第8ステージ アイドル力1000の少女
「ということはうまくいったということね」
第2音楽室。普段授業で使わないこの教室はいつも静まり返っているはずだった。しかしそこには2つの声がある。1つは五百蔵果月、俺、そしてもう1つは月見里百。生徒会副会長に事実上の使用許可(?)をもらった2人は相変わらずのように自分の家かのように過ごしていた。
百はいつもなら止めている手を止めず、軽くピアノを弾きながら俺の話を聞いていた。俺はそれをご機嫌だからしているのかそもそも話を聞く気がないのかで迷っていたが、まあ、そういう日があってもいいだろうと思いなおした。
「そういうことだ。全ては俺の策略通りということだな」
「どうしてそういうことになるのか分からないけれど。完全に話を聞くだに蝶野紡のおかげじゃない」
心地よいピアノの音が流れる。百は別にピアノを弾くのが好きではあるが上手いわけではない。完全な素人である俺はほとんど違いも分からないが、百がいうには人に聴かせるようなものじゃないらしい。だからか俺の前で弾く事はほとんどなかった。
でも今は違う。目標の第1歩を踏み出した俺を祝うかのようにピアノを弾き続けている。
5月になる前日。4月最終日の放課後にこうしていつものように集まっている。
「しかし正直、うまくいくとは思わなかった」
「あたしも断られると思ってた。でもうまくいった。あの子の中で何か変化があったのは見るまでもなく明らかなことよね」
というより環境の変化が大きいのだが、と俺は思う。
岸島狐子がアイドルになるにあたって大きい障害となっていたのは岸島サイクリングの運営だった。今までお店のお手伝いをずっとしてきた岸島ではあったが、アイドルになってしまうと活動やら宣伝やらである程度の時間はとられてしまう。その間、父だけで運営するのは難しいという判断だった。
そもそもバイトでもなんでも雇えばいいのだが、どうも岸島の父は岸島に気を遣いすぎていたらしい。母が亡くなって、代わりの人物をお店に置くと岸島が嫌がると思っていたのだ。しかし、岸島にやりたいことが出来たとあっては話は別。どうも誰かを雇ったらしい。
「そもそも、これからあいつは人気アイドルになるんだ。宣伝される岸島サイクリングだって繁盛するし、店員はもっともっと必要になる。遅いか早いかの違いだ」
「相変わらずその自信はどこから来るのよ」
諦めたようにため息をする。
「つい先日まで神妙な面持ちだったくせに」
岸島に変化があったように俺にも変化があったらしい(百が言うには)。
それは蝶野紡との接触が原因だと思っている。
蝶野紡と会った俺は本人から、杵島透の言葉をきいた。『アイドルとしてはすごい』という完全な侮辱の言葉を。もしかしたら悪気はないのかもしれない。だから俺が腹立てたのは自分に対してだった。
相手の言葉を、実力差を素直に認めてそれを向上心に変えられていると思っていた。何を言われても勝手に言っていろ、というスタンスを保てていると。でも違った。人並みに腹を立てて、言葉が出なかった。そんな自分に腹が立ち、そして久々に落ち込んだのだった。
「思い返してみればいい青春の1ページではないか」
「元気のないあんたの『はぁ・・・』とか適当な相槌とか本当めんどくさかったわよ、なんでわざわざこの教室に来るのよ」
「俺もまだまだ子供だった、ということか」
「いうことか、じゃないってーの」
俺は百を話を聞かないと評価していたが、それは自分にも当てはまるようだった。
しかし百はどことなく嬉しそうだった。本当に元気のない俺はうっとおしかったのか、こうして普通に話が出来るだけで御の字だと思っているのだろうか。
「それで、あんたこんなところにいていいの?」
「む?」
百は急に話を変えたようだ。
というかそれをずっと話したかったかのような素振り。言葉にする前に深呼吸して、それでなお話すかどうかためらうかのような話題。しかし俺にはそれがそこまで大事なことだとは思わなかった。
「岸島さんをアイドルに誘って成功、最終回みたいな雰囲気出してるけどようやくスタートラインに立ったってこと自覚してる?」
「それはもちろんだ!ここから俺の名前も岸島サイクリングの名前も売りつつそうして世界を掴みとる準備ぐらい出来ている!」
「そんなに大きな話じゃなくて、こんなところで油を売っていていいの?ってことよ!」
アイドルに誘う事に成功した。
