16 ファーヴニルの王国
王妃は少し痛ましげにシャーロットを見つめ、彼女がカップをソーサーに戻すまで黙って見守った。
ふと茶会の席が静まり返り、シャーロットがカタンとカップを置いたことで、大事な話の口火がきられる。
「まずは、あなたに謝らなくては。命を救っていただいたのに、あんなことを言ってしまって本当に申し訳なかったわ」
王妃はまたしても、腰かけたままで頭を下げた。
シャーロットは飛び上がって、今にも逃げ出したくなる。
国王や王妃に頭を下げられた時の所作なんて、習っていない!
彼女に出来たのは、カチコチに固まってラクスを抱きしめることだけだ。
何も知らないラクスは、それで嬉しそうにシャーロットの胸にすり寄ってくる。
それを目にした王妃は、くすりと悲しげな目のままで笑った。
「とりあえずは、安心してちょうだい。あなた達を無理に引き離したり、殺してしまうなんてことは絶対にないわ。それは信じてほしいの。私達は全力で、貴方達親子を守ります」
「え、でも……」
『国内に、いてはいけないのでしょう?』そう言いかけて、シャーロットは口を噤んだ。
王妃を侮辱していると受け取られても困る。
しかしシャーロットの顔色から、国王は彼女の声にならない気持ちを読み取ったようだ。
「あの場では、ああ言うしかなかったのだ。貴族も一枚岩ではないし、どこに他国のスパイがいるかも分からないのでね」
国王の苦い声音に、シャーロットはぎょっとしてしまった。
「スパイ、ですか?」
「そうだ。こんな大国でもない国にまでと思わなくもないが、現状どこの宮廷にだって他国のスパイというのはいる。それがいるからこそ余計な疑いをかけられずに済むという利点もある。醜いものも飲み込まなければ、国とは立ち行かないんだ。悲しいことにね」
彼はなんでもない顔で、もう一度カップに口を付けた。
威厳に溢れ気力に満ちた三十代の国王にも、ままならぬことはあるらしい。
「陛下……」
ジェラルドが、非難を込めた視線を隣席に送る。
いつも難しい顔をしている男だが、その表情にはどこか気安さがあった。
国王に気安いというのも、妙な話ではあるが。
その視線に気づいた国王は、いたずらっ子の顔をする。
「たまにはお前が代わってくれてもいいんだぞ? ジェリー」
「なにを馬鹿なことを」
「馬鹿ではないさ。今俺が死ねば、お前が王位を取って変わるのは容易い。なんせアルはまだ幼いからな」
ジェラルドがガタリと席を立ち、テーブルに両手を叩きつける。
テーブルに置かれたお茶が、その水面を揺らした。
なりゆきを見守っていたシャーロットは、口の中に悲鳴を押し込まなければならなかった。
「その考えこそが馬鹿だと言っているんです! 私の忠誠をお疑いですか!?」
上背のある男が肩を怒らすというのは迫力だった。
ジェラルドの向かいの席で、シャーロットは身を縮込ませる。
憎めないのと、怯えないのとはまた別だ。
「ちょっと、シャーロットが怯えてるじゃない。あなたも、ジェリーをからかうのは止めて」
王妃が国王を窘める。
国王はなぜか嬉しそうな顔をして、紅茶のお代わりを要求した。
「いいや。我が弟の忠誠を疑ったことなんてないさ。お前がいるから、私はいつ死んでも大丈夫だと安心していられるんだ」
「陛下!」「あなた!」
テーブルの二方から非難の声が上がる。
国王は楽しそうな顔で、悪びれもせず新しい紅茶に口を付けた。
どうやらこの国王、かなり食えない性格らしい。
シャーロットはぽかんとしてしまった。それは話の成り行きにもそうだし、今知ったばかりのある事実に対してもそうだった。
「弟……?」
シャーロットは立ち上がったままの、ジェラルドを見上げる。
視線に気づいたジェラルドは、逆に少しだけ驚いたような顔だ。
状況を察したのは、横でその様子を見ていた王妃の方だった。
「あら、ご存じなかったの? ジェリーは陛下の弟なのよ。御母堂が違うから、あまりに似てはいないのだけれど」
確かに、その目の色と髪の色はなにも似通った所がない。
生真面目なジェラルドと磊落な王。性格的にも似通った所はないようだが、不思議とその雰囲気だけは少し似ていた。
だからなんとなく、シャーロットはすぐにその事実を受け入れられた。
ただ、王弟とは知らずにしてきた今までの無礼を、思い出して少し青くなったが。
「その、すまない……まさか知らないとは思わなくて……」
「いえあの、こちらこそ申し訳ありません。私ほんとうに、そういうのにうとくて……」
思えば労働に身を捧げてきた少女時代。
実家が貴族とはいえ権力と無縁だったこともあり、シャーロットには礼儀以外の貴族に必要な知識というのが欠如している。
というか、敢えてそこから切り離されていたような気がしなくもない。
祖母は己の後継者が、貴族然とした人物になる事を嫌っていた。
『血を薄めたい……』
そんな風に言っていた、祖母の真意はシャーロットにはよくわからなかったけれど。
ぼんやりと追憶に浸っていたら、王妃がパンパンと手を打ちなおす音に呼び戻された。
あわててそちらを見れば、王妃の顔には真剣な色が乗っている。
「雑談はこのくらいにして、本題に入るとしましょう。我が国ファーヴニルと、連綿として続くドラゴンとの関係を」
シャーロットはごくりと息を呑んだ。
遠く鐘の音がする。
ラクスだけがのんびりと、シャーロットの指先にじゃれついて楽しげにしていた。




