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血闘  作者: サトシ
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第一話「路地裏」



 深夜二時。大阪は難波の繁華街は、今日も眠らぬ一日を送っていた。

 煌くネオン。行き交う人々。路上でアルコールの臭いが漂う吐瀉物を撒き散らす中年男性。客引きを行うソープの店員。虚ろな目で男に連れて行かれる少女。

 欲望の掃き溜め。

 そんな繁華街の外れ。いわゆる場末の商店街。

 難波の繁華街とは打って変わって、商店街はまるで死人のようにぐっすりと眠っていた。

 古本屋も、ビデオ屋も、ゲームセンターも、飲食店も、全部が全部シャッターの中へ閉じ込めれている。

 そんな商店街の路地裏。ありきたりな中華料理店の脇にあるそこに、二人の男が向かい合っていた。

 大人二人が肩を並んで歩けるほどの広さ。縦一直線。約二〇メートルほど。残飯の、鼻に付く臭いが立ち込めんでいる。

 身長百七十四センチ。体重七十キロ。フルコンタクト(直接打撃制)空手三段を持つ諏訪田高次すわだこうじは、眼前に立つ名も無き男を睨みつけていた。

 身長はやや自分よりも高く、体重は同じか、それ以上か。唾が短い帽子を目深に被り、ジャージを上下に着ている。ジャージのせいで身体の線があまり浮かんでいない。

 諏訪田は堂々と正面に構え、両手の拳を目線の高さまで持ち上げた。

 一方の男は、正面から構える諏訪田とは対象的な、左半身を隠すように半身の構えを取る。

 右手を突き出し、左手は腰へ帯びるように。男の構えもまた「空手」だった。

 男との距離は約五メートル。フルコンタクト空手を極めんとする諏訪田にとって、半身を隠すことによって被弾面積を最小に抑える「半身の構え」は小細工に過ぎない。

 正拳突き等の拳、あるいは水月を狙った前蹴り。縦に対する攻撃に対して半身の構えは実用的だったが、胴や頭が疎かになる。

 諏訪田はじりじりと距離を詰める。

 一方、男は堂々と構えたまま微塵の動きすら見せなかった。

 野良猫の鳴き声、遠くから聞こえてくる車のエンジン音。

 距離、四歩。

 先手を打ったのは、諏訪田。踏み込みを入れて、距離を詰める。左足を軸足とした中段蹴り。狙うは、男の脇腹だった。

 男は腰をひねり、両腕を使って中段蹴りを防御。筋肉の盾に阻まれた諏訪田は、体勢を崩すことなくしっかりと打ち切る。両腕を使って防御し、両足を使って踏ん張った男に反撃手段はない。

 諏訪田はすぐに距離を離し、構える。

 仕切り直し。距離、五歩。

 男は微動だにせず、半身の構えを続けた。

「やるな」

 諏訪田は挑発を込めた言葉を相手に送る。自分より十キロも体重が重い相手でも、この中段蹴りを防御しても痛みのあまりに後退してしまう。

 だが、男の両腕は並半端な鍛え方をしていないことが「接触」で分かった。

「牽制すら打たなかった。素人でも防げる」

 そこまで男が言い切った後、諏訪田は飛び出すかのようにもう一度、踏み込みを入れる。

 諏訪田は下段蹴りを放った。勢いと体重を乗せ、しっかりと固定した木製バットなら叩き割れる威力。左の脹脛をしっかりと狙った一撃。

 牽制と思われがちな下段蹴りだが、相手選手が脚を抱えながら地面に這いつくばっている光景を見たことがあるし、諏訪田自身も経験したことがある。

 下段蹴りは人間の視線の都合上、反撃や防御のタイミングが難しい。それに下段ばかり意識しては、上段と中段が疎かになる。

 牽制による下段蹴りから相手の注意を逸らし、本命の一撃を相手の脇腹、鳩尾、頭部へクリーンヒットさせる。一般人がよく見る空手の図式だ。

 蹴りは、体重と速度を乗せやすい。だから拳の倍以上の威力を持っている

 下段蹴りの威力を牽制から本命にした場合、その威力は凄まじいものになる。 

 中段蹴りを防御できた時点でそれなりの有段者であることは確定している。だから諏訪田は、眼前に立つ男をどうやって叩き潰すか考えたとき、下段蹴りを選択した。隙が大きい技はカウンターを貰う危険性を伴う。それにこの男が果たして「空手家」なのか検討も付かない。

