32 白のオパール
「クゥルルゥ」
気を紛らわせようとジェラルドがに薪割をしていると、珍しくラクスが寄ってきた。
彼は物珍しそうに、ジェラルドの作業を見守っている。
目をくりっとさせて、首を傾げる姿は伝説の竜とは思えない程愛らしい。
彼を脅かしてはいけないので、ジェラルドはそのまま作業を続けた。
しかし油断すると、口元が緩んでしまいそうになる。
まだジェラルドの存在に慣れていないラクスが、こうして自ら近寄ってくるなんて初めてのことだからだ。
(シャーロットが帰ってきたら、教えてあげよう)
そう思って、ジェラルドは手を止めた。
そして街のある方角の空を見上げる。
太陽は少しずつ、その高度を落としていた。
その色も少しずつ赤みを帯びて、もうすぐ地平の下へと隠れるだろう。
(迎えに……いや、入れ違いになるかもしれない)
シャーロットの帰宅が遅れるほどに、ジェラルドの懸念は増すばかりだ。
今も、完全に薪割の手が止まっている。
(いくら慣れているとはいえ、夜に森を歩くのは危険すぎる。帰ってきたら、もっと早く帰宅した方がいいと忠告すべきか?)
薪割を中断したジェラルドを、ラクスが見上げている。
しかし突然、何かに気付いたように彼はジェラルドと同じ方角に顔を向けた。
それはつまり、街の方を見たということだ。
ラクスはそのまま、動かなくなった。
まるで耳を澄ませるように、或いは獲物を狙う捕食者のように、じっと息を殺して空を見上げている。
「ど、どうした?」
ジェラルドは思わず話しかけた。
言葉が通じないことは分かっていたがそれでも、その行動があまりにジェラルドの関心事と合致しているような気がしたからだ。
その時、森に風が吹いた。
いつものさわやかで守り包むような風ではない。まるで台風の前触れのような、不吉な湿り気を帯びた風だ。
おかしい―――ジェラルドは訝しんだ。
なぜなら空には雲一つなく、湿度を帯びた風が吹くことなどあり得なかったからだ。
「ギャァァァァァァァ!」
突然、ラクスが大声で鳴き始めた。
しかも一度ではない。何度も、まるで風と会話でもするかのように、何度も叫ぶ。
「なんだ……?」
戸惑うジェラルドの頬を、一粒の雨が叩く。
(馬鹿な!)
空を見上げれば、さきほどまで晴れ渡っていた空にものすごい勢いで暗雲が集まっていた。
それも、まるで森を中心としているかのような、とぐろを巻く不自然な集まり方だ。
一粒の雨はやがて豪雨となった。
ラクスは今も泣き続けている。
そして吹き荒む風。
ジェラルドはすぐに、立っているだけで精一杯になった。
季節外れの、突然の嵐だ。
そしてその雨に濡れたラクスに、変化が表れ始めた。
角度によって色を変えるその体が、白く発光している。
そしてみるみる内に、その体が大きく膨らんだ。
「なっ!」
突如現れた巨大な物体の重さに耐えきれず、地面が割れる。
ラクスはあっという間に見上げるほどの大きさに成長した。
ジェラルドは呆然と、そんな彼を見つめた。
その体は白い鱗に覆われ、宝石のようにその内側で光が乱反射している。顔は鋭利に尖り、横に大きく裂けた口からは立派な牙が覗いた。
「グァァァァァァァァァァァァ!」
大地を揺るがすほどの叫び。
雨に濡れてオパールの肌がぬらぬらと光る。
ラクスは翼を広げた。以前とは比べ物にならないほど大きな四枚羽。
そして羽ばたきもなく、その足が地面から離れる。
竜は羽根で飛ぶのではない―――ジェラルドは以前読んだ書物を思い出していた。
鱗が輝きを増す。
魔力を秘めたその鱗の力で、竜は飛ぶのだ。
「ま、待て!」
はっと我に返ったジェラルドは、慌ててラクスの体に取りついた。
触れてみるとその鱗はまだ柔かい。
「どこへいくつもりだ!?」
尋ねても無駄だ。
頭のどこかで、冷静な自分の声がする。
しかしラクスはジェラルドの護衛対象。そして監視対象でもある。
このままやすやすとおいて行かれるわけにはいかない。
彼は鍛え上げられた腕の力で、己の体を竜の上に引き上げた。
ラクスは少しバランスを崩し、ジェラルドを振り落そうと四枚の羽根を羽ばたかせる。
ジェラルドはその羽根から逃れるように、ラクスの背に体を倒した。そしてそのしなやかな首にしかりと抱き着く。
そうしている間にもラクスは高度を増し、雨や風もどんどん強くなった。
そしてその嵐を切り裂くように、白い雷が走る。
ほんの一瞬にして、ラクスは森を抜けた。
そのあまりの速度に、ジェラルドは声も出なかった。
下手に口を開ければ、下を噛むだろう。
彼はただ黙って、その巨体に取りついているので精いっぱいだった。




