04 苦いリキュール
それから三年の月日が流れ、シャーロットは十九歳になった。
ラクスは三歳。
しかし彼の見た目は、森で暮らし始めた頃とさほど変わってはいない。
どれだけ話しかけても「ギャー」としか言わないし、変わったところと言えばネズミなどの小動物ではなくシカやイノシシを捕まえてくるようになったことだろうか。
生肉は食べられないシャーロットだが、少しお裾分けを貰ってシチューを作ったりもする。
危険だということで人の近寄らない北の森だったが、不思議なことに今まで危険を感じたことは一度もなかった。
どうしてあんな噂が流れていたのだろうと、不思議に思ったものだ。
山小屋での生活は、シャーロットの性に合っていた。
元々、働くのが当たり前だと教えられて育てられた。
兄や姉が結婚してしまうと、弟妹の面倒を見るのは彼女の役目だったから。
特に末の双子は、赤ちゃんの頃からシャーロットがお風呂に入れておしめも代えてあげた。
今頃どうしてるだろうかと、彼女は時折物思いに耽る。
「ギャーア?」
こくりと、ラクスが可愛らしく小首を傾げた。
言葉こそ通じないけれど、ラクスはシャーロットの感情に敏感だ。
シャーロットが笑うと飛び回って喜ぶし、彼女が悲しむと心配そうにくっついて離れない。
(この子はやっぱり私の子だわ。だってこんなに優しいもの)
シャーロットは手を伸ばすと、ラクスの頭をくりくりと撫でてあげた。
ラクスも楽しげにすり寄ってくるので、しばらくは彼が満足するまで体中も撫でてやる。
そうしている内に、ラクスは板に毛皮を敷いたベッドで丸くなる。
シャーロットは立ち上がり、街に行く準備を始めた。
***
森に暮らし始めて一年が経った頃、シャーロットは意を決して森を出た。
それは実家に帰ろうとしたのではない。
森では手に入らない物を買い揃えたかったのだ。
ラクスに家の中で大人しくしているように言い聞かせ、シャーロットは一人街に向かった。
彼女が暮らしていた王都は、何も変わっていなかった。毎日がお祭りのように賑やかな市場と、ざわざわという人々のざわめき。
いくらラクスと一緒にいるとはいえ、やはり森での生活は寂しいものだ。
久々の王都は、シャーロットを愉快な気持ちにさせてくれた。
彼女は森で採った山菜や薬草を売り、そのお金で小麦や砂糖を買った。それに卵も。
これでクッキーが作れるわ。
シャーロットはご機嫌だった。
生肉ばかり食べているラクスだが、シャーロットは彼に自分の作ったお菓子を食べさせてあげたかった。
子供ができたら手作りのお菓子を一緒に食べる。それがかねてからのシャーロットの夢だったのだ。
シャーロットは両手いっぱいの荷物を抱え、市場を歩いていた。
手つかずの北の森の薬草が思った以上に高値で売れたので、それだけ買ってもまだ財布には余裕があった。
(そうだ。ラクスにネックレスを買ってあげるのはどうだろう?)
服は嫌がってすぐに食い千切ってしてしまうラスクだ。
特に問題ないようなので裸のままでいさせているが、ネックレスならば彼も嫌がらないかもしれない。
その考えを思いついた時、シャーロットは名案だと飛び上がりたくなった。
似ても似つかない親子だが、お揃いのネックレスを付ければ一目で親子だと分かるはずだ。
ワクワクして、シャーロットは数ある露天商の中から普段使いの装飾品を扱う店に向かった。
けれど彼女がワクワクしていられたのは、ほんの短い時間だった。
沢山の装飾品の中からどれがいいかなと悩んでいると、人混みの中から元夫が現れたのだ。
緑の目と優しげな顔だちの、プレイボーイな旦那様。
彼はシャーロットに気づくと、驚いた様に目を白黒させた。
「お前……」
彼が何か言おうとした時、シャーロットは気付いてしまった。
「どうしましたの? あなた」
彼の後ろに立つ、艶やかな美女の存在に。
「ああ、いや、なんでもないんだシャーロット」
慌てた様子のヒューバートは、その美女に対してシャーロットと呼びかけた。
「いやだあなたったら。二人の時はシャロンって読んでくださいな。昔のように」
そう言ってシャロンは、シャーロットに向けてとても艶やかに笑った。
彼女は気付いていたのだ。
夫の元妻の存在に。
気づけば、シャーロットは走り出していた。
荷物を両手に抱えたまま、前も見ないので色々な人にぶつかりながら。
(今はあの人がシャーロットなのね。もう街に、私の居場所なんてないんだわ)
その感情はとても言い現せない。
ただ胸を掻き毟りたくなるような気持ちだった。
悲しくて寂しくて苦しくて悔しくて。
何もかもがごちゃ混ぜになった、汚くて醜くて淀んだ気持ちだ。
初めて薬草リキュールを飲んだ時のように、苦みが強くてツンと沁みた。
荷物抱えてとぼとぼと街道を歩きながら、シャーロットは今度から街に出る時は顔を隠すようにしよう。
そう心に決めていた。