33 雨の中の攻防
本日二回目の更新
ラクスは風を切って飛ぶ。
顔を無数の雨が叩き、目を空けている事すらできない。
風の音はまるで化け物の唸りのようだ。
ラクスはなぜかひどく焦っていた。
時折苦しげに、キュウイキュウイと鳴く。
ジェラルドにはそれが不思議だった。
体が大きくなって自在に飛び回っているというのに、ラクスがちっとも楽しそうでないからだ。
(なにか、理由があるのか?)
ジェラルドは振り落されないように気を付けながら、その首筋をそっと撫でてやった。
小さかった頃とは違う。ざらざらとした手触り。
生えたばかりのまだ柔らかい鱗は、雨風にさらされたせいでポロポロと剥がれていく。
雨の中に、白い花弁のように散らばるそれ。
「ラクス! やめろ!」
ジェラルドは叫んだ。
このまま飛行を続ければ、ラクスの体は鱗が剥げて血だらけになるだろう。
実際、白いその体からは点々と血が滲みだしていた。
それでもラクスは止まらない。
どころか速度を上げたのか、向かい風はどんどん強まるばかりだった。
雨風に耐えて必死に目を開けていると、瞬く間に街が近づいてくる。
突然の雨に、慌てて鎧戸を閉める人々の姿が見えた。通りからは人気が無くなり、まるで街全体が縮こまって嵐に耐えているようだ。
「ギュイィィィィィィィ!」
ラクスは一際大きく鳴くと、ある方角めがけて急降下を始めた。
「やめろラクス! このままじゃぶつかるぞ!!」
ジェラルドの必死の叫びにも、ラクスは耳を貸さない。
やがて彼は、頭から巨大な邸宅の天井に突っ込んだ。
まるで土砂崩れのような轟音。
ジェラルドは一瞬、自分が瓦礫に埋まってしまったのかと思った。
しかしそうではなかった。
ラクスの周りには、ほんのりと膜のような光が浮かんでいる。
だからなのか、ラクスが頭や首を痛めた様子はないのに、ただ邸宅の天井だけが無残に口を開けていた。
「なぜこんなことを……っ」
慌てて降りて巻き込まれた者がいないか確認しようとするが、その前にラクスが離陸してしまう。
そして彼は凄まじい勢いで、今度はその建物を旋回し始めた。
形を変えつつ、ラクスは何度も円形の軌跡を描く。
ジェラルドは遠心力と戦いながら、何とかタイミングを見計らって天井の大穴を覗いた。
そしてそこに、一瞬だけ見覚えのある年恰好の少女がいる事に気付く。
出掛けた時と同じ、黒のローブ姿。
緩く波打って広がるのは、キャラメル色の柔らかな髪だ。
その瞬間、ジェラルドは気が付いた。
この竜が、己の母を求めてここまで飛んできたのだということを。
目を細めて、シャーロットの様子を窺う。
彼女は後ろ手に縛られている様子で、もどかしそうに体を揺らしていた。
屋敷の天井は、襲い来る風雨で残った部分すらも崩れてしまいそうだ。
「ラクス、シャーロットが!」
しかし、ジェラルドの叫びはラクスには届かない。
そうこうしている間に、建物の中のシャーロットが両手を広げた。
まるでラクスを迎え入れるかのように。
幼い竜の子供は、母親を求めて飛んでいく。
速度をおとさず、まるで鋭く飛ぶ矢のように。
「やめろ! やめるんだ!」
ジェラルドは必死で叫び、ラクスの首筋を叩いた。
一度の体当たりで、建物の一部を壊すほどの威力があるのだ。シャーロットが受け止めきれるはずがない。
彼はこれから引き起こされるであろう惨劇を想像した。
無論、自分だって無事では済まないだろう。
しかしそれよりもこの幼い親子が、お互いに求めるあまり傷つきあうところを見たくなかった。
「こうなったら、一か八か……っ」
急降下の最中、ジェラルドはその手をラクスに突き立てた。
五本の指が鱗の狭間にめり込む。
「ギャァァァァァァァ!」
ラクスが呻き、苦しげに空中をのたうった。
しかし構わず、ジェラルドは己の指先に神経を集中する。
すると指が突き刺さった傷から、血ではなく目のくらむような光が溢れ出した。
ジェラルドが、低い声で呪文を紡ぐ。
それは王家にのみ伝わる、竜を使役する術式だった。
おそらくは始祖である初代シグルズが、己の子孫のために伝え残した物である。
しかしすっかり竜が姿を消した現代においては、ジェラルドもただ知識として知っているのみだった。
(間にあえ!)
ジェラルドは己の意志を、指先に込めた。
そしてシャーロットを押しつぶさんとしていたラクスの体の、その軌道をずらそうとした。
ドドーン!! ガラガラガラ!!
その巨大な音を、家に籠っていた人々は神の怒りだと恐れた。
知識のある人達は、雷がどこかに落ちたのだろうと笑った。
けれど本当は、そのどちらでもなかったのである。




