22 ハーブと森の食卓
平穏な昼下がり。
簡単な準備運動の後、ジェラルドは勝手に薪割を始めた。
山小屋の裏手に薪割場を見つけ、その残りが少なくなっていたからだ。
ジェラルドはシャーロットの、白くて小さな手を思い出した。
―――ラクスが生まれてからの三年間、彼女は自分で薪割をして、生活に必要な全ての物を己で補ってきたのだろうか?
ジェラルドは何とも言えない気持ちになった。
太く重い斧の柄が、血と汗で黒ずんでいたからだ。
無心に薪を割っていると、時間は飛ぶように過ぎた。
汗を撫でる風が心地よい。
斧を振り下ろすたび、カンッという小気味よい音と一緒に、割れた薪が増えていく。
ジェラルドはそれを、適当に隙間を空けて積み上げた。
薪を乾燥させるためだ。
薪に水分が残っていると、燃えが悪くなる。
「何をなさっているのですか?」
作業をちょうど終わりかけた頃、シャーロットがやってきた。
彼女は困ったように、ジェラルドが広げた薪を見下ろしている。
「勝手をしてすまない。まずかっただろうか?」
「いいえ! とても助かります。でもジェラルドさんにこんなことをしていただくなんて……」
「気にするな。私が勝手にしたことだ」
「ですが、殿下に薪を割っていただくなど……」
「なら私に、日がな一日寝て暮らせというのか? それでは体がなまってしまう。頼むから私に仕事をさせてほしい」
シャーロットは困った顔をした。
朝と違い、彼女は質素だが小奇麗な服に着替えて、キャラメル色の髪を緩く一つに結わえている。口布も頭巾も今はない。
掃除とやらが終わったのだろう。
彼女の体からは何か、食欲をそそる匂いがする。
おそらくは、昼食のためにジェラルドを呼びに来たのだろう。
「では、これでどうだろう? 私が薪割などの力仕事を請け負うから、君がその薪を使って私の食事を用意すると言うのは?」
「そんなことして頂かなくても、お食事の用意はさせて頂きます。その、質素で申し訳ないですけれど……」
彼女は恥じらうようにスカートを握った。
ジェラルドを怒鳴りつけたと思ったら、急にこんな年端の行かない少女のような仕草をすることもある。
これで結婚も出産も経験しているというのだから、ジェラルドが彼女の扱いに困るのは当然だった。
「なにもせず食事だけしていたら、それこそぶくぶくに太って使い物にならなくなってしまう。君は私を太った怠け者にしたいのか?」
「そ、そんなつもりじゃ! ……分かりました。では殿下がご都合のよろしい時にだけ、薪割をお願いすることにします」
「ジェラルド、だ」
「ジェラルドさんが、です」
「よろしい。それで、私に何か用があってきたのでは?」
「あ、そうだ、ご昼食などいかがですか? 大したものはご用意できませんでしたが……」
「よし、頂こう。体を動かしたのでお腹がペコペコだ」
そうして二人は、連れだって小屋の中に入った。
朝からの掃除の成果だろう。
狭い山小屋の中は綺麗に掃除され、どこもかしこも几帳面に整えられている。
小さなテーブルにはテーブルクロスが敷かれ、その上には所狭しと料理が並んでいた。
新鮮なハーブのサラダや、魚の香草焼き。根菜のピクルスに、切り分けられたハードパンには、たっぷりのナッツが詰まっていた。
豪勢ではないが、山の中での食事としては贅沢すぎるほどだ。
ジェラルドは驚くのと同時に、心苦しくなった。
この調子で毎日食材を消費していけば、シャーロットの食糧庫はあっという間に空になってしまうことだろう。
「本当に、気を使わないでくれ。さっき食事を用意してほしいとは言ったが、毎日こんな……」
「そんな、本当に大したことないんです。魚やお肉はラクスが取ってきてくれるし、この森は薬草が豊富なので。それに、パンやお野菜はたまに街に出て買ってくるんです。その薬草を売ったお金で」
「そう言えば、君はこの森の薬草をお菓子に加工して街の薬草売りに卸しているのだったな。北の魔女のお菓子ということで、城下では取り合いになっていたが」
「やだ、確かに薬草を子供でも食べやすいクッキーや飴に加工して街に持って行ってますけど、だからって魔女だなんて……」
「だが、街にくるときは常にローブ姿だと聞いたが? それでは、魔女だと思われても仕方ないだろう。薬草の扱いに長け黒づくめの格好。あとは箒で空を飛べば我々の知る魔女の完成だ」
「箒はお掃除にしか使いません。じゃあ、ジェラルドさんがお探しだった北の森の魔女は、私のことだったんですね。私何も知らなくて……」
シャーロットは困った顔をした。
どうやら本気で、自分が魔女と呼ばれているなどとは夢にも思わなかったようだ。
ここまでくるとある種お見事というか、しかし彼女の人となりを知れば、仕方ないとも思える。
竜を守るために嘘をついたのだろうと思っていたジェラルドは、その認識を改めた。
「では、冷める前に頂くとしよう」
「はい。どうぞ召し上がれ」
そんな二人を横目に、ラクスははむはむと何かの骨をしゃぶっている。
そうしてジェラルドの森の生活の一日目は、穏やかに過ぎて行った。