しかし問題はここからである。アイドルとしてプロデュースし、仕事を勝ち取って蝶野紡に勝たなくてはいけない。それが真の目的。俺の目的のためにも岸島の目的のためにも、それを達成する必要がある。だからこんなところでのんびりせず、狐子のプロデュースでもしたら?という百からの通告であった。しかし・・・。
そうなると百はここに1人になってしまうだろう。別に1人でいることに慣れていないわけではないだろうが、それでも俺という友人1人いなくなるととてつもなくこの教室は静かになってしまう。そもそもここに寄らず、はやく家に帰ればいいのだが、百はどうしてもここでピアノを弾きたがる。
そんな気持ちが湧きあがってきたのか百は自嘲気味に笑った。
友人と会えるかどうか分からなくなるレベルの話ではあるが、それでも大きなことなのだろう。
ふふ、やはり俺がいなければ百は駄目だな。
そもそも、だ。
「いや、俺がここにいてはいけない理由でもあるのか?」
そう言った。
「変に鈍い」と呟くと友笑みを返しながらいつものように憎まれ口をたたく。
「相変わらず馬鹿ね。いおくんはいつもここにきてる。それこそ入学したときからずっと。でももうあんたにはやるべきことがあるでしょ。こんなところに来る前にやるべきことが」
照れ隠しにいつものようにいおくんと呼ぶ。俺は相変わらずその呼び名に慣れていないのかうっと嫌そうな顔をした後、頭をかるくかいた。
「確かに俺にはやるべきことが山積みだが、それでここに来ない理由にはならないだろう」
「・・・・・あんたまさかプロデュースするのは半年後とかそんなこと思ってるんじゃないでしょうね」
俺は真面目で自分のことを信じている。
やりたいと思った事は他を投げ捨ててまでやり遂げようとする時もあるのだが、もうアイドルプロデュースをやめて他にやりたいことが出来たのか?と百は思っているのかもしれない。
俺はどうにも話が伝わらない、と呟きながら、
「俺はこの教室を岸島プロデュース拠点にしようと思っているのだが」
「はあ!?」
思わず声を荒げる。
普段の教室の彼女しか知らない生徒が見たら確実に驚くであろう光景だ。
「こ、この教室を拠点って・・・ここに岸島さんを呼んで、あんたたちが話し合ったりするってこと?」
「無論そうだ。もしよければお前にもアドバイスをもらえたら嬉しいがな」
「でもここ音楽室よ・・・?」
「お前がそれを言うか。まぁ、つい先日生徒会副会長に使用許可(という名の何か)もいただいたことだしな。ついでだついで。というか・・・まさか、自分のピアノを岸島に聴かせるのが恥ずかしいとか思っているのか?ならば安心するがいい!お前のピアノがどれだけへたくそであろうとも、岸島は決してお前を笑いはしないだろう・・・そんな心配など無用だ!」
そう朗らかに宣言する俺に向かって、手元にあった消しゴムを投げつける。小学生みたいなことをするんじゃない。俺からも何かしらのアクションが来ると読んでのことだったわけだが、それでも消しゴムが顔に当たる。
よくもやったな、とお返ししてやろうと見たとき、百は下を見ていた。俯いていたのだ。
そこで俺はあれ?本気で怒らせてしまったか?と思ったものの、すぐに百が顔を上げる。心なしか顔が赤い。
「ふん!しょうがないわね、別に使わせてあげでもいいけど」
「だから別にお前の教室でもないだろう!」
またいつもの言い合いが始まる。
俺はこのままだと永遠に気付かなかったのかもしれない。百が俯いたときの表情を。まだまだ一緒にいれることが嬉しかったから思わず笑みがもれてしまったこと。だから下を向いたことを。
しばらく言い合ったあと、お互い疲れたのかすとんと椅子に座り直す。
百ももうピアノを弾くのをやめ、俺の話を聞く姿勢になっていた。
「はぁ・・・はぁ・・・。くそ、これだからお前と話しをするのは嫌なのだ!」
「それは・・・はぁ・・・こちらのセリフよ・・・はぁ・・・」
お互いに息を整える。
先に息を整えたのは俺のほうで、ふーと息を吐いて、本題に入ろうとする。その流れを読みとったのか百も息を整え、椅子に座り手を膝の上に。子供の頃から人の話をきくときはそうしなさいと教えられてきた百は未だにこの癖が抜けない。姿勢としては正しいのだが、俺に一度馬鹿にされてから腹立たしくて俺の前ではその姿を見せなくなっていた。
そんなことも忘れて百は俺の話を聞こうとする。
「それで、少し現状を報告したいと思うのだが」
「本当にあたしもその計画の一員みたいね・・・まぁ、いいわ。話してみなさい」
なんやかんや話を聞くのが楽しいのか、百は俺の話を促す。
「あのだな・・・アイドル力があるだろう・・・あれの重要性についてなんだが、意見を聞かせてもらってもいいか・・・?」
