09 疑惑とドラゴン
それからしばらくして。
シャーロットは一人でいることが苦痛になり、ラクスを探すため家を出た。
久しぶりの大人数との接触は、思った以上に彼女を消耗させていた。
早くラクスに会ってその冷たい体を抱きしめたいと、シャーロットは心の底から思っていた。
歩いてすぐそこの湖の周りを、ゆっくりと歩く。
いつも白い霧で覆われた湖は、静かだった。
シャーロットは何度も深呼吸をして、気持ちを落ち着かせようとする。
そして冷えた頭で、先ほどまで家にいた客人について、改めて考えを巡らせた。
王からの使者だということは、おそらく間違いないだろう。
身なりもきちんとしていたし、あの星のバッジは、複製が見つかれば最悪反逆罪を課せられるほど貴重なものだ。
王の使者は、即ち王命の代弁者。
彼らは世界各地へ旅立ち、王国の隅々にまで国王の威光を届ける。
過去に幾人もそれを騙る犯罪者が現れたが、そのいずれもが捕縛され断頭台の露と消えた。
“使者を騙るほど、割に合わない商売はない”天下の極悪人として名高いヘンリー・ボニーですら、そう言って憚らないとされていた。
(それに、あの物々しく剣を携えた騎士達)
彼らの存在そのものが、あの使者を本物足らしめる最大の要素だと言っても過言ではない。
王国の剣を自認する騎士団は、格式が高く貴族子息の入団しか認めていない。
実際、シャーロットの二番目の兄とすぐ下の弟も、その中に名を連ねていた。
彼女の家では、それは名誉のためではなく食い扶持を稼ぐための大事な手段だったわけだが。
とにかく、その事実が確かならあの騎士達はそれぞれがどこか貴族の家の出身だということになる。
シャーロットは、実家の家名を名乗らなくてよかったと心の底から思った。
もし名乗っていれば、その兄や弟に迷惑がかかったかもしれないからだ。
(それにしても、彼らは北の森の魔女に、一体どんな用事だったのかしら?)
北の森の魔女という人物を彼女は知らないが、国王の使者がわざわざ出向くところを見ると、よほど重要な人物であるらしい。
名前からして怪しげな魔法を操る老婆を想像したシャーロットだったが、彼女はこの森にすむ自分以外の人間を知らなかった。
彼女の息子は―――人とは少し違う。
そばにいる彼女自身が一番そのことを分かっていたが、だからと言って竜なのではないかと言われるのは心外だった。
吟遊詩人の語る竜は、気まぐれな生き物だ。
人を助けることもあれば、躊躇なく食い殺すことだってある。
しかも数ある英雄譚の中には、竜を殺してその血を浴びることによって、不老不死になった男の話まであるのだ。
偽物だろうが、高値で取引されるその鱗。
研究のため、竜を欲しがる魔法使いたち。
そしてその依頼で、大陸全土まで冒険に繰り出す冒険者たち。
(もし、ラクスが本当にドラゴンだったら?)
考えたくはないが、シャーロットはついその可能性を考えてしまった。
人ではない体を持つラクス。いつまでたっても人らしい言葉を喋らないラクス。
シャーロットは彼を深く愛していた。
愛しているからこそ、彼女に不安が襲い掛かる。
もし彼が使者の言ったように本当に竜と呼ばれる種族で、更にそれが他の人々に知られてしまったら。
森は恐らく、ラクスを狙う冒険者によって埋め尽くされることだろう。
そうなれば、自分ではとても守り切れない。
ラクスだって、シカを倒せるとはいっても所詮その程度。
あまり長い時間は飛んでいられないし、まだまだシャーロットに引っ付きたがる甘えん坊だ。
(森を離れて、もっと王都から遠く離れたところで暮らすべき?)
彼女は迷った。
考えれば考えるほど、国王の使者は北の森の魔女ではなく竜を求めて森にやってきたように思われた。
姿を知らないはずのラスクを竜ではないかと言ってきたということは、彼らはラクスが普通の人ではないと既に知っていたということだ。
(でも……どうして……?)
シャーロットが頭を抱えていると、突然激しい風が吹き、湖の霧が晴れた。
初めて見る光景に、彼女は息を呑む。
そして霧の晴れた遠く、森の茂みから、ラクスの声が聞こえた。
「ギャー――!」
それはまるで、悲鳴のようだった。
シャーロットが慌てて駆け付けると、そこには先ほどの騎士達がいて、ラクスを捕らえようとしているではないか。
彼女の頭が真っ白になる。
「何をしているんですか!?」
ラクスを包囲する騎士の中に飛び込み、彼を抱きしめた。
かなり興奮しているのか、ラクスはじたばたともがく。
その体に小さな切り傷が付いているのを見つけ、シャーロットは泣きたくなった。
(こんな人達を、森に招き入れるんじゃなかった! ラクスごめん、ごめんね……)
引っかかれるのも厭わず抱きしめ続けると、ラクスはやがて落ち着きを取り戻した。
そしてシャーロットの頬に自分が付けたひっかき傷を見つけ、尖った舌でそれを舐めてくれる。
こんなに優しい子だ。
やっぱり彼が人でないはずがない。
シャーロットはしっかりとラクスを抱きしめて、周りに立ち竦む騎士の一団を見据えた。