 軸足を刈られたときの、鈍い音。

 右足の感覚が鈍痛に上書きされる。

 重力へ無理やり引っ張られる感触と共に激しい痛み。

「しばらく立ち上がれない程度にしよう」

 諏訪田は心の中で思いながら、視線を男へ向ける――刹那、男の顔が急に消えた。

 下段蹴りを放った左足ががっしりと掴まれる感触を、諏訪田は感じたのだった。




 諏訪田の下段蹴りは、男にとって格好の獲物だった。

 まるで脚を刈り取るように向かってくる左脚の軌道を読み、男は腰を深く落とす。諏訪田が異変に気づいたときには下段蹴りは既に放たれていた。

 器用に左脚を片手で捌き、勢いを失ったそれを脇へ挟むように掴んだ。

「フルコンは当てることしか考えてない」

 左脚をキャプチャーした男は笑い飛ばすと、そのまま諏訪田を押し倒すことは容易であった。背中から叩き落とし、身動きを取ろうとする諏訪田の脇腹にパンチを浴びせる。

 諏訪田の抵抗する力が緩んだ瞬間を、男は見逃さない。地面に背中をつけている諏訪田の上半身へ飛び乗り、マウントポジションを取った。

 バーリ・トゥード(何でもあり)が信条の「総合格闘技」において、マウントポジション――馬乗りになった場合、乗られた側にとって一方的な暴力を浴びせられるのは明白であった。

 少なくとも、諏訪田は自分よりも体重が軽いと男は睨んでいるため、強引に引き剥がすことは難しいだろう。

 それに寝技組技を一切知らない、打撃だけを追求したフルコンタクト空手に、ありとあらゆる格闘技術を必要とする総合格闘技が負けるはずがない。男にとって勝負は既に決まっていた。

 下段蹴りを選択した諏訪田の甘え、あるいは優しさが仇となった。素直に、相手を殺す気概で上段回し蹴り、後ろ回し蹴り、中段蹴り、その他諸々の「空手」を浴びせるべきだった。

 間髪をいれず、男は最短の距離で、最大の威力を浴びせられることができる顔面へ、正拳突きを振り下ろそうとした。

 直後、後頭部が両手に掴まれる感触がした。諏訪田の両手が、男の後頭部を捕まえていたのだった。

 背中に走る悪寒と同時に、諏訪田の額が一直線にこちらへ向かってくるのを男は見てしまう。それは男が放とうとした正拳突きよりもずっとずっと速かった。

 鼻に浴びせられる激痛。がっしりと頭部が固定されているために、その威力は計り知れない。

 諏訪田の頭突きは、せっかくのマウントポジションを台無しにするのに充分すぎるものだった。

 鼻血が出たのか、鼻から液体が滴り落ちるのを男は肌で感じる。諏訪田は怯んだ男のジャージの裾を掴み、強引にマウントポジションから引き剥がすように蹴りを脇腹に叩き込んだ。

 地面に倒れた男は、激痛を堪えながら片膝を突き、立ち上がろうとする。視線を地面から正面へ移動したとき、諏訪田の中段蹴りがこちらの頭部に目掛けてなぎ払っているのを男は見てしまった。

 既に防御することができない速度と間合い。

 脳が直接揺さぶられる振動と同時に、男の視界は一瞬のうちに真っ黒になった。

「俺がただの空手家に見えるか?」

 諏訪田の声が虚ろながらに聞こえたとき、男の意識はそこで途絶えた。

 

 

 勝負は決まった。

 諏訪田の放った中段蹴りは男の頭部へ直撃。彼はそのまま前のめりにするように倒れる。諏訪田はゆっくりと残心を取る。

「直に眼が覚めるだろ」

 少しだけ手加減をした。本気でやっていればどうなっているか想像が付かない。

 一つ言えることは、この男は二度とストリートファイトをしないだろう。総合格闘技がどれほど実践で通用するか試すために、この世界に踏み入れたのがそもそもの間違いだった。

 諏訪田でなくても、この男はどんな相手であれ必ず負けていただろう。軽い脳震盪程度で済んだことに、むしろ感謝して欲しいものだった。

 ジーンズと長袖のシャツに付いた汚れを払い落としながら、諏訪田はゆっくりと路地裏から出る。

 営業時間が過ぎてしまった商店街のど真ん中を諏訪田は歩く。闘いの余韻に浸ることなく、帰路に向けて歩き出す。

 審判や観客が居ない。

 それどころかルールすらもない。

 決して語られることがないストリートファイト。

 朱雀館の有段者である肩書きと同時に、諏訪田高次は血生臭い闘いを求めるストリートファイターであった。



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