10 母とナイト
「この子に何をしたんですか!」
シャーロットが叫ぶ。
突然晴れた霧とその声に、騎士達は驚いたようだった。
すぐ側では国王の使者が、眉を寄せて髭をいじっている。
「シャーロットさん。これは国王陛下のご命令なのですよ。北の森の魔女が飼っている、竜の子供を連れてくるようにと―――」
その言葉に、シャーロットの目の前は真っ赤に染まった。
「何を言っているんですか!? ラクスは私の子です。私は北の森の魔女ではないし、ましてや飼ってるわけじゃない! 息子と一緒に暮らすのが、そんなにいけないことですか!?」
彼女の目尻には、今にも零れそうな涙が溜まっていた。
騎士道を重んじる騎士達は、戦意を削がれ困ったように事の成り行きを見守っている。
「あなたがその生き物を息子だと言うのなら、それは否定しません。しかしですね、私達の目から見ればそれは竜の子だ。国として、竜の子供を野放しにすることはできないんです」
困り果てたというように、使者が言う。
彼はそのコミカルな外見に反して、理知的な人物だった。
例え人と動物でも、種族を越えて家族のように暮らす例は少なくない。
彼自身、己の愛馬のことを家族同様に可愛がっていた。
その愛馬を取り上げられる日が来たら、きっと彼女と同じように声を荒げて抵抗することだろう。
しかしそれは彼の個人的な感情に過ぎず、それと目の前の親子を見逃すというのはまた別の問題だった。
今はまだ人畜無害に見える子供でも、大きくなれば人を襲う竜になるかもしれない。
そうなってから捕まえようとしても、手遅れなのだ。
「この国に暮らしている以上、国王の命令を無視して生きることなどできないのです。それはお分かりでしょう?」
ゆっくりと語りかけるような使者の言葉に、シャーロットは唇を噛んだ。
悔しいが、彼の言う通りだった。
国に住む以上、国王の命令には逆らえない。
ましてやシャーロットは貴族の子供で、幼い頃から国王への忠誠を厳しく躾けられている。
それにたとえこの場は逃げられても、次はもっと沢山の騎士が来て、無理矢理ラクスと引き離されてしまうだろう。
(でもだからって、ラクスを彼らに渡すだなんて……)
腕の中の息子を、シャーロットはじっと見つめた。
ラクスは何が起きたか分からないと言うように、不思議そうな顔でシャーロットを見上げている。
それでも涙を浮かべるシャーロットを心配して、ふわりと体を浮かせてその涙を舐めとってくれた。
「ありがとう、優しい子ね……」
もう一度しっかりと抱きしめると、ラクスは嬉しそうに頬擦りしてきた。
人のものとは違うひんやりとした感触が、今は少し悲しい。
「あなたが反発を感じるのは最もだが、今はどうか堪えてくれ。決して彼を―――ラクスを危険な目に会わせたりはしない。私が責任を持って彼を守る」
進み出たのは、例のワイン色の目をした騎士だった。
彼は二人を傷つけないという意志表示なのか、手にしていた剣を草の上にそっと倒す。
シャーロットは黙って、自分より頭二つ分は大きな相手を見上げた。
「私は騎士団長を拝命している、ジェラルド・ハンセンと言う。どうか我々を信じて、息子さんの身柄を預けてほしい」
ジェラルドと名乗るその男性の顔は、言葉に反してとても鋭く険しいものだった。
確かに貴族らしい優美な顔をしているのだが、顰められた眉と鋭い眼光は相手を怯えさせるのに十分な威力を持っている。
シャーロットは知らなかったが、彼は仲間内で『泣く子がもっと泣くジェラルド』とあだ名され、とにかく顔が恐くてお堅いことで有名だった。
しかしシャーロットは迷った末、息子を幸せ者だと言ってくれた彼を信じることにした。
「分かりました……」
ラクスを抱きしめたまま、彼女は言う。
「分かってくださいましたか?」
落とされた問いかけに、シャーロットはコクリと頷き、そして前を見た。
「なら、私もこの子と一緒に城に行きます」
「え?」
「いやしかし……」
騎士達の間から、呆気にとられたような声が飛び交う。
しばらく沈黙が続き、シャーロットはジェラルドと真っ向から睨み合った。
ジェラルドは怒っていたわけではなく、ただ戸惑っていただけなのだが。
結局、国王の使者がその間に割って入り、二人を取り成した
「分かりました。では一緒に城へ。国王と接見できるよう、私が取り成しますので」
やれやれ。
母は強しというが―――。
内心で汗をかきながら、これから一体どうなるのかと使者は頭を抱えたくなった。