急にテンションを下げ、果月はそう言った。
百はなんのことかも分からないが、とりあえず自分の中にある論を伝える。
「所詮目安よ。アイドル力なんて言われているけどその高さ=アイドルしての素晴らしさってわけじゃない。アイドル力が高くても有名じゃない人もいるし、その逆も然り。とはいえ全く当てにならないと言うわけではないわね。アイドラーというアイドル好きが使用するアプリによって需要が変わり、それによってアイドル力が変わるわけではあるし。そんな感じかしら」
百も認識ではそうだ。
そしてほとんどそれで当たっている。目安程度と馬鹿にすることも出来ず、だからといってそれで全てが決まるわけではない。そんな中途半端なものなのだ。
しかし世の中にはアイドル力を見てアイドル事務所に所属することを決める人もいるため、最近では少しその重要性が話題になっている。
「だよな・・・・・」
「一体急にどうしたのよ」
俺は言おうか言わまいか迷った末に協力してもらうと言ったのは俺の方であることを思い出し、重い口を開いた。
「1000だったんだ」
「・・・・・何が?」
果月は息を吸って・・・。
「岸島のアイドル力1000だったんだ・・・」
百は言葉を失った。
○
あの蝶野紡のライブが終わった次の日。なんと岸島狐子は自ら五百蔵果月に話しかけたのだ。完全に断られたと思った果月は大いに驚いたが。
「あの・・・色々あって・・・・・わ、私をアイドルにしてほしいの・・・」
今まで果月からのアプローチがほとんどだった。
しかしとうとう狐子から頼まれたのだ。果月はかなり喜んだ。それこそ今までにないくらいに。しかしこれがスタートラインだったことを思い出し、すぐに冷静になる。そんな日の放課後のことである。
「岸島はアイドル力って知ってるか?」
「う、うん・・・一応・・・私は計測したことないけど・・・」
自信なさげに少しずれていたメガネをなおす。
「そうか、なら話は早いな。アイドル力は所詮目安だ。それほど気にすることではないが、今どのぐらいなのかある程度知っておきたくてな。もしよければ計測させてほしいのだが」
そう伝えると狐子は恥ずかしそうにしながらも静かに頷いた。
「よ、よろしくお願いします・・・」
「いや・・・そこまで重いものでもないのだが・・・」
計測したことがないものからしたらかなりの大イベントである。果月も普段から色々な人達に頼まれ計測してきたが、ここまで緊張したことなどない。仕事の都合上、果月自身も計測してもらったことがあるがその時でさえここまで緊張しなかっただろう。
ドル・ガンを握る手が震える。
「じゃ、じゃあいくぞ・・・」
なぜ俺が不安がるのか、と果月は思った。このままでは狐子にまでこの不安が伝染してしまうかもしれない。それだけは避けたかった。せっかく乗り気になってくれたのだ。
大きく深呼吸する。
アイドルに興味のない普通の人間のアイドル力は2500。これが1つの目安としていいだろう。もしどんなアイドル力でも決して何も言うまい。なぜならもし低かったとしてもそれを高めるのが果月の仕事なのだ。無理に嘘を吐く気はない、慰める気もない。慰めるのならば自分の行動をもって慰める。そう決めていた。
そう考えると不意に楽になる。
それに果月が目をつけた原石である。見た目とは裏腹に(失礼)もしかしたらかなりのアイドル力の持ち主かもしれない。狐子を見る。
ボブっぽかった髪の毛は少し伸びたのか、先の方を小さなみつ編みにしている。メガネをかけていて、容姿は悪くない、というよりむしろいい方のような気がする。果月はそこまで分析してからドル・ガンの引き金を引く。ドキューンという音。
そして計測されるアイドル力。
どんなアイドル力でも何も言わない。そう決めていた果月。
その決意は一瞬で無駄になった。
「ど、どうかな・・・」
俯きがちな百は果月に結果を聞きだす。
果月はとてもいい笑顔で。
「アイドル力1000・・・・・・ゴミだ」
「えぇ!?」
いきなりゴミと言われ涙目になる狐子。
そう言えば初めてであったと認識していたときに計測した犬のほうがアイドル力として上だったなあ、なんて思いながら改めて自分のしようとしていることの難しさに気付くのであった。
ようやく第1章終了です。
これからようやくアイドルらしいシーンなどを書けたりできるのかと思うと楽しみではあります。
ここまで読んで下さった方々、ありがとうございます。
もしよろしければ次の章も見ていただければと思います。
ではまた次回。