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08 ワインと熱病


「ただいま~。ラクスいるのー?」


 玄関を開けて声を掛けるとすぐに飛び出してくるはずのラクスが、その日は姿を見せなかった。


(湖にでも遊びに行ったのかしら?)


 シャーロットはさして気にも留めず、同行者たちを家に招き入れる。


「さあどうぞ。狭い家ですが……」


 確かに、元は朽ちかけた山小屋だ。決して広くはない。

 しかし綺麗に掃除されていて、花瓶には愛らしい白い花が活けられていた。

 乾燥した薬草の匂いが漂い、不思議と誰もが安らいでしまうような家だ。

 玄関からおそるおそる中を覗いていた男達が、注意深く家に入ってくる。

 木のテーブルは四人掛けなので、使者と特に位の高い騎士二人、それにシャーロットがそこに座った。

 残りは外で見張りをするという。

 シャーロットは遠慮せず全員どうぞと言ったのだが、職務の途中だからと固辞されてしまった。


「それで、シャーロット殿はどうしてこのようなところに?」


 国王からの使者が、興味深げに尋ねる。

 薬草茶を一口口に含んで、シャーロットは困ったように微笑んだ。


「あら。このようなところと仰いますけれど、住んでみれば存外楽しいですわよ。全部の時間を、自分と息子のために使えるんですもの」


 嫁入り先では使用人のように扱われ、一息つく暇もなかった彼女だ。

 それに比べて今の生活は、誰に頼るでもなく自分でお金を稼ぎ、それで親子元気に暮らせている。


(私は恵まれているわ。ラクスもいい子だし。確かに―――家族に会えないのは寂しいけれど)


 シャーロットは、結婚式の日以来会えていない家族を思い出した。

 優しくて仲睦まじい両親と、頼りがいのある二人の兄。優しい姉。意地悪な弟と愛らしい末の双子。

 家族を思い出すと、シャーロットの胸にふっと冷たい風が吹き抜ける。

 それは寂しさと後悔だ。

 彼女はいつも、掌をぎゅっと握りしめてその風に耐えている。


「初めにラクスと仰いましたが、それが息子さんのお名前ですか?」


「え? ええ。可愛い一人息子です」


 考え事をしていたシャーロットは、慌てて意識を目の前の人の戻した。

 癖なのかちょび髭を何度も撫でつけ、使者は身を乗り出すように言葉を重ねる。


「失礼ですが、その息子さんはその、人間ですか? まさか……竜なのでは?」


 その言葉に、シャーロットは唖然としてしまった。

 彼は突然何を言い出すのだろうか? なんの根拠があってそんな疑いを?

 シャーロットの暮らす世界で、竜という存在は特殊な位置にいる。

 いないわけではないが、見たことのある人間はほとんどいない。吟遊詩人の語る物語の中でしか、シャーロットも竜のことを知らない。

 時折名のある冒険者が竜を倒したという噂を耳にするが、市場に流通する竜の鱗や血のほとんどが偽物であるという。

 その血はどんな傷や病もを癒し、その鳴き声は山を二つ越えた先まで届く。きらめく鱗の一枚一枚には魔力が宿っており、一枚手にするだけで人すら空を飛ぶという。


(お伽話だわ)


 シャーロットは腹立たしい気持ちになった。 

 確かにラクスは普通の人の形はしていない。

 生まれて三年も経つのに一向に言葉は憶えないし、髪の毛も眉毛も生えてこない。

 けれど誰かを傷つけたりなんて決してしないし、シャーロットの言葉をきちんと聞き分けるいい子だ。

 むくむくと、彼女の喉元に熱い感情が沸き起こってきた。


「私の息子は、そんな訳のわからないものなんかじゃない!」


 躾の時は声を荒げても、普段はのほほんと笑ってばかりいる彼女だ。

 突然肩を怒らせて立ち上がったシャーロットの迫力に、使者はでっぷりとした腹をのけぞらせた。

 先ほどの鋭い眼光の騎士が、また剣の柄に手を掛けている。

 けれどシャーロットはここで引くわけにはいけなかった。

 息子の名誉がかかっている。


「あなた方は北の森の魔女を探しにいらっしゃったのでしょうけれど、ここにそんな人はいません! 息子だって私がお腹を痛めて産んだ子です。そんなふうに言うのなら帰ってください!」


「しかし……」


「いいから帰って!!」


 涙目になって、シャーロットは訴えた。

 身体がぶるぶると震える。

 剣を持つ人間に怒鳴りつけるなんて、本当は怖くて仕方ないのだ。

 けれど言わずにはいられなかった。

 それほどまでに、彼女は自分の息子を愛していたから。

 シャーロットの剣幕に、驚いた使者はすごすごと家を出た。二人の騎士もそれに習う。

 しかし家を出る直前、ワイン色の目をした騎士がくるりと振り向いた。

 シャーロットはびくりと震えたが、彼は決して剣を振り上げたりはしなかった。

 ただ勢いよく頭を下げ、彼女に対して謝罪の意を示したのだった。


「大変申し訳ないことをした。お茶までご馳走していただいたのに……」


 彼の言葉に、シャーロットははっと我に返った。

 自ら招き入れたのに、つい叩きだすような真似をしてしまった。

 いくら息子を悪く言われたとはいえ、淑女のしていいことではない。

 なんせ、彼らは国王の使者なのだから。

 どうしようかと戸惑っていると、不意に騎士が表情を和らげた。


「あなたの息子は幸せ者だ。あなたのような母親を持って」


 そう言って一礼し、騎士は家を出て行った。

 シャーロットの頬は、まるで熱病にでも罹ったように真っ赤になった。

 彼女は身動きも出来ないまま、男達の足音が遠ざかるまで、ぼうっとその場に立ち尽くしていた。



 


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