いよく上体を起こし、お薬を受け取ってちびちび飲み干していく。
「育実ちゃん、坐薬が怖いんだね。気持ち分かるなあ。お尻にぷちゅって入れるの、私もちっちゃい頃風邪引いた時お母さんにしてもらったことがあるけど、逃げ回ってたよ。予防接種並の怖さだよ」
遥花は深く同情する。
(坐薬というと、俺にも嫌な思い出があるな)
聡一は、幼い頃風邪を引いた時に母に取り押さえられ坐薬を入れてもらい、その様子を姉二人とお見舞いに来た遥花と優希にばっちり見られた非常に恥ずかしい過去を思い出してしまった。
「あたしは座薬を使った方が良いと思うけどなぁ。早く効いてくるし」
淳子はにこにこ微笑みながら意見する。
「坐薬、怖い怖ぁい。それじゃアタシ、もうおねんねするよ。おやすみなさーい」
育実は苦虫を噛み潰したような表情でこう告げて、お布団にしっかり潜り込んだ。
それからすぐに、
「あの、風邪うつしちゃうと悪いから、今夜はみんなアタシと別のお部屋で寝てね」
ひょこっとお顔をお布団から出してこう伝えて、再び潜り込んだ。
「育実ちゃん、もうぐっすり寝ちゃってる。の○太くん並の早さだね。お大事に。早く良くなってね」
遥花はそう伝えてお部屋から出て、自宅へ帰っていった。
「イクミちゃん、おやすみ」
「育実ちゃん、ぐっすり寝て早く元気になってね」
「育実ちゃん、お大事にね。聡一、育実ちゃんお休みだけど、夕飯作り全部頼むわね」
「母さん、やっぱそうなるのか」
他のみんなも静かにお部屋から出て行く。
聡一はキッチンへ向かい夕食作り。並行して風呂も沸かす。給湯器は直っていた。
夜八時頃に夕食完成。
「ソウイチ、味が濃い」
「聡一、味が濃過ぎるからもう少しお醤油少なめにした方が良かったと思うわ」
「乃々絵姉ちゃん、母さん、俺はそんなに濃く感じないぞ」
「おれもな」
「あたしも」
キッチンテーブルにて育実以外のみんなですき焼き鍋をつつく。
(明日きっと食べるだろうな)
聡一は育実のために、一人分別のお皿に入れて残してあげた。
「乃々絵、そんなに引っ付かれると暑いよぅ」
「ごめんジュンコお姉さん」
この日の夜は、乃々絵は淳子と同じベッドで寝ることにしたのであった。