第4ステージ 岸島サイクリング
常光学園の2駅先、少し街の方向に移動した場所に岸島サイクリングはあった。そもそもにおいてここらへんは都会とはいえないような街並みが広がっているのだが、さらに2駅近く進むとビルやお店が立ち並ぶ人々がたくさんいる場所になる。2駅違うだけでも相当な変化があるのだ。
しかし岸島サイクリングはその中間にある。都会と言うにはのどかな風景が広がっているし、人もそこまで多くない。だからといって何もないわけではなく、生活に必要なもの、遊びに行ける場所などはそれなりにある。要するに中間地点なのだ。人も多いわけでもないし、少ないわけでもない。
そんな岸島サイクリングに集まる人々は明らかに『少ない』寄りの数であった。
岸島狐子はそんな岸島サイクリングの手伝いをしている。とはいってもアイドルとして活動しているわけではなく、単純に店員として働いているのだ。珍しい名前から一時期、中学生の頃には狐子目当てで来るような人もいたが、もうそれもない。人とは慣れるものなのである。
週末、土曜日の午後。常光学園の土曜日は授業が午前中まである。平日は朝が少しはやいとはいえ、終わる時間もまた他の学校よりはやい。そこを取り返すために土曜日の午前授業が行われているのだ。大体の人間はめんどくさがるものなのだが、狐子は違った。休日独特の雰囲気の中、学校に行くのがなんとなく好きだった。これは誰にも賛同してもらったことがないが。
学校も終わった午後。放課後だ。部活に打ち込む生徒や、学校でアイドル活動する生徒を見て、狐子はお店のお手伝いをする生徒と共に帰宅した。もちろん、狐子も岸島サイクリングの手伝いをするためだ。
現在も狐子はお店のレジの近くに椅子を持ってきて座っている。あたり一面は自転車だらけだ。そこまで大きいお店ではないのだが、それなりのものが揃っていると狐子の父親は言っていた。そんな父親は今お店の裏で作業をしている。狐子ももう高2だ。それなりの手伝いが出来るかと思い、父親の裏の仕事、自転車の整備や修理を教えてくれと頼んだ事もあるのだが、断られてしまった。単純に「女の子がこういうことをするものではない!」と言われての事だった。かなり過保護なのかも、と狐子はそこで思った。
そんなこともあり、現在はレジやお客様の相手をすることが多い。しかし人は1日に10人行けばいい方で、そのうちのほとんどが見学に来て何もせずに帰るだけ。おそらく、2駅先の街にある大きな自転車屋にでも行っているのだろう、と狐子の父は言っていた。
狐子もさすがに家の経営が危ないということぐらい分かっていた。しかしこれでも数年前まではかなり繁盛していたのだ。それこそたくさんの人が来て、汚い話だがお金もそれなりに稼いでいたように思える。今思い返してくればそこがピークだったのかもしれない。
今でも数人は修理などで来てくれる。どの人も馴染みのある人だ。
「お父さん、修理してほしいんだって」
今日もいつか見かけたことのあるお客様が来たらしい。狐子は裏にいた父に修理を頼んだ。父はそうか、と笑顔で嬉しそうにしていたが、明らかに人手不足。実質修理や整備が出来る人は父しかいない。確かにお店番を狐子がしていることである程度は助かっているのかもしれない。父に接客も頼んだらそれこそ過労で倒れてしまうかもしれない。
一日数人しか来ないとはいえ、自転車をなおす作業はしっかりと一台一台やらなければいけない。一度狐子は父にバイトを雇えばいいと言ったがそれでも頑なに募集を出さなかった。岸島家で継いできた家によそ者をいれたくはない、との気持ちもまあ分からないでもないが、背に腹はかえられないというものだろう。狐子の父も気付いているはずだ。
それでも現在、ギリギリでありながら切り盛りできている。だからバイトなどいらないと思っているのかもしれない。人が少ない方が父の負担が大きくなるなんて・・・狐子は肩を落としていた。これで繁盛さえすれば父もバイトを雇うかもしれない。でも、それは夢のまた夢である。
「いよう、久しぶりだな」
