42 兄弟はやきもき
「驚いたな……」
シャーロットの淹れた薬草茶を飲んで、一息ついたアーサーの放った言葉がそれだ。
何のことだろうかと、妹は小首を傾げる。
そんな小動物めいた妹の頭を、アーサーはわしゃわしゃと撫でた。
「団長の笑顔なんて、入団以来初めてだ」
「まあ……」
そんなはずはないと、否定しようとしてシャーロットは思いとどまった。
例えば薪割の最中に話しかけたり、薬草茶を淹れた時。ラクスがじゃれてきた時にはジェラルドは今のような顔をしていたはずだが、なんとなく兄弟達にはそれを秘密にしておきたかった。
「卑怯だ、あんなの!」
シリルが声を荒げる。
やっぱりまだまだ何かが気に食わないらしい。
「シリル。殿下にあのような態度をとってはだめよ」
シャーロットが嗜めると、シリルは余計に険しい顔になった。
「だって、いくら竜を護るためとはいえ、未婚の男女が森で共同生活だなんておかしいだろ!?」
「そうね、確かに私は離縁された子持ち女だし、これで変な噂にでもなったら、国王様に申し訳が立たないわ……」
彼女は悲しそうに眉を顰める。
それを見て慌てたのはシリルの方だ。
「ばっ、そういうことじゃない!」
彼は何かを否定するように、手をばたばたと動かしている。
「シリル」
はあと溜息をついたアーサーが、飲み干した湯呑を掲げて言った。
「俺はシャーロットのお茶を、もう一杯飲んでから帰る。お前は先に向こうに戻って、明日からの生活に支障がないよう努めてくれ」
「なっ!」
「頼んだぞ」
それはつまり、ジェラルドに謝っておけということで。
すぐさま反論しようとしたシリルだが、滅多にない兄の剣幕に遮られもごもごと口を閉じた。
「ごちそうさま」
シリルは名残惜しげに、外に出て行った。
残されたのはシャーロットとアーサーの二人きり。
アーサーは先ほどとは違う重く長い溜息をついた。
「まったくあいつはいつまでたっても」
「はい。小さい頃からしっかり者の良い子です」
相槌を打ちながら、シャーロットは兄の湯呑にお茶を注いだ。
しかしその見当違いな言葉に、アーサーは胡乱な顔になった。
「お前がそうやって甘やかすからいけないんだぞ。おかげで自分の思い通りにならないとすぐあれだ。騎士団に入ってからは俺が叩き直してやったが」
「まあ、暴力はいけませんわ」
「実際に叩いたりはしないさ。それよりあいつには精神攻撃の方が効きめがある。プライドの高いやつだから」
二杯目の薬草茶を口に含み、アーサーは穏やかな顔になって言った。
「まあでも、あいつがつい団長につっかかりたくなる気持ちも分かる。俺達が面会もできないとやきもきしている間、団長とお前はこんなところでのんびり夫婦ごっこをしていたんだから」
「ふ、夫婦ごっこだなんて!」
シャーロットのミルク色の頬が朱に染まった。
アーサーが悪戯っぽい笑みを浮かべる。そうしていると、子供の頃意地悪ばかりしていたシリルにそっくりだ。
「二人で向かい合って食事をして、さっきのように頂きますご馳走様とやっていたんだろう? 夫婦ごっこ以外のなにがあるんだ?」
「そ、それは殿下が……ジェラルドさんがそうしてくれて構わないと。堅苦しくされると自分も息が詰まるとおっしゃって……」
シャーロットはといえばしどろもどろだ。かちゃかちゃと使用済みの食器をまとめようとして、しかし手の動きに反して全く仕事が進んでいない。
「俺には、そんな風に言う団長こそが想像つかないな。なんせああいうお方だから」
「ああいうお方?」
不思議そうな顔をする妹に、アーサーは一瞬その先を話すかを躊躇った。
しかし王都では知らない者のない話でもあるし、その無知のせいでこの先何があるか分からないと、彼はシャーロットにジェラルドの過去を話すことに決めた。
「ジェラルド様のお母様は、先の王の愛妾だったんだよ」
「愛妾……」
一度も社交界に関わったことのない彼女は、どうにもぴんと来ない顔をしていた。
「ご側室の中で、最も寵愛のあったお方ということだ。団長にそっくりの大変お美しい方だったと聞いている」
シャーロットは、もしジェラルドが女性だったと想像してみる。
彼女の脳内で像を結んだのは、険しい顔をした凍える美女だった。
「けれど彼女は、ご自分のご夫君を愛していらっしゃった。だからご自分の境遇に絶望し、早くにお亡くなりになった。ご自分の息子にも、あまり興味をお示しにならなかったと……」
思ってもみない話に、シャーロットの胸は千切られたように痛んだ。
「だからかは分からないが、団長は幼少の頃よりご自分を厳しく律していらっしゃるとの噂だ。その証拠に騎士団では規律の鬼と呼ばれて恐れられているし、まあそういうことだな」
気まずそうにアーサーが湯呑を傾ける。
シャーロットは完全に手を止めて、先ほどその人が出て行った扉をじっと見つめた。




