54 旅立つ人
翌朝、セイブルは何事もなかったような旅立っていった。
万が一にも森の中で迷わないように、シャーロットはジェラルドと一緒に彼を森の出口にまで送って行った。
アーサーとシリルはお留守番だ。
ラクスも最近やっと二人に懐いてきた。
時折、彼らの剣の稽古を興味深げに見学していたりもする。
「すっかり世話になったな」
出会った時からは想像できないような、小ざっぱりした姿だった。
顔には人好きのする笑みがのっている。
その見た目は若々しく、とても八十を超えているようには思われない。
「またいつでも来てください。ラクスも喜びます」
シャーロットは心からそう言った。
彼のお陰で、母親として未熟な自分に気付くことができた。
姿も、生態も、寿命すらも違う息子と今後どう付き合っていくのか。
今のように息子を盲目的に可愛がるだけでは、きっとこの先困る時が来る。
人間の親子の間ですら、平等に訪れる別れ。
どうしても目を背けたくなるそんな未来を、シャーロットはこれから見つめて行かなくてはならない。
「すっかりお世話になっちまって。お嬢ちゃんの料理が食えなくなるのは残念だよ。近くに来たらまた寄らして貰うからな!」
少なくとも、今のセイブルの顔に陰りはない。
不老という難題を抱えた彼がそのように笑えるのは、彼の母親の影響が大きいような気がする。
自分もラクスにとってそんな存在になりたいとシャーロットは心ひそかに思っていた。
「次はひげを剃ってから来てくれよ」
生真面目なジェラルドが、珍しく冗談を言う。
どうやら二人で城を訪ねた際、意気投合したらしい。
意外な組み合わせのような気もするが、セイブルの何者にも縛られない自由さが、ジェラルドには小気味よく思えるのだろう。
「おう。また手合せ願いますよ騎士団長さま」
「カイザークラスの冒険者に言われても嫌味なだけだ」
「よせやい。あんたは最後の手段を使わなかった。信頼に足る男だよ」
そう言って、セイブルは右手の甲を人差し指でとんとんと叩いて見せた。
何を言っているのか分からなかったシャーロットだが、一瞬後に、それがラクスへの使役魔法を指すことに気づく。
セイブルは、彼らを繋ぐ絆に気づいていたのだ。
「竜を使役する魔法なら各地に伝承が残っている。実際の使い手を見たのは初めてだがな」
「俺はそんなつもりでラクスを―――」
言い返そうとしたジェラルドをの言葉を、セイブルは遮った。
「だから、信頼に足るって言ってんだよ。咄嗟の瞬間に人間の本質は現れる。ラクスはいい主を持った。いいや―――いい父親の間違いか?」
「ばっ! なにを」
セイブルがにやりと笑い、ジェラルドは泡を食ったように言葉をなくした。
話について行けないシャーロットだけが、しばらくしてからその意味に気付き頬を真っ赤に染める。
「で、殿下に失礼です! ただでさえこんな面倒な任務に就いていただいて、本当に申し訳ないくらいなのに」
シャーロットは俯いて口早に言った。
顔が熱くて、二人の顔が見れない。
「面倒だなんて、そんなことは……」
ジェラルドは優しいから、シャーロットがこう言えば当然フォローしてくれる。
だからこそ、いつまでも彼の優しさに甘えるべきではないのかもしれない。
シャーロットは、ぼんやりとそんなことを考えた。
その時だ。
「きゃっ!」
突如引き寄せられ、シャーロットは小さな悲鳴を上げた。
気づけばセイブルの腕の中。
その腕は見た目よりガッチリとしていて、太くたくましい。
親愛を示す抱擁としては随分と力強いそれに、シャーロットは言葉をなくした。
間近でにやりと笑ったセイブルは、彼女の耳に唇を寄せる。
『竜が見つかったら、必ず知らせに来る』
囁かれたのは、思いもよらない言葉だ。
『だからそれまで、この森で息子と暮らせよ。焦るこたあない』
驚いて見上げれば、セイブルはまるでいたずらっ子のような顔でにっこりと笑った。
「何をしている!」
ジェラルドが、シャーロットを救い出そうと手を伸ばす。
その手がシャーロットの肩に掛かった刹那、セイブルは素早く腕を放した。
力の入ったジェラルドの手は勢い余って、シャーロットを乱暴に引き寄せた。
何をする暇もなく、ジェラルドの胸に背中から倒れ込む。
あわてたジェラルドに右手一本で支えられ、まるで抱っこされる子供のようだ。
「あ……あ……」
シャーロットはしばらく、現実を直視するのを拒否していた。
なぜか。
それはシャーロットを抱き寄せたジェラルドの腕が、彼女の胸を押しつぶしていたからだ。
その腕のたくましさや熱などは、夫婦生活なくしてラクスを身ごもったシャーロットにとっては、全くの未知だった。
「す、すまない!」
あわてて腕を外したジェラルドに謝られても、シャーロットは何も返せなかった。
ただにやにやと笑うセイブルの顔が、今は少し憎らしい。
「次に来る時までには、少しは進展しててくれよお二人さん!」
そう言って、わたわたと慌てる二人を置き去りに、セイブルは旅立っていった。
どうして最後までしんみり見送りをさせてくれないのだろう。
シャーロットはそうして現実逃避しながら、遠ざかる彼の背中を見送った。




