18 ナミダと血の盟約
「ちょっと待ってください!」
ガタンと立ち上がったのは、ジェラルドだった。
その衝撃で、ラクスが目を覚ましてしまう。
彼は何度か目を瞬かせると、迷惑そうにしっぽを振ってもう一度昼寝に戻って行った。
「彼女が公爵家の娘ですって! 北の森の魔女ではなかったのですか!?」
彼の言葉に、シャーロットもはっと我に返った。
そう言えば自分は、その名前すら名乗っていないはずだ。
なんせシャーロットという名前は、元夫の愛人に奪われたのだから。
彼女は己の両側に座る国王と王妃の表情を伺った。
しかし彼らは今更何を驚くんだと言うように平気な顔だ。
「なんだ、今更そんな話か」
国王がつまらなそうに鼻を鳴らす。
「教えていなかったのですか? 相変わらず意地悪ですのね」
王妃はそんな国王を窘める。
そして三人の視線が、シャーロットに集まってきた。
「シャーロット・ヨハンソン。ヨハンソン男爵家の次女で、ワラキア公爵家の後継者」
こつこつと、国王が指先でテーブルを叩く。
「どこぞの商人の若女将がその名を名乗っているそうだが、その名の持ち主は君だろう?」
質問ではない。
それは断定だった。
「だとしたら、全くの別人が貴族令嬢の名を名乗っているということですか!? そんなこと許される筈がない!」
ジェラルドが肩を怒らせる。
まあまあと、王妃がそれを宥めている。
「誰がどの名前を名乗っているかなんて、所詮は些事に過ぎない。重要なのは、彼女が本当に竜の子供を生んだということだ」
そう言って、王はラクスを指差した。
「王家、宰相家、公爵家のみに伝わる言い伝えによれば、ワラキアの女は百年に一度、ファーヴニルを産み落とすという」
「ファーヴニルを?」
ようやく席に着いたジェラルドが、王の言葉を尋ね返す。
「そうだ。我が先祖によって打倒されたファーヴニルは、ドラゴンとして完全な存在ではなくなってしまった。彼は百年のサイクルで、生と死を繰り返すようになったのだ。百年が経つといずこかで死に、そしてもう一度ワラキアの女の胎から産まれ直す。建国以来、ずっと繰り返されてきたことだ。私自身目にしたのは初めてだが」
驚きのあまり、シャーロットは言葉が出なかった。
それでは、ちょうど百年目だからシャーロットはラクスを身ごもったというのか。
いやそれよりも、こんなに愛らしいラクスが人間に倒された、ファーヴニルの生まれ変わりだなんて。
膝の上で丸くなるラクスを、彼女は優しく撫でた。
その手触りはひんやりと冷たい。
シャーロットはどうしようもなく悲しくなった。
自分の先祖がラクスを殺したのかと思うと、辛くて苦しくて胸が千切れそうになる。
「随分可愛がっているんだね」
その様子を見た国王に語りかけられ、シャーロットは俯いた。
自分は変なのかもしれない。
こんなにも竜の子を愛し慈しんでしまう自分は。
「ファーヴニルは……ラクスは私の息子です。姿かたちが違っていても、その事実は変わりません」
撫でるシャーロットの手に、寝ぼけたラクスがすり寄ってくる。
彼は気持ちよさそうに四枚の羽根を揺らした。
「どうやら、君のおばあ様の心配は無駄だったようだな」
「え?」
顔を上げれば、国王はまるで慈しむ様な顔で微笑んでいた。
「シャーロット。君のおばあ様はね、死の間際まで君の心配をしていたよ。百年前に竜を生んだのは、マーガレットおばあ様の母親だったんだ。記録によれば、彼女の母親はその出産により心を病んで、二度と喋ることも笑うこともなかったそうだ。だからこそ君のおばあ様は、公爵家の血を薄めて竜が生まれないようにしようとしたのだろう」
「血を、薄める?」
「そうだ。死に際の竜の血を浴びた三家。王家、宰相家、公爵家はずっと、その血を薄めないための婚姻を繰り返してきた。マリエッタも、宰相家の出なんだ。我々は連綿と、生まれ変わるファーヴニルを見守ることを使命としてきた。公爵家の産んだ竜を他の二家が見守り育て、いつか独り立ちできるようにと―――」
「そんな! ラクスは私が育てます! これからだって!」
シャーロットは興奮して、ラクスをぎゅっと抱きしめた。
「慌てないで。二人を引き離したりはしないと言ったでしょう」
王妃に宥められても、シャーロットの目は不安げに揺れたままだ。
「ああ、結論を急いですまない。私達は君からファーヴニルを奪ったりはしないよ。ただ、我々に協力してほしいんだ」
「協力、ですか?」
「そうだ。謁見の間でも言ったように、マリエッタの病気が癒えたことで近隣諸国はその秘密を探ろうとするだろう。そしてファーヴニルの存在が知られれば、次はそれを手に入れようと動き出すはずだ。なんせ、捕まえるのが安易な子供ドラゴンなど、どの権力者も喉から手が出るほど欲しいだろうからな」
国王は吐き捨てるように言った。
部屋に重苦しい空気が漂う。
「そんなやつらに、命の恩人を渡すものですか。だからシャーロット。私達は何があっても、あなた達親子を守ると誓う。だからあなたも、私達を信じて。ラクスが従うのはあなただけ。あなたの協力がなければ守り切れないわ」
そう言う王妃のまなざしは、この間まで病人だったとは思えないような強さに溢れていた。
ラクスを撫でていた手に白い綺麗な手が重なる。
シャーロットは思わず、一粒の涙を零した。
いままでこんな風に、一緒に守ると言ってくれた人なんていなかったから。
一人でラクスを守らなければと強がっていた心が、ばらばらに千切れて溶けていく。
そうしてしまえばもう、涙は雨のようにぽつぽつと降り注いだ。
国王の手が肩に置かれる。
向かい合ったジェラルドだけが、難しい顔でシャーロットを見つめていた。




