13 追憶のマーガレット
―――夢を見た。
なぜ夢だとすぐに分かったのか。
それは死んだはずの祖母がいたからだ。
母方の祖母であるマーガレットおばあ様は、可憐な名前に反して剛毅で知られた方だった。
彼女は晩年まで女公爵として君臨し、政治の場でその剛腕を振るった。
けれど彼女は、死ぬまで独身のままだった。
そして娘の父親の名前すら、墓場にまで持って行ってしまった。
「とにかく強情な人だったのよ」
母は時折、ひどく遠い目をして祖母のことをそう語る。
シャーロットの母方の実家。ワラキア公爵家には、不思議な決まりがいくつもある。
一に、爵位は女が継ぐこと。
一に、領地は女が治めること。
一に、女は決して他家に嫁がせないこと。
それは、国の規律とは大きく異なった決まりだ。
しかしなぜかワラキア公爵家にはそれが許されており、本当に代々女性が跡目を継ぎ、公爵家には男性の肖像画が一枚もなかった。
ではなぜ一人っ子の母が、その決まりを破って父の許に嫁ぐことができたのか。
それは祖母が、公爵家の断絶を強く願っていたからだ。
祖母は頑なに後継者を作らず、己が死んだあとは領地を国に返上すると言って憚らなかった。
娘である母も、その意見には同意していた。
なぜならワラキア公爵の領地は、王都のすぐ北にある不可侵の森。それのみだったからだ。
大層な名前と歴史だけは古い割に、得るものは少なく死ぬまで結婚できない。
母にとってその爵位は、それほど惜しいものではなかったのだ。
―――けれど、結局祖母は死ぬ間際になって、その決意を翻意した。
シャーロットは、その日のことを今でもよく覚えている。
あれは公爵家のタウンハウスにあったバラの迷路でのことだ。
初めてそこを訪れたシャーロットは、はしゃぎ過ぎていつの間にかその迷路に迷い込んでしまった。
やがて両親の姿が見えないことに気付き、慌てて迷路を出ようとしたが既に手遅れ。
どれだけ歩いても出口は一向に見当たらず、やがてシャーロットは疲れ果て、その場に座りこんだ。
彼女が辿り着いたのは、迷路の中にある朽ちかけた噴水。
大理石にはお世辞にも綺麗とは言えない水が溜まり、その底には落ち葉が何層にもなって積み重なっていた。
まだ下の弟妹が産まれておらず末っ子だったシャーロットは、あまりの心細さに泣きだしてしまった。
日は暮れ、刻々と辺りを闇が覆わんとしている。
どれくらい泣いただろうか。
もう死ぬまでここにいるしかないのだろうかと思ったその時、不思議なことが起こった。
シャーロットの涙をたたえた噴水が、風もないのに激しくしぶきをあげたのだ。
そしてみるみる内に水が空中に浮きあがり、まるで生きているかのようにのたくった。
それはまるで、蛇のようにシャーロットにすり寄った。
あまりの恐怖と驚きに、彼女はその場で気を失ってしまった。
そして気付いたら、祖母の腕の中にいたのだ。
祖母の温もりにひどく安心したシャーロットだったが、反対に祖母はとても悲しそうな顔をしていた。
『結局、血の呪縛からは逃れられないと言うことか……』
辛そうな呟きが、今でも耳に残っている。
そしてその意味は、今でも分からないままだ。
それから先に起こった出来事は、シャーロットの記憶には残っていない。全ては母からの伝聞だ。
シャーロットが迷子になった日の夜、祖母は今までの意向を全て翻し、シャーロットを己の後継者として指名した。
あんなに驚いたことはなかったと、語るたびに母は目を丸くする。
どうして上の娘ではなくシャーロットなのかと、母は何度も尋ねたのだそうだ。
しかし結局、その疑問に祖母が答えることはなかった。
『おばあ様。あの日の出来事とラクスは、何か関係があるの?』
夢の中で、シャーロットは祖母に問いかけてみる。
しかし祖母は黙って微笑むばかりで、何も答えてはくれなかった。
『分からないんです。もう一体どうしたらいいのか……おばあ様が言った通り、ラクスには最大限の愛情を注いで育てたつもりです。どんな姿で産まれてきても、間違いなく私の子だって言ったじゃない!』
シャーロットは泣きじゃくった。
思い返してみれば、まるで祖母はこうなることが分かっていたみたいだ。
不思議な姿の赤子が生まれてくるというお伽話を、祖母はシャーロットにだけ山ほど聞かせた。
フェアリー、エルフ、トロール。
―――たとえ取り換え子が産まれても、間違いなくあなたの子なんだから精一杯愛しなさい。
それが祖母の口癖だった。
夢の中の祖母は、何も言わない。
シャーロットはその場に立ち竦んでしまう。
前にも後ろにも、右にも左にもいけない。
両手で顔を覆って、シャーロットはずっと泣き続けた。
それはラクスに心配をかけたくなくて、今まで堪えていた沢山の涙だった。