狐子の父が快活に笑う。どうやらお客様と話しているようだ。こうしてたまにお店の方にも来るため、休む時間が父にはない。狐子はそれが心配でならなかった。
狐子の父は運動でもしているのかというぐらいガタイのいい男だった。引っ込み思案な狐子とは正反対の性格をしておりたまに本当に親子なのか、と疑われるぐらいだった。
お客様と話している父はとても楽しそうだ。もしかしたらこれが父の休憩なのかもしれない。そう狐子は思った。
「お、狐子ちゃん、学校は終わったんだね」
そんな常連さんの1人。いつも自転車を修理にだしてくるサイクリングサークルに所属している近所の大学生が声をかけた。狐子が小学生の頃から近所に住んでいて、引っ込み思案な狐子を幾度となく助けてくれた人物だ。狐子はいいお兄さんだと思っている。
「はい、えっと、修理ですか?」
この人相手ならあまりつっかからずに話せるのだが、どうにも敬語が抜けない。小学生のころはもっと親しい感じだったのに、さすがに高校生ともなるとどうにも恥ずかしさが出てきてしまう。
「うん、お願い。相変わらず狐子ちゃんはここの看板娘だね。アイドルみたいじゃないか」
アイドル。
その単語が聞こえて思わず顔をしかめる。
つい最近、初対面だと思われていた1年間の付き合いがあるクラスメイトに言われた言葉。それを頭の中で反芻する。『アイドルになってみないか』そう言われた一言を。
「わ、私はアイドルじゃないです・・・ただのお手伝いで・・・」
いつもなら笑って流される質問だったはずだが、今回は狐子の様子がおかしい。大学生はふむ・・・と何かを思案した後、なんとなくの答えを推測してみた。
狐子はその様子を見て、しまったと思った。これではアイドル関連で何かあったと思われてしまう。しかしもう時すでに遅し。大学生はにやにやと笑いながらそうかそうか、と頷いている。
「なんだかよくわからないが、狐子ちゃんにもアイドル関連で何かあったか。まあ、岸島サイクリングにはアイドルもいないわけだし、順当にいけば狐子ちゃんがアイドルになるよな。あのおっさんをアイドルにするわけにはいかないし」
「誰がおっさんだ」
それに対し父が応える。最初、この大学生は父との交流が多かった。自転車が大好きで狐子の父に色々ときいていたのだ。それでいまサイクリングサークルに入っているあたり、狐子の父も感慨深いのだろう。そのような口をきかれてもニコニコと笑っている。
「大学生になろうが、俺からしてみればまだまだ子供だからな。いつまでたっても大人扱いなんかしてやらんぞ」
父はそう言ってその大学生を子供扱いし続けている。大学生も満更でもないみたいでその扱いをずっと受け続けている。「きいてたのかよ」と小声で言いながら父を見た。
「狐子に変なことを吹き込むなよ」
「変な事じゃないよ。狐子ちゃんにアイドルになることをすすめていただけ」
「それが変な事なんだよ」
「親が子の可能性をつぶすことはいけないことなんじゃないの?」
お互い適当に言い合う。どちらも別に本気なわけではなく、なんとなく言い合いを毎回会うたびにしているのだ。お互いそれを楽しんでいるあたり、どうしようもない。狐子もその間にはさすがに入ることが出来なかった。
父が大学生の自転車を預かり、大学生が再び大学に戻った後、狐子はまたお店番をひたすらしていた。午後3時。休みの日でお客様が多くなる時間帯でもあるのだが、岸島サイクリングには一切人が入っていなかった。たまに人が来るものの、特に何もせず、自転車を見てお店から出て行く。
狐子はその光景を見るたびになんともいえない気持ちになっていた。自分も特に自転車に興味があるわけではないが、父が整備した自転車をもっとちゃんと見てほしいと、そう思った。
(まあ・・・私もよく分からないんだけど・・・)
だからこうしてお店番だけやっている。
父は裏でまだ作業だ。しかし今日はいつもよりさらにお客様が少ない。父も少しは休めるだろうと逆に安心していた。自分も何か手伝える事を探さなければ。そう思った時・・・。
「邪魔をする」
なぜかどこかで聞き覚えのある声が聞こえた。でも、おかしい。だって彼には何も話していないはずだ。なんでここにいることが分かったのか。考える事はたくさんあったが考えても分からないのでお店の出入り口を見る。そこに傲慢そうに、何もかもが自分のためにあるかのような振る舞いで五百蔵果月は経っていたのである。
「この前ぶりだな、岸島」
「い・・・五百蔵くん・・・?ど、どうして私がここにいるって・・・」
彼のお店メイクいおろいはかなり有名である。そこが実家であるならば彼はこことは逆方向の駅に行かなければいけないはずだ。有名だからこそ狐子でも知っているが、このお店、岸島サイクリングは無名である。自転車に興味があるとは思えないし、どうやってこの場所を・・・。
「俺の情報網をなめるなと言っておこう。お前に直接きかなかったのは礼儀知らずだと思うが、驚かせたかったのでな。嫌ならば帰るが?」
「う、ううん・・・いらっしゃい。えっと・・・今日はどんな用かな・・・?」
「お前をもらいに来た」
がっしゃーんと裏の方で工具が落ちる音が聞こえた。
○
どたどたどたと何かが走る音、そして今まで修理をしていた岸島の父らしき人物が顔を出してきた。
「お、お前はなんだ!」
そう叫ぶ岸島父に。
「岸島狐子さんのクラスメイト、五百蔵果月です」
いつもの傲慢な態度、雰囲気を一切封じ込めて頭を下げた。時々こいつおかしいんじゃ?という疑問を持たれる俺ではあったが、そこらへんの礼儀はしっかりしなければならないと思っている。メイクいおろいで接客もしているし、アイドルとして雑誌にも載っている。礼儀なしではやっていけない世界なのだ。
「五百蔵・・・?あんたもしかして・・・メイクいおろいのアイドルの五百蔵果月か?」
「え、えぇ・・・そうですが?」
思いっきり顔を近づけてくる岸島の父におされる。
岸島の父は奥から色紙を出してきて・・・。
「これにサインをしてくれないか!」
そう叫ぶのであった。
サインをした後、岸島の父は再び修理をしに裏へ。なんだ、娘のクラスメイトか、と言ったあとお前にも男子の友達がいたんだなぁ、と嬉しそうに高笑いして帰って行った。
まぁ、確かに俺はただのクラスメイトだが、もし俺が嘘をついていて、岸島のことが好きだった場合この父はどうするのか、そう思った。なんというか人の事を信じすぎるような気がする。とはいえ、俺がアイドルだからというのも少し関係しているのだろうが。
「お父さんがごめんね・・・」
お店番をしつつ、岸島ががっくりと肩を落とす。
「いや、別にサインぐらいどうというわけでもない。というか岸島の父親はよく俺の事を知っていたな。自分で言うのもなんだがアイドルとしてはそこまで活動していないんだが」
精々雑誌ぐらいである。テレビに出ているならまだしも雑誌だ。知名度はそんなに高くないような気がする。その雑誌だって基本アイドルが好きな人が買うわけでもあるし、興味の無い人が俺にサインを求めるほどに知っているはずがない。
「うん・・・お父さん・・・アイドルが好きなんだ」
「なるほど。それはまあなんというか全てが繋がったような気がするな」
アイドルに対して誰かれ構わずサインを求め、ファンになる。アイドル好きとしては最高の人物かもしれないが、そんな父を傍から見ている娘はどう思うのか。
「それで俺に蝶野紡に話しかけるところを見られたくなかったのか」
「うん・・・お父さん本当にアイドルを見かけたら見境なくなっちゃって・・・それと同じことをしているのかななんて思うと恥ずかしくて・・・」
それでもアイドル好きの父を最大限楽しませてあげたいのだろう。岸島は謝りつつも、サインを求めたことに対しては特に何も言っていなかった。理想の親子関係だな、とそう思った。
「アイドルが好きなのに、このお店にはアイドルがいないのか?」
「うん・・・アイドルにするなら私以外ありえないって・・・恥ずかしいでしょ。だからバイトを雇っても誰かをアイドルにすることはないと思う・・・」
自分で言っていて恥ずかしくなってきたのか顔を赤くしてうつむく岸島。
やはりなんだかんだ言いつつ、父のことが好きなのだな、と思わずこちらも笑顔になる。
「なるほど・・・」
「でも私にアイドルが向いていないってことも分かっていて・・・だったら無理はするなって言ってるんだ。私がもっとちゃんとしてたらお父さんに無理させなくてもいいのかなって・・・」
アイドル時代といいつつもその目的は商売であることもある。商業アイドル。そんなふうに呼ばれるアイドルだっている。お店の看板を背負い、有名になればそのお店にもお客様がたくさん来る。だからアイドルは無名だろうが、お店にいたほうがいい。特に常光学園はそういう人が多く、テレビ局の人に注目されやすい。アイドルになったほうが可能性としては高いのだが。
それでも岸島の父は無理強いしないのだろう。娘が嫌なのなら、アイドルなんかいらないと。
「なんかごめんね、変なことばっかり・・・。で・・・・・その・・・・・今日はなんでここに来たの・・・?なんとなくは分かるんだけど・・・」
「想像の通り、お前をもらいに来た。お前をもらってお前をアイドルにする」
「・・・・ありがとう。私は小さい頃アイドルに憧れていたけど、今はもう興味もないし、私にはなれないよ・・・。テレビや雑誌に出ている人達を見るたびに私とは住む世界が違うと感じるの・・・」
「俺にはお前にアイドルむいていないとは思わないけどな」
唐突な一言に岸島は驚く。思わずかけていたメガネがずり落ちそうになっていた。
「向いているとも言えないが、それはやってみないと分からない事だ。諦めるのははやいと思うけどな」
「・・・・・諦めるもなにも私はアイドルになりたいと思わないの・・・ごめん」
頼んでいる方がこちらのほうなのにひたすら岸島が申し訳なさそうにしている。その様子を見て俺はまたため息をついた。こいつはどこまでも他人のことを考えている。嫌ならば嫌とはっきり言えばいい。そうすれば俺みたいなやつもいなくなるのに、そう思った。
「だが、悪いな。俺は諦めるつもりはない。俺は俺の目的を叶えるためにお前をプロデュースしなければならないんだ」
「ど、どうしてそこまで私を・・・」
「これをやろう」
そう言って俺はポケットから特別チケットを取りだした。もちろん岸島もそのチケットの存在は知っていたが、実物を見るのは初めてである。
「一度きちんとした場所からライブを見てみるがいい。決めるのはそれからでも遅くはないと思うぞ」
岸島を縛っているのは2つ。
まず、自分がアイドルに向いていない、なれない、なる資格がないと思っている事。
そしてアイドルとはどういうものなのかよく分かっていないということだ。
岸島としても父親に楽をさせたい。このお店をいつまでももっていたいのだろう。大事な場所なのかもしれない。そこを守るためにはアイドルになるしかない、そう思わせれば。
ここからは俺と岸島の取引だ。
アイドルに向いているだなんて優しい言葉をかけるつもりはない。お互いがお互いを必要とするまで俺はしつこくお願いするのだろう。
岸島をアイドルにして蝶野紡を倒す。要するに岸島を自分の復讐の道具として使う俺。そして自分のお店を救うためにアイドルとなり、その手段として俺を道具として使う岸島。
2人の利害さえ一致すれば、この夢はかなう。俺はそう思った。
あまり長居するわけにはいかないと思い、席を立ち、お店の外に出る。
(結局いい返事はもらえなかったか・・・・・)
OKされるまでお願いし続けようと思っていた俺ではあったし、そういう態度をとっていたが、実はお願い自体これで最後にするつもりだった。特別チケットは渡せた。後は岸島次第だ。
帰ろうかと思った時、後ろから聞き覚えのある足音が。
岸島の父だ。
「五百蔵くん、娘を頼んだ。君が何をするつもりなのかは分からないが、どうにも引っ込み思案で、知らないうちに何かを我慢していることがある娘でな。父親失格かもしれないが、五百蔵くんならそれが分かるのかもしれない。よろしく頼んだ」
「はい」
俺はそれに短く返事をしてサイクリング岸島を去ることにした。
新入生歓迎ライブまで後2日。
次回はようやくアイドルものらしいシーンを書く事が出来そうで、楽しみです。
感想、評価などいつでも待っています。
もしよろしければ次回もよろしくお願いします。