35 友好の握手
ザリッと、土を踏む音がした。
「シャーロット……」
ジェラルドの声は低かった。
シャーロットはラクスから体を離すと、自分より頭二つ分は大きいその人を見上げた。
彼はいつも以上に怖い顔で、その口は固く引き結ばれていた。
一体どんなお叱りを受けるのかと、シャーロットは一瞬身構えてしまったほどだ。
それからしばらく、沈黙が続いた。
ジェラルドの目が真剣過ぎて、シャーロットは息苦しくなった。
思わず、大きなラクスの体に縋りつく。
けれどジェラルドの口から飛び出したのは、思ってもみない言葉だった。
「すまなかった!」
ジェラルドはぎゅっと手を握りしめ、その眉間には深く皺が寄っている。
けれど改めてみれば、その顔は必死でどこか悲しげだ。
「あなたの息子を、緊急事態とはいえ使役してしまった」
「使役、ですか?」
「さっきの糸を見ただろう。あれは王家に伝わる竜を意のままに操るための術なのだ。一生使うことはないと思っていたが、やむを得ずラクスにそれを……」
ジェラルドが言葉を切り、シャーロットも黙り込む。
二人の間に、気まずい沈黙が落ちた。
「クルゥ?」
ラクスは、どうしたの? とでも言うように前足を揃えて首を傾げている。
「その術を解くことは……?」
「残念ながら無理だ。一生に一頭としか契約できない引き換えとして、竜は死ぬまで術者に使役される。君にしてみれば、納得できないことだろう。私も、今後できるだけラクスの自由は妨げないと誓う。ただし、今回のような有事の際は、その行動を押し止めることもあると思う。それだけは了解しておいてほしい」
「一生……」
シャーロットはラクスを見た。
彼はきょとんとした顔で、ことの重大さなど何も感じてはいないのようだ。
そしてジェラルドに視線を移すと、その顔には明らかな苦悩が浮かんでいた。
(この人、慣れると結構感情が分かりやすいんだな)
場違いにも、シャーロットはそんなことを考えた。
それは現実逃避だったのかもしれないし、目が覚めたばかりに色々なことがありすぎて、彼女も混乱していたのだ。
ジェラルドから伝わってくるのは、後悔と悔恨。他にもっと方法があったのではないかと、彼が自分を責めているのが手に取るようにわかった。
シャーロットは知らなかったが、それは彼女がラクスを通じて、その使役者であるジェラルドの感情までも無意識に読み取ってしまっていたのだ。
だから他の人間が見たら、相変わらずの不愛想だったのだが。
ふうと、シャーロットは溜息をついた。
それは自分の緊張を緩和するためでもあるし、二人の間の気まずさを緩めるためでもあった。
「その一生というのは、あなたの一生ですか? それともラクスの?」
シャーロットの質問に、ジェラルドは意味が分からないと言う顔をした。
彼女は言葉を続ける。
「陛下のお話では、ラクス―――ファーヴニルは百年ごとに生まれ変わり、ずっと生き続けているというお話でした。その使役の効果というのは、ラクスが次に死ぬまでですか? それとも、あなたが死ぬと終わるのですか?」
意図せず、声が低くなった。
何かに気付いたように、ジェラルドの口元がピクリと緊張する。
「っ……私の一生だ。私が死ねば、ラクスの使役は自然に解かれる」
“それも止む無し”
ジェラルドの思考が、再びラクスを通じて伝わってきた。
(以外にお人よしなのね)
ジェラルドはラクスを解放するために、自死すら厭わないと思っている。
シャーロットは溜息をついた。
本当ならば彼はシャーロット達親子に、迷惑を掛けるなと怒鳴りつける権利があるはずだ。
だってアニス邸にとらわれたのはシャーロットの不注意で、そこに飛び込んできたラクスの行為も彼が幼くて自らや街自体を危険に晒したのだから。
本当ならば、怒鳴りつけるだけではなく断罪だってできる。
それでなくても王の弟という地位があるのだから、本当はシャーロットを見張るなんて任務、やりたくなかっただろうに。
「なら、私と約束してください」
「何を、だろうか?」
ジェラルドの顔から、緊張が伝わってくる。
「あなたが死ぬまでの時間の少しだけ貸してください。私とラクスは未熟で、まだ街の人達を共存するのは無理みたいです。それでもいつかラクスが人間と仲良くできるように、お力を貸していただけますか?」
今回のことで、シャーロットはそれを痛感した。
なにせ、ラスクのみせた破壊力は一瞬にして強固な屋根を吹き飛ばしたのだから。
それに、大きくなったラクスは、もう彼女の力だけでは押さえつけることができない。
これからラクスを育てていくには、ジェラルドの協力が不可欠なのだ。
(いいわよね? ラクス)
そっとラクスの顔を窺うと、彼はぱたぱたと四枚の羽根を楽しそうに動かしている。
まるでラクスが同意してくれているようで、シャーロットはにこりと笑った。
「りょ、了解した……」
ジェラルドは驚いたように、目を丸くしている。
思った以上に、彼との付き合いは長いものになりそうだ。
シャーロットは彼に、そっと握手を求めた。
彼女のそれの二倍もありそうな大きな手は、熱くてそして力強かった。




