31 吹き荒れるストーム
本日二回目の更新
「な、なんだ!?」
ずっと無言でいたヒューバートが、慌てたようにたたらを踏む。
大きな破壊音と、みしみしという建物そのものが軋む音。
天井が壊れ、雨風が吹き込んだ。
「ばかな!」
義父が叫ぶ。
当然だ。貴族の使う建物は基本的に長期間の使用に耐えうるよう、堅牢に作られている。
それが強い雨風ぐらいで、崩れたりするはずがない。
義母は床に崩れ落ちて震え、シャロンは金切り声をあげて体を丸める。
(一体、何が起こったの!?)
まだ揺れているような感覚に怯えながらも、シャーロットは立ち上がった。
激しい雨風が頬を打つ。
部屋の中は酷い有様だった。
ついさきほどまで天井を構成していた素材が、瓦礫になって散乱している。
アニス商会が大陸中から集めた希少品も台無しだ。
刺繍の入った絨毯は水に濡れ、大きな花瓶は無残にも割れてしまっている。
崩れてきた天井で誰も生き埋めにならずに済んだのは、不幸中の幸いかもしれない。
「ギャーーーーーーーオ!」
その時だった。
雷や雨音に交じって、まるで動物の叫びのような轟音が襲い掛かる。
蝋燭の消えた真っ暗な室内で、シャーロットは必死に空に目を凝らした。
天井に空いた大穴は、おおよそ部屋の半分程の大きさだ。
そしてその穴を、目に止まらぬ速さで何か白いものが横切った。
「っ!」
シャーロットは息が詰まった。
(まさか……そんなはずっ!)
雨に濡れた目元を肩で拭い、必死になって目を凝らす。
するとその白い塊は、まるで旋回するように何度も建物の上を通過した。
それ自体が光っているのか、完全な闇の中でもぼんやりと明るい。
真ん中が膨らんだ、楕円のようなシルエット。
それが通過するたびに、ゴウッという音を伴って室内を強風が襲う。
その度にシャロンは悲鳴を上げ、人々はなすすべもなく地面に縫い付けられる。
「もうやめてっ、ラクス!!」
シャーロットは叫んだ。
息子の名前を読んだのは、半ば本能だ。
その姿を確実に見た訳ではなく、そして見たとしてもその姿は彼女の記憶の中の息子とは大きく異なっていた。
例えるなら、そう。
ラクスを産む前に夢に見た、オパール色の巨大な竜に似ている。
ただし、大きさは大人より一回り大きいほどだろうか? 竜としては随分と小さい。
目を細めるが、その影を確実に捉えることはできなかった。
(ファーヴニル、なの?)
雨風に打たれながら見上げた空に、いたのは白い残像でしかない。
それでもそう思ったのは、もう直感と言うより他になかった。
「ギャーーーーー!!!」
再び、雄叫びがする。
今度こそ確実に叫びだと確信する。
雷とも違う、吹き荒む風とも雨音とも違うそれは、明確な怒りの感情を感じさせた。
「やめて! やめてったら!」
雄叫びは止まない。そして風雨も雷も。
強風で天井の板が漆喰と一緒にどんどん剥がれていく。
流麗な装飾も天井画も、なにもかもが台無しだ。
今やアニス邸は、内部に小型の竜巻を招き入れたような惨事に見舞われていた。
また、白い影が通り過ぎる。
シャーロットは必死に叫んだが、激しい風雨で声はとても届かない。
(あの子、苦しんでる……悲しんでる。まるで心が直接繋がってしまったみたい。胸が苦しくて堪らない)
シャーロットは肩を縮め、膝をついた。
それは今までにない感覚だった。
己のものではない感情が、心の中に流れ込んでくる。
そして目を閉じると、そこにはあり得ない光景が広がった。
広がる街並み。それを頭上からものすごい勢いですり抜けていく。
天井に穴の開いた建物を見下ろす。
その穴の中で縮こまる己の姿を見た時、シャーロットはそれが頭上を飛び回るラクスの視界であることに気が付いた。
ラクスの混乱が伝わってくる。
彼は激しい怒りを感じていた。そして同時に困惑している。
シャーロットはラクスの感情と同調して初めて、彼が使い慣れない己の力を持て余していると知った。
本当は今すぐに小さくなってシャーロットに飛びつきたいのに、大きくなった体がどうすれば元に戻るのか分からず、苛立ちと恐怖を感じている。
(ラクス……)
己とシャーロットが同調していることに、ラクスは気付いていないようだった。
ただ彼は、巨大すぎる力を抑えることに必死なのだ。
もどかしさに体を揺すり、風よりも早く壁すれすれをすり抜ける。
まるで水中をおよぐ魚のよう。
それは人が、死ぬまでに一度だって経験できないような早さだった。
「……け! お………けっ!」
耳に、途切れ途切れに声が届く。
誰の声だろうかと、驚いてシャーロットは目を開けた。
しかしそこには、相変らず荒れ果てた部屋の様子が広がるばかり。
他の四人は部屋の隅に移動して、まるで置物のように小さく丸まっている。
シャーロットは訝しく思ってもう一度目を閉じた。
視界が切り替わる。
流れ込む混乱と苛立ち。
そして微かに感じる、背中の温もり。
(誰か、いるの?)
シャーロットはその背中を確認したかったが、どうやら動きまでは自分の思う通りにはできないようだ。
この体はあくまでラクスのもの。
シャーロットに出来るのは、視界と感情を同調させて、彼の感じている痛みを知ることだけだった。
(情けない。母親なのに! 私がラクスを助けてあげなくちゃいけないのに!)
目を開いて、シャーロットは息を吐いた。
雨に打たれ続けた体は、体温を奪われ小刻みに震えている。
意識まで朦朧としてきた。それでも今倒れたりはできない。
(なにか、なにかないの!?)
周囲を見回しても、当然方法なんて見つかるわけがない。
しかしシャーロットは砕け散った花瓶の欠片を広い、その鋭いきっ先で手を戒めている縄を切った。
焦った拍子に手首に少し傷ができてしまったが、今はそんなことかまってはいられない。
「ラクス! おいで!!」
あらん限りの声で、シャーロットは叫んだ。
そして両手を広げる。
ラクスに“おいで”をする時のいつもの動作だ。
そして飛び込んでくる我が子を、抱きしめる時はいつも嬉しさが心に溢れた。
ちょうど上空を通過するところだった白い塊が、シャーロットめがけて突っ込んでくる。
その巨大な体に、思わず逃げたくなる。
ぶつかれば無事では済まないだろう。
それでも。
(ラクスおいで! あなたなら大丈夫!)
なんの根拠もなく、シャーロットはラクスを信じた。
いや、たとえラクスにつっこまれて自分になにかあったとしても、今のラクスの悲しみを止められるのならそれでいいと思ってしまった。
それは判断ですらない。
シャーロットが本能的に選び出していた答えだった。
黒い塊が、床に転がる。
何が起こったかも分からないまま、シャーロットの意識は途切れてしまった。
気づけば『乙女ゲームの悪役なんてどこかで聞いた話ですが』のポイントを抜いてました
累計ポイント自己新です
